死についてそのⅠ
人生50年と敦盛を舞ったのは49歳で無念にも横死した織田信長。平成22年、0歳時の男子の平均寿命は79歳。癌や脳卒中、心不全で命を落とすことなく、運良く60まで生きた男の平均寿命は後22年、よく勘違いするのだが、平均寿命はその年に死んだ者の平均年齢ではない。俺はよく生きても、後10年以内だろうと覚悟はしている。糖尿も食らっているし煙草も吸っている。後22年も生きることは百バーセント無理だ。
一応、糖尿は薬と食事制限と腹筋で完全に押さえ込んではいる。問題は喫煙だが、40年も吸い続けて今更肺癌にビビって止めたら、相当な臆病者だ。人間、肺癌以外にも命を落とす危険はたくさんある。不慮の事故に交通事故、肺癌以外の病気。
喫煙者がかなりの確率で肺癌になって死ぬのなら、年寄りの喫煙者は存在しない。昭和20年代、30年代の喫煙率は相当高かった。街中でも店でも職場でもみんなぼこぼこ吸っていた。女からは煙草も吸えない男なんてと恋愛対象外に思われていたし、女々しい奴、臆病者と蔑まれた。今とは時代も価値観も異にする時代だった。俺の小説「凶悪志願」でも、佐和子はハイライトを格好よく吹かす逹己に恋した。
定年1年前に糞会社に見下り半を叩きつけて辞めて1年4ヶ月、俺は毎日規則正しい生活を送っている。パソコン作業を終えて、就寝は大体、深夜1時前後、0時前に腹筋をニ勤一休で熟す。朝は7時に嫁に叩き起こされて、8時前に家を出てファミマで珈琲タイムと一服。買い物を終えて昼前後に帰宅する。
俺のライフラークは頭の中にある世界を文字にして全部紡ぎだすことだ。寿命が尽きるまでにやりきれるか自信はない。それくらい膨大な世界が今、俺の頭の中にある。だから、ある程度の地位についていた奴は社会と関わりをなくした途端老けいってしまうと言われるが、俺には一切無縁だ。
障害者差別で提訴した会社の答弁書に、「原告は小説を書くって言って辞めたじゃないか、何で今更」と恨み節を綴っていたが、これこそが馬鹿の馬鹿たる由縁だろう。小説家になるという決意を語って辞めたのならともかく、今の俺では小説を書いて原稿料で食っていけるレベルにはない。障害者の俺の身を心配してくれる心優しい社員たちへの方便だろう。こんなことも分からないとは哀れだ。
俺の文章は心の棺だ。年金である程度飯が食えれば、世間に評価されなくとも落ち込まない。書くのは別に生活の糧のためではないから。金にはならなくとも名前は売りたいという欲望は、恥ずかしながら持ってはいる。と、綺麗事言っても、名前が売れれば、小説が書籍化されドラマされ映画化され、大金持ちになる可能性は高い。
高度に知能が発達した人間が最も恐れるもの、それは死だ。拷問されて自白してしまうのは、痛みもそうだが、その先にある死を恐れてのことだろう。命乞いは大抵、「殺さないで」であって、「片輪にしないで」ではない。責める方も、下手に生かして犯罪が発覚したり復讐されるより殺した方が安心だ。
死に10代で死に直面したらこう言うだろう。
「俺はまだ10数年しか生きてない。何で俺だけにこんな不幸が襲ってくるんだ。神よ、あまりにも人生、不公平ではないか」
20代で直面してもこう言うだろう。
「俺はまだ20数年しか生きてない。何で俺だけにこんな不幸が襲ってくるんだ。神よ、あまりにも人生、不公平ではないか」
俺が会社勤めの30代、とある2月、九州に雪が1週間降り続いた英彦山の雪中行軍に、好きだった店頭の名倉を誘った。真冬の英彦山は林道も崖も区別がつかないほどの大雪に覆われていた。雪道に慣れた宮川さんを先頭に、チェーンもつけずスパイクも打ってないパジェロを慎重に進める。名倉は初めての経験に足をばたつかせさせながら喜んでくれる。
俺が、「名倉、ここから落ちたら確実にお陀仏やでぇ」と戯言を叩くと、彼女は口を尖らせて、「まだ駄目!だって23年しか生きてないも~ん」と抜かしやがった。
30代でも40代でも50代でも、死を恐れるトーンは10代20代より落ちるだろうが、大体言い分は上記と一緒だろう。だが、60代になるとあまり恐れなくなってくる。もう十分生きたという満足感がそこにはあるのかもしれない。
親父もお袋も、お袋の本家の伯父二人、叔父一人も既に鬼籍に入った。世代に格差があるから俺としてはそう悼むことはない。悲しいけれど仕方がないという感覚だ。しかし、同年代となると心穏やかではいられない。俺にも確実に近付いて来ている死の足音を感じる。
俺の身近で亡くなった者たち。52歳で心不全で亡くなった豊前屋の同期、今藤、57歳で癌で亡くなったSNG大学空手部の同期、今村、63歳で肺癌で亡くなった20数年来の家族ぐるみの付き合いのお客さん、石田さんの奧さん、つい先日肺癌で亡くなった高校の同級生の今村、俺も他人事ではなくなった。死は避けることはできない。まぁ喜んで迎えることはできないが、覚悟はしておくべきだろう。だから、俺はこう考える。
『今藤が死ねるんなら俺も死ねる。今村が死ねるんなら俺も死ねる。石田さんが死ねるんなら俺も死ねる』と。
今の俺のべらんめぇ口調で話せる最も親しい親友は成澤、豊田、井本、神澤、塩田、平井の六人だ。そんな俺に正に驚愕すべき一報が2月13日、齎されてしまった。俺は無性に後悔する。