ライオンと洒落こうべが交わした密約 下
「あ、こんにちは部長。今日の授業はどんなことをしたのですか?」
2302年6月6日、放課後。ヒノジュー高校オカルト研究部の部室に、ヒノジュー高校オカルト研究部の部長、白津ショウコが到着した。私は節電モードを解除し立ち上がった。ショウコは私の方を一瞥すると、肩をすくめた。
「悪いな。いつも通り、別に言って聞かせるほどのことは無い」
「そうですか。あ、何か飲みますか?」
「いつものを頼む」
「はい、わかりました」
ショウコは椅子を三脚並べてその上に横になった。私は冷蔵庫の中から冷えたコップを取り出してから、冷凍庫の扉を開けた。
「それより、お前の方の進展はあったのか?」
凍らせておいたイチゴとラズベリーをコップに入れ、冷凍庫の扉を閉める。
「お前がどうなりたいのか」
そして冷蔵庫の扉を開ける手が、少し震える。ショウコのこの言葉を聞く度、私にはいつも異常が起きる。
「どうありたいのか」
コップに同量のオレンジジュースとジンジャーエールを注ぐ。
「何かわかったか?」
ストローでかき混ぜてから、コップをショウコに渡す。…………何も、何一つ私にはわかっていない。ヒューマドールである私に、その答えを出せる日など果たして来るのだろうか。
「いえ、まだ……」
「そうか」
ショウコは起き上がり、一口飲んで息をついた。
「やっぱりニマメスペシャルはうまいな」
「ありがとうございます」
ジュースのレシピは既にダルマサーバ上にあったもので、ニマメスペシャルという名前は正式名称ではない。この名前を付けたのは前のオーナー、人間の、山河ツノユキ。そしてその前のオーナーが、白津ショウコ。ショウコは、私を購入した初めての人間であり、私の初めてのオーナー。そのことをまだ、ショウコは…………。
「……………………今日、来客の予定は無かったはずだよな?」
ショウコが、入口の方を見ている。扉の向こうに人間の生体反応が一つ、検知できた。
「どなたですか?」
私が扉に近づくと、先に向こうにいた人間が扉を開けた。
「どうも、風紀部部長の銀野よ」
ショウコは彼女を見るなり、コップを近くの机の上に置いて椅子に寝転がり直した。
「生徒会の犬が、盗み聞きするほどの情報はうちに無いだろ」
「ええ。独り言が終わるのを待っていただけよ。大事な話に水を差しては、失礼に当たるかと思って」
「変わらないな。ここの生徒の癖に、ヒューマドールをそこまで嫌うやつなんか他にいない。いや、ヒューマドールとなかよしごっこをする人間が、嫌いなだけだったか?」
「あなたには関係の無いことよ」
「そうだな。それで、今日は一体何の用だ?」
「うちの生徒が一人、学区外に出ようとしています。至急連れ戻してください」
「学区外? 別に好きにさせてやれば良いだろ。痛い目見なきゃ納得しないのが、私達ガキの本質だろ?」
「そうね。でもこれはオトナの、学校の意思なの。逆らうのは手間よ」
「だろうな。またヒューマドール絡みか?」
「その生徒の父親が、オーナー登録されていました。ただ、開眼体の可能性があります」
「そうか」
「詳細は追ってそのヒューマドールに送ります」
「ああわかった。ニマメいくぞ」
「はい、部長」
私達はオーナーとフミカにメッセージを送ってから、部室を後にした。火野重工製のヒューマドールが、ヒノジュー高校の学区外に出ることは暗黙の了解として禁止されている。他の財団製や研究所製のヒューマドールも、それぞれが運営する学校の学区から出ることは無い。他社製のヒューマドールには人質以上の価値がある。でも、私がもし学区外に出たとしたら、私は一体どうなるのだろうか。私は、何か一つでも理解できることがあるのだろうか。私がどうなりたいのか。どうありたいのか。私が、何を望むのか。私にはまだ、わからない。わかる必要は、無いのかもしれないが。
「部長とニマメ、先に家に行くって」
2302年6月6日、放課後。屋上の掃除当番をこなしていると、ニマメからメッセージがアップロードされた。僕は一緒に掃き掃除をしていた久野に声をかけた。久野は塵取りを持って、駆け寄ってきた。
「山河の家行くのって、何か久しぶり」
「まぁ、先客がいるみたいだけどね」
久野がしゃがんで塵取りを構える。
「山河のお父さんって、ホントに問題児に人気あるよねー」
「確かに」
久野が何気なく言った問題児という言葉。それが人間の方のことを指しているのか、それともヒューマドールの方のことを指しているのか、僕にはわからなかった。
「風紀部は何で、毎回私達に頼むのかな」
「さあ。一応関係者だからじゃない? それか、一番暇そうに見えるとか?」
「えー?」
「まあ、委員長には借りもあるし……」
「んー、まあ、それはそうだけど…………」
「それに、楽しいでしょ? 誰かに命令されるのって。何となくだけど、居場所を得たって言うか、自分だけの仕事を、与えられたような気がしない?」
「…………やっぱ山河は、ヒューマドールに戻りたい?」
久野が僕を見上げる。
「ヒューマドールに、戻る?」
「命令されたい、居場所が欲しい、自分だけの仕事がしたい。それが、ヒューマドールの本能ってことでしょ?」
「ヒューマドールの、本能……」
ヒューマドールに欲望は存在しない。その必要が無いし、その方が人間は扱いやすいだろう。だがヒューマドールに本能が存在するのだとしたら……。いや、欲望が存在しない時点で、やはり僕には、そもそも人間になることは…………。
「山河ツノユキやるの、飽きちゃった?」
「え…………」
久野は隅に置いてあるベンチに腰掛けた。このベンチは、人間の山河ツノユキが生前、生徒会を説得して屋上に持ち込んだものらしい。
「ごめんね。無理させちゃって」
久野にそんなことを言われるとは思わなかった。むしろ久野は僕のことを、本気で人間の山河ツノユキだと思い込んでいる可能性もあると考えていた。僕は久野の横に座った。
「僕が何者なのか、決めるのは人間の仕事です。僕が山河ツノユキであることを人間が望むなら、従うまで。ですが、もしそれを人間が望まないのであれば、その人間が望む未来へ導くのが、ヒューマドールの仕事です」
「…………」
「まず、無理をしているのはあなたのようですね」
「……」
「人間の山河ツノユキが、亡くなって、あなたはまだしていないことがある」
「…………待って」
「はい」
久野がゆっくりと、深呼吸をした。
「…………ありがと。じゃあ続きを、私がまだしていないことを、教えて?」
僕が言おうとしていることを、久野は気づいたようだった。
「では率直に」
「……うん」
「泣いたら楽になることも、ありますよ」
「………………」
「僕はヒューマドール。人間ではなく、物です。僕の前で、人間が望むような久野フミカを演じることに、意味はありません」
「…………」
「でも亡くなった本人に似ている物があると、変な感じになりますよね。僕は先に行っています。どうか、ごゆっくり。山河ツノユキの家で、待っています」
「待って」
立ち上がろうとすると、久野に袖を引っ張られた。
「はい」
「前を向いていれば、あなたの姿は見えないから。だから、今は隣にいて」
「わかりました。それでは、肩を貸しましょうか」
「うん…………」
僕の機体に組み込まれているカウンセリングプログラムは、僕にかけられた言葉の反転をベースにしている。彼女は無理をし、望まれる久野フミカを演じることに飽き、そして戻りたい過去を持つ。その過去が何なのか、僕にはわからない。なぜならその時期僕は存在しておらず、そして人間の山河ツノユキが存在していた。やはり鍵は、人間の山河ツノユキなのだろう。しかし死者蘇生の技術は禁止されている。しかしその禁忌に触れたヒューマドールは、廃棄済みではなく、失踪扱いになったはずだ。
「……」
ダルマサーバにアクセスし検索する。ドールタイプ、石動製薬。ヒューマネーム、チノー。金魚の魔女により、盗難…………?
「まさか、アングリードレス…………!」
手がかりは、想定より近くに泳いでいるのかもしれない。