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電子生命体は花畑の夢を見る  作者: 野々井野乃
3/5

疑念、想い

整備中のグエーラ・アルマを見渡せるようにガラス張りにされた休憩所に横山達は居た。

中は狭いが一応は休憩所だ、椅子とテーブル、飲み物の自販機、それとデジタル時計。なんとも飾り気の無い部屋だが横山はここを気に入っていた。気を散らす物が無く考え事に集中出来るからだ。クライドの目が輝いた。エンジンの音が僅かに箕こえる。それを操作している人物について横山は考えていた。

 どうすれば幸一を止める事が出来るか。

 アイデアが思いつかない。椅子に座り足を組む。ボロボロの椅子が軋んだ。テーブルにアイスコーヒーが差し出された。差し出してきた相手を見る。フィンだった。

「何か悩んでいるようだね、幸一くんの事かな?」

 この教師は、よく生徒の事を見ている。この人の前では隠し事など出来ないだろう。

「大正解、流石は担任」

「どうだい、先生は凄いのだよ」

 自慢気に胸をはるフィンに横山は思わず苦笑した。こういう時、無理にでも笑わせてくれる人物がいるのは良い事だ。普段なら自分がその立場なのだが。

「横山くんの事だから、幸一くんが相手を殺そうとしている事に今更気付いた、とかかな?」

 フィンの貼り付けたような笑顔に違和感を覚えた横山は、思わず舌打ちをした。

「先生はいつ気付いたんだよ」

「保健室で話を聞いた時。実弾で試合を提案した時点で、相手を殺そうとしていたと思うよ。君たちが操縦するのは兵器、人を殺す道具なんだよ? その点に関して、幸一くんは物の本質をよく理解しているよ、僕のクラスでは一番にね。確か、横山くんは世界平和の為にパイロットを目指しているのだったね。兵器のパイロットには、難しい夢に見えるかもしれないけど、案外、簡単な事かもしれないよ。君が、誰にも負けないパイロットになればいい。例え、相手が二世代機のような高性能な相手でも、刃向かう者を排除出来る存在に。人類の頂点に立ち、そして実現可能な人々の要望を叶え、それ以外は命ごと切り捨てる。冷静で、冷酷で、冷徹に、そうすれば世界平和は実行出来る。でも、もしも、そんな存在がいるとすれば、それは、機械でも人でも無いだろうね」

 二世代機と云う言葉に横山は、例の衛星写真を思い出した。あの写真の機体が二世代機とうい証拠はまだ無い。

「滅茶苦茶な思想だぜ? 第一それは平和じゃない、独裁、ただの支配されている世界だ。そんな世界、俺は勿論、誰も望んでいない。それに、その頂点、人でも機械でも無いのならいったいどんな存在なんだよ」

「それでも、戦争が起きない優しい世界だよ、大を救う為に小を犠牲にする。これは人間の伝統みたいな物だ。結局、その方法が一番だと人間は認識しながら、国なんて線引きをして未だに争っているのだけれども、仕方ない事だよね。自分が頂点に立ちたいと思うのは当然の事、真理と言っても良い。だから戦争が終わらない。終わらせるには人間以外の新しい知生体が頂点に立てばいい、その存在はきっと、神様みたいな存在だと僕は思うよ」

「神様か、悪いけど宗教の勧誘はお断りだぜ」

「あはは、僕も神様信じていないから宗教はお断りだよ。僕が言ったのは、あくまで、みたいな存在だからね」

 フィンは自分の分のアイスコーヒーにガムシロップを入れストローでかき混ぜる。数は三個、かなりの甘党だ。

「それで、何故今、俺にその話を聞かせたんだ?」

 横山は、自分が最初に考えていた事を思い返し訊いた。

「兵器を扱う君たちには、それ相応の覚悟が必要だから。あともう一つ、悩んでいる自分の生徒を無視なんて出来ないからさ」

 フィンは横山の向かい、ボロボロだが比較的新しい椅子に座った。スプリングが重さで軋む。

「それはどうもありがとう。おかげさまで悩み事が増えたぜ」

「どういたしまして、若者は悩んだ方が良い。そういうのも青春だよ」

 皮肉交じりに言葉を返す横山。その言葉にフィンは満足気に笑う。

「先生! 横山さん! 機体の目が光りましたよ! 幸一さんが動かしているのですか?」

「そうだよ、幸一くんが操作しているの。まあ、アイドリングだから動くとは言わないけどね」

 玲菜は無邪気な笑みを浮かべながらガラスに引っ付くようにクライドを見ている。その横にフィン移動して玲菜の言葉を補足する。

当初の予想通り、玲菜の存在は幸一を変え始めた。その変化が良いものか悪いものなのか、横山にはまだ判断出来ない。

それよりも、今日一日、予想外の事が起き過ぎだ。雨宮総悟と云う思わない来客、クライドが完成したばかりに上位部隊との試合、幸一の発言。偶然にしては、あまりにも出来過ぎている。

まるで誰かが裏で手を引いているのではないか?

横山は、フィンと会話をしている玲菜に視線を移した。

「どうしたものかな」

 横山は独り呟き、アイスコーヒーを一口飲む。氷が溶けて薄まったコーヒーは酷い味だった。


 四人が格納庫から出た時、外は日が落ちていて暗くなっていた。時計の針は八時を回っている。結局、ジェネレータの制御プログラムは完成しなかった。アイドリング時は安定するものの戦闘時を再現した高負荷を掛けると、一気に機嫌が悪くなる。原因不明。フィンも解析に参加したが分からずじまい。意地になったフィンは時間も遅い為、四人を無理矢理先に返し、一人で解析すると言い格納庫に籠ったままだ。

「ずっとパソコンの画面見ていたから目が痛い、それに眠いわ」

 愚痴るようにユリシア目を擦りながら呟いた。月の光に照らされたユリシアの姿は優艶だった。

「大丈夫か? すまないな、大した手伝いもできなくて」

「なに言ってるのよ、充分過ぎるぐらいだったわ」

 幸一は首を傾げた。自分がやったのは各配線を言われた通りに繋いだり、クライドのコンソールを操作しただけだ。幸一にとってそれは充分とは言い難い事だった。

「近くに居てくれるだけで充分嬉しいのよ」

 幸一にだけ聞こえるように小さい声で呟くユリシア。幸一には意味が理解出来ないがユリシアがそれでいいのならわざわざ追求する必要は無いと幸一は判断した。

「しかし密度の高い一日だったな、俺もユリシアちゃん程じゃないけど疲れたぜ。さっさと帰って寝る」

 背伸びをしながら横山が愚痴る。すると幸一の隣に居た玲菜が恐る恐る手を挙げた。

「どうした雨宮、何かあるのか?」

「寮の場所がわからないのです」

 この島の学生は全員寮暮らしだ。しかし学校内の寮だけではその全てを賄える筈がなく、島のあちらこちらに寮が建っている。それも数えきれない程に。その為、寮には名前があり必ず学校が運営するバスの停留所が存在する。しかし、この時間帯だ、とっくに最終バスは走っていない。

「寮の名前は?」

 幸一は腕を胸の前で組むと玲菜に訊いた。バスが出てなくとも名前さえ分かればある程度の場所はわかる。問題は方向だ。雨宮総悟が何か仕掛けてくるかもしれない、一人で帰らせて何か有ってからでは遅いのだ。送ろうともユリシアも疲れている、こちらも早く家に帰って休ませる必要がある。

 そんな幸一の心情を察した横山は幸一の肩を勢いよく叩いた。

「任せろよ、雨宮ちゃんは俺が責任を持って送り届けてやるよ」

「すまない、助かる」

 幸一は昼休みの事を思い出す。後ろから羽交い絞めにされていたが、いないよりマシだろう。

「気にすんな、お前はもっと他人に頼れ。それで、雨宮ちゃん、どこの寮なんだ? どんなに遠くても送ってやるぜ」

「ありがとうございます、横山さん。えーと、確か十一区の六番棟です」

 深々と頭を下げる玲菜が発した寮の名前、それは幸一には聞き慣れた物だった。

「その寮って確か、どっかで聞いた事があるような」

 横山が玲菜から視線をぎこちない動きで幸一に移す。

「ああ、オレ達と同じ寮だ」

ユリシアと共に住んでいる寮の名前、そこは横山の寮とは反対方向にある。

 心配事が減った、と安堵の表情を見せる幸一。

 今にも眠ってしまいそうなユリシア。

 意思消沈したような表情の横山。

 晴れやかな笑顔の玲菜。

「どうした、横山。安心しろ、雨宮はオレが送っていく」

「どうしてお前ばかり、ちくしょうめ!」

 先程とは反対に横山の肩を幸一が叩いた。横山は小さく片手を挙げ答えると、ガックリと肩を落とし自分の帰路についた。

 それを見送った後、幸一達も歩き出す。暗くなった道を街灯が照らし、夏特有の生温い風が吹いている。

「驚きました、まざか、幸一さん達と同じ寮だなんて。私は運が良いようです。所でユリシアちゃんのお部屋は何号室なのですか? 今度遊びに行きたいのです」

「ユリシアが住んでいる部屋は五百十二号室、五階の角部屋だ」

 欠伸を噛み殺しているユリシアに変わって幸一が答える。

「日当たりが良さそうですね、洗濯物が良く乾きそうです。幸一さんのお部屋は?」

「同じ五百十二号室だ」

「なに、言ってるのよ、それは秘密でしょうが!」

 今まで眠たそうにしていたユリシアの表情が真剣なものに変わり、幸一の頭を尋常ではない速さで叩いた。幸一は、叩かれた理由が分からない、といった表情でユリシアの方を向いた。

訳が判らなかったが直ぐに言葉の意味を理解して玲菜は頬を赤く染めた。

「秘密にする理由がわからない。特におかしい事でも無い、ルームシェアなんて珍しくもない。それにどうせ直ぐにバレる」

「一緒に暮らしていると云う事はどういう意味です! 幸一さん、昼休みの告白は嘘だったのですか?」

「ちょっと待ちなさい! 玲菜、昼休みって私と会う前の事よね? いったい何が有ったのかしら、それに告白ですって? 幸一、あなた、何を言ったの?」

 玲菜は幸一の右腕を抱きしめ潤んだ瞳で上目づかいに見上げる。反対側の左腕にはユリシアが同じように抱き付いている、サンドイッチ状態だ。しかしユリシアの表情は人形のように笑顔だ。幸一は知っていた。この笑顔は通常のものでは無い、明らかに怒っている時の表情だ。しかしそれ以外の事はわからない。何故、ユリシアと玲菜が、こんな表情をしているのか、幸一には見当もつかなかった。しかし、自分に非は無い、心当たりも、その為、幸一は動じる事もなく、極めて冷静に、それぞれの疑問に答える事にした。

「言葉通りの意味だ、オレとユリシアは同じ部屋で暮らしている。告白? ああそうか、あの時の「好きだ」と云う言葉だな。あれも言葉通りの意味だ。もし嫌いなら花壇に誘っていない、あの花壇はオレの大事な場所。だからオレは雨宮の事が好きだ。当然ユリシア、横山も同じように」

「玲菜、幸一はこういう人間なのよ」

 予想していた最悪の事態にはならなかった、その事に、ユリシアは安堵のため息を漏らし、まるで自分の物だと主張するように幸一を抱きしめている腕に力を込め、更に体を密着させる。ユリシアの豊満な胸が、幸一の腕を包み込む。しかし幸一はこんな状況でも動じない、いつも通りの表情だ。そう幸一はこういう人間だ、ユリシアはそんな幸一の顔を見て少し笑ってしまう。

 それに対して玲菜はリスのように可愛らしく頬を膨らませた。しかしその可愛らしい表情とは裏腹に心は悲鳴を挙げている。理由は簡単な事だ。白崎幸一と云う人間が好きだからだ。昼休みの事を思い出す。恐れていた兄との再会。そんな絶望の中で救ってくれた人、転校初日にも関わらず自分を護ってくれた人が誰かに取られてしまう。嫉妬だ。しかし幸一の言葉からするとユリシアと幸一の間には特別な関係は無い、それにユリシアも言っていた。「こういう人間なのよ」なら変えてしまえば良い。玲菜だけの幸一と云う人間に。

 玲菜はユリシアに負けないように幸一に抱き付いた。

「ユリシアちゃん、私、頑張るから」

「あら、なんのことかしら? 皆目見当もつかないわ」

 視線を合わした二人の間に見えない火花が散る。

 その麗しい少女、二人に挟まれた少年、白崎幸一はそんな事気にもしない。ただ思うのは、幾らか涼しくなる夜でも季節は夏だ、まだ充分に熱い気候の中、二人に抱きつかれるのは些か辛い。幸一は、いつになれば自分は解放されるのか? その事ばかりを考えていた。そして珍しく、その鉄面皮の表情が曇った。

 その幸一の表情を見てユリシアと玲菜、二人はクスリと笑った。

 

 結局、幸一が二人の拘束から解放されたのは寮のメインエントランスに着いてからだった。

 嫌味の一つでも幸一は言おうとしたが、二人の楽しそうに会話をしている姿を見て出かかった言葉を飲み込む。わざわざ水を差す必要は無い。そのまま寮の集合ポストを確認する。中に入っていたのは最近新しく出来たスーパーの広告だ、場所も比較的に近い、便利だ、今度行かせて貰おう。

「幸一、さあ帰るわよ、そう言えば玲菜の部屋を聞いて無かったわ。何階かしら? 途中まで送るわよ、もう夜も遅いし」

「いや、その必要は無い」

 ユリシアの提案を遮るように幸一はスーパーの広告を見ながら言い放った。その言葉にユリシアはムッとした表情になる。

「どういうつもりかしら? まさか、寮の中だから安心とでも言うのかしら?」

「それこそ、まさか、だ。雨宮総悟が何をしてくるかわからない以上、どんな事が起きてもおかしくない。変化する状況に、迅速に対応しなければならない。パイロットなら当然だ」

 相変わらず広告を見ながら話す幸一にユリシアは若干呆れる。広告が入った時はいつもこうだ、慣れているのだが目を見て話をして欲しい。

まるでスーパーの広告に負けたみたい。そう感じてユリシアは、その細い眉を悲しそうに下げた。それに気付いた幸一は顔を上げ広告からユリシアに視線を移した。そして真剣な表情で言葉を紡ぐ。

「雨宮総悟と云う危険が無くなるまで、雨宮玲菜には俺達の部屋で生活をして貰う。我ながら良い考えだと思う」

「幸一、あなた、自分が何を言っているかわかっているのかしら?」

「理解している」

「理解していないわ。幸一は男の子、玲菜は女の子なのよ? 常識的に考えて」

「わからないな、ユリシアも女性だ。だが、男のオレと一緒に暮らしている。因って、オレにはユリシアの反対意見は理解出来ない。ユリシア、冷静になれ、護衛対象が近くに居た方が護りやすい。この提案はセオリー通りの実に合理的なものだ」

「ななな、確かにそうだけど、あんたと私はその、もう既にあれみたいなものじゃない」

 今度はユリシアが顔を紅くして幸一から視線を反らす、その先は。コンクリートにレンガ風のカバーをつけた偽物の壁。

「ユリシアちゃん、私は大丈夫ですよ! 幸一さんとなら安心できます」

 それまで沈黙を保っていた玲菜が突然、口を開いた、そして笑顔で幸一に腕を絡ませた。その姿にユリシアは、心の中で黒い感情がこみあげてくる。その何か、を理解しようとはしない。理解してしまったら自分が抑えきれないと云う確信があるからだ。それに追撃をかけるように幸一の一言。

「ユリシア、頼む」

ユリシアは幸一の言葉を聞き、諦めたように深いため息を漏らした。幸一の考えている事はわかっていたつもりだった、しかし如何やら、それは私の思い上がりだったらしい。ガックリと肩を落とした。そんな表情は卑怯だ。ユリシアは心の中で愚痴る。

「確かにそれが一番安全ね、わかったわよ」

「ありがとう、ユリシアならきっとそう言ってくれると思っていた」

人の気も知らないでよく言う、お人よしにも程がある。まあ、そこが幸一の良い所でもあるのだけれど。その良い所が、いつか誰かに利用されてしまうのではないか? ユリシアはふと、不安を覚えた。いや、いつかではない。もしかしたら、既に利用されているのかもしれない。ユリシアは暫くの間、五秒程だ、玲菜と幸一を観察した。観察というには短い時間だった。収穫は有った。何か嫌な予感がする。具体的な事はわからない、そして言葉にするのも難しい。女の勘と云うものだ。私の勘は精密ではないが正確だ。

「ユリシアちゃん、どうしたのです? なんだか、幸一さんみたいな表情をしていましたよ」

 ユリシアの視界に玲菜の心配そうな表情が映る。慌ててユリシアは答えた。

「なんでもないわ、ありがとう心配してくれたのね。大丈夫よ。さあ、そうと決まれば早速、玲菜の部屋に行かないといけないわね」

「何故だ?」

「日用品を取りに行くのよ、もしかして考えていなかったの? いや、訊くまでもないわね。もしかしなくてもでしょ?」

 ユリシアは呆れたように幸一を見つめる。

 それを真っ直ぐに見つめ返す幸一は静かに首を縦に振った。

「その通りだ。どうすれば雨宮玲菜を護れるか、その事ばかりを考えていた。やはりオレはユリシアがいないとダメみたいだな。どうした顔が赤い、熱があるのか?」

「うるさい、うるさいッ! なんであんたはいつも、平気な顔してそんな事言えるのよッ! 不公平よ!」

ユリシアは、恥ずかしさを紛らわす為に幸一の頭を軽く小突く、連続で、しかも笑顔で、だ。そういう言葉は二人きりの時にだけして欲しい、そうすれば私は甘えることも出来たのに。ユリシアは幸一の今の言葉で、先程まで考えていた事などはどうでも良くなった。そんな事は重要な事では無くなった。幸一が、私の事を必要と言ってくれたのだ。

ユリシアは今まで幸一の近くにいて、これ程直線的な言葉を言われた事は無かった。せいぜい大事な人としか認識されていない、ユリシアはそう思っていた。それで充分だったのに。必要と言われるなんて、告白されるなんて夢にも見なかった、いや、夢には見ていた、毎日だ。正にユリシアはこの状況に歓喜していた。今日はなんて素晴らしい日なのだろう。


様子のおかしいユリシアを部屋に送ってから幸一は玲菜の案内で、一つ上の階に上がっていた。生活をしている寮なのだが、自分の部屋がある五階より上など来た事も無い、それに興味も無かった、いや、現在もだ。玲菜の部屋があるから来た。それだけだ。

 階段を登り切り、少し歩いて玲菜の足が止まる。幸一は部屋の番号を見た。六百七号室、この階の真ん中だ。次に表札、空欄だ。

「まだ、ほとんど荷解きしていないのですよ」

幸一の視線に気付いた玲菜が苦笑交じり答え、扉の鍵を開けた。

「上がっても?」

「もちろんですよ、まだダンボールがそのままで見苦しいですけど」

 玲菜に続いて幸一は部屋に入った。センサが幸一達を見つけるとオートでライトが点いた。暗かった部屋の様子がうかがえるようになる。

自分達の部屋とは違い一人用の部屋だ。必要最低限の物は揃っているが生活感は皆無、そしてベッドの横にはダンボールが一つ。

 少ないな。

 幸一の最初の感想だ。しかしそれは直ぐに頭の中から消え去った。原因はベッドに立てかけられた物。

「雨宮、あれは模造刀か?」

 その、原因、飾り気の無い鞘に収まった刀。それを指さして幸一が。

「え? 嫌ですよ、女の子が模造刀なんて持つ訳ないじゃないですか、正真正銘、本物の刀ですよ」

「オレの知っている女の子とは随分とかけ離れた代物だ。最近の流行りなのか? 少なくともユリシアは持っていない」

 玲菜はそれに近寄り手に取り、ごく自然な動作で鞘から刀を抜いた。日本刀だ、長さは約六十㎝、刃文は真っ直ぐな直刃。性能は勿論、美術品としても価値が高い事は容易に想像出来る、威圧感のようなものを幸一は感じていた。

 人を殺す為の力、使い方を間違えれば、使用者までも傷つける可能性がある武器。

〈ただ、使われるだけでは無い〉

 そう主張するように日本刀は、天井のライトの光を幸一に反射させる。幸一はその危うい光を美しいと感じた。いや、違う。物と人間が対等な存在であろうとする姿が美しいと感じた。「どうしてだ?」幸一は呟き自分の言葉を解析する。答えは直ぐに出た。「クライド」だ。

 呟いてみると途端に、心の何処かで不安感が勢いを増した、何かに恐れているのだ。

ユリシアの設計はシンプルながらも完璧だ。そこに自分の要望を加えて完成した機体不安なんてない。なら答えは一つだ。

 自分、白崎幸一だ。

 クライドの性能に自分が追い付いていけるのか、原因はそれだ。自分の存在がクライドの性能を落としてしまう事が不安なのだ。幸一は刀を見る。そう、使われるだけではない。それはクライドも同じだろう。昼休みの時に想像した、無人で動き回る機体。無人化が怖いのではない。ユリシアが作ったクライドに捨てられるのが怖いのだ。しかも刀と違いクライドには簡易的な教育型戦術コンピュータが搭載されている。経験を詰んでいけば、いつか自分で簡単な思考も出来るようになるだろう。そしていずれクライドは、戦闘中に邪魔と判断した白崎幸一をコックピットシートごと機外に叩きだすかもしれない。それはダメだ、ユリシアを残して死ぬ訳にはいかない。

「幸一さん? また難しい顔しているのです」

玲菜が心配そうに顔を覗き込む。手には刀を握ったままだ。この刀は自分の持ち主をどう思っているのだろう? 愚問だな。玲菜が慣れた手付きで抜いたのだ。つまりお互いの存在を認めている。幸一はその姿が羨ましく思えた。

「そうだな、目の前でいきなり抜刀されれば、誰でも難しい顔にもなるだろう」

「これは違うのです! 別に幸一さんを斬ろうとか襲うとか、ちょっとだけ、襲う事は考えましたけど・・・って何を言っているのですか私は! 兎に角、驚かせようとしたわけでは無いのです、本当なのです!」

 頬をバラのように紅く染めながら、必死に首を左右に振る玲菜、混乱状態と言ってもいい。

「落ち着け、わかっている。雨宮にそんな度胸が有るとは思っていない」

自分でも気付かず、言葉が棘を含んだ物になった。雨宮玲菜と刀の関係に嫉妬しているのかもしれない。

「酷い言い方です! 訂正を要求します」

 確かに嫌味な言い方だったが問題はそこなのか、と幸一は呆れて首を振る。

「気にするな、雨宮にはそれを補う程の愛嬌がある」

 今度は意識して出来るだけ優しい声音で話す。すると玲菜は、薔薇色の顔を更に紅くした。

「卑怯なのです。いきなり、そんな優しそうな声に・・・」

 幸一は玲菜の反応をひとしきり観察した後、本題に入る事にした。その手に持っている物、刀を自分に見せたのか、だ。

「所で、何か話す事があるのか? 雨宮の性格だ、自慢するためにそれを抜いた訳では無いだろう?」

 玲菜の表情が真剣な面持ちだ。その表情に幸一は暗いものを感じた。

「はい、幸一さんには話をしておかないといけないと思いまして」

 玲菜は刀を鞘に納めて最初のように立てかけ、ベッドに腰かけた。

「長くなりそうだな、隣に行っても?」

「はい、出来れば来てほしいのです」

 幸一は玲菜の隣に腰かけた。お互いの手があと少しで触れてしまいそうな距離だ。

玲菜は思ったより距離が近い事に慌てた。

「離れた方が良いか?」

「そそそんな事無いのです。あの、ありがとうございます、幸一さん」

「はて、なんのことだ? 皆目見当もつかない」

 幸一はわざとらしくおどけてみせる。その行動は、横山が女性相手にする仕草を真似た物で、言葉はユリシアが先程使った物だった。

 幸一の意外な一面を見た玲菜はクスクス笑う。そしてゆっくりと自分の事について語り始めた

「実は私、お嬢様なのですよ。雨宮重工という会社をご存知でしょうか? グエーラ・アルマやそれ用の装備、主に刃物を使った武器等を製造している兵器のメーカーです。直接的ではありませんが、人殺しの家庭なのです。先程お見せした刀も雨宮重工製の特殊な材質で出来ています。あの刀は凄いのですよ。羽のようには言い過ぎかもしれませんが、とても軽いのです、なんでも、完璧な無重力、ラグランジュポイントでないと作れないとか」

 感情の鈍い幸一にも分かるほど辛そうに玲菜は喋り続ける。

 早くに両親を事故で失った事。

 クラスで、人殺し、と罵られた事。

 自分に刀の才能が有った事。

 その才能を妬まれ、実の兄に拷問のような仕打ちを受けた事。

 そして、それを、誰にも相談出来なかった事。

 幸一は、通常の人ならば耳を覆いたくなるような出来事を淡々と聞き続ける。

 一通り話終える頃には、玲菜の瞳には今にもこぼれそうに涙が溜まっていた。

 幸一は、ポケットから向日葵柄のハンカチを取り出し玲菜の目元を優しく拭う。

「あれ? おかしいな。泣かないように頑張ったのに…すみません」

 横山ならこういう時、どんな言葉を掛ければ良いのか分かる筈だ。不甲斐ない事に自分には分からなかった。

「ほえっ? 幸一さん!」 

 だから幸一は行動した。玲菜の肩を抱き自分に近づける。いきなりの事に可愛らしい声を出す玲菜。

「こんな時、どんな言葉を掛ければ良いかオレには分からない。しかし、肩を貸す事ぐらいは出来る筈だ。無論、雨宮がオレの肩を嫌でなければ、だが」

 玲菜は自分の肩を抱いている幸一の手に触れる。夏だと云うのにひんやりと冷たく気持ちが良い。そして少し躊躇ったあと自分の手を重ねる。

「…嫌な訳、ないじゃないですか」

 そのまま玲菜は、幸一の肩に顔を押し付けて大声で泣いた。まるで迷子になった子供のようだ。

 そんな玲菜の頭をあやすように幸一は撫で続ける。それ以外、今の雨宮にしてやれる事が幸一には思いつかなかった。

 そのままの状態でたっぷり十分程泣いた玲菜はすっきりしたように、目が赤く腫れながらにっこりと幸一に笑いかけた。

「ありがとうございます。おかげさまで少し気分が落ち着きました」

「そうか、それは良かった。ああ、やはり玲菜は笑っていたほうが可愛らしい」

 玲菜は少し照れてしまい俯く。しかし直ぐに、何かに気がついたように幸一を見上げる。

「幸一さん、今、私の事、玲菜って?」

「ああ、なんだ? そんなに驚いたような顔をして。お前の名前だろう?」

 玲菜が、自分の家にあまり良い感情を持っていない事がわかった幸一は、呼び方を変える。

 人の名前と云う物は呪縛だ。特に苗字はどんなに努力しようが、中々外れる事は無い。自分がどれ程嫌でも名前がなければ外部は識別出来ないし自我を認識出来ない。枠、みたいなものだ。あやふやな物だが必要な物。必要な物だから大事にする。面倒なシステムだ、馬鹿馬鹿しい。

「雨宮の家の事なんて関係ない、だから玲菜と呼ばせて貰う。どうした? なんで、また泣く? もしかして嫌だったのか? それなら」

「違いますよ! 嬉しくて泣いているのです! 幸一さんのばかぁ!」

「それは良かった」

 直後に衝撃、幸一は玲菜に押し倒された。幸いなことにベッドが柔らかかった、痛みはない。

しかし、起き上がるのは無理だった。玲菜の可愛らしく整った顔が近い、その顔はまるでのぼせたように赤く、目はうっとりとしていた。

「幸一さんがいけないのですよ……幸一さんが優し過ぎるから……今日会ったばかりの女の子に優しい言葉を掛け過ぎなのです。あまつさえ、私を助ける為に戦う、なんて女の子の夢みたいなものなのですよ? 凄く嬉しかったのです」

 玲菜の息遣いが早くなる。

「ばれていたのか、でも、ユリシア達を悲しませたく無いのも事実だ。玲菜を助けたいという思いと同じぐらいに」

「こんな状態でも他の女の子の名前を出すのですね、ダメですよ? マナー違反です」

「押し倒した側が言う台詞では無いと思うのだが?」

 幸一は押しのけようと腕に力を込める。幾ら抑えつけられるとはいえ相手は女の子だ、簡単に押し返す事が出来る。そう思っていたが違った。右腕は完全に抑え込まれて動かない。

成る程、重心移動を上手く使っている。刀だけではなく、他の武道も出来るようだ。

幸一は脱出を困難と判断した。動く左腕で玲菜の肩を押し。迫りくる玲菜を少し押し戻す。

「なんで拒むのです? 可愛い子に押し倒されるなんて普通の男の子であれば喉から手が出る程、羨ましい状態なのですよ?」

確かに玲菜は綺麗だ、真近くで見れば見るほど美しい。花で例えるのなら、白い百合のように無垢で甘美な。しかし幸一が感じたのはそれだけでは無かった。

焦っている、のか?

 何故、そう感じたのかは幸一自身も分からない。しかし確信は有った。

 問題は何に焦っているのか、だ。答えは簡単だ、自分と雨宮総悟との試合だ。いや、試合ではないな、殺し合いだ。つまり玲菜の不安の現れが、この行動なのだろう。

 なら、その不安を解消してやれば良い。

 幸一は、玲菜を押し戻している左腕の力を抜いた。玲菜と重なる。

「大丈夫だよ。何が有ってもオレは死なない。そして生きて玲菜の隣に帰る」

 朝の花壇の時と同じように抱きしめる。そして幸一は気付いた。玲菜の体が小さく震えている事に。

「約束ですよ。破っちゃダメです。誓えますか?」

 今にも消えてしまいそうな声。玲菜の涙が幸一のシャツを濡らした。

「ああ、約束する」

 なんてことは無い。いつも通り、感情を感じさせない声音で幸一は返事をした。

 五分程、そのままだっただろうか、泣きやんだ玲菜は幸一の上から退くと「シャワーを浴びてきます。覗かないでくださいね。あ、でもどうしても、というなら考えてあげてもいいのですよ?」と、台詞とは合わない上品な笑みを残し部屋を後にした。

 やっと玲菜の拘束から解放された幸一は状態を起こし、緊張で強張ってしまった肩をほぐすように回した。

 何かに気付いたようにその肩を見る。

「緊張していたのか? 俺が」

 いったい何に緊張していたのか分からない。幸一は首を傾げて考えてみたが答えは出ない。ただ、似たような事は体験していた。朝の花壇、玲菜と初めて会った時だ。

 あの時も無意識的に見とれてしまい足が止まってしまった。自分で自分のコントロールが出来なかった。

 幸一は自分の掌に視線を移す。握りしめてみる。問題無い、自分の意思でコントロール出来る。

 一つの仮説を立ててみる。いや、仮説なんて立派な物ではない、ただの思いつきだ。

「本当に無意識だったのか? 例えば、オレが認識出来ない意思が有って、それが介入して体のコントロールを奪った、とか」

 無意識と別の意思、とでは意味が違ってきてしまう。共通するのは自分に認識出来ない点だけだろう。前者は意味の無い行為、反射と同じ物だ。それに比べ後者では明らかに意味がある行為だ、少なくとも目的がある。

 言葉に出した途端、馬鹿馬鹿しく思えてきた。まるで、それじゃ二重人格だ。自分にそんな予兆は無い。もしあればいつも一緒にいるユリシアが気付く筈。やはりあの行動と今の現象は無意識的な物だ。

 自分の中でそう結論を出した幸一はため息を漏らし後ろに倒れるようにして、ベッドに横になる。

少し気分がブルーだ、クライドのツインアイと同じ色。好きな色だが、今の状態では気が滅入るだけだ。

こういう時は横山のような賑やかな奴がいると便利だ、気が紛れる。しかし、それだけでは無い。横山は、あいつは中々に頼れる。

「幸一さん。またまた難しい顔をしていますよ? もしかして、一日中そんな顔しているのですか?」

 幸一の視界に突然、玲菜が映る。お風呂上がりで妙に艶めかしい。

考えに夢中になり過ぎた幸一は玲菜の接近に気がつく事が出来なかった。その為、反応が遅れた。ただ、もう一つ遅れた原因が有った。玲菜の格好だ。

「いや、一日中している訳では無い。しかし、随分と綺麗な…着物で良いのか?」

 幸一は困惑気味に答えた。無理もない。玲菜の着ている物は薄い紫色をして紫陽花の柄が入った着物の様な服だ。その服は布の面積が、通常の着物より遥かに少なく改造された物だった。通常の半分以下の長さの袖に、ミニスカートのように短い丈、そこから伸びるスラリとした肢体は目の遣り場に困るほど美しい。

「はい、私が改造した着物です。どうでしょう? 可愛いですか」

 玲菜は、自分を見せるようにその場でクルリと回り照れながら笑顔で幸一に問いかけた。

「ああ、綺麗だと思う。しかし、あまりにも露出が多くないか?」

「他人の前では着ませんよ。特別な人、幸一さんの前だから着るのです」

 幸一には、玲菜の言葉が良く理解出来なかった。

オレが特別? 分からないな。オレと玲菜の関係はただの友人。そんなに特別な関係では無い。第一、特別な人とはいったいどういう意味だ?

「分からないな。まあいい、それよりも支度が済んだのなら行くぞ。あまり遅いとユリシアが心配する」

 幸一はベッドから立ち上がりながら言った。改めて玲菜の姿を見る。成る程、確かに可愛らしい。最近の流行りと云う物か。

「多分ユリユリは心配するより、嫉妬する、と思いますよ?」

「嫉妬? いったいユリシアに何を言うつもりだ。いや、それよりもユリユリとは? いつの間にそんな仲に」

「今日ですよ」

「当たり前だ。今日会ったばかりなのだからな――荷物はこれか? 随分と多いな」

 見当外れの答えに呆れながら幸一は、玲菜の足元にある大きく膨らんだドラムバッグを持ち上げる。見た目通り、中々の重さだ。

「ふふふ、共通の話題が有れば女の子は直ぐに仲良くなれるのです。私はこう思うのです。愛情や友情に時間なんて関係ない。と――あ、すみません、ありがとうございます」

 得意気に玲菜は自分の考えを披露する。

 幸一は、ある一部を除いてだが、この考えには賛同出来る。問題はその一点だ。それは玲菜が言う「愛情や友情」だ。幸一の考えはその一点が「人間関係」に変わるだけだった。

 気に入らない奴は、最初から気に入らない。勿論、最初からと言っても第一印象では無い。感覚的に、いや、もっと深い所だろう、その人間の本質だ。

 だから幸一は人間とのコミュニケーションが嫌いだった。どんなに時間をかけても自分に合わない本質を持った人間とは解かりあえない。他人は、自分と似た本質を持った他人と早々に解かりあってしまう。自分一人が取り残された様な感覚に陥るからだ。

「オレ達は似ているのかも知れないな。相性が良いとも言える。」

 玲菜は、そんな自分が、自ら話を掛けた人間だ。恐らく、何処か通じ合う物があるのだろう。

「それは、俺の嫁発言と受け止めて良いのですか? どうしましょう! まだ心の準備が出来ていないのです。えーと、決めることは沢山あるのです! 結婚式は和風、洋風どちらにしましょうか? 私は家柄的に和の家庭なのですがウエディングドレスにも憧れがあります。幸一さんはどっちが似合うと思いますか?」

 熱く蒸気した頬を両手で抑え、舞い上がっている玲菜。

それを見て幸一は、自分の考えが本当に正しいのか不安を覚え、空いている手で頭を抑え、大きなため息を漏らした。


 玲菜の部屋を後にして自分の部屋に向かう幸一と玲菜。

 幸一はこの短い道のりで、玲菜の誤解を解かないといけなかった。簡単な事だと思っていた、油断していたとも言える。しかし、まさか、最初から説明し直す事になるとは思っていなかった。

「つまりあの発言にそういう意味はない。わかったか?」

「むむむ、つまり幸一さんにはまだ、好きな人がいないと云う事ですね、分かりました」

「フム、そう解釈するのか。問題点はそこではないが、その考えで間違いない」

 論点がずれているが及第点だろう、残念そうに眉を下げた玲菜を見て幸一はそう考える事にした。

何とか部屋の目前で誤解を解く事が出来た。随分と喋り疲れた、今日の出来事で一番面倒だったかもしれない。

 幸一は自分の部屋の扉に手をかけた。鍵は掛けていない。防犯上、問題があるように見えるが、この寮の廊下には監視カメラが過剰なまでに配置されている。監視カメラの映像はセントラルコンピュータ内部のセキュリティシステムが常時モニタしているため何か異常が有れば直ぐに防犯部隊が原因を解決しに来る。幸一は、このシステムは便利だと、感じてはいたが同時に強い不快感も覚えた。

常時モニタしていると云う事は、常に誰かに見られている事ではないか?

以前、幸一はこういう事に詳しいユリシアに訊いた事がある。ユリシアの答えはこうだった。

誰かでは無いわ。セキュリティシステムはセントラルコンピュータのメモリを一部使って構成されたプログラムよ、人は居ない、完璧な無人よ。セキュリティシステムはあくまでも情報として映像を処理する、そこに意思など存在しないわ。

 果たして、本当にそうだろうか? この島の中心、セントラルコンピュータは戦争以前に作られた物だ。長い年月を掛け、膨大な情報を処理してきた巨大なコンピュータは既に人などいなくても稼働し続けるだろう。そんな、とてつもない処理能力を持っているのなら意思や自我を獲得していてもおかしく無い。

 幸一は廊下の天上からぶら下がるように配置された監視カメラを見上げた。無機質な大型レンズと目が合う。

 誰かに見られる不快感と安心感、この正反対の感覚が共存する、不思議な感覚、面白いとも思えた。

「幸一さんは、どんな女の子が好きなのですか?」

 玲菜の突然過ぎる質問に、扉を開けようとしていた幸一の手が止まる。幸一は監視カメラから玲菜に視線を移す。玲菜の瞳と目が合う。

「唐突だな、いきなりどうした?」

「私は、まだまだ、幸一さんの事を知りません。だけど幸一さんは、さっきお話しした事、私の過去を知っています。とても不公平です。幸一さん風に言うのならば、私は幸一さんの情報が欲しい、です」

 玲菜は、わざわざ幸一の冷静な声音まで真似て言った。それに対して幸一は困ったように首を傾げた。

「オレが好きになる女の子か」

 幸一は自分に問うように呟いてみる。わからない、想像出来ない、と云うべきか、だいたい、好きという定義も曖昧なのだ、そんな自分にわかるはずもない。

「はいはい、そこまでにしなさいよ。まったく、いつまで玄関前に立っているのよ、さっさと上がりなさい」

 玄関が少しだけ開き、隙間からユリシアがヒョコリと不機嫌そうな顔を出す、頭には淡いピンク色のバスタオル。如何やら、お風呂上がりのようだ。

「二人共遅すぎよ? 何か有ったのかと思って心配したんだからね」

 ユリシアは怒ったように、むすっ、とした表情で頬を膨らませる。

「ごめんなさいユリユリ、ちょっと支度に手間取って時間かかっちゃったのです」

「すまないユリシア、心配をかけた」

 笑いながら謝る玲菜に通常通りの幸一。

「まあいいわ、お帰りなさい、幸一、玲菜」

 気を取り直し笑顔になったユリシアは、二人を招き入れる為に玄関ドアを開けた。

 幸一は玲菜の背中を軽く叩き、先に入れ、と促す。

「あの……お邪魔します」

 借りてきた猫のように、おずおずとしながら玲菜は玄関を潜った。

 その言葉と状態にいち早く反応したのはユリシアだった。少し遅れて、玲菜の後ろにいる幸一も呆れたように小さく笑う

「違うでしょ? 私は、お帰りなさいと言ったのよ、もっと堂々としなさい」

「玲菜、何を警戒しているのかオレにはわからない。オレと玲菜は友達だ、敵じゃない。警戒する必要は無いと思うのだが?」

「幸一? 貴方のそれも何か、ちょっと違うんじゃないかしら? あれ? ちょっと待ちなさい。幸一、いま玲菜の事をどう呼んだの?」

「名前で呼んだ」

「ええ、そんな事はわかっているのよ、名前と云うのはどちらの名前かしら? 二択にしてあげる。苗字、それとも下の名前?」

「後者、下の名前だ。それがどうかしたのか? そんなに強く拳を握り締めて、何か有ったのか?」

 騒がしい二人の会話、その真ん中に置かれた玲菜は、最初こそ困惑していたが、直ぐに二人の真意に気付いた。そして騒がしい声に負けないように、大きく凛とした美しい声を上げる。

「ただいま帰りました!」



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