死についてそのⅡ
今の俺がべらんめぇ口調で話せる最も親しい友人は成澤、豊田、井本、A、B、Cの六人、この内、高校時代の親友が三人、大学時代の親友が三人だ。
そんな俺に正に驚愕すべき一報が2月13日、齎されてしまった。俺ら夫婦、いつもの日課をこなす。嫁はサンリブの一階で今日の買い物、俺は二階のフードコートでタブレットを開いて小説の推敲修正に励んでいたその日、仕事を辞めて1年半、滅多に鳴らないスマホの着信音。俺は、「珍しいな」と訝りながら何気なく電話をとる。
相手は成澤の嫁だった。瞬間俺の身体が電流が走る。声の調子からただならぬ事態のように思えた。緊張にスマホを握る手に汗が滲む。
「YMR君びっくりせんで聞いてね。実はヒロフミさんが倒れて今久留米大学病院に入院しとるん。この2・3日が山かもしれん」
「嘘やろ!成澤が危篤」
俺は驚愕して二の句が継げない。
「亡くなったら顔が変わるやろ。会って貰えるんなら今やろうって思うて」
「豊田たちには知らせたん?」
「まだ誰にも言うとらん。YMR君だけ」
俺だけ!光栄ではある。俺が成澤の一番の親友って認めてくれているのか。
俺は毅然とした口調で、「今から直ぐ成澤に会いに行く。豊田たちには俺から知らせるわ」
「お願いできる?」
「分かった」
俺はこの1年半、成澤にとった愚かな行動を無性に後悔する。
この記事、先を書き渋っていたが、ついに書かざるを得なくなった。昨日、成澤の嫁が最終病状報告のラインを送ってきた。100億円の宝くじに当たるくらいの確率でも、何とか昏睡状態から覚めて、せめて話ができる状態に回復してくれることを神に只管願っていた俺だが、その可能性はゼロとのこと。今月22日に今入院している大学病院から、終末医療を受ける地元の病院に転院するとのことだった。
俺はそれまで成澤が脳に軽い持病を宿しているくらいの認識しかもっていなかった。俺の持病、糖尿病くらいの感覚だった。成澤、本当に申し訳ない。成澤の罹患している病気は1万人に1人の難病、多発性硬化症だった。
多発性硬化症、成澤の場合、脳幹に病巣があるので呼吸器系に障害が出ている。人工呼吸器で酸素を送らないと呼吸が止まる。栄養も鼻から管で入れてるから「誤嚥性肺炎」になりやすい。肺炎になると一発アウト。左の後頭部にも大きな病巣があるため、右目・右手・右足に障害が出ていた。数ヶ月前、俺が売った車で事故を起こし廃車にしたのも右目の視力が失われたためだった。
成澤は42歳のときに発病した。脳の病巣の場所が、今までは重篤な症状を引き起こさないラッキーな場所だった。それでステロイドの大量投与でどうにかやってこれていたが、今回の脳幹は本当に命取りの場所だった。
もう二度と成澤と言葉を交わすことはできないのか!ベットに昏睡状態で横たわる親友を前にして無性に後悔すること、後悔してもしきれないこと、それは俺の天の邪鬼的な性格だ。これは長年の偏狭な障害者根性が俺に齎した禍だ。俺は昏睡前の成澤と話す貴重な機会を逸してしまった。
俺は結婚式に親友6人の中から、高校時代の親友として成澤と豊田しか呼ばなかった。空手部の同期は招待しなかった。遅きに失した感はあるが、やっと叶えることができた結婚。まだ俺には世の中に背を向けたがる天の邪鬼的性格が色濃く残っていた。それでもこの2人だけは真の親友だと認識していた。
デパートから自動車販売会社に転職して34年、成澤には5台の新車と2人の息子に1台づつの2台の中古車を購入して貰った。対して豊田は中古車を3台購入してくれただけだ。新車の購入台数を親しさの目安としていた俺の狭量な性格から言えば、成澤が一番の親友ではないのか。
成澤の自宅には家族共々、年に最低1回は訪れた。家族ぐるみの付き合いだ。だから、俺は成澤の2人の息子を小さい頃からよく知っている。他の親友にはない付き合い方だ。
翌年の定年を前にしての俺の勝手な退職は成澤には誠に申し訳なかった。新車販売の担当者が辞めれば、全く面識のない海の物とも山の物ともつかない新たな担当者が会社から自動的に送り込まれる。もし、そいつが成澤と合わなくて不義理を犯してしまえば俺の責任だ。といっても定年まであと1年、嘱託で残れたとしても2年の、3年に過ぎなかったが。
俺は退職と挨拶を兼ねて1年半前の11月、成澤宅を訪れた。非常にバツが悪かったが、成澤も嫁も俺の今の行き詰まった心境を分かってくれて快く迎えてくれた。
それから半年空いた。現役のときは顔は見せなくてもアフターの関係で月に一度は必ず電話を入れていたが、無職になったらその機会を失い、ついつい半年過ぎてしまった。音沙汰無しをこんなに続けたことはない。慌てた俺は成澤に電話を入れて、夫婦二人、翌日伺う約束を取り付ける。時間は指定しなかった。俺がいつも行く時間帯はお昼過ぎだ。昼飯はこの町一のうどん屋の絶品ごぼう天うどんを食べたかったから。
腹拵えも終わって、いつもの時間帯には成澤の家の前に着く。当然、成澤は朝から俺の来訪をテレビでも見ながら待ってくれているものと思っていたが、あれっ!
車庫には本人の車も嫁の車もない。庭で、かわいそうにもう老犬になってしまった成澤の飼い犬がよたよたふらふらしながら時を過ごしているだけだ。呼び鈴を押しても応答なし。もしやと思って固定電話を鳴らして見たが、勿論出ない。買い物にでも行っているのかと携帯に電話したが、無駄だった。
俺は仕事柄待つのには慣れているが、昨日の約束だから、それでもよく待てて一時間ちょっとだ。やっぱり人間だからムカついてくる。成澤の律儀な性格からして翌日の約束を忘れるとは考えられないが、事実家には誰もいない。
この町に住んでいたときに不思議に思っていたこと、それはここにしか居ないカチガラス(カササギ)だ。俺の生誕県長崎県でも今住んでいる福岡県でも見たことがない。ネットでは生息しているようにはなっているが。こんな風に普通に見れるのはここだけだ。高い木にはほとんど営巣の跡がある。鳥で羽があるのなら隣県にもごく普通に飛んでいけるのでは?とよく考えたものだ。
視界の先の電柱に営巣しているらしいカチガラスを眺めながら成澤の帰宅を待っていた俺だが、ついに諦めた。
嫁に、「成澤は両親ば介護しよるけんもしかしたら何かあったんかもしれん。そいで俺との約束ば破らざるをえんやったんやろうや」
俺はただ単に俺との約束を失念したのではないと思い込みたかった。今までこんなことは一度もなかったから。
嫁も、「そうやね。きっとそうよ。今日は一旦帰ってまた出直せばいいやん。そげん遠い訳でもないし」
帰途、待てよ、ただの着信履歴だけやったら気付くのが遅れてずっと待っていたことが伝わらんかもしれないなと思った俺は、固定電話に伝言を入れる。
果たして、夜成澤から電話が掛かってきた。俺は開口一番、「おう成澤か。もしかして親父さんたちに何かあったんやないかって心配しとったんじゃ」と切り出したが、彼は、「いやご免何もない。単に俺がお前との約束忘れただけじゃ。すまん」
――何や!昨日電話で約束したことば単に忘れただけっち?1週間前や1ヵ月前やったら分からんこともねぇが、普通忘れるか。家の前に阿呆のごと待っとった俺は馬鹿か!親友ばあんだけ待たせてご免じゃ済まんやろう。大人は手ぶらでは行けない。ちゃんと手土産も用意していた。
俺やったらこう言うぞ、「済まん。来てもろうたばっかりで悪ぃが、来週の土曜日また来てくれんか。今度は絶対忘れんけん。お詫びに昼飯ご馳走させて貰うけん」とか、「お前ばっかり来らせて悪い。忘れとったん申し訳ないけ今度は俺がお前んとこ行く。来週の土曜日家に居るか?」とか。
俺は成澤に相談に乗って貰いたいことがあった。退職した会社の俺に対する障害者差別のことだ。退職して半年、どうして辞めざるを得なかったのか、考えに考え抜いてやっとそれが俺への差別だったという結論に達していた。昨日の電話ではその触りは話していた。ちゃんと話し易いように資料も書き上げていたから、その分憤ったのかもしれない。
遠くに居る高校時代の親友井本、大学の友人二人には電話で相談していた。妄想ではないかと不安だった俺は、なるべく多くの意見を聞いてみたかった。
俺は電話口の成澤に心にもないことを言う。
「気にすんなや。親父さんたちに何もなかったんなら一安心や。近い内にまた気が向いたら行くわ」
…暫く冷却期間ば置くか。1年か2年か3年か分からんばってよ。