金の日記帳
金の貴公子の過去の短編物語です。
少し、あの人の話をしようかと思う。
俺にとって、永遠に忘れる事の出来ない人の話を・・・・。
俺は、もう千年の時を生きている。
一体どれだけの多くの人が俺の前を通り過ぎていったのか、判らない。
其れは余りに膨大な数で、時の忘却と共に俺の中から消えていく。
それでも決して忘れる事のない人が居る。
おそらく俺は、あの人に出逢って初めて、本当に「生きて」いたのだろうと思う。
あの人と過ごした百七十年は、俺に多大なる人生の豊富を与えてくれた。
あの人と出逢ったのは、ゼルシェン大陸から海を越えた小国の都プラハの、或る夜会だった。
当時、俺は八百歳を回っていて、相変わらずヒモの生活を続けていた。
金髪の俺は異種として見られる事は殆どなく、
持ち前の容姿と唯一得意とする語学の物覚えの良さで、裕福な貴婦人たちの屋敷を棲み渡り、
何一つ不自由無く生きていた。
付き合っている女に飽きれば直ぐに別の女宅へ転がり込み、国と云う国を渡り、
根無し草の生活をだらだらと八百年以上も続けていた。
今思えば、俺は物凄く人生を舐めていたんだと思う。
其れを俺に気付かせてくれたのは・・・・あの人だった。
俺が或る実業家の夫人宅に棲みついている頃だった。
夫人の旦那は数ヶ月ごとにしか屋敷に帰らず、其れを良い事に俺は夫人と付き合い、
ヒモとなっていた。
夫人は、よく俺を夜会に付き合わせては、周りに自慢していた。
自分で言うのも何だが、容姿のいい俺を連れているのが夫人は気分が良かったのだ。
そして此の日の夜も俺は夫人に連れられて、夜会に出席していた。
普段は、せいぜい中流貴族や成り金の夜遊び好きが集まる程度の夜会だったが、此の日は、
ちょっと違った。
プラハの領主夫妻が参加していたのだ。
領主夫妻が夜会に来るとあって、サロンには、いつもの倍以上の紳士淑女で溢れていた。
更に領主夫妻が特別ゲストを連れて来るとの事で、皆、強い関心を持っていたが、俺には別段、
興味の無い話だった。
どうせ何処ぞの王族の縁の者とかだろう。
何かとごまを擂って利益を得たい金持ちと違って、ヒモの俺には、どんな高位の者だろうと、
どうでも良かった。
間も無くして会場に領主夫妻が現れると、一気に其の場がざわついた。
「領主様だわ。領主様が来られたわ」
「御客人とは、どの様な方なのかしら??」
会場の視線を一心に浴び、ビリジアンの正装に焦げ茶色のカールした髭を撫で乍ら、
領主の男がゴホンと咳払いをした。
「いやー、皆の者、今日は、よく集まってくれた。実は今日は、皆に紹介したい者が居るんじゃよ」
領主夫妻は二手に分かれると、其の後ろに立っていた者を間に紹介する。
「ゼルシェン大陸の異種殿の、夏風の貴婦人殿と翡翠の貴公子殿だ」
現れたのは、スカイブルーのドレスを着た女と、黒い軍服を着た男だった。
「おお!!」
「まあぁ!!」
「凄いわ!!」
「まああ!! 素敵!!」
会場に一気に歓声が湧く。
そんな五月蠅い奴等に、俺は一人、ふん!! と鼻を鳴らす。
ゼルシェン大陸の高位の者とは云え、見ず知らずの遠地の者に、
よくそんな溜め息混じりの歓声を上げられるものだ。
そう思って俺は馬鹿馬鹿しくなったが、直ぐに会場の其の声の意味を知った。
其処に居たのは、只の人ではなかった。
いや、人間ではなかった・・・・。
夏風の貴婦人と呼ばれた女は、まるで夏の太陽の様に輝く橙銀の髪に橙の瞳の女で、
翡翠の貴公子と呼ばれた男は、煌めく翡翠の髪に翡翠の瞳の男だった。
明らかに染めたものではない輝く髪・・・・そう、異種だった。
俺は思わず二人を見詰めてしまった。
初めてだった。
同族に出逢ったのは・・・・。
それに翡翠の髪の男の方は、未だかつて見た事のない美しい顔立ちだった。
色白で上品な顔立ちに、すらりとした細い身体付き。
絶世の美男と云う言葉が其のまま当て填まる、目を瞠る程の美しい男だ。
此れが同族??
異種とは、こんなにも美しい者だったのか。
だが感じる・・・・自分と同じ存在なのだと。
そう俺の本能が告げている。
俺は遠目に、二人の異種をじっと見た。
女の方は取り巻く男女に、終始笑顔で対応している。
だが目元が強く、気が強そうだ。
美人だが、俺のタイプじゃない。
しかし一体どうして、態々ゼルシェン大陸から来たんだろう??
いや・・・・異種の布教の為に態々来たのか。
此のプラハは宗教はゼルシェン大陸と同じだし、異国のものに対して、かなり寛容だ。
ゼルシェン大陸で名を馳せている異種たちが大陸外にも異種の存在を誇示しに来るのは、
極自然な事なのだろう。
そして其の思惑通り、会場の者たちは「異種様」「異種様」と、早速、媚を売っている。
俺は何だか面白くない気分になった。
異種様なら、此処にだって居るんだけどな。
そう内心ぼやきつつ翡翠の髪の男を見てみると、やたら澄ました顔をしていて、俺は癪に障った。
女の方は笑顔で接待していると云うのに、あの男は、
なんて関心無さそうに澄ました顔をしているんだ??
異種としてちやほやされる事に、慣れているんだろう。
物言わぬ凛とした雰囲気で、笑顔一つ浮かべない。
まるで上から目線の厭味な奴だ。
其の俺の心の声が聞こえたのか、突然、翡翠の男が俺の方を見た。
え・・・・!!
視線を逸らす事も出来ず、俺は内心、慌てた。
まさか本当に、俺の心の声が聞こえたのか??
遠くからでもよく判る宝石の様な翡翠の瞳が、じっと俺を見ている。
心臓が、どきりと鳴った。
其れと同時に心拍数が突然上がり始める。
俺は酷く困惑した。
な・・・何で、俺の事、そんなに見るんだよ?!
だが。
一人の貴婦人が翡翠の男に声を掛けて、俺を突き刺す様な視線は外された。
貴婦人たちが笑顔で話し掛けては握手を求める。
一人一人に丁寧に挨拶し乍らも、相変わらず澄ました顔だ。
すると俺は何だか無性に苛立ってきて、会場を出た。
夫人の事は放っといて、ずんずんと回廊を歩いて控え室に入り、
常備されて在るバーボンをテーブルに置く。
そして長椅子に腰を掛けると、グラスに酒を注いで一気に仰ぐ。
静まり返った部屋で一人で酒を飲み乍ら、俺は苛々して仕方なかった。
何が「異種様」だ。
あんな明らかに人とは違う形をしている者を「異種様」「異種様」と褒め称えて、
何が楽しいんだ??
異種で在るだけで、ああも敬意を表されるのなら、俺の事も是非、敬って欲しいものだ。
俺は、もう八百年も生きてるんだぞ??
だけど誰かに崇められた事なんて一度も無い。
なのに、あの二人の異種は・・・・ムカつく・・・・ムカつく!!
あの見るからに出来のいい翡翠の男・・・・異種では在るが、
大方ゼルシェン大陸では貴族出の御坊っちゃまなのだろう。
あのやたら場慣れした雰囲気と物腰の優雅さを見れば、察しはつく。
裕福な出身にも飽き足らず、自分が異種で在る事を公表して、更に支持を得ようとするとは、何て、
あざとい奴なんだ??
ふん!! 俺は鼻息を荒くすると、ぐいぐいと酒を飲んだ。
「全く・・・・世の中、不公平に出来てるもんだよなぁ」
異種様、異種様・・・・俺だって異種なのに。
でも異種で在る事を隠さなければ生き難い世の中だから、俺はずっと隠してきた。
だからこそ八百年も、女の処を点々として生きてきたのに。
なのに、あの異種たちは・・・・。
苛立ちの儘に酒を飲み、俺が長椅子でごろごろとしていると、夫人が部屋に入って来た。
「まぁ、姿が見えないと思ったら、やっぱり此処に居たのね。どうしたの??
今日は、サロンの気分じゃないの??」
夫人に上から覗き込まれて、俺は彼女の首に手を回して唇に口付ける。
「そ。ごめんね。今日は気分じゃなかった」
「全く貴方って、本当に気紛れなんだから・・・・」
「でも、そう云う俺が好きなんでしょ??」
俺がウィンクすると、夫人は苦笑する。
俺は夫人の身体を引き寄せると、謝る代わりに彼女の唇に強く接吻する。
其の儘いい感じに流れていくかと思ったが、突然、夫人が顔を離した。
「さっきね、翡翠の貴公子様に話し掛けられちゃったの!!
もうもう吃驚したの何の!! 異種様って、本当に御美しいのねぇ・・・・」
其のムードをぶち壊す夫人の発言に、熱くなりかけていた俺の心と身体が一気に冷める。
て云うか・・・・異種は目の前にも居るんだが。
「ふーん。それで誘われでもしたの??」
言い乍ら、俺は翡翠の男に呆れた。
見た目じゃ硬派そうに見えたのに、手の早い奴だな。
まぁ、御貴族様なんて、そんなものか。
だが、そんな俺の考えは外れた。
何故なら、夫人が予想もしない言葉を言ってきたからだ。
「誘われたのは誘われたのだけど・・・・わたくしじゃなくて、貴方なのよ」
「は??」
其れには俺も目が、まん丸になる。
「翡翠の貴公子様の方から話し掛けて来て、わたくし、そりゃ、
もう嬉しいやら吃驚やらで・・・・ダンスの御申し込みかしら?? と思ったら、
貴方の事を訊かれて・・・・」
「俺?? 何で俺なの??」
俺は話が全く見えなかった。
夫人は首を傾げ乍ら言う。
「さぁ・・・・只のふらつき者よって答えたら、貴方さえ嫌でなければ、
一緒にゼルシェン大陸へ来ないかどうか伝えてくれと言われて・・・・どう云う意味なのか、
さっぱり・・・・」
「な、何だよ、其れ?!」
俺は正に開いた口が閉まらなかった。
あの翡翠の男、俺にメッセージを伝える為に、態々夫人に声を掛けたのか??
しかも見ず知らずの俺に、一緒にゼルシェン大陸へ来ないかだと??
何で突然、そんな話になるんだよ??
一言だって言葉も交わしてないのに・・・・。
もしかしたら、あいつ、頭が変なんじゃないか??
いや、確かに一瞬、目は合ったけど・・・・それでも突然一緒に来ないかってのは、
どうなんだよ??
此れじゃあ、まるで愛人にでもする為に、
自分の土地に連れて帰ろうとしてるみたいじゃ・・・・。
其処まで考えて、俺は合点がいった。
そうか。
もしかして、あいつ、男色家か??
貴族ってのは悪趣味が多いからな・・・・。
きっと俺の美貌に惚れて、そんなこと言い出したんだな・・・・。
「あー、矢駄矢駄」
俺は気持ち悪さそうに舌を出したが、実のところ夫人の話には、強く興味を持っていた。
八百年以上、様々な国を渡って来たが、ゼルシェン大陸には、まだ足を踏み入れた事がなかった。
異種たちの話がよく聞かれるゼルシェン大陸には、一度渡ってみたいと密かに思っていたから、
此れはもしかしたら、ゼルシェン大陸に入る絶好の機会じゃないかと思った。
そう結論を出すと、俺は夫人が止めるのも聞かず、あの翡翠の男について行く事にした。
ゼルシェン大陸では異種が重宝されているらしいから、八百年も生きてきた俺なんて、
そりゃあ、もう、拝みまくられるかも知れない。
そして何より、あの翡翠の男が気に入らない。
澄ました顔して俺を誘いやがって、本当は何処にでも居る強欲な御貴族様だろうにな。
其の化けの皮を、是非、剥がしてみたいものだと、俺は思っていた。
そんな不埒な理由で、俺は世話になっていた夫人をあっさり捨てて、
初めて出逢った『翡翠の貴公子様』と一緒にゼルシェン大陸への船に乗った。
今改めて思い出すと、本当に恥ずかしい・・・・。
あの人は、あの頃から、ずっと何一つ変わらない人だったのに、俺は、あの人に嫉妬して、
下らない事ばかり考えていた。
極貧育ちで女のヒモとして根無し草の様に生きてきた俺と、人々に愛され敬われている、
高貴なあの人の姿を比べて、俺は一人で嫉妬していたのだ。
今思えば、本当に馬鹿だったなぁと思う。
今なら・・・・はっきりと判る。
あの時、目が合った瞬間に惚れていたのは、俺の方だったのだ・・・・。
そんな馬鹿な俺が、あの人の並々ならぬ苦労を知るのは、それから、
ずっとずっと後の事だった・・・・。
そして俺は、あの人との百七十年間の生活で、初めて己が満たされる歓びを知り、
初めて身を焦がす様な愛をあの人に抱いて、あの人が居なくなった今も、
あの人の幻影を追い続けている・・・・。
この御話は、これで終わりです。
金の貴公子が初めて翡翠の貴公子と出逢った時の心の物語でした。
順番通りに読まれたい方は、ノーマルの「ゼルシェン大陸編」の、
「夏の闘技会」から読まれて下さいな☆
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