死についてそのⅣ
2月13日水曜日、俺と嫁は大急ぎで小倉を出た。今日は一般道は使わない。高速だ。兎に角、一刻も早く成澤に会いたかった。こんなに気が急いたのは、親父の危篤の報を聞いて猪町に向かったとき以来だ。それほど成澤は俺の大事な大事な親友だ。
久留米大学病院の前は、以前住んでいたときに何度も通ったが、入るのは初めてだ。筑後川に新しい橋が掛かって道が変わっていた。駐車場に入る要領が分からず、道路工事中のガードマンに訊ねてしまう。
病室は12階の13号室、エレベーターを下りたら、今、看護師が介護中とのことで病室を出ていた成澤の嫁と鉢合わせした。見舞客用の休憩室に誘われる。長男も来ていた。久しぶりに会ったが、若かりし頃の成澤に瓜二つだ。つい、「さすが息子や。よう似とる」と唸ってしまう。
俺は二人から、倒れる前のNRSWの様子を聞く。
「平衡感覚が失われて階段も手摺りに掴まってやっと下りてこらす状態やったんよ。夜、ばたって倒れて今村病院に担ぎ込んだんやけど、手に負えんで、この久留米大学病院に紹介状書いて貰って転院したとよ」
「薬はちゃんと飲みよったんよね?」
「飲んどったんやけど、だんだん効かんごとならしたとよ」
「実を言うとね、旦那、余命宣告受けとったと」
「何!余命宣告?」
怖かったやろうなと、成澤が抱いた絶望感、いかばかりかと慮れば、俺の悩みなんてへのようなものだ。俺が1年半前、家にお邪魔したときもいつもと変わらない態度で、俺に泣き言一つ溢さなかった。なのに俺は裁判の件を成澤に話して、自分だけすっきりしようとしていた。甘い!
「ごめんねYMR君、旦那、去年約束すっぽかしたこと気にしとって、近いうちに電話して呼ぼうって話しとった矢先やったんよ」
「いや俺の方こそ、1月折角鳥巣に出て来たんに、意地でも成澤おけばよかったっち今無茶後悔しよんちゃ」
「今村さんの葬儀やろ。ちゃんと連絡きとったんやけど具合が悪うて行っきらっさんやったと」
恐る恐る入った病室、そこには口に人工呼吸器を差し込まれて、痛々しい変わり果てた親友の姿があった。俺は自分のことだけに拘泥してほんと能天気だった。まさか、こんなことが起こるなんて夢想だにできなかった。ただ、ちょっと持病を抱えているくらいの認識だった。ほとぼりが冷めて、いつものようにひょいと家を訪ねたら、今までと何ら変わりなく馬鹿話ができると高を括っていた。成澤ご免!
今、この現実が受け入れられない。あの成澤が昏睡状態!この先、目を覚ますかどうかも分からないとは。この世には神も仏も居ないのか。まだ還暦になったばかりなのに。世の中にはあの糞会社のSMYMやKRMTやKDSKように、生きとっても俺にとっては何の益もない奴らも居るっていうのに。何で、何で俺の無二の親友なんや!
夢遊病者の如く寄って行った俺は、「成澤来たぞ。目ぇ明けてくれや。おうYMR久しぶりって答えてくれや」
目頭が熱くなってきたと思ったら止めどもなく涙が溢れてくる。いい大人がまるで子供のようにおいおい泣いている絵図だが、恥ずかしくもクソもない。こんなときに涙を使わずにいつ使うというのか。
俺に釣られて、嫁も成澤に呼び掛けながら涙声になっている。照れ隠しに、俺はそんな嫁をわざと詰る。
「お前ぇ何泣きよんか。成澤はちゃんと回復するんじゃ。今はちょっと寝とるだけじゃ」
「元気やった頃の成澤さん思い出したら悲しくなって。そうよね。寝とるだけよね」
「当たり前じゃ」
帰り、宝満川を渡った辺りで、俺のクスクリ小説の常連、親友六人のうちの一人、まず豊田にラインしたが、返事は返って来ない。次の常連の一人、井本に電話を入れる。
出たので、路肩に車を停めた。ボケの学生らしき奴が、ここに止めたらまずいとか何とか、ただの通行人のくせして嫌事言ってきたが、今日は無視した。いつもなら十分に関わってやるのだが。
井本は俺の周りの中で唯一、関東の神奈川県大学を出てFGT建設に入り、子会社のHGT道路の役員まで上り詰めた男だ。家族を福岡に残して東京に単身赴任中だ。
「今仕事中じゃなかったんか?」
「いやええぞ」
「井本びっくりせんで聞いてくれよ。成澤が危篤じゃ」
「何てや!成が危篤」
「ああ、ここ数日が山じゃ。俺も今日の朝、成澤の嫁から電話もろて飛んできた。嫁が言うにゃ、連絡が遅くなったばって、亡くなってしもうたら棺の中の成澤ん顔は生前と変わってしまうけ、今のうちに会って欲しいっていうことじゃ」
「分かった。土曜日に福岡に帰ってそん足で久留米大学病院行くわ。教えてくれてすまん」
「おうよ。お前ぇと成澤は浪人中の盟友やったけんな。兎に角、会って成澤ば元気づけてやってくれや」
井本と成澤の仲については、クスクリ小説「二十歳の紀子」に詳しく書いている。