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捉えどころのない表情で聞いてくる中込さんに、俺は苦笑寸前の表情を見せた。
基本的に何か居たとしても、生きている人間を何とか出来る霊は殆ど居ない。
精々何か音を立てて脅かす位だ。精気溢れた人間が霊の存在に気付き、その存在を
疎ましく思い、否定すると、殆どの場合霊は退散する。
簡単に言うと「出て行け!」と強く念じればいい。
俺なんかは親父が使える祓いの法を知らないので、甚だ物理的な手法で
駆除する。
どうするか? 声に出して「邪魔だから出て行け!」と叫ぶだけだ。
殆どの場合、これで物理的な現象は起きなくなる。他にも、あの手この手は
用意して有るが、使った事は無い。実の所、俺はホンモノに遭遇した事は
無いのだ。総て、研修期間に本職さんから習った受け売りだったりする。
聞き及ぶところ、しつこく厄介なパターンも存在するので、そんな時は素直に、
出来る人にバトンタッチする事に成っていた。
「大丈夫ですよ。性質が悪いやつの場合には、完全に祓える者が来ます。
実は、こっちで祓いを担当している奴は、昔の友人なんで」
出ても出なくても呼ぶつもりです、というと、中込さんは妙に納得したような
顔をした。
「ココを何とかしてくれという話は、大家さんから直接そちらの……住宅環境
管理課に行ってるんですわ。ウチは事後承諾というか、つい先日、大家さんから
電話がありましてね。今まで、『変な事が有った物件だから、問い合わせが来ても
紹介しないでくれ』なんて言われて、十何年もそのままにしてあったのに……
突然コレですよ」
取り壊して建て直しするよう勧めても、首を縦に振らなかったのに、何故今に
なって? と、思案げな表情を浮べる。ややあって、まあ金銭的な問題かなんか
でしょうな、と自己解決すると、部屋の間取り等の説明を続けた。
「ええと、トイレがこっちで風呂がココ、流石にシャワーは無いです」
説明の課程で、水道ガス電気総て使えるように成っている事、部屋に残って
いるものは好きに使って良い事を告げられる。ウチのマニュアルに沿って、
大家さんが手配したのだろう。もっとも、目にした限り古びた電灯と板間の
ダンボール箱位しか残って無かったが。
「……とまぁ、こんなところですな」
中込さんの立て板を流れるような説明は、五分も掛からず終わった。何処から
出したのか、赤ボールペンで髪の生え際を掻きつつファイルの書類を見詰めている。
「さて、契約書類の作成は事務所に戻ってするとして。一つ聞いときたいんですが
ね」
多少改まった声に、こちらも身構えてしまう。
「今日から、住みますか?」
まじまじと見詰める中込さんに、俺は頷きを持って答えていた。
契約書類の作成は(元々準備してあったという事も有り)スムーズに終わった。
興味津々で、何かと口を挟みたげな若い不動産屋をあしらいながら、手早く書類を
作成していく中込さん。「手続き上、一応やっとか無きゃいけないだけで、本来
なら作んなくても良いんだけどさ」
俺はといえば、言われるまま判子を押し、記入欄に名前を書き、若い不動産屋の
矢継ぎ早な質問に当り障り無く返答するので結構忙しい。
それでも、一時間経たずに契約は完了した。
「はい、お疲れさん。これが部屋の鍵です」
後は、あの部屋で暫く過ごす為の準備をしなければ成らない。
私物はあらかじめ、あのアパート宛で送ってあるので、明日には届くだろう。
取りあえず、今日を何とかすればいい。中込さん達に会釈し席を立とうとして、
ふと、聞き忘れていた事を思い出した。
「そういえば、あの部屋、最後に住んでたのはどんな人なんですか?」
中込さんは少し考え込むと、言い難そうに口を開く。
「ええと、高校生だったかな? 女の子でしたよ」
「どうなりました? やっぱり、直ぐに転居されたんですか?」
「転居……といえば転居ですね」
引っ掛かりの有る言い方をする。促す俺の顔を見て、諦めたように付け加えた。
「入院しましたよ。意識不明で……」
俺は黙ったまま頭を下げると、不動産屋を後にした。
秋の連休も遥か彼方に過ぎ去り、次いで来る筈の冬を前にして、通りを渡る風は
冷たく感じる。その割に過ごし易く感じるのは、頭上に陣取る太陽が、なお精一杯
の陽光で暖かな日だまりを作っているからか。
小春日和という言葉を思い出しつつ、不動産屋の前で携帯を取り出し時刻を
確認する。
丁度、昼を過ぎたところだった。
マナーモードにしていた為、気付かなかったが、着信が幾つか入っている。
相手の番号を見て、確定凶報と暫定吉報が肩を並べてやって来た事を知った。
どちらから処理すべきか?
当分の間、住居となるアパートへ向かいながら、悩んだ挙句、暫定吉報へ先に
掛けた。
「もしもし上川? 俺だけど?」
「僕に孫は居ないぞ」
あー、うん、番号通知したまま携帯に掛けるオレオレ詐欺は居ないと思うんだ。
寒々しいギャグに、久々の電話に対してそれは無いだろうと思う反面、どこか
懐かしく感じるのは友情というものか?
「なんか出るアパートに引っ越しちゃってさぁ、別の部屋に引っ越したいんだよ。
引越し代振り込んでくれよぅ」
振り込んでくれよぅの辺りで既に笑い声になっちゃってるのが、正直者の
証だね。上川もひとしきり笑い声を上げた後、穏やかな口調で返してくれる。
「久しぶりだね、緒方」
「電話で話すのも数年ぶりか?」
「そうだっけ」
俺は自分の口元に笑みが漏れるのを感じつつ、ゆっくりした足取りでアパートへ
向かう市道を戻っていった。
上川健吾とは、幼稚園時代からの付合いだ。元々、祓いの家系だった上川の
親父さんと、ウチの親に付き合いが有り、その縁で小さい頃から一緒に遊んでいた。
健吾は、まん丸顔に大きな瞳が可愛らしい、とか何とか言われ、妙に大人受けして
いたっけ。
そういや、もう一人仲の良かった子が居たな。その子もふくめ小学校低学年まで
は、よくトリオで遊んでいた。
ウチの親が祓いを公務員として請け負うように成り、その関係で東京に引越し
た後は、流石に、そんな風には遊べなくなった。
もっとも、上川の所が地元に根ざした祓い屋として家業を続けていた所為も
有り、家同士の付き合いは続いている。
上川本人も祓い屋として、神儀局から業務委託を受けるまでに成長しいた。
なので、今回は色々と手助けしてもらう事に成っている。
成っている、のだが……。
「しかしまぁ、君が祓いの為に戻ってくる事に成るとはね」
「一応、さっき見てきたが、昼間っから出る、とかそんな事は無さそうだ。
でな、明日辺りお前の目で見て欲しいんだが?」
「うん、それは断る!」
上川は俺の申し入れを、にこやか、かつ断固とした口調で拒否しやがった。
「おい、まさかお前、まだ駄目なのか?」
「だって怖いの嫌じゃんっ。絶対視なきゃいけない祓いモノ以外、僕は視たく
ないっ!」
心の底から崩れ落ちそうに成る。そう、有望な若手祓い屋、上川健吾は幼稚園の
頃から、お化け云々が全く駄目な奴だったのだ。その辺は俺や、トリオのもう一人
の方(確か女の子だったが)が、返って大丈夫だった位である。
それでいて、祓い屋としての腕はかなり良いから始末に負えない。
なだめすかして現場に連れて行き、恐怖で半狂乱になった上川が一気に祓う、
というやり方で祓っているらしいのだが。
一緒に仕事した事がある俺の上役が、愚痴交じりに言っていた。
『イヤボーン作戦』だか何だか名付けていたような。
もちろん、付合いが長い俺としては、親友に過度の負担を強いるのは
心苦しいので、彼の意を丁重に汲んだ上、みんな(主に俺)が幸せになる方法を
用いる。
「解った。んじゃ、ウチの引越し先の掃除だけ手伝ってくれ」
「君、僕を馬鹿だと思っているだろ? 引越し先イコール今回の現場だろうが」
「チガウヨー、今回は自分が住む為のアパートを別に借りているんだヨー」
「嘘付け」
「デモ、経費が限られてるカラ、むっちゃボロいアパートしか借りれなかったんだヨウ」
「騙してるだろ」
「メッソウもゴザイマセヌ」
上川はしばらく考えていたようだが、ため息混じりに返答した。
「解った、行くよ。詳しい場所はメールしといてくれ」
うん、俺は演技派俳優として食っていけるかもしれぬ。
だが何より、きちんと礼はしなければな。
「とっつぁんっ、すまね」
「緒方……手垢って言葉、知ってるか?」
ネタを続けるのも何なので、精一杯感謝しつつ電話を切る。
これで少なくとも、引越し荷物の荷解きや掃除を手伝ってくれる人手を確保
出来た。仮に今晩、俺の手に負えない何かが出ても、明日になれば何とか出来る。
もちろん、終わった後の上川を宥めるのは面倒だが。
電話を終えた頃には、アパートへ続く私道の入り口近くまで来ていた。
近所に有るというコンビニを探しに行くかどうか迷い、そういや暇潰しに成り
そうなものが携帯しか無いんだよな、と思い出す。
駅一つ分離れた繁華街まで出向くべきかどうか考える。そうなると今歩いて
来た道を逆戻りする事に成る訳で、それって本日何往復目になるのやら。さて、
其処からは往復に費やした労力と、今晩一晩の無限暇地獄とのバータ取引が
どの程度の効率になるか? と、考え始めているのは、時間が有る証拠だな。
不動産屋方面に続く道と、スキップ一分程度で辿り着ける古びた我が家
(暫定)への私道を見比べ、天の神様こと、おてんとうさんの顔色を伺い、結局
俺は今日三往復目の第一歩となる駅方面に旅立った。
十分程待って、やって来た下り電車に乗り、一駅分戻る。
隣駅の前の道は結構店が並んでおり、ちょっとした商店街に成っていた。
おのぼりさん宜しくキョロキョロ見て回り、本屋を見つけて暇潰しの材料を
買い求める。こちらに来る前の荷造りの際、うっかりして携帯ゲーム機を宅急便の
ダンボールに突っ込まなければ、こんな手間を取る事は無かったんだが。
余り吟味せず推理小説と雑誌を買い込み、代金を支払う辺りで昼食がまだだった
事を思い出す。
折角ココまで来たんだ。目の前に有るファーストフード店で、ちょっとした
腹ごしらえをしておこう。
定番セットメニューを頼み、二階席に上がると、そこそこ混んでいる。
ガラス面に有る一人用シートを確保すると、買ってきた本を端に置いて
遅い昼飯を食べ始めた。
段重ねの数が有っても、ぺそっとした感じに見えるハンバーガーに齧り付き、
ポテトを口に放り込む。咀嚼しながら何気なく携帯を見て、俺は完全に
固まった。
そういやもう一件、連絡しなければ成らない所が御座いましてよ奥様。
うん、すっかり忘れていた確定凶報。
相手の事を考えると、心の中が色々な意味でパニック状態だわ。
先ず落ち着いてすべき事は、冷め始めているハンバーガーとポテトを可及的
速やかに美味しく頂く事であり、次いで一服の清涼剤と成りえる炭酸飲料を
ストローで最後の一滴まで飲み尽くす事である。というか、落ち着け、俺。
猛烈な勢いでポテトとハンバーガーを胃の中に流し込む最中も、携帯をチラチラ
見てしまう辺りが、ああ、自分も社会の歯車に組み込まれている証左なので
あるなぁ、なんて思っている場合ではない。
行儀悪く音を立ててコーラを飲み干し、プラのフタを開けてクラッシュアイスを
噛み砕くと、ようやく電話する踏ん切りがついた。
店を出ると、人通りの多い歩道を避け、駅前駐輪場辺りに移動する。
携帯を取り出し、住宅環境管理課のメモリーを選択した。
繋がると同時に腹に力を入れて、大きく深呼吸する。
「あ、もしもし、一条さん? 俺ですけど」
「あぁ? アタシに孫は居ないわよ」
……祓い屋に流行ってんのか? この返し方。それはさて置き、電話口から
聞こえる直属の上司、一条主任の声が冷たく聞こえるのは、今頬を撫でた
冷たい風のせいばかりではないだろう。
デスクに座って足を組んだ姿で、電話を受ける主任の姿が目に浮かぶね。
微妙にキツイ性格(多少柔らかめに表現してみました)が、綺麗な顔に
相乗効果をもたらし、効果二倍って感じのクールビューティー。スタイルも
それに即して見事なもんだ。
更に『仕事も出来る女』とくればもう、どこのTVドラマ主人公ですか?
って感じだが、仕事に対する豪腕っぷりより、けしからんサイズの胸ばかり思い
出せるのは、俺自身の問題というより、健全男子の一般的特徴であろう。うん、
そうに違いない。違いないから、とっとと何とかして誤魔化さねば。というか、
上手く切り抜ける方法を考えついてくれなさい、俺の脳細胞。
「あの、その」
「御免なさいは?」
てへっ、不自然な位優しく聞こえるのに、氷点下という言葉しか浮かばない
のは、何故だろうね? 等と思う心に、脳のシナプスは精一杯迅速に対処して
くれる。
道行く人の目が有る事も気にせず、俺は見えない相手に向かって全速で頭を
下げていた。