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溶けない雪だるま

作者: ウォーカー

 これは、もうすぐ入学試験を控えた、ある男子生徒の話。


 新年が明けて、冬も本番の季節。

その男子生徒は受験生。

間もなくやってくる入学試験を前に、忙しい日々を送っていた。

朝早く起きて、学校に登校する前に予習。

学校に登校して授業を受けて、

それが終わるとすぐに予備校へ行ってさらに勉強。

予備校の授業が終わると、次は山積みになった復習が待ち受ける。

一日の殆どを受験勉強についやす日々。

でも、実のところ、

その男子生徒には進学してやりたいことは特に無い。

夢はあるものの、進学することが役に立つのかは分からない。

しかし、どんな勉強も後に必ず役に立つと信じて、

歯を食いしばって勉強する毎日だった。

だが、良いと分かっていても出来ないこともある。

向いていないことを無理に続けても上達は難しく、

模擬試験の成績は散々で、志望校への合格も危うかった。


 その日は天気が悪く、厚い雲が空を覆っていた。

その男子生徒は、いつものように早起きをすると、

自室で予習を済ませて、

それから学校に登校する前に朝食を取ろうと、居間へ向かった。

居間に足を踏み入れるとそこでは、

両親と幼い弟が既に朝食を取っている最中だった。

姿を現したその男子生徒が不健康そうな顔色をしているのを見て、

父親が朝食を取る手を止めて話しかけてきた。

「おはよう。

 勉強、頑張ってるみたいだな。

 でも少し休んだ方が良いんじゃないのか。

 お前、ここのところ顔色が良くないぞ。」

すると母親が、味噌汁が入ったお椀を手渡しながら言葉を続けた。

「この子、毎朝早起きしてお勉強してるのよ。

 学校から帰ってからも、夜遅くまでお勉強してて。

 勉強熱心なのは良いことなのだけれど、体が心配よ。」

両親から揃って体の心配をされて、しかしその男子生徒は憂鬱そうに応えた。

「僕だって勉強なんてやりたくないけど、仕方がないじゃないか。

 もうすぐ受験本番なんだから。」

そう話して味噌汁をすするその男子生徒に、

父親がちょっと改まった表情になって話し始めた。

「そのことなんだけどな、

 なにも受験にだけ拘ることは無いんだぞ。

 勉強にも種類があるんだから。

 お前、何か好きなことがあるんだったよな。

 もしも受験が駄目だったら、それをやってみても良いんだ。

 いずれにせよ、あんまり気負わない方が良い。」

父親の心配に、その男子生徒は耳にタコとばかりに面倒臭そうに応える。

「もしも駄目だったらなんて、入試直前に縁起が悪い事を言わないでよ。

 何をするにしても、勉強は必要なんだから。

 進学しておくのは悪いことじゃないよ。」

両親の心配はその男子生徒に伝わっているのかどうか。

しかし、あまり口煩く言っても、返って煩わせることになってしまう。

そう考えた両親はお互いに顔を見合わせると、

その場は口をつぐんでしまったのだった。


 その男子生徒は朝食を終えて身支度を整えると、

学校へ登校するために玄関へ向かった。

そこで、同じく出かけるところだった父親と鉢合わせになり、

一緒に家を出ることになった。

玄関までお見送りに来ていた母親と弟。

その弟が、何故だかにこにこと嬉しそうな顔をしている。

「じゃあ、いってきます。」

その男子生徒が玄関の扉を開けると、

身を切るような冷気が外から吹き込んできた。

それもそのはず、

家の外は、一面の雪で覆われていたのだった。

玄関の外の景色を見て、母親が口に手を当てて声を上げた。

「まあ!

 今朝は雪がこんなに積もっていたのね。

 気が付かなかったわ。

 私が起きた時には、まだ雪がちらつく程度だったのに。」

父親が寒そうに手を擦りながら言う。

「今年の冬は寒いと思ってたけど、こんなに雪が積もるなんてな。

 車の上はもう10cmくらい積もってるな。

 この近所で雪がこんなに積もるなんて珍しい。

 何年ぶりの大雪だろう。」

真っ白な雪景色に少し嬉しそうな両親や弟とは逆に、

その男子生徒は内心、舌打ちをしていた。

こんな大雪では、きっと登校には時間が掛かることだろう。

授業の前にもう一度予習をしておきたかったのに。

せっかくの雪景色を前にしても、

その男子生徒はそんなつまらないことばかりを考えていた。

嬉しそうな弟の声に、意識を現実に呼び戻される。

「パパもママもおにいちゃんも、

 今日は雪が積もってるって知らなかったでしょ?

 ぼく、朝ごはんの前にお外に出たから知ってたの。

 その時に、雪だるまを作ったんだよ。」

弟が指差す方、玄関の脇を見ると、

そこには小振りの雪だるまがのっそりと立っていた。

それは、大きな雪玉の上に小さな雪玉を乗せた、よくある雪だるま。

頭であろう上の小さな雪玉には、

木の枝だの小さなまりだので顔が作られていた。

無表情な顔にちょっと傾いた体の、不格好な雪だるま。

大人から見れば小振りなその雪だるまは、

しかし幼い弟の小さな体と比べると、

一人で作るのには苦労したであろうことがしのばれた。

だが弟は、そんな苦労を表情に表すこともなく、無邪気に話すのだった。

「あのね、ぼく、ご本で読んだの。

 雪だるまって、すごく縁起がいいものなんだって。

 おにいちゃんのために、お祈りしようと思ったの。」

幼い弟の純粋無垢な言葉に、両親は笑顔で返した。

「そうだったのか。

 本当にお前はやさしい子だな。」

「寒かったでしょうに。

 朝御飯の前に外に出たいって言ってたのは、

 雪だるまを作るためだったのね。」

そして、両親と弟は笑顔のままで、その男子生徒の方に視線を移した

幼い弟の言う通り、雪だるまは通常の達磨だるまと同じく縁起物。

願掛けをする対象として使えないこともない。

その男子生徒は、両親と弟の視線に催促されたような気がして、

ぷいと横を向いてぶっきらぼうに応えた。

「仕方がないな。

 じゃあ、この雪だるまに志望校合格をお願いしておくよ。

 ・・・うん。

 この雪だるまが溶けてしまう前までに、志望校に合格する。

 もっとも、僕の成績じゃ叶うかどうか怪しいな。

 もしも、この雪だるまが溶けてもまだ志望校に合格してなかったら、

 その時は、僕の人生はお終い。

 そんな風に思うことにするよ。」

我が身を悲観して、余計なことまで口から出てきてしまった。

話を聞いていた弟は何だか泣きそうな顔になっていて、

両親も心配そうな顔をしている。

ばつが悪くなって、その男子生徒は話を変えた。

「お願いはもうこれで良いだろ。

 この雪じゃ、いつもより時間がかかりそうだから、

 僕はもう学校に向かうよ。

 それじゃ、いってきます。」

両親も弟も、自分を励まそうとしてくれているのは分かってる。

しかし、それを踏みにじるようなことを言ってしまって、

罪悪感に胸をえぐられるような思い。

その時、その男子生徒は、

自分の何気ない願掛けがどんな事態を引き起こすことになるのか、

考え付きもしなかった。


 それから数日が経過して。

その男子生徒の家の玄関先の雪だるまは、まだ健在だった。

その年の冬は寒さが特に厳しく、

雪が降ったり止んだりの天気が続いていたのが大きい。

そうして、一月下旬に差し掛かっても、

雪だるまはなおも溶けることなく残り続けていた。

しかし、二月を目前に控えた頃には、ようやく天気が良くなっていって、

雪だるまも無事というわけにはいかなくなり、

その身は徐々に溶けて崩れ落ちようとしていた。

奇しくもそれは、その男子生徒の成績も同じなのだった。


 一月も下旬に入ったある日。

長かった雪の日々がようやく終わり、

その日は朝からよく晴れて、暖かい日差しが降り注いでいた。

朝、その男子生徒と父親が出かけていった後、

母親が洗濯物を干していると、ふと視界に雪だるまの姿が入る。

雪だるまは、暖かい日差しをまともに浴びて、

その身を眩しく輝かせていた。

「・・・あの雪だるま、このままだと溶けてしまいそうね。

 あの子、雪だるまにあんな願掛けをしていたから、

 志望校に合格する前に雪だるまが溶けてしまったら、

 さぞ悲しむでしょうね。

 何とかできないかしら。」

考え込んだ母親は、ふと洗濯物を見て、ぴーんと閃いた顔になった。

物干し台に手を添えて、ずりずりと移動させていく。

すると、洗濯物を干す場所が変わって、

洗濯物が作る影が、

雪だるまを日差しから覆い隠すような位置関係になったのだった。

母親はエプロンをした腰に手を当てて、えっへんと得意げな顔。

「これなら、お洗濯物の影になるから、

 雪だるまも少しは長持ちするでしょう。

 あの雪だるまには、もう少し元気でいてもらわなきゃね。」

そうして、洗濯物でできた日陰によって、

雪だるまは幾ばくか寿命が伸びたのだった。


 その日の夕方。

母親は財布を手に、幼い弟と話をしていた。

「ママはこれからお夕飯のお買い物に行ってくるから、

 お留守番をお願いね。

 お外には出ないで、お家の中で大人しくしているのよ。

 わかった?」

「うん!」

弟は元気よく頷いて返す。

そうして母親は、幼い弟を家に一人残して、買い物に出かけていった。

残された弟は、

最初こそ母親の言いつけを守って大人しくしていたが、

すぐに暇を持て余して退屈するようになってしまった。

外に遊びに行きたいところだが、母親との約束がある。

窓から外を眺めるにしても、ベランダからの景色は既に飽きてしまった。

何とか他に外の様子を見られないものか。

そう考えた弟は、台所にある踏み台をえっちらおっちら運んで、

少し高い場所にある台所の窓から外の様子を見てみることにした。

試しに踏み台に乗ってみると、

背を伸ばせば何とか外の景色が見えるという状態。

台所の窓からは、家の玄関先の景色が見える。

外はもうすっかり雪が止んでいて、

積もった雪に照り付ける日差しがきらきらと輝いていた。

「お外はもうすっかり晴れてる。

 こんなにお日さまが照って、雪だるまは大丈夫かな。」

頭を傾けて何とか雪だるまの姿を確認する。

すると、雪だるまは日差しの中にいて、その身を溶かしている最中だった。

どうやら日が傾いて、洗濯物の影の位置が変わってしまったようだ。

「大変。

 あれじゃ、雪だるまが溶けちゃう。」

外に出て確認したいところだが、

家の外に出ないようにという母親との約束が頭をよぎる。

兄が願掛けした雪だるまと、母親との約束と、その間での板挟み。

しかし、目の前で溶けていく雪だるまを前に、

黙って見ていることはできなかった。

弟は踏み台から飛び降りると、小走りに玄関へ向かう。

背伸びをして玄関の鍵を外すと、

細く開いた玄関の隙間をすり抜けるようにして、家の外におどり出た。

途端に冬の寒さに襲われる。

日中の日差しでいくらかましになったとはいえ、

ろくに防寒具も用意していない幼い弟の身には堪える寒さだった。

人間には堪える寒さだが、雪だるまにはいささか不十分らしい。

玄関先では、雪だるまがその身を水に変えている最中。

弟はどうにかできないかと、玄関の周囲にまだ残っていた雪を手ですくっては、

溶けゆく雪だるまの体に雪を継ぎ足し継ぎ足ししていった。

手袋も何もない小さな手が、雪の冷たさに凍えて赤くなっていく。

凍える手に息を吹きかけて温めながら、

幼い弟は兄のため、雪だるまに雪を継ぎ足すのだった。


 そうして、弟が雪だるまの補強を粗方終えて家の中に戻ると、

間もなくして母親が買い物から戻ってきたところだった。

雪だるまの姿が不格好に太くなっていることや、

弟の手が赤くなっていることに、

母親は果たして気が付かなかったのか、特に何も言う様子も無い。

掃除や夕飯の準備など家事をこなしている間に日は沈み、

やがて学校と予備校の授業を終えたその男子生徒が家に帰ってきた。

その男子生徒は玄関の扉を開けようとして、

ふと玄関先の雪だるまの姿が目に入って、首をひねってつぶやいた。

「あれ?

 この雪だるま、こんな形だったかな。

 今朝見た時よりも、上が小さくなって下が大きくなったような。

 今日は日中、日が照ってたから、上が溶けただけかな。」

溶けかかった雪だるまの顔は、よく見るとなんだか苦悶の表情にも見える。

この雪だるまが溶ける前に志望校に合格する。

そうでなければ人生終わり。

気まぐれにそんな深刻な願掛けをされてしまって、

雪だるまは苦しかったのかもしれない。

そんな風に感じられたその男子生徒は、

雪だるまの顔に目を合わせないようにして、

そそくさと家の中に入っていった。


 そんなこんながあって、その日の夜遅く。

今度は、家の前まで帰ってきた父親が、

玄関の前に立つ雪だるまを見て足を止めた。

「なんだこりゃ。

 この雪だるま、もう随分と溶けてきてるじゃないか。

 今日の日中は暖かかったからなぁ。

 今、この雪だるまが溶けてしまったら、あの子の願掛けが駄目になってしまう。

 どうにかできないものか。」

溶けかけた雪だるまを何とかしようと、

父親は雪だるまの頭と体を撫でたり擦ったりする。

暗くて分かりにくいが、手触りからして、

雪だるまの体には後から雪が補強されたような感じがした。

下に行くほど太くなって不格好な体型になってしまっている。

父親は口をへの字に曲げた。

「これじゃあ下が太すぎだな。

 冷気は下に降りていくから、

 上の雪玉が小さすぎると溶けやすいんじゃないかな。

 上の雪玉が先に溶けて、その水で下の雪玉も溶かしてしまうんだ。

 もっと上下のバランスを良くして、ここをこうしてこうすれば・・・」

そうして父親は、暗くなった家の玄関先で、

溶けかかった雪だるまに雪を継ぎ足したり押し固めたりしていった。


 翌日の朝。

学校に登校するために玄関を出たその男子生徒は、

雪だるまの姿を見てまたもや立ち尽くした。

昨日、帰宅した時には確かに溶けかかっていたはずの雪だるまが、

朝見るとすっかり綺麗な体になっていたからだった。

その男子生徒は、

父親と母親と幼い弟がお互いに連携して雪だるまを保護していた、

などとは思いもよらなかったので、

まるで雪だるまが生けるしかばねのように思えた。

とはいえ、その男子生徒は弟の様な幼子ではないから、

すぐにおおよその事情を察することができた。

「・・・そうか。

 きっと、父さんと母さんがやったんだな。

 僕が、雪だるまが溶けるまでには志望校に合格する、

 なんて願掛けをしたから、

 雪だるまが溶けないように直したんだろう。

 まったく、それじゃあインチキになってしまうじゃないか。」

厚意も受け取る人によっては悪意にもなる。

その男子生徒は、何だか両親にからかわれているような気がして、

腹を立てて雪だるまを蹴り飛ばした。

蹴り飛ばされた雪だるまは、その体を無様にひしゃげさせて、

悲しそうに瞳をうるませたのだった。


 そんなことがあってから。

その男子生徒の家では、

雪だるまを守ろうとする父親と母親と幼い弟と、

雪だるまを壊してしまおうとするその男子生徒との間で、

静かな戦いが繰り広げられるようになった。

母親は毎日、洗濯物で日陰を作っては雪だるまを直射日光の魔の手から守り、

幼い弟は、日陰から雪を集めてきては雪だるまを補強し、

父親は、夜遅く帰宅しては雪だるまを手直しして雪を押し固めたりした。

そして翌朝、癇癪かんしゃくを起こしたその男子生徒が雪だるまを壊そうとする。

雪だるまは毎日壊されては塗り固められてを繰り返して、

柔らかい雪だった体は、やがて氷のように硬くなっていった。

そうして、今や雪だるまの体は、手で叩いた程度では壊せないどころか、

叩いた手の方が返って傷んでしまう程の氷の塊になっていた。

こうなっては、その男子生徒の癇癪の向かう先が無い。

カチコチの氷の塊になった雪だるまを前にしたその男子生徒は、

自分の気まぐれな願掛けを雪だるまにまで責められているような感じがして、

イライラをつのらせていった。


 そうして、いよいよ明日は入学試験本番となった夜。

成績が上がらないことに悩んでいたその男子生徒は、

とうとう癇癪かんしゃくを我慢できなくなってしまった。

自分が気まぐれにした願掛けが、圧力となって自分に跳ね返ってきた結果だった。

その男子生徒は、台所から塩を持ってきて玄関の外に出ると、

硬くなった雪だるまに向かって投げつけた。

塩には水分が凍りつくのを防ぐ効果がある。

さらには、車庫から本物の凍結防止剤を持ってきて、雪だるまの顔にぶち撒けた。

これならば、いくら凍って固くなった雪だるまでも一溜りも無いだろう。

その男子生徒は肩で息をしながらも、してやったりの表情。

それから、はっと我に返って雪だるまの顔を見る。

自分は怒りに任せてなんてことをしてしまったのだろう。

目の前の雪だるまは、赤い色の凍結防止剤をかけられ見るも無残な姿。

その目がぎょろっとこちらを見たような気がして、

その男子生徒の顔に冷や汗が一筋。

真っ赤な凍結防止剤をかけられた雪だるまは、

まるで血塗ちまみれの死体のような姿に見えたのだった。


 翌朝、入学試験当日。

その男子生徒は、重い体を引きずるようにして玄関から外に姿を現した。

今の成績では、今日の試験に合格するなど夢のまた夢。

それでも試験を受けないことには合格もないのだからと、

嫌がる体に鞭を打つようにして家を出る。

玄関先の雪だるまはどうなったのだろう。

昨夜、怒りに任せてひどいことをしてしまったので、

その姿を直視することは出来なかった。

雪だるまがある方を見ないようにして、上の空で歩き始める。

だから、気がつくことが出来なかった。

昨夜、雪だるまに塩だの凍結防止剤を撒いたせいか、はたまた陽気のせいか、

雨も降っていないのに、足元がずぶ濡れになっていた。

地面が凍結していなくとも、濡れているだけでも十分に滑りやすい。

物の見事に足を取られたその男子生徒は、両足を空転させて体が宙に舞った。

両足が頭上を向き、代わりに頭が地面の方を向く。

後頭部が地面に叩きつけられる。

これは、無事では済まないかもしれない。

受験当日にこんなことになるなんて、何かの罰が当たったんだろうか。

体が地面に着く前の僅かな瞬間に、そんなことが頭をよぎる。

雨や雪で濡れた路面で滑って転んで怪我をした、なんて事故は珍しくもない。

成績も何もかもぱっとしない自分には丁度いい最期だろう。

願掛けした通り、

雪だるまが溶ける前に志望校に合格できなかった自分の人生はここで終わり。

覚悟を決めたその男子生徒だったが、しかしその想像は現実にはならなかった。

したたかに打ち付けられるはずだった後頭部は、

しかし何か柔らかい感触のものに受け止められ、

代わりに首から下が地面に叩きつけられた。

その派手な物音に、玄関から両親と幼い弟が何事かと姿を現す。

「どうした?」

「まあ、大変!転んだのね。

 早く手当しなくちゃ!」

「おにいちゃん、大丈夫?」

しかし、その男子生徒はそれには応えず、

地面に寝そべって空を見上げたままの姿勢で口を開いた。

「・・・なにが、あったんだ?」

転んだことには違いないが、

しかし頭が守られたので大怪我をするのは防げたらしい。

意識ははっきりしているし、頭部に痛みは感じない。

恐る恐る体を動かしてみるが、せいぜい軽い打ち身程度で済んだようだ。

何かが自分を守ってくれた。

心配して駆け寄ってきた家族を手で制して体を起こす。

起こした上半身で後ろを振り返ると、

そこには、体をぐちゃぐちゃに潰された雪だるまが横たわっていた。

昨夜までは確かに氷のように硬くなっていたはずのそれは、

今見てみると、ただの柔らかい雪だるまの姿に戻っていた。

事情を察して幼い弟が声を上げた。

「この雪、雪だるまの体だよね?

 きっと、雪だるまがおにいちゃんを守ってくれたんだ。」

しかし、その男子生徒は即座に否定する。

「まさか、そんなわけがない。

 昨日の夜、確かに僕は凍結防止剤を撒いたはずなんだ。

 この雪についた赤い色は凍結防止剤の色だから間違いない。

 仮に、雪だるまが一晩で溶け切らなかったとしても、

 元々は硬い氷になっていたんだ。

 それが柔らかい雪の体に戻るわけがない。」

転んだその男子生徒の頭を受け止めたのは、雪だるまに違いない。

そのことは、その男子生徒にもよく分かっている。

なぜなら、背後の地面に散らばった雪の塊には、顔があったから。

弟が木の枝だので作った顔が、半分潰れた状態で残っていた。

にわかには信じられないことだが、そうとしか考えられない。

自分を守ってくれたのは、雪だるま。

氷のように固くなっていたはずの雪だるまが、

どういうわけか元の柔らかい雪だるまの姿に戻って、

転倒するその男子生徒を守ってくれたのだった。


 やっと落ち着いたその男子生徒は、

転んで横たわっていた体を地面から起こして立ち上がった。

すぐに両親がその頭や体を触って様子を確かめる。

触られた手足に打ち身の痛みこそあれ、頭などに問題は無いようだった。

しかし、その代わりに、

その男子生徒を受け止めてくれた雪だるまは、

もはや雪だるまの体を成してはいなかった。

ぐちゃぐちゃに潰れた体は溶けかかった雪の塊にしか見えず、

その上に辛うじて残っていた真っ赤な血塗れの頭は、

潰れて半分崩れ落ちてしまっていた。

「お前、僕を守ってくれたのか?

 あんなに酷い事をしたのに。」

その男子生徒の質問に雪だるまは応えない。

それはただの雪だるまだから当たり前なのか、

はたまた、崩れた体ではもう返事をすることもできなかったのか。

その男子生徒は、雪だるまからの返事を諦めて、

代わりに地面に散らばった雪だるまの残骸を手ですくい始めた。

雪だるまの残骸を手で掬っては、崩れかけた顔に塗り固めていく。

それを見ていた両親と幼い弟も意図を理解してくれたようで、

その大きな手と小さな手で手伝ってくれた。

兄と弟と両親と、寒さで手を真っ赤にしながら出来上がったのは、

果たしてそれは雪だるまと呼べるのか、

小さな小さな頭だけの雪だるまだった。

血塗れの頭だけの雪だるまを安全な日陰に移動させて、

その男子生徒はその小さな頭に語りかけた。

「ごめんな。

 もうこれしか雪が残って無くて、体を作ってやることができないんだ。

 でも、顔だけの雪だるまなんてものがあっても良いかもな。

 雪だるまが顔と体の二つの雪玉が無きゃ駄目だとか、

 雪だるまは白くなきゃいけないだとか、

 そんなの決まってないものな。」

そうしてその男子生徒は、凍える手を擦りながら今度こそ出発する。

その後ろ姿を見送る父親と母親と幼い弟と、頭だけの雪だるま。

その四人の表情は、揃って微笑みを浮かべているように見えるのだった。


冬の冷たい雪は溶け去り、

春の陽気がもうすぐそこまで近付いていた。



終わり。


 入学試験の季節なので、受験をテーマにしました。


雪だるまも達磨の一種だと目にしたのですが、

溶けて壊れてしまう雪だるまは縁起が悪くないのかと疑問に思い、

作中では不吉なイメージも連想させる物として扱いました。


男子生徒は大怪我は免れたのですが、もちろん成績は変わりません。

たとえ志望校に合格できなくても春はやって来る。

そのことに気が付くまでの物語でした。


お読み頂きありがとうございました。


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