4話 熱量
18:30 カフェは閉店の時刻になり、各々割り振られた締め作業を片付けていく。
俺は邪魔にならないように、カフェの隅にある、胸ぐらいの高さのサボテンと重なるように立ち、同僚と会話する小谷を眺めていた。
「お疲れ様でーす」
「お疲れ様です」
「おつかれさまー、今日もありがとねー」
「おつかれー、やっと終わった、待ちくたびれたわ」
まだ事務仕事が残っている様子の店長に声を掛け、小谷と同僚と俺はカフェを後にする。
「いやぁー、疲れましたねー」
「ほんとにね、今日もお客さんいっぱい来てたなぁ」
「えー、なんで嬉しそうなんですか⁇ 太一さんて変わってますよねー、天然⁇」
「そうなんだよ、コイツ昔から変なんだよ」
「お客さんが多いと、なんか嬉しくない? 賑やかでさ、」
「私は忙しいと、全く嬉しくないですね!」
「いや、時給変わんないなら暇の方がいいだろ」
人で溢れた街の流れに溶け込みながら、駅に向かって3人で歩いて行く。
「私、バスなんでここで! お疲れ様でしたー」
「お疲れ様ー、またね」
「おつかれー」
同僚と別れた俺達は、そのまま駅ナカの書店に入り、文庫本エリアを物色する。
「お前、ほんと本好きだよなぁ、漫画とかは読まねーの?」
小谷は、楽しそうに本の背表紙を見ており、時より気になった本を手にしては、表紙を確認して最初のページを開く。
数回それを行った後に、1冊の本を持ちレジに向かう。
カウンターの横に、人気漫画の最新巻が平積みされていることに気付き、それも一緒に会計をする。
「そうだ、今日だったわ。なんだ、お前も漫画読むんじゃんか」
俺が大好きな漫画を小谷も読むことが分かり、親近感を抱き、心の片隅にあったシコリが、少し柔らかくなった気する。
家に帰るためか、改札に向かう小谷の横を歩く。
「なぁ、太一」
初めて下の名前で小谷を呼ぶ。
「俺さぁ、死んだんだ、でさ、なんか昨日、火葬場にいて」
「……」
「遊霊って言うの? よくわかんないけど、それになったらしい、意味わかんねぇよな」
「……」
俺は思わず、立ち止まってしまう。
「……俺さ、昔、ほんとはお前と友達になりたかった、……気がする、はっきりとはわかんないけど」
「でも、楽しそうなお前見てると、なんで? 何がそんな面白いんだ?って、いつも話し掛けたかった」
「だからさ、……今からでも、お前のこと知るのって遅くない、よな?」
「……」
太一は、購入した本を早く読みたいからか、早足で自動改札を抜け、ホームに向かって進んでいる。
俺は、離れてしまったこの距離が、これ以上に広がってしまわないように、その背中を追いかけた。
俺の最寄りの駅から、都市部とは逆方向に約15分ほど移動した駅で、俺たちは下車した。
駅から歩いて約5分、比較的に古めな白い壁のマンションに入り、エレベーターに乗る。
「そういえば、お前って一人暮らし? それとも実家?」
家族と一緒に住んでいるなら、家にお邪魔するのは遠慮した方がいいか?
自分の家ではなく、人の家に憑いて行く、幽霊らしい自分の行動は、本当にしていいことなのか?
不意に浮かんだ不安を、熟考するよりも早く、小谷と書かれた表札の前に着いてしまう。
『ガチャ』
「ただいまー」
「……お邪魔します」
太一に続いて俺も家に入る、玄関から廊下に入ると両脇に幾つかの扉があり、奥にリビングが見える。
窓があるリビングには、ダイニングテーブルと4つの椅子にソファー、TVがあり、テレビの前には太一と太一の母親の写真が飾られていた。
2LDKだろうか、1人暮らしの部屋にしては広すぎる太一の家には、俺達以外誰もいないようだった。
洗面所で、うがい手洗いを終えた太一は、キッチンへ向かい冷蔵庫から麦茶を取り出すと、棚からコップを取る。
ダイニングテーブルの椅子に座り、お茶で喉を潤しながら、誰かに電話を掛ける。
「もしもし、母さん? うん、今帰ったよ」
「……うん、うん、僕は大丈夫だよ、うん」
「うん、ご飯もちゃんと食べてる、うん、おばあちゃんは大丈夫?」
「そっか、うん、週末だからって無理してこっちに帰ってこなくても大丈夫だから、」
「いや、そういう意味じゃなくて、母さん方が疲れてるでしょ、うん」
「大丈夫だよ、うん、母さんこそ倒れたりしないでね、」
「それじゃあ、切るね、うん、おばあちゃんに宜しくね」
「あ、おばあちゃんに変わる?」
「もしもし、おばあちゃん? 太一だよ~、体調大丈夫?」
「うん、うん、俺は元気だよ。 うん、そうだね、気を付けなきゃね」
家族通話は、それから30分間続いた。
電話している横顔は、少し困ったりしているが、確かに家族への暖かみを感じ、フワフワとしていた。
同じ空間に居たのに、親父はおろか、母さんともまともに会話をしなかった俺の横顔は、二人にはどんな風に見えていたのだろう。
暖かかったのか、冷たかったのか、柔らかそうだった? それとも硬かった?
「俺じゃなくてお前が」、2人の息子だったら。
なんて考えても無駄すぎて、悲劇のヒロイン気取りの俺には、念のために玉が2つ付いてるのかを確認しておく。
友人の家で、玉の所在を確認している幽霊と対照的に、キッチンに向かい晩御飯の準備を始める太一。
俺は、先ほどまで太一が座っていた椅子に腰を掛け、友人の後姿を眺める。
死んだ今となっては関係ないが、俺は全く料理をしたことが無い、そういった意味でも太一、お前を評価する。
「フライパンで簡単! 鮭とほうれん草のホイル蒸し!」、それが今晩のメニューらしい。
YouTubeの動画を再生しながら調理をする、その姿には迷いがなく普段から自炊をしている事が、容易に想像できた。
「後はタイマーを20分セットして、」
「お、できた?」
一通り工程が終わり、後は蒸すだけという状況になったらしく、手を洗いリビングに戻ってくる太一。
書店の袋から、大人気漫画を取り出した太一が、俺が座っている椅子に腰を下ろす事で、2人が完全に重なる。
「……」
この状況に若干の気持ち悪さを覚えながらも、俺はそのまま太一と同じ目線で漫画を読む。
太一がページを捲る音と、換気扇の騒音が、俺に心地よく響く。
『ピッピッピッ、ピッピッピッ』
タイマーが鳴る、集中していたのだろう、20分が一瞬で過ぎ去っていた。
太一は、タイマーとコンロの火を止めると、席に戻り漫画の続きを読み始めた。
「そうだよな、ここで終われねぇよ」
俺も太一と全く同じ気持ちだ。
心が奪われた俺達にとって、食事が冷めるなんて、些細な事でしかなかった。
静けさが戻ったリビング、対照的に俺達のボルテージは徐々に上がり、心なしかページを捲る音も荒くなっている。
重なっているからだろうか、太一の息遣い、鼓動、ページを捲る手、そのすべてが俺の物のように錯覚してしまう。
漫画を読み終わった俺達はしばらく余韻に浸っていた。
「お前、漫画を読んでる時も表情に出るんだな」
「…………」
読んでいる途中、不意に窓を見ると、夜の暗闇に反射され、室内が映し出されていた。
そこには1人、椅子に座り楽しそうに漫画を読んでいる、太一が見えた。
太一の表情は、あの時と全く変わってなくて、嬉しくなる。
それと同時に、息遣いや鼓動、それらは間違いなく、この友人の物だと認識させられた。
漫画を片付けた太一は、ご飯を食べる準備を始めている。
俺は、自分の前に運ばれてくるお皿を見ながら、ここに居ていいのかを自問していた。
そんな事を知る由もなく、太一はまた俺に重なるように椅子に座る。
「いただきます」
「……」
アルミホイルが破られ、溶けたバターと醤油の香りが俺達を包む。
至福の様子でご飯を食べ始める太一を、同じ椅子に座りながら、そのすぐ後ろで眺めている。
「……」
俺は椅子から立ち上がり、廊下を抜け、玄関の扉をすり抜け、夜の街を歩き出した。