成澤の葬儀Ⅴ(日隈Ⅱ)
今この成澤の葬儀で日隈と会ったのは37年ぶりだ。天の邪鬼の俺でも彼が懐かしくないと言えば嘘になる。思い出話が長くなったが、俺を認めて寄ってきてくれたらしい日隈と、立ち話で昔話に花を咲かせる。
「田尻から色々聞いとったばって普通になっとるやないか」
「この通り快調よ」
「YMR今仕事は?」
「定年1年前に辞めてやったわ」
俺は一気に捲し立てる。
「今障害者差別で訴えて裁判しよる。もう8月で1年経つわ。俺は34年間足のある奴と全く同じ仕事ばして全く変わらん利益上げてきたんじゃ。ばって40過ぎた辺りから杖無しじゃ歩けんごとなってもうたが泣き言言わんでやってきたわ。そいやが、定年1年前ぐらいから足が痛うて堪らんごとなってセールス以外の職に回してくれって頼んだが、無視されて辞めざるをえんやった。会社の言い分によると俺は34年間障害者であること察してくれとも言わんで働いてきたけん健常者やってよ。やから法律で庇護する障害者の範囲に含まれんってよ」
俺は腹立ち紛れに義足の左足のズボンを捲って見せた。
日隈は、「何じゃそりゃ?YMRが障害者やねぇ。その会社寝言言よるんか!」
「まぁ俺はこの裁判が決着つくまでは絶対死ねねぇ」と俺は吐き捨てる。
日隈、「ばって尻しゃん(田尻のこと)あることないことYMRに言い捲ったんやろな?」
「あぁ、お前がKRNで上司と喧嘩して辞めたこと。酷い鬱で家族顧みらんで部屋に引き籠っとったことも聞いたでよ」
「やっぱ酷ぇこと言い捲っとったな。本当のことばってん」
「ばってこうやって話すん37年ぶりやな」と俺。
「覚えてないんか?いっぺん話したことあるぞ。お前が尻しゃんに電話してきたとき俺も一緒に居って電話に出たやないか」と日隈。
「ん…全く覚えてないわ」
「あん頃いつも尻しゃんとつるんどったわ。メール交換も頻繁にしてな。ばって選挙になるとあいつ人が変わるんじゃ。鹿児島に知り合いが居らんかとか宮崎に知り合いが居るんかとかとにかくウザいでよぉ。頭に来たんじゃ。そいでもう二度と俺の家に来んでくれって縁切ってやったんじや。そいから選挙があっても俺の家には一切寄り付かんわ」
俺は、「あいつは〇会やけんしょうがねぇ。〇会の奴とはまともに話せねぇ。とにかくウザい。周りの者ば片っ端から入信させてしまう。奴の親父お袋弟、言い迷惑やろや。俺も寺に無理やり連れて行かれて折伏受けさせられたわ」
「俺もや」と日隈。
「入信は形だけな。あいつが置いて行った仏壇埃被っとったわ。結婚するとき、こんなもんあったら嫁に不審に思われるけあいつに引き取ってもろうたわ」
「ばって田尻もかわいそうな奴や。あいつが〇会にのめり込んだんは全部ミチに振られた反動や」と俺。
日隈、「ミチってあの徳島のバレーボールチームの?」
「そうや。俺の浪人中あいつ徳島に一応告りに行ったんや。俺らは成功したち思うとったが三人が日隈の家に遊びに来たろが。覚えとるか?」
「ああ」
「そんとき破局したんや。そいからミチの写真とか全部破って捨てたごたる。北〇大って変わった大学やな。学内に〇会の支部があるてろよ。小倉から仏法の何てろこうてろ訳の分からん手紙寄こしてきたわ」
「そいに田尻は友達甲斐もないよな」
「どうしたん?」
「3年前やったか、俺があんまり酷ぇビッコ引しよったけんYMRさんも障害年金申請したら通るんやないのって田尻と同じ病気のお客さんが教えてくれたんよ。俺はそん頃会社辞めるつもりなんか毛頭なかったけん田尻に教えてやったんや。通ったかどうか全く連絡なかったけん俺から何回か連絡してやっと分かったちゅう次第や。薄情やろうが?俺のお陰で月数万出たんぞ。そいで幾ら出るんかって聞いてもはぐらかしやがる」
「そりゃ酷ぇな。ありがたく思うんやったら電話一本くらいせぇよ」
俺は、「ところで妹はどうしよるか?」
唐突に聞いたが、日隈の家は二階への階段を上がって左が兄貴の部屋、右が妹の部屋で、女子らしいネームプレートが下げられていた。俺はそれを目にするたび、家に女子が居るっていいよなと羨ましかった。
その妹が同窓生の吉武(確か本人だったと思うが、もしかしたら兄貴かも。記憶が定かではないが、このとき日隈には聞かなかった)と結婚したというので、何であんな奴と、と訝った。吉武とは二年のとき同級だったが、変な奴だった。しれっと俺に寄ってきては話し掛けてくる。こいつと話すと例外なく白けるのだ。だから、寄ってきそうと感じたら移動して避けた。
「あいとは今断絶状態や。親父の残した預金見たら40万しか残ってなかったんやで。ちゃんと管理しとるって思うとったらよ」と日隈。
「1千万近くあったんやねぇか」
「あったと思う。ぎゃーぎゃー言うなら俺に管理せいって言うてきたんやが、今まであいつがしよったけん続けろ言うたんが間違いやった。後悔しとるわ」
「お前と同じ野球部やった俺の弟知っとるやろ?」と俺。
「あの長崎大行った?」と日隈。
「あぁ、あいつらも一緒や。親父が死んで通帳、勝手に管理しとうわ。今は絶縁状態や」
「ところでよぉ、俺がいっぺんお前に会いに行きてぇち田尻に言うたら、止めとった方がいいとても会って話せる状態じゃねぇち言われたんやが」
「そいは本当や。あんときは酷かった。酒断ちするんに相当苦労した」
「何ちや?鬱じゃのうてアル中やったんか?」
「入院して治療してやっとここまで回復したんや。今は一切飲んどらん」
「アル中っち手が震えるんやないか?俺の客は一升瓶の焼酎、二日で空にしよったで。よう見たらまだ若いんに手が震えよったでよ」
「俺はそこまでいかん」
「震えるって言うたら田尻も鬱で1年休職しとって、車買うて貰うて契約書に署名せぇ言うたら震えて書けんやった」と俺。
「で、どうしたん?」
「嫁に書かせる言うて帰って来るまで待たされたで」
30分以上立ち話していただろうか、俺を捜して豊田がやってきた。
「何かこげなところに居ったんか。成(成澤のこと)の嫁さんが飯食わんかって言よらすぞ」
「分かった。日隈お前も食えや」
葬儀場の玄関を入って日隈に、「俺お前が提唱して作ったべらべら(高校のときの卒業文集)持っとるで」
「俺もまだ持っとるわ」
控室に入ったら、いなりや巻き寿司の精進料理の盛り合わせがテーブルに置かれていた。通夜で残っていたのは成澤家族三人と弟、親戚の数人だけだ。朝計った体重は66・5キロで、サンリブで丸亀素うどんといなり一個食って来た。そうまで上がってない筈だ。これくらいなら食ってもそう影響ない。
壁際から俺、日隈、豊田と座って、対面に成澤の弟。やっぱり同級生が三人集まれば想い出話に会話が弾む。
日隈は安定した職に就いていなかったにも関わらず、結果的には三人の子供を育て上げている。噂に依れば、嫁の仕事が安定していたようで、暫くは養われていたようだが。
子供は全員家を出て、嫁も実家でごたごたがあって、今日隈一人で住んでいるとのこと。その家も俺には懐かしい高校時代の家ではなく、売って近くに新築し、そのローンも完済したとのこと。大したものだ。長女に二人目ができるとも言っていた。羨ましい。
「前は俺も息子に早よう結婚して貰うて孫の顔くらい見てぇち思うとったがもうええわ。息子は息子やし結婚しようがしまいが勝手や。別に結婚せんでも三人で生きていけるしよ」と俺が投げかけると、「それは違うぞYMR、何とか結婚できるごとしてやるとが親の務めやで」と、家族を蔑ろにして引き籠っていたにしては殊勝なことを口にする。
「息子に成りすまして何とか女作ってやろうち出会い系やってやりよたったが無駄やったわ」
「出会い系ってサクラばっかりやろうもん」
豊田に、「ばって平川とか誰が連絡したん。成澤とそう親しかったちゃ思えんけど」と俺。
「のりみちの連絡網で一応連絡出来るところは全部した」
俺は、「なら江崎にも連絡行っとうない」
「いや江崎全く電話とらんのよ」と豊田。
「今も家に籠っとん?」
「聞いた話によると、叔父さんの仕事手伝いよるごたる」
江崎の件は俺のエッセイ、「浪人日記」に詳しく書いているので割愛する。
成澤の嫁が隣のテーブルから、「明日斎場まで行って貰える友人の人居る?」
俺は真っ先に手を上げる、「俺は行くわ」
豊田も、「俺も行く」
「お菓子用意せんといかんけん、人数確かめとかんとね」と成澤の嫁。
――なんじゃ、豪勢な菓子でも出るんかいな。土産か。
話が盛り上っている最中ではあるが、お暇する機会を窺う。控室を出てからも、故人の写真が飾ってある棚の前で成澤の嫁、KI君、STS君、成澤の弟も揃って立ち話。
30分程経って俺から、「ならこの辺で帰るわ。明日もまた来るけ」
成澤の嫁が、「今日はありがとう。明日の弔辞宜しくね」
「ああ、任しとってや」
帰ろうとする日隈に、「明日も来るんやろ」と俺。
「いやご免。ちょっと用があるもんで」
「仕事か?な訳ねぇな」
「すまんな」と日隈。
葬儀場を出て、車に乗って一服していたら、日隈の車が横切って行く。白いコルトプラスだ。
――何か、こっちの駐車場に停めとったんか。それで俺の方に歩いて来たんか。
高速を使って帰宅した。着いた時間は22時だ。明日は13時から葬儀、9時には小倉を出ねばならないだろう。




