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「だから、パスワードはビデオに取っとこうって言ったんですよっ」
寝ぼけたような上川の声が響く。どうやら、コイツも無事みたいだな。
主任は上川の具合を確かめると、ゲーム機の電源を落とした。
主任、如月さんのパスワードはまだなんじゃ?
「携帯に入っていた回帰呪法のパスワードは、三人分だけだった」
一条主任は硬い表情で、俺に携帯を手渡した。それってどういう……。
掻い摘んで状況を説明する、そう言って、一条主任は顛末を聞かせてくれた。
如月さん自らの封じ込めは、本人と祓いモノとの融合が進行し、限界に達して
いたそうだ。完全融合されると、如月さん本人の肉体が寄り代と成り、場に
縛られる事無く活動できる可能性が高い。
故に、魂と肉体の乖離(違和感とか言われたな)をもたらす様、如月さんの
肉体が強化(むっちりしたって事だ)された。その上で、局内で
シミュレーションやら易やら、多角検討を重ねた結果、一番成功の望める策が
実行された。一番高い策が、俺達だったってのが意外だが。
主任が出雲に向かったのは、今回の事態(如月さんが祓いモノの影響を
受けている)が予測されていたからだった。力を総合して発動出来る所で無いと、
結界空間への連絡や干渉は不可能。そこで、出雲の大社経由で、集まった貴き
方々に助力を請い、式を使った広範囲の祓い(やっこさんが光ったアレだ)を
実行。
後は中の俺に情報を与え、総てを任せた。
呪法等に特化した一条主任が俺達と一緒に突入した場合、祓いモノの行動が
予測を逸脱する可能性が有った為、止む無くこの手段を取った。そして、こちら
へトンボ返りする列車の中で、如月さんからのメールを受信。
夜半前に俺のアパートへ到着し、仮死状態のように成っている全員を回収、
病院まで搬送した。
「で、たった今、如月さんの残したパスワードを使って、アンタ達の意識を
体に戻した」
仮面のように表情が無いまま、主任は事務的に話し終える。
「如月術師からのメール、読んでみろ」
コーヒーを取ってくる、そう言い残し、主任は部屋を出て行った。
俺は、震える手で携帯のメールを開く。件名すらない、パスワードを含む
長文のメールが狭い液晶画面にビッシリ並んだ。
『ごめ一条 手イッパイ パスまかせる』
その後に、俺達の命を繋いだ不規則な文字列が延々続く。スクロールさせた
最後の最後にスペースを空けて、一言書いてあった。
『てつろう かみかわっち まこっちゃん ごめん
携帯きしゅけんとうかい いけな』
最後の一文に、俺は奥歯を強く噛み締めた。
何だよそれ、大丈夫って大見得切ってたじゃん。ゲーム機も買いに行くって、
言ったじゃんか。完全復活したって、そう言ったのに。
携帯画面が滲むのは、何でだろうね?
「テツロー……」
鮎川の気遣わしげな声に、俺は思わずおちゃらけて答える。
「如月さん、まともに文字打てないんでやんの。だったらさ、俺が横で
打った方がよっぽど速かったんじゃネーノ?」
うわ、自分でも顔が引き攣ってるのが解るわ。取り繕ってヘラヘラした顔を
しながら、俺は鮎川の顔を見れなくて、俯いたまま携帯画面を何度も何度も
見返した。
後悔する位なら、やった方が良いって良く言われる。だけど、何をやっても
どうしようも無かった時、どう後悔すれば良いんだろう?
自責とも後悔とも取れない、怒りに近い感情で、俺は力一杯携帯を
握りしめた。
パッと、涙で歪んで見える液晶面のバックライトが点灯する。握りしめた
際、間違って何処かのボタンを押しちゃったか。次いで、着信音が
けたたましく鳴り響いた。
こういう、めげてる時に携帯掛かってくるのは最悪だな。
余りの空気の読めなさっぷりに、一瞬ガチャ切りしそうに成るも、一応
出たのは気持ちを落ち着かせたかったからだろう。
「はい?」
かなり刺々しい俺の声に、電話の相手は屈託無く声を張り上げた。
「よーっ生還できたか、テツロウッ。他の二人は大丈夫?」
はい? さっきのハイとは明らかに声の調子が変ってしまう。俺は恐る恐る
携帯の液晶画面を見た。
如月さんの、アニメ調のグラフィックがピコピコ動いていた。
「いやその、ホンモノの如月さん?」
俺は鼻声を悟られぬよう、必死に声の抑揚を抑える。
「おうっ、本物も本物、リアル如月だぜいっ」
アニメ如月さんは、ニッコリ笑って親指を立てた。
俺の妙な電話を不審に思ったのか、鮎川がこちらに来る。
「テツロー、どうしたの? ……ええっ!?」
ここまで驚いた鮎川の顔を見るのは、久々な気がする。騒ぎを聞きつけた
上川は、液晶に驚いた後、「一条さんに知らせてくるっ」と、部屋を
飛び出して行った。
それにしても。
「でっでも、どうやってあそこから脱出したんですか?」
如月さんはアニメ顔のまま、ニヒルな表情を浮べるという、離れ業を
やってのけた。
「呪法を使ったパスワードでは、時間的に三人記録するのが精一杯だったの。
ボタン小さくて打ち辛いし。
一時は真面目に、『ココは俺に任せて先に行け!』な気分だったのよ」
真面目な語り口と、忙しなく変化する可愛らしいアニメグラフィックが、
全然マッチしてないな。
「だけど、メール送信準備が整った瞬間に気付いたね。あたし、魂だけなら
携帯内に入れるじゃんって。知ってるでしょ? で、大慌てで自分の魂を
分ける呪法用意して、空間が完全崩壊する瞬間に肉体は下へダイブ。
魂は携帯にダイブして、自己データを容量が有る色々なトコに分割転送
したの。もちろん、皆の呪法パスのメールも一緒にね」
「体に、コッチに帰って来れるんですか?」
「今、転送した分割データの結合やってるから、暫くすれば元に戻れるわ」
言い終わる頃には、あの、画像補正が掛かった霊如月さんモードのCGに
変化している。
もっとも、今回は今現在のむっちりさんな姿だったが。
「良かった。おねいちゃん戻って、本当に良かった……」
横で聞いていた鮎川は、俺の携帯にすがり付き、ただただ泣き崩れる。
「ごめんね、まこっちゃん。何度も心配させて」
「いいの。心配なんて、戻ってくれたから」
声にならない鮎川の嗚咽が、それでもハッキリ解るっていうのは、俺の
気持ちも同じだって事だろう。俺は……そんな事は言えないな。
「変に心配させないで下さいよ。まったく」
精一杯の憎まれ口を叩いておく。
「おいおい、ボーイッ。涙の跡も消さずに、強がり言っても可愛いだけ
だぜっ」
ぐわ、何で液晶越しにコッチの顔が解るんだ?
「解るってっ! 何より……今は自分の目で見てるからね」
勝気で、それでいて優しく感じるあの声が、室内に響く。
ベッドから上半身起こした如月さんは、満面の笑みを浮かべてこちらを
見ている。
「おかえりなさいっ」
飛び込んで行った鮎川を、如月さんは両手を広げて抱き止めていた。
「ただいま」
どうやら今夜は、携帯機種検討会で更けていきそうだな。
俺はそう思いながら、鮎川と如月さんの抱擁をいつまでも眺めていた。
十数年振りに、一つの事件が解決した。と書くと、なにやら壮大な
ストーリーっぽく感じてしまうが、祓い鎮めの世界では十年なんて一瞬と
同じらしい。
総てが終わった後、俺は如月さんの携帯機種購入検討会を途中で抜け出し、
親父に電話を掛けた。一つだけ、確かめたい事が有ったからだ。
「もしもし、親父? 俺だけど」
「私に、徹郎なんて息子は居ないぞ」
どっからどう突っ込んで良いやら。中途半端に齧った知識で、流行りネタに
のらない方が良いと思うぞ、親父。それはさて置き。
「俺がココに来た時、くれたメールなんだけど」
何と続けて良いか言葉に詰った俺へ、親父は穏やかな声で答えてくれた。
「私はただ、その時期が来た事を知らせただけだよ。お前自身が、十数年
待っていた事なのだから。こうして電話が有ったという事は、総てが
上手くいった証拠だろう?」
「ああ」
「実は、まだ話してない事がある」
「な、何だよ突然」
親父の多少改まった声に、少し緊張しながら続きを促がす。
「お前には、ある能力があるんだが、気付いているか?」
能力……まさか祓い屋としての能力が俺にも有ったのか? その御蔭で、
ゲームソフトを引き抜いた時にアレを祓う事が……
「それは無いな」
親父のアッサリした返答に、多少腰砕け気味になる。
「お前は『事体を矮小化する能力』を持っているんだよ」
「矮小化?」
思わず、聞き返してしまった。
今回の一件、本当なら神議局全体、それどころか払いに関る者、組織を
総動員して当ってもおかしくない重大案件だった。それを、この程度
(親父談)に収める事が出来たのは、俺の能力が発動された結果なんだ
そうだ。それでも、十分ヒドイ目に遭った気がするが、本当なら
それどころじゃない状況に陥ってたって事かね?
凄いような凄くないような、もう少し所有者が実感の湧く能力の方が
有り難かった気がするな。
「実感? そうだな……案件に関り始めたタイミングで、お前は日常起こり得る
些細なヒドイ目に色々と遭っている筈だ。事前フィードバックとでも言うべきか、
祟られ業と言うべきか。絡んだ事態の持つ『力』とでも言うべきモノを小出しに
総て引き受ける事で、事態が矮小化されていくんだよ。例えば、タンスの角に
足の小指をぶつけるとか」
そう言われて、もはや遠い思い出と成り掛かっていた初日のドタバタが
鮮明に思い出された。そういう事だったのか。重大案件のフィードバックを、
あの程度(と、当事者の俺は呼びたくないが)の些細(いやいやそうか?)な
災難連打で切り抜けられるなら、結構凄い事かもしれない。
うん、そう思っておこう。そうしないと、やってられん(涙)。
多少げんなりした俺に、親父は穏やかな調子で付け加えた。
「まあ、今後とも頑張れ」
俺が初めて体験した、そして、実は最初から最後まで関っていた、
この案件(正式な呼称が未だ決まってないので、何とも呼び難い)は、
如月咲美の帰還をもって、一件落着と相成った。
バイトの予定期間が過ぎ、その件で中込不動産に出向いた際、当り障り無く
その辺を話すと「ああ、ようやく解決しましたか」なんて言われる。
その時言われてビックリしたが、あのおっさん、子供の頃の俺をアパート
周辺で何度も見掛けてたらしい。
「だから、この前ウチ(不動産)で会った時、おや? って思いましてね」
道理で訳知りな感じに思える筈だ。ついでに、俺や上川の親父さん達とも、
面識が有るそうだ。なんかコッチに来てから、全くの他人に会ってない
ような気がするぞ。
上川は、今回の件で清め塩BB弾の有効性を実感したらしく、大量産
するよう神儀局に働きかけている。一条主任も、後押ししてくれている
そうだ。
「自分が祓いモノに接近せず、確実に対処できるなんて最高じゃぁ
ないか!」
そうか。個人的には、さっさと霊現象その他に対する本人の恐怖心を
何とかした方が、手っ取り早いと思うんだが。
「うん、それは御免こうむる」
将来有望な祓い屋能力が泣いてるぞ。
一条主任は、相変わらずパワハラ紛いのやり方で仕事を回してくる。
そういえば、如月さんが再生還したあの日、一条さんは扉の影で泣いて
いたそうだ。始めは悲痛から。次いで、嬉し泣きで。呼びに行って鬼の霍乱を
目撃した上川は、キツく口止めされていたのか、中々口を割らなかった。
聞いてしまった今では、俺の中で一条主任の印象が微妙に変っている。
もちろん、下手な事を口走って我が身を危うくする様な事は、
しゃかいじん(バイトだけどさ)いちねんせいとしてぜったいやりません。
鮎川は、相変らず鮎川だ。
「なんじゃそりゃぁっ」
いつも通り屈託無く笑い、遊び、俺達を和ませてくれる。
隣駅周辺の面白スポットを色々紹介してくれて、一緒に遊びまわった際も、
漢前感溢れる言動を絶賛放映中で見せていた。相変らず上川の手伝いも
続けているので、あしらいがドンドン上手くなっている様子である。
ただ、如月さんとセットに成った時の破壊力がハンパ無いので、其処だけは
注意が必要だと、シミジミ実感している。つい先日も、俺の名前が正式に
エロロウ認定されそうに成って心底困った。
あの時の如月さんは色っぽい格好だったな、と、至極真っ当な感想を
述べただけなのに。
「ほんまこの子はエロロウだよっ恐ろしい。エロまっしぐらだよっ」
何だそれは。
そうそう、俺達とゲーム対戦した黒猫は、迷い猫として無事飼い主の下に
戻ったのだが、程無くして鮎川家の居候となっている。
飼い主に断りを入れた上でのFA移籍だとか何とか鮎川は言うのだが、
どこまで本当やら。黒猫が喋る事は流石にもう無いが、鮎川に良く懐いて
いて、今でもゲームをやっているとコントローラーにじゃれて来るそうだ。
俺が遊びに行った時は、思いっきり威嚇されたが。
十数年の眠りから醒めた如月さんは、暫くのリハビリ期間を経て、すっかり
今の時代に馴染んでいる。戸籍も作成し直し、新たな人生を歩む事と成った。
その辺、俺的には色々と思う所が有ったんだが、まぁいいだろう。
慎重な検討の末入手した、携帯のキータッチは俺より数段速くなってるし、
念願だったゲーム機も入手して、ご満悦だ。
「ブランクを取り戻すべく、遊びまくらねば成らんのじゃよ、テツロウッ」
そう言いながら、薄くなって夜な夜な部屋に遊びに来るのは勘弁して
もらいたい。勿論、薄いってのは透けて見えるって方だぞ。
今は神儀局に仮採用され、かつての家庭用ゲーム機を使った呪法から、
物理的な祓いの法へシフトすべく、修行中だ。それって、やっこさん使った
例のアレかね?
「携帯ゲーム機で呪法組めないか考えたが、投げっ放しジャーマンの方が
威力有ると気付いたのじゃよっ。後、携帯電話が色々と便利だしな」
無茶苦茶不穏当な笑みを浮べていたので、成るべく関り合いに成らない様、
注意している次第である。
で、俺はと言えば。
あの案件以降も神儀局でのバイトを続けている。というか、数十万の借金を
若い身空で背負ってしまったので、当分、バイトを続けるしかない。
如月さんが復活する際、各所にメールした分割データの転送量が半端無く、
携帯の割引プランを一切導入してなかった俺は、翌月の請求書を見て目玉が
飛び出す結果と成った。
「いやー、移動電話の手紙って、スッゴクお金掛かるんだね、メンゴメンゴッ!」
今更そんな事言われてもな。つか、如月さん。貴方は携帯契約する際に、
最大限安くなるよう、様々なプランを組み合わせていませんでしたか?
あと、移動電話言うな。
結局、一条主任に建替えて貰う形で支払いを済ませ、以後、俺は益々主任に
頭が上がらなく成っている。今日も今日とて、一地方都市の該当案件再確認
の為、転校して来た所だ。
クラスの担任に促がされ、俺は壇上から一歩前に出る。
転校生への好奇の視線は、何処でも変らない。三十数人の新しい
クラスメイトの顔を、さらっと眺めると、せいぜいハキハキ聞こえるように
確り声を張り上げた。
「東京から来ました、緒方徹郎です。宜しくお願いします」
次いで、凛とした美声が響く。
「同じく、東京から来ました、緒方咲美です。テツロウの姉に成ります。
宜しく」
すました顔でそう言う如月さんを横目で見ながら、あー、俺また
クラスメイトから弄られるな、と確信する。
ほら、早速驚愕の視線で見ている女子が居るぞ。
「エロロウだよ、やはり奴はトンだエロカップルだよっ恐ろしい!」
エロ言うな鮎川。あと上川、本気で「姉弟だったのかっ!?」って
顔しないでくれ。
俺と如月さん(じゃないか、咲美姉さん)に与えられた今回の任務は、
過去祓いが行われた物件に一定期間住み、祓いが確実に終了したかどうかの
確認を行うべく、長期滞在するというものだ。
その間、地域の『その他不可思議案件』も、名目上は「出向」として、
俺達が担当する事に成っている。
ウインクして指示された席へと向かう咲美姉さん(公式設定)の後姿を
見ながら、俺は違う事を考えていた。
『202号室と、203号室、どっちに住むのが俺にとって安全だろう?』
上の空で第一歩を踏み出す。
『ブツンッ!』
……千切れたよ、ズボンのベルトが。
--完--