1話 変わらない日常
ジリリリリリリリリリリ
目覚まし時計は自らの役目を果たすために鳴り響く。
目覚まし時計は持ち主がいるからこそ目覚まし時計なのであり、スマートフォンにその役割を奪われつつある現代において、このレトロな目覚まし時計は幸せ者であると言えるだろう。
鳴り響く音は緋空侑斗の右手によって止められ、目覚まし時計は明日に備えて針を進める。
侑斗はそのまま片手でカーテンを開けて日光を浴び、強制的に目を覚まさせる。
「んん…、ぐぅ」
まだ眠れという心情を理性で跳ね除け、身体を起こして活動を始める。
昨日の晩飯をレンジで3分、その間に顔を洗って髪を整えトイレに行く。
これがもっとも時間効率が良い。
テレビをつけて
「いただきます」
今日は晴れるということを確認する。
「ごちそうさまでした」
ワイシャツ、スラックス、ブレザー、そして歩きながらあらかじめ結んであるネクタイを頭から通して締める。
洗面所の鏡でネクタイを少し確認した後、机の隣のかばんを拾ったら背負って玄関へ行く。
「いってきます」
たとえ家に誰もいなくても、応える声がなかったとしてもこの言葉はなんとなく言っておきたいのだ。
学校につくと唐突に背後から肩を組まれた。
俺の知り合いでこういうことをするやつは1人しかいない。
「よっ、侑斗。相変わらずギリギリだな」
ほら、やっぱりそうだ。
「ナツ、なんだってギリギリは俺のモットーだからな」
こいつは小野瀬夏樹、俺はナツと呼んでいる。
「それ、別に誇れることでもなんでもないぜ」
「そうだよ、侑斗君はもっとギリギリを攻めるべきだよ」
俺とナツが話しているのを見て便乗してきたこいつは智中玲。
茶髪だからどこから見てもすぐに分かる。
「なんでわざわざリスク背負ってまで攻めなきゃなんねーんだよ」
俺には容易に遅刻できない理由があるから決してそんな危ない橋なんぞ渡れやしない。
「リスクはより自分に近い方がスリリングで楽しいっていうし、そもそも遅刻の1回や2回くらい普通は大したことないからだよ?」
玲、お前俺の事情分かって言ってるだろ!
「お前ら時間だぞー。“自分の席”に座れー」
教室に入ってきた先生の一声で塊を作っていた生徒たちはゾロゾロと自分の席に戻っていく。
もちろん俺たちも同じだ。
「おい、そこらへんの女子たちの席が毎回微妙に変わってるの気づいてっからなー」
バレてたーとかやっぱりーとかいった声が聞こえてくる。
何やってんねん。
「おっ、緋空がちゃんと来てるなー」
くっ、これだよ!
俺が容易に遅刻できない理由はここにある。
俺は遅刻常習犯というイメージがクラス中に染み渡ってしまっているのだ。
俺はなんとかこれを払拭したいのだが現実は非情である。
「最近はちゃんと来てますよ!」
「確かに最近はちゃんと来てるな。続けろよー。」
少しはイメージアップできたと願いたい。
「お前らもう高1なんだからシャキッとしろって藤木先生が言ってたぞー」
うわでた、厳しくてうるさいことで有名な社会科の先生だ。
「青春だから大丈夫でーす」
先生の言葉に女子が答えた。
「じゃあ、まあ仕方ないか」
許された。
「はい、じゃあ始めるぞー。いない人いるか?いないな?今日は昼から……」
こうして今日という1日が始まる。
いつもと変わらない日常が俺たちの時間を進めるのだ。
「ふぅ、疲れた」
日が完全に沈んだ頃、侑斗はバイト先から帰宅中である。
ほどよく冷たい夜風が今の侑斗には心地よい。
無駄に明るい満月が今日という一日の終わりを告げている。
あとは風呂入って飯食ってゲームして寝る。
昨日までと何も変わらない日常だ。
ただし少しありえないことが起きていた。
「なんだあれ?」
なんと家の駐車場に見知らぬ車が停まっているではないか。
停めるところがないからって人の家に停めるのはDQNすぎないか?
車に近づくと中から白衣を着たおじさんが出てきた。
見た目は60代後半といったところか、髪は完全に白い。
ゲルマン系の顔つきで蒼い瞳がこちらをしっかりと捉えている。
不覚にも不審者に対してかっこいいなんて思ってしまった。
「君が緋空侑斗かね?」
⁉︎
なんで俺の名前を知ってるんだ?
とはいえこんなに怪しい人にまともに答えを返すわけがないでしょ。
「いえ、人違いかと。それよりもここは私の家なのですが」
白衣の不審者は侑斗の話を完全に無視して懐から1枚の写真を取り出した。
!!?
俺は驚きと動揺を隠しきれなかった。
「ふむ、ではこの人を知っているかね?」
写真に写っていたのは侑斗本人だったのだ。
俺の個人情報が完全に掴まれている!
なんで⁉︎
ツイッターはやってるけど本名なんて載せてないし、個人を特定できるような投稿もしたことないぞ!
白衣のやばい人がニヤリと笑って言った。
「少なくとも君は知っていなきゃおかしいわけだがの」
こいつ最初から俺が緋空侑斗本人だって分かって話してやがったな⁉︎
恐怖心が芽生え始めたが、どうしてもこれだけは聞いておく必要がある。
「どうしてそんなにいろいろ知ってるんです?」
「些細な問題じゃ、気にするな。そんなことよりわしの質問に答えてもらうぞ」
こいつ!
俺にとって一番重要な問題を些細な問題で片付けやがった!
そのくせ‘質問に答えてもらう’とか!
少しイライラしてきた。
「何が聞きたいんです!?」
俺はこの質問に後悔しているかもしれないし後悔していないかもしれない。
今思えば博士は俺の質問にはいつも答えてくれていた。
それは今回も変わらない。
「ふむ、簡単なことじゃ。」
「君は…」
白衣の人は少し間をおいてから初めて俺の質問にちゃんと答えた。
「美少女になって戦いたいと思ったことはあるかね?」
夜風が身体を冷やしていく。
月は相変わらず輝きをはなっている。
今日という一日はまだ終わりそうにない。