成澤の葬儀Ⅶ(出棺)
俺ら二人、日本赤十字関係者とともに代表焼香もさせられた。
いよいよ出棺。棺の蓋が開放される。花祭壇から取り分けられた花で、成澤の遺体を納めた棺の中が飾られる。勿論、俺が引き延ばしてきた志賀島の想い出の写真も棺に納める。成澤の嫁が冷たくなった故人の頬を優しく撫でる。
「お父さん疲れたね。やっと楽になれたね」
俺が一番泣いた葬儀は、二年前のSNG大学空手部の同期、今村との別れのときだ。満57歳。空手部で四年間、同じ釜の飯を食い、大学卒業以来、たった一度しか会っていないというのに、涙が止めどもなく流れて、拭っても拭っても埒が明かなかった。
だが、成澤のときはどうだ?弔辞のときは、咽んで言葉が判別できないほどだったが、今は涙が枯れてしまったが如く穏やかで、また至って冷静だ。確かに親友だったと俺は信じているが、俺が知らない成澤の素顔を覗き過ぎたせいか。
冗談だと分かってはいるが、成澤の嫁は、気を許していたんだろう、俺の前で“クソオヤジ”を連発した。成澤の嫁の涙は若干しか窺がうことはできなかった。今村の葬儀での、まだ20代であろう娘の、冥途へ旅立つ肉親への手向けの言葉、「お父さん大好きだよ!」と、愛妻の号泣、成澤の嫁とは違い過ぎる。そう考えると、成澤の嫁の遺体への最後のスキンシップも白々しく思えてくるのは不謹慎か。
この書庫で前にも書いたが、去年の盆、鳥巣中学校の還暦同窓会があった。どうしても俺に出席して欲しい豊田は数回電話を掛けてきた。5月、成澤宅への訪問を失念されてムカついていた俺は、「成澤が出るなら行く」と天邪鬼的条件を付けたら、自信満々に分かったと答えた豊田だったが、成澤の、「同窓会翌日が仕事やけん行けん(同窓会は日曜日やけん、基本みんな仕事じゃね?)」に、渋々断念したようだ。
でも、よく考えてみるとおかしいよな。このとき、成澤は身体に変調はきたしていなかった筈だ。豊田は俺の意向を成澤にちゃんと伝えてくれた。なら、俺に電話一本掛けるくらいの心遣いがあっても然るべきではないか。訪問の失念を俺に悪いと思っていたなら。勝手に大親友とか吹聴していたが、俺の勝手な思い込みではなかったのか。色々言っても死人に口なし。真相は分からない。生きて交流を重ねてこその親友、死んでしまったら只の同窓生だ。
参列者が出棺の成澤を見送る。豊田を始め数人の男性参列者が棺を霊柩車まで運んだ。霊柩車はトヨタのエスティマだったと思う。運転手は驚くほどデブの、JAが運営する葬儀社の職員で、昨日からずっと俺の視界の中にいた。
見送りのため、参列者が固まる。その中にのりみちと野方の姿もある。
豊田が、「同窓会の出席者何人くらい集まったや?」
「7・80人くらいや」
野方が、「ちょうど予想したくらいやな」
「YMRすまん。豊ちんから聞いたんやが高校の同窓会の案内届かんやったそうやな」とのりみち。
「ああ、やけん俺は行かんでいいんかの?」と皮肉ると、「そがん言わんでくれよ。ちょっとした手違いやけん。住所が分からんやったんやないやろうか?」
「ちゃんと席は用意するけん来てくれるんやったら豊ちんに連絡してくれ。来てくれるやろ」
「まぁ考えとくわ」と曖昧に答える。
俺は天邪鬼だ。
『案内も来ん同窓会に何で鳥巣のど田舎まで出張って行くかちゃ。アホか!そいにリタイヤした俺にもう友達は必要ねぇし。後は息子と嫁に見送られて静かにあの世に逝くだけやし』
参列者への最後の挨拶は黒の和服に身を包んだ喪主たる成澤の嫁が立った。
遺影を抱いて、「本日はご多忙中にも関わらず、夫成澤の葬儀に大勢ご参列頂きましてありがとうございました。 また多くの方よりご弔慰ならびにご香典を賜りましたことを、この場をお借りして厚くお礼申し上げます。お陰様をもちまして、亡き夫の葬儀も滞りなく進み、出棺の運びとなりました。夫は私に二人の逞しい息子を残してくれました。これからは家族三人力を合わせて生きて行こうと思っております。みなさま方には、今後ともこれまで同様のお付き合いを頂きますようお願い申し上げます。簡単ではございますが、これをもちまして挨拶とさせていただきます。 本日は誠にありがとうございました」




