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言葉を交わすのに口はいらない

作者: 堆烏

久々に彼女に会う.日差しはまだ届かない冬の朝,少し薄暗いけれど朝食の食パンをもそもそと頬張る自分の気持ちは,快晴の下昼間の駅前を想像していた.気もそぞろというやつだ.


彼女とは学生時代から一度もあっていない.仕事は大変だとは噂で聞いてはいるが,そもそも遠すぎて会う気にもなれていなかった.オンラインで繋がることができる現代に感謝をこめながらお湯を沸かす.インスタントのポタージュは朝食によく,合う.


就職してから互いに地元を離れてしまったけれど,そこそこ連絡は取りあっていた.彼女は不満や愚痴を言わない性格なのか,チャットでもいつも元気そうだった.目は口ほどにモノを言うというように,実際に会って表情を見ないと本心は読み取れない.鈍感な僕なんかはその代表で,彼女からのチャットを読むたびに,本当に元気なんだろうかといつも心配してしまう.もちろん,返信にそんなことは書かないけれど.踏み込む勇気もなければ,真意を読み取る力もない.押されては返す暖簾のような自分.


粉末にお湯を注ぐとクリーミィな液体となり,それが冷えた僕の身体を温める.じんわりと身体に染みこむ感覚が心地よい.中に入っているクルトンがまた歯ざわりがよくおいしい.きっと僕の感情は見えやすい.果たして他人からは僕はどう見えているのだろう.


世の中とは,目に見えるものと見えないものに世界が分けれられている節がある.

例えば言葉なんかは得てして目に見えないものの代表として称される.「目に見えない形のないナイフ」と揶揄される例もあるくらい,身近でしかし得体の知れない厄介なものである.食パンの上に乗っているバターはバターナイフというもので掬って塗ったものだが,このナイフではきっと誰も傷つけることはできないだろう.本当のナイフを持ったところで僕は人を切ることなんて到底できない臆病者なんだけども.


僕個人としては男だの女だので区別することは好きではないが,肉体的差からして暴力という手段を取りづらい女性によって,言葉とは必要不可欠の武器であり,男性よりも根深く,強いものがあると思う.幼いころの喧嘩を思い出してほしい.男の子は言葉よりも手が先に出ることがなかったかどうか.女の子同士の言葉を用いた喧嘩は,想像以上に壮絶なものではなかったか.


目に見えないものが飛び交う世界だからこそ,形としては残らないが心には残ってしまう.存在はとても大きい.価値基準を付けづらいのだ.評価しにくいものなのだ.当事者にしか測れないものがそこにはあったりするものなのだ.精神的なものは分析が難しい.食後の珈琲は美味しい.


だから,数年ぶりの彼女からの電話はびっくりした.受話器越しで彼女が第一声に放った言葉「いやぁ,女だけの職場はなかなか地獄だったよ」という言葉も,きっと陰険な言葉によるいじめや差別をすぐ思い浮かべてしまった.きっと男性が考える地獄とは別ベクトルの地獄なのだろうなと.残業が多いとか,上司に殴られるとか,仕事が終わらないとか,そういう地獄しか僕は知らない.人によってはそんなの地獄でもなんでもない,可愛いものかもしれないけれど.


電話から数日後の今日,実際に彼女と会った時,どんな地獄だったか聞いてみようと思った.駅で待ち合わせてランチを食べて,珈琲のおしゃれなお店で愚痴でも聞いてやろうと思った.きっと対面なら僕でも言葉の真意を読み取れるだろうと思った.その頃には朝ご飯後の食器洗いは終わっていた.

手は冷え切っていた.


約束の時間に駅前に向かう.少し周囲が騒がしいのも休日にハメを外したい人が多いからだ.

ストレス社会.目に見えない疲労.若者もガキも大人も人それぞれ自身にしか分からない見えないモノに苦労して乗り越えようとして生きている.


彼女がいた.僕を視認すると大きく手を振っていた.あまりにもオーバーな彼女のリアクションに周りの人は一斉に僕の方を見た.ちょっと恥ずかしかった.

顔を合わせてまた,すぐに彼女は言った.電話越しの声と変わらず,同じトーンで.


「女性だらけの職場も大変だったけど,こっちの仕事も意外と大差ないかも~.」


あれ,転職でもしたのかな,と思った.こっちの仕事ってなんだっけ.

周囲の騒音が絶えない.周りの人は相も変わらず彼女と僕を見つめている.いや,見つめながら悲鳴をあげて逃げている?


よく見ると駅前は血まみれで,彼女の周りに倒れている人の山が積まれている.手にはナイフが数本.


「でも,男の方があっけなかったわ.」


返り血を浴びてなお笑顔の彼女.その笑顔は地元にいた頃の彼女の笑顔と変わらない.

でも,今日の笑顔の真意は僕には読み取れなかった.いや,そもそも僕は昔から彼女の真意を知っていたのだろうか.

彼女の言っていた地獄とはなんだったのか.この眼前に広がる地獄絵図はなんなのか.


説明してくれる人はいない,彼女はゆっくりと僕の方へ向かって歩いてくる.

邪魔な人だかりをめった刺しにして歩いてくる.倒れる人々.叫び逃げるモノ達.


目に見える現実と,目には見えなかった彼女の言葉.世界と意識が混濁していく.泥のように.沼のように.僕にわかることは一つしかなかった.


地獄がそこにあった.

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