1話 自覚
気が付くと俺は火葬場に立っていた。
なぜここにいるのかわからない、そして、自分の体が清らかに白く透けていることに気付き、大声を上げる。
だけど、ここにいる人は誰も俺に気が付くことはなかった。
柴橋勇気、それが俺の名前で。柴橋里佳子、それが目の前で泣いてる人、俺の母親の名前だ。
泣いている母さんを初めて見た。
クソ親父と離婚した時だって母さんは、泣くどころか嬉々として生活していて。
俺にとっての母さんは強く、逞しく、少し面倒くさい存在だった。
そんな母さんを見て、自分が少しずつ冷静になっていくのが分かる。
「……こんなに小さかったんだ」
自分のイメージより、2回りほど小さい母を思わず抱きしめようとして、体がすり抜ける事に気付く。
「あれから、俺は死んだってことだよな……、」
母さんが火葬場の出て行こうとしている。俺はどうすればいいかわからず、ついて行くしかなかった。
途中で、俺と同じように透けている人を、ちらほらと見かけた。
皆、一様に困惑の表情をしており、この摩訶不思議な状況について行くことができていないようだった。
その中で1人、優しく、けれども辛そうにも感じる微笑みを浮かべた50歳前後の男性が、こちらに向かってきていた。
そして、男性は落ち着いた、低く通る声で俺に話しかけてきた。
「私の事、わかりますか?」
「え? あ、すみません。俺、今何が何だか分からなくて、もしかしてどこかでお会いしたことありましたか?」
「そうですか。いえ、気になさらないでください」
男性はそう言うと軽く頭を下げ、他の透けている人のところに向かい同じ質問を聞いているようだった。
「……なんなんだ、あの人」
その時の俺の思考は、意味不明な質問をする男性に対する警戒と、少しでもこの状況から解放されたいと願う気持ち、その2つの間で揺れ動いていた。
それに、質問をしてきた男性の、表情と悪意のかけらも感じさせない声から、何らかの事情があることも感じることができた。
「あの、すみません! 今の、俺というか……この状況について、何か知っている事はありませんか?」
天秤は、助けを求める願いに傾いた。俺は、他の人のところに向かおうとしている男性を呼び止める。
男性は俺に向き直り、少し考えた後に先ほどと同じく優しい声で答えた。
「君は、死後の世界に足を踏み入れたんだ。 幽霊として、この世に留まることができる」
「幽霊……ですか? なんで俺が?」
頭のどこかで理解していたが、何故、自分が幽霊になったのか見当が付かず、思わず言葉が漏れる。
「ごめんね、なんでなのか私もわからない。けど、君は『遊霊』と呼ばれてる幽霊の一種なんだ」
「……? ちょっと、意味が、『ゆうれい』と呼ばれる、幽霊の一種ってどういう意味ですか?」
「言葉じゃわからないよね。君みたいな霊の事を、遊ぶ霊と書いて『遊霊』と呼んでいるんだ」
「遊ぶ、霊ですか」
その答えは、俺をより深く混乱させ、一瞬、目の前を暗くさせる。
大丈夫なのか? やばいんじゃないか? もしずっとこのままだとしたら?
俺の思考が疑問と恐怖に沈んでい行く、息継ぎをしようと足掻く程に、深く、深く。
男性は俺に目線を合わせ、真剣な表情でゆっくりと語り掛けてきた。
「わかる、私も最初はすごく混乱した。でも、悲観的に考えすぎる必要は、ない」
「……」
「それよりほら、あの女性、お母さん?」
男性が見る方を向く、母さんが火葬場の門を出ようとしている。
「さっきまで一緒にいたよね? ついて行かなくて、いいのかい?」
「あ、行かな、」
母さんについて行こうと考え、これで本当にいいのかと思い止まる。
「大丈夫、今の君がお母さんと共にいることで、お母さんに不幸が訪れる事なんてない」
「……」
「私は多分、この場所にいるだろうから、何かあれば声を掛けてくれていい」
「あの、……ありがとうございます」
男性に頭を下げ、遠くなる母さんの背中を追う。
怖い。追いかけて、ついて行っていいのか。暗い感情が残した汚れはベッとりと脳に張り付いていた。
けれども、俺の足が止まることは無かった。
バスと電車を乗り継ぎ、母さんと共に家に向かう。
生きていた時は、2人でいることも嫌で、極力避けていた。
今は何故か、一緒にいる事が少しも苦ではなく、このいつもと違う横顔からは目を離してはいけないように感じた。
途中で幽霊を何人も見た。カップルや、友人と歩いたり、思い思いに過ごす幽霊たち。
自分が住んでいた街なのに、全く知らない街のように感じる。
「すごいな。この街って、こんなに人が、住んでたんだ」
驚きで、不思議な感想がこぼれてしまう。
街を歩く人たちは、見向きもせず俺をすり抜ける。けれども幽霊は、俺に道を譲ってくれる。
初めて見る光景に目を奪われ、母さんを見失いそうになりながら人混みを通り抜ける。
家に着く。
街の中心から少し離れた、高層マンションの15階、柴橋と書かれた表札が取り付けられた、少し重い扉を母さんが開ける。
「……」
「……」
街の様子を見て、少しテンションが上がっている自分。対照的に母さんは、すごく疲れているようだった。
電気も付けず、椅子に腰を掛け、リビングから窓の外を見ている。
夕焼けより暗くなり始めた空が、母さんをより疲れさせているようだった。
家の電話が鳴る、何回も聞いたことがあるこの耳障りな音すら、母さんの耳には届いていない、思わず声をかける。
「電話、……鳴ってる」
電話が鳴りやみ、留守電メッセージが流れる、親父からだった。
「里佳子、大丈夫か? 仕事の都合で、火葬場まで付いて行けず、すまなかった」
「それと飯がまだなら、何か買って、そっちに持って行こうと考えていたんだが……」
「また後で掛け直す」
母さんは全てを聞いていたみたいだ。
というのも、そのメッセージを聞くとすぐに立ち上がり、バックからスマホを取り出して、親父に電話を掛けた。
「お!もしもし、里佳子か! スマホに電話しても出ないから、さっき家に電話して、」
「私の事は大丈夫、ご飯も自分で準備したから」
「そうか、それならよかっ」
「それ以上に、今はあなたの声を聞きたくないし、顔も見たくないの」
「……」
「あなたが勇気の父親だから勇気が病院に運ばれた時も電話したし、勇気が、勇気が死んでしまった時も電話した」
「……それは、ありがとう」
「じゃなくて、 ……なんで、」
「それは、」
「わかってるわ、前にも話をしたし。とにかく、今後は2度と連絡してこないでほしいの」
「……わかった、ほんと、何かとすまなかったと思って」
親父が言い終わる前に、母さんは電話を切った。
泣くのかと思った、俺じゃなくて母さんが、俺は泣いてる。アホみたいにボロボロ。
そこからの母さんはすごかった、冷蔵庫から食材を取り出して料理を作り、しっかりとご飯を食べた。
お風呂を出ると、顔にパックをしながら、髪を乾かす。
全てが終わると、暖かくなるアイマスクを持って、母の部屋に入っていった。
「……母さんだな」
暗くなったリビング、冷蔵庫の稼働音が響く。
自分の部屋に向かう、いつもと変わらない散らかった部屋。
窓から入る、心細い光だけが、この部屋を照らす。
ゆっくりと見ていく、自分の机、何回も読み返した漫画、ぐちゃぐちゃの配線とつながったゲーム機。
自分のベットに腰を掛ける、見慣れたそれらはすべて俺の物じゃないように感じられた。
「……なんなんだ、くそ」
痛みを感じるほどの、強烈な虚無感が体を突き抜け、俺はその場を動くことができなかった。
第1話を読んでいただき、ありがとうございます。
引き続き、楽しんでいただければ幸いです。
今後も何度か改稿をすると思いますが、どうぞよろしくお願い致します。