9話 ええい追加処置!!
「おいおいルルス。そいつはお前の……恋人か?」
少女――ゴルティナに死刑宣告を下されたアシュラフは、困ったようにそう尋ねた。
「ゴルティナは――」
「恋人にあらず! ルルは我の、婚約者であるぞ!」
ルルスが何らかの説明をしかけたところに、ゴルティナが割って入ってそう返した。
しかし、言いきった瞬間。
ゴルティナは一瞬制止してからいささか頬を染め始め、ビシッと言い直す。
「……仮であるがな!」
「…………なんだそりゃ?」
アシュラフは、言葉の意味を飲み込めていないようだった。
当人のルルスすら状況把握に苦心している所なので、極めて真っ当なリアクションであると言える。
「まあ、どうだっていいさ……」
アシュラフは息を吐き出すと、スッと腰の剣に手を伸ばして歩み出す。
ブーツの靴底が小石を踏み潰し、硬い石畳に挟まれてギュリンという音を立てた。
「重要なのは、ルルス! てめえの婚約者って奴が……この俺に! 殺害予告をしたってことだよなぁ!?」
「ま……待て! アシュラフ!」
こちらへと近づこうとするアシュラフに対し、ルルスは焦ってそう叫んだ。
「お前、マジで死ぬぞ!? 殺されるぞ!」
「あぁ!? 殺されるのはなぁ、てめえの方だぞっ! ルルスゥ!」
シャキンッという鋭い音が響き、アシュラフの剣が鞘から抜かれる。
やや刃長の短い、携行用の片手剣だ。
「冒険者ギルドの取り決めではなぁ! こういう脅迫行為に対しては……相手を逆にぶち殺したって構わねえってことになってんだ! 正当防衛って奴だよなあ!?」
「アシュラフ! お前は色々とわかってない! 今すぐその剣を地面に置け!」
「黙れ! そのガキもろとも! 斬り捨ててやる! 娼婦の一人や二人、斬り殺されたって誰も気にしねえだろうさ!」
叫び声の応酬の最中、アシュラフが剣の間合いまで近づいた。
踏み込んだ先に、振り抜いた切っ先がルルスとゴルティナの身体に届く間合い。
その瞬間、スッと息を吸い込んだゴルティナが……
「ルルよ、心配はいらぬぞ」
細腕を組み、アシュラフの方へと視線を向けたまま、呟く。
「何も心配いらぬ。任せておくがいい」
アシュラフが素早く踏み込み、右手に握った片手剣を斬り込む。
楕円の弧を描き、ゴルティナとルルスの身体を一挙に斬り捨てようとする切っ先の軌道は、
ゴルティナの柔らかい頬を無残にも切り裂く直前に、
あとほんの皮一枚という位置で、ビタリと静止した。
「ぐぉっ!?」
予期しない急停止に、アシュラフの唇から呻き声が洩れる。
振り抜こうと全力で斬りかかった剣が、物理的な作用を無視してピタリと完全停止してしまった結果……その腕や肩の筋を、複数痛めたのかもしれない。
「鉄よ」
ゴルティナはそう呼びかけると、頬の薄皮一枚の所で停止した剣の刃先を、指腹でそっと押し込んだ。
そうすると、空中で完全に停止したはずの剣は……まるで指でカーテンでも除けるかのようにして、スゥッと空中を移動し始める。
「ぐ、ぐぐぐぐぅ……っ!?」
腕と肩を痛めながらも未だに剣を握りしめ、かなりの力を込めているはずのアシュラフは……刃先に添えられたゴルティナの人差し指一本に、何の抵抗もできていなかった。
「がっ……がぁ……っ!?」
鉄剣を指先で押していったゴルティナは、腕を伸ばしきったところでふと指を離す。
片手剣はその押し出された先の空中で完全に停止し、まるで凍り付いたかのように微動だにしない。その剣をどうにか動かそうと力を込めるアシュラフの姿は、一流のパントマイムのようにも見えた。
そして最後に、ゴルティナが命令する。
「回れ」
その瞬間。
アシュラフは何か、嫌な予感を感じ取った。
「ひっ!?」
彼が何かに反応し、背後へと倒れ込んだ刹那。
空中で停止していたはずの鉄剣は、柄の尻を中心として、その場でギュルリと縦回転した。
刃先で大きな縦円を描き、素早く一周してまた元の位置で停止する鉄剣。その刃先が辿った軌跡は、アシュラフがすんでの所で飛び退いていなければ……彼の身体を、左肩から袈裟斬りにして真っ二つにしていたはずの軌道。
鉄剣の不意の縦回転を避けたアシュラフを見て、ゴルティナが「ほう」と声をあげる。
「今のを避けたか。なるほど、危機察知能力には優れているようであるな」
ゴルティナが歩み出すと、空中に固定されていた鉄剣はまたひらりと身を翻し、その切っ先をアシュラフの方へと向けた。
「やはり返り血に気を遣っていると、駄目であるな」
ゴルティナは冷たい調子でそう言った。
空中に浮きあがり、アシュラフへと刃の先を向けている鉄剣が震え出す。
まるで、引き絞られた弓に固定されているかのように。
今まさに……指一本離せば、そこから閃光の如き速さで射出されるような身震いだった。
アシュラフはその光景を見ながら、尻もちをついたまま動けなくなっている。
自分の理解を越えた現象が、起き続けている。
一体どんなスキルを……魔法を使っているんだ?
こいつは、一体……。
「ご、ごるてぃ……な……」
後ろから、ルルスのそんな声が聞こえてきた。
ゴルティナは振り返らずに答える。
「ルルよ、今終わらせるからな。もう数秒だけ待っておれ」
「………………っ」
その数秒を待たずして。
ドサリと音を立てて、ゴルティナの足元に何かが転がった。
「えっ?」
ゴルティナが見てみると、それは地面に倒れ伏したルルスの身体。
全身が激しく痙攣して、手足がわなわなと震えている。
息も絶え絶えで、その顔面は真っ青な果実の如く染め上がっている。
「か、かはっ…………」
地面に俯けに倒れ込んだルルスは、そんな掠れた息を吐いていた。
虫の息という慣用句を、これほど見事に表す状態も無いだろう。
「…………あれっ?」
そんな瀕死の状態を見て、ゴルティナは一瞬固まる。
しかし次の瞬間には……ババッとその場に膝を突き、ルルスの身体を激しく揺さぶった。
「ルル!? ルルー!? あ、やっばい忘れてた! わが花嫁よ! 生きておるかぁ!?」
「け、けほっ……な、なにこれ……?」
「あー! あーっ!! 説明するの忘れてたし我もスッカリピカピカに忘れていたぞ! はい! 息を吹き返すのだ! ほら!」
「ち、力が……息が、でき……」
「きゃー! これはまずい! 消えかけとる! 応急処置! 応急処置っ!」
「ん、んぐっ……?」
ゴルティナはルルスの頭を持ち上げると、その唇に迷うことなくキスをした。
目を閉じて上から唇を重ね合わせ、まるで何かを送り込むかのようにして唇を奪う。
カラカラン、という音が響いた。
彼女の傍に浮かび上がっていた鉄製の片手剣が、地面へと落っこちたのだ。
「は……は……?」
とつぜん地面に倒れ伏したルルスと、彼に急に口づけをし始めた異能の少女。
操り糸が切れたかのように浮遊をやめ、石畳の上に転がった鉄剣。
アシュラフは呆気に取られてしまっていたが、すぐに思い直すと、身体を翻して背を向ける。
「なんだか、わからんが……に、逃げるぞ!」
「は、はい!」
取り巻き達と共に脱兎のごとく逃げ去るアシュラフ達には構わず、ゴルティナは必死にルルスへの口づけを続けている。
ぷはっ、と一度息を吸い込むと、彼女はペチペチとルルスの頬を叩いた。
「どうだ? 大丈夫であるか?」
「…………ぁ……し、しぬ……」
「まーだ足りないのであるかー!? ええい追加処置!!」
「んぐぅっ……!」