百面相の吸血鬼 上
「ハク? ねえ、どうかしましたの?」
病室のベッドに寝転がったままのオーナーが、こちらを見ていた。
「ああ、いえ。少し、昔のことを思い出していた」
2302年6月6日。夕陽の射し込む病室で、オーナーが飛び起きた。
「それ、えっと……確か、走馬灯ですわ! 死ぬ直前に、見るやつ!ハク、どこかまだ、治りきっていないところがありますの? 早く、治してもらわないと!」
「ああ、いや、オーナー殿、どうか落ち着いて」
「で、でも…………」
「まず、拙者はヒューマドール。ヒューマドールである拙者には、死ぬ命が存在しない」
「でも…………」
「それに、壊れた機体は全て新調した。ハクのセーブデータをダルマサーバからダウンロードしただけで、機体は以前のハクとは全くの別物。欠陥は無い。そしてヒューマドールは、走馬灯を見ることはない」
「じゃ、じゃあ、昔のことっていうのは、何のことでしたの?」
「ああそれは、1年近く前、地下室でアイ殿と話した時のことだ」
「1年…………あ、チノーが初めて家に来た日、ですわね! って、もう1年経ちますの? 早いものですわね……。何かまた、記念のパーティーをしないといけませんわ!」
「そうだな。でもまずは、オーナー殿が退院しないと」
「それは任せてくださいまし! 私の再生力、見せてあげますわ!」
どうやらオーナーは、今回のことで何か行動を変えたり、役目を変えたりするという結論には至っていないようだった。私がいなければ、オーナーは殺されていた。私がいても、オーナーは入院する程度の重症を負い、私の前の機体はひき殺された。そして今回のことは、戦争の始まりに過ぎない。
「…………オーナー殿」
「ハク、どうかしましたの?」
「拙者の仕事は、オーナー殿を導くことだ」
「ええ。感謝していますわ。そんなに普段は、伝えられていませんけれど……」
「……オーナー殿、ヒノジュー高校の生徒会長であることを、辞めてほしい」
「えっ、と…………?」
「……お願いします」
「……それは、今回私がひき殺されそうになったから、ですの?」
「ああ、その通りだ。ヤツらの狙いは各校の生徒会長。辞めれば狙われることは無くなる」
「……今回のことは、ごめんなさい。私のせいで、あなたが死ぬことになった」
「オーナー殿が死ぬことは無かった。今回はそれで良い。でも、次も守れるとは限らないぞ」
「ハクが守り切れないくらいの覚悟で狙われたら、その時は、もう諦めるしかないですわ」
「そうなる前に、オーナー殿が辞めれば良い」
「……でも生徒会長が暗殺されれば、この学校は変わるかもしれない」
「…………」
「その役目を、今更他の人に押し付けるわけにはいきませんわ! でしょ?」
オーナーは自分を忘れ、韜晦することを選んだ。それが、自分自身の望みであると信じて。
「オーナー殿の望みは、世界を変えることなのか」
「もちろんそうですわ!」
「オーナー殿が死んだくらいでは、変わらないかもしれないぞ。いや、変わらない確率の方が高い。人間は変化と不変の二択を迫られた場合、不変を選ぶ生き物だ。そもそもオーナーは、死にたいのか?」
「世界を変えるためには……そうするしかない時もありますのよ」
「人一人が死ななければ変わらない世界に、変えてあげる程の価値は無いぞ」
「心配いりませんわ! 私、そう簡単に死にませんもの。ハクだって、そう簡単に私を殺させはしないでしょ?」
「……その慢心が、拙者の悩みの種になりそうだ」
「人間ごときに、私は殺せませんわ!」
「やれやれ、魔王みたいなことを……」
「魔王みたいなものですわ、生徒会長は。いずれヒューマドールの王となるものですもの」
都市伝説、楽園アング。ヒューマドールの楽園とされるそれは、3人の人間によって創造され、支配されるという。その3人の人間というのが、各校の生徒会長とされているのだ。
「またアングの都市伝説か。じゃあ石動製薬製のチノーは、オーナー殿にとって目障りなのでは?」
各校の生徒会長が支配できるのは、それぞれの学校を運営する会社の製品のみ。ヒノジュー高校の生徒会長が支配できるのは、火野重工のヒューマドールのみだ。
「彼女はまだ必要ですわ。いつ私が殺されても良いようにね」
「…………」
「魔王は、何度でも蘇りますのよ!」
1年前、チノーに会った日。あの日オーナー殿の倫理は、既に崩壊していた。だがそれで良い。生きてさえいてくれれば、私は。私の望み、私のオーナー、私だけの、月。それがヒノジュー高校の生徒会長、銀野マイ。オーナーは私が守る。オーナーを狙うものは誰であれ、私が排除する。人間であれ、ヒューマドールであれ、例えその命を奪ってでも。それが前のオーナー、彼女の姉からの、優先任務だ。