成澤の魂Ⅴ
14日、俺は嫁と久々に小倉の街ブラに出掛けた。旦過市場と魚町銀天街を散策しながら通り抜け、紫川の歩行者専用橋を渡って小倉城のお濠に出る。嫁にリバーウォークの西鉄ストアで食パンを二袋買って来させてお堀の鯉に投げ入れてやる。観光客に餌を貰っていないのか、水面に水しぶきを上げながら先を争ってパクついてくれる。貰いたそうにしている鳩には(鳩には餌をやらないで下さい)、衆人の目を盗んで手が滑ったような仕草で、さっと半分に千切った食パンを投げてやる。途端、一気にかぶり付いて短時間でなくなってしまう。
この間も俺の頭の中は成澤のことでいっぱいだった。
意識不明、でも植物状態ではない。生きている証として身体が若干動く。気管を切開して人工呼吸器装着。声を失う。意識が戻ったら本人、家族ともども地獄だろうと医者が脅す(久留米医大の医者は正気か!)。もし、脳腫瘍が主原因と分かったら、国の特定疾病から外されるので医療費が莫大になる(健康保険なら月の医療費は最大8万円っで、それにオムツ代などて10万円超か?でも、生命保険は掛かっている筈だろうし。障害共済年金が月数十万円は出るだろうから十分賄えると思うが)。家族の選択として病状現状維持を願う。語弊はあるかもしれないが、やっぱり家族に見捨てられたのか。今の状態は成澤の望むところだろうか?貴重な人生の時間が刻々と過ぎていき、あとは死を待つだけとは。
やっぱり釈然としない。と言って、家族の決定を俺が覆せる訳はない。俺は単なる善意の第三者、親戚でも何でもない。高校時代からの親友のつもりだが、成澤自身が俺のことをどう思っていたかは直接聞いたことはないし、聞く必要もない。俺と成澤の家族とは人生を共にした時間が絶望的に違う。二人の息子と成澤とは勿論、血が繋がっているが、俺は赤の他人。
俺に何が出来る?意識が戻ったとして苦労するのは家族であって、俺はときどきやって来て傍観するだけ。それでもで出来るとと言ったら、無職の俺のことだから、身体の自由が全く利かず、その苦しみを声にも出来ず、涙を流して訴える成澤の手を二・三日ならずっと握っていてはやれる。
ふと、ちょっと待てよと、ある難病が俺の脳裏を過る。ALS、筋萎縮性側索硬化症だ。数年前、三浦春馬主演でALSがテーマのドラマがあった。三浦春馬が言っていた、「この病気は進行すると自発呼吸ができなくなり、人工呼吸器で命を繋ぐしかなくなる。そうなると声を失う。勿論身体の自由は全く利かない。動かせるのは目だけだ」と。意識が戻った状態の成澤と全く同じだ。
俺は早速、ネットで調べてみた。
筋萎縮性側索硬化症、ALSは不治の病ながら、人工呼吸器を使用すると10年以上生存することも稀ではない。だから、ALS患者さんに対する病名告知と人工呼吸器の使用は、癌の病名告知や治療法の選択よりも難しい面がある。
ALSの苦しみは痛みではなく、動けない、思ったように意志が伝えられないといった、出来ない苦しみであり、癌の場合の肉体的な苦しみや痛みとは性質が違う。癌の末期ならば何ヶ月か後には死によって苦しみが終わるが、ALSの苦しみは年余にわたって続く。
ALSの場合は自分の苦しみもさることながら、家族や介護者に膨大な労力・経済力の負担を強いる。実質的には在宅で、誰か一人、必ず家に居なければならない。もしも人工呼吸器のトラブルが起こったらと考えると、30分の買い物にも出かけられない。そんな生活を家族に10年以上も強いるかもしれない。寝たきり高齢者の介護と違って、民間のヘルパーは、人工呼吸器の管理まで責任は持てないとして介護を拒否するだろう。
安定した患者さんの場合、人工呼吸器に繋がれながらも、全身状態がある程度安定した患者さんからは、機械が止まるのが怖いと死の恐怖を訴えられたことはあっても、辛いからはずして楽にしてくれと訴えられたことはない。眼球運動を利用したワープロで、この病気と闘い続けたいとはっきり宣言する患者さんも例外的ではない。もちろん病名、予後、有効な治療法がないことはとっくに知らされている方だ。一般的には、人工呼吸器使用のALSの患者さんでも、状態が安定すれば、病苦はあっても生への執着がそれを上回る。
「意識が戻ったら本人、家族ともども地獄と医者が脅す?」
なら、ALSの患者さんの家族は当たり散らさせるのが嫌だと看護を拒否するのか。人工呼吸器に繋がれた本人は声が出せないのに。
「生前のお父さんの性格からしたら、俺が苦しむのが分かっとって下手なことして、そのまま死なしてくれればよかったやないかってSTSが恨まれるって」?
家族の邪推ではなかろうか?成澤は意識がないんだから、まだ何の意思表示もしていない。
成澤って、身体が全く動かせない、人工呼吸器が苦しいって泣き言言うようなそげん弱い女々しい性格やっただろうか?
YMRは今、従業員1220人の会社と一人で戦いよるんじゃと言ってくれた成澤が。俺には出来なかった、40年懸命に働いて、息子二人大学にやって、家族のために家も建ててやった成澤が。
まぁ一家の大黒柱として至らない点はあっただろうが、家族を不幸にするほどの欠点ではなかったとは思うが。
ALSの発症は50~70歳の年齢層に多く、日本のALS患者の数は2016年の報告によると約9600人居るそうだ。みんな意識が戻った成澤状態だ。そんな中、成澤だけがこの厳しい境遇に負ける筈はないと俺は信じるけど、家族が信じられないって?
病気は違うが、俺の豊前屋時代の同期が52歳で心不全で突然死したとき、嫁が言っていた、「何が悲しいって、今生のお別れの言葉も言えずに亡くなったことです」と。
肉体はこの世にあっても、今成澤の魂はあの世を彷徨っているのではないか。このままでは成澤がかわいそうで仕方がない。俺は毎夜、成澤の、病床に横たわる写真を眺めて涙を禁じ得ない。
成澤を助けてあげられるのは家族だけだ。治療が失敗したとしたらそれはそれで仕方ない。でも今のままでは何のために肉体がこの世にあるのか分からない、意味がない。
今までは奇跡が起こって、成澤の魂が身体に戻って来てくれないかなと祈っていたが、今は家族が考え直してくれることを只管願う。そして、成澤に今生の別れの言葉ぐらい言わせてやって欲しい。もし、もし出来たらでいいが、お零れを俺にも。
2019年7月14日、恒例の家族での温泉行の帰途、豊田から成澤の訃報が齎された。
成澤、何で人は年を取るにしたがって死が怖くなくなるのか分かったわ。そいは、あの世で会って語り合いたいお前が居るからや!