成澤の魂Ⅱ
「実をいうとね…」と成澤の嫁は言い出し難そうに、「KIも鬱で入院しとんの。今休職中」
「何てや、KI君も!」
「なら成澤にKI君成澤の親父さんにお袋さん、四人も入院しとることになるやん」
「そうなん。もう私堪らん」とやけくそ笑い。
「結婚したばっかりなんに会社でパワハラか何かされたん?」
「うん。パワハラじゃないんやけど、誰も何も教えてくれんで盗んで覚えんといかんやったみたいで、責任感に圧し潰されたようなんよ」
「KI君大人しそうやもんな。自分で何もかんも抱え込んでしもうてにっちもさっちも行かんごとなる質なんやろう」
「KI君なキレるごとなんてあるん?」
「それはあるよ。キレて部屋の壁叩いて穴開けたりしとるけん」
「人に対しては?例えば自分が注文したもんと違うんが出てきて、その店員が私が正しいとばかりに謝りもせんで、瞬間キレるみたいな」
「できんみたい」
「う~ん、性格ばっかりはどうしようもねぇし難しいなぁ」
もう成澤が居ないので、閉ざされた空間に居てまで煙草を喫おうとは思わない。別に喫いたくて堪らない訳ではない。俺と嫁はコーヒー、息子は瓶のままのジュースを出して貰っていた。友達からお裾分けして貰ったと、豚まんも出してくれた。息子は一つ丸ごと食ったが、俺も折角だからと嫁と半分にして食った。居間には天井まで届く猫のジャングルジムが置かれていて、二匹が、思い出したように登っては、遊んでいる。成澤の嫁のスマホには頻繁にラインが入ってきていて、会話が時折中断する。
「三ヶ月ぶりに成澤の顔見たばって痩せて別人になっとるない」
「そうね。栄養補給だけやけんね」
「職場が病院の近くの工業団地やったけん帰りには寄りよったんやけど、土日にわざわざ行くことはしよらんとよ。ていうか今度会社が撤退するごとなって、会社都合やけん、来月から失業保険が出るとよ」
「よかよか。完全看護なんやけん無理せんでよかくさ。生活があるんやけん。成澤も分かっとるって」
「土日に時々職場の人も来てくれよんさるみたいなんやけど、本人あの状態やけん顔見て帰るみたいな感じやもんね」
「そうやな。心込めて呼び掛けたら、その辺で遊びよる魂が戻って来て奇跡でも起こって喋らんやろうかっち、成澤来たぞって何度か呼び掛けたばってん、30分も居れんやったわ。顔見れただけで俺は満足やけん」
「YMR君やっぱりお父さんと喋ってみたい?」
「そりゃぁ当然や。成澤Nは俺の一番の親友やけんよ。抱きしめたいたぁ言わんけどよぉ」と茶化してみたが、成澤の嫁は真顔になって、「実をいうとね。意識が戻る可能性がないことはなかったんよ」
「ほんとや!」と俺は食い付く。
「今の病院に転院するときにMRI撮ったら、病名は多発性硬化症やけど、脳腫瘍が大きくなり過ぎて脳幹圧迫しとるせいやなかろうかって、久留米医大の先生が言うんよ。それには頭を開いて組織ば採ってみらんと分からんって。もし脳腫瘍やったら、脳幹全体に広がっとるけん手術はできんけど、放射線で腫瘍ば小さくすることはできるかもしてんって。そしたら意識が戻る可能性もあるって」
「ただ…」と成澤の嫁は口籠る。
「でもそれは本人にとっても家族にとっても地獄でしょうって」
確かに。みなまで言われずとも分かる。
「二人で懇談したんやけど、STSが先生にきっぱりと現状維持のままにしといて下さいって言うたんよ」
「生前のお父さんの性格からしたら、俺が苦しむのが分かっとって下手なことしてから、そのまま死なしてくれればよかったやないかってSTSが恨まれるって」
「人工呼吸器は抜けんけんその苦しさから当たり散らされるんは結局私」
「首から下はコンクリートで固めれれとる感じやろ。意識があったらそりゃぁ堪らんわな。俺の親父が肺癌で死ぬ前、苦しかっちゃん死にたかっちゃんて初中ほざいて、パーキンソン病で這ってしか動けんお袋ばこき使うんよ。いい加減にせぇやって怒鳴ったら俺に八つ当たりしてきたけん、死にたかったら勝手に死ねやっちついキレちまったもんな」
ネットで人工呼吸器と検索したら、医者のコメントが載っていた。
「チューブという“異物”が気管に入っている状態が常に続くわけですから患者さんの苦しみは多大です。人工呼吸器に繋がれた状態では声も出すことができません。意識のある患者にとっては堪え難い苦痛です。また、ひっきりなしに気管チューブから痰を吸引しなければなりません。この苦しさもまた堪え難いもので涙を流す患者もいます」
「ばって、成澤って人に当たるごたる性格やったかいな?」
「当たる当たる、ほんとクソオヤジやったよ。好い加減疲れ果てて、友達に愚痴零したらお父さんば紹介してごめんねって謝ってくれたんよ。でも、結婚決めたんは私の意思やから」
「実例はあるん?」
「うん。20年前突然この病気のせいで手が震え出して、1ヵ月くらい検査入院したとよ。実家のお母さん宗教やっとるやろ、初中やって来て、こうなったのはあれをせんやったけんこれをせんやったけんって色々注文付けてくるんやけど、お母さんには何も言えんでふんふんって何でも聞くんよ。それで、後で当たられるのは私。退院してからあんとき堪らんやったんよって愚痴ったら、俺もあんときゃ苦しいで溜まらんやったんやけんしょうがないやないかって、全然謝る素振りもみせんやったよ。ほんとクソオヤジやったよ。その他にも色々あるんやけど口喧嘩になったら私は絶対お父さんには適わんもんね」
『成澤には敵わんか。確かに成澤は本いっぱい読みよったけん知識はあったもんにゃ』