7話 初夜イヴ
さてどうしよう、とルルスは思った。
自分の状況を、もう一度整理してみよう。
午前。
アシュラフに裏切られて報酬を踏み倒され、冒険者パーティーを追い出される。
正午。
日銭を稼ぐためにダンジョンへ潜り、うっかり最強の精霊存在と遭遇してしまう。
そして午後。
現在……。
「腹が減ったな。とりあえず、我は何か食べたいぞ」
その金髪の精霊……ゴルティナは、なぜか自分の隣を歩いている。
ルルスのことをひとひねりで殺せる神的存在は、彼のコートを羽織って、肩を並べて歩いている。
彼女はすっごくウキウキしてる。
ルルスはすっごく誤解されてる。
「何が食べたい?」
「人間種はどのような物を食べるのだ?」
「うーん。色々」
「色々ではわからぬ」
「肉とか野菜とか、キノコとか」
「そういうことを言ってるのではないー」
ゴルティナがごねて、ルルスが考え込む。
「難しいな」
「難しいことは言っていない」
「とりあえず、ご飯が食べられる所に入ってみる?」
冒険者ギルドから出た東の通り。
その通りを使徒教会総本部の建物が見える方角へ歩いて行くと、ルルスはちょうど良い店があることを思い出して、ゴルティナと一緒にその店に入った。
美味しいと評判の飯屋。
冒険者界隈ではとても有名な店で、なんでもこの食堂の店長というのが元冒険者という話。どうして料理人なんてやっているのかわからないほどの強者らしい。
というよりそもそも。貴族でもないのに大衆食堂を出店できているだけで、いろんな方面に顔が利く実力者であることに間違いない。魚料理や肉料理、それにスープといった各種料理には、その料理を統括する調理屋のギルドが存在する。そのギルド間の領分を越えて、誰かが複数種類の料理を勝手に提供することは禁止されていた。
二人で向かい合うようにして木造のテーブル席に座ると、何もかもを新鮮な眼差しで見ているゴルティナに、ルルスがメニューを見せてあげる。
「ほら、色々あるよ」
「なんて書いてるのかわからん」
「あ、そうか」
ルルスは逆さまにしていたメニューを引っ込めると、それを自分で眺め始める。
「それじゃあ、僕が頼んでもいい?」
「構わん」
ルルスは手を挙げて、給仕を呼び止めた。
茶色のチュニックを着た給仕が歩いてきて、二人が座るテーブルの前に立つ。
そばかすが散った白顔の、赤毛の少女だった。
「すいません。ガチョウの塩煮と、ジャガイモのサラダとパン。2つずつ」
「スープはいらない?」
「いくらですか?」
「銅貨1枚で2人分つけてあげる」
「じゃあ、それも」
注文を終えると、ルルスはゴルティナに向き直る。
「ねえ、ゴルティナ?」
「なんだ? ルルよ」
「精霊に求婚するって、良くあることなのかな」
ルルスは探るように、そう尋ねた。
「何か気にしているのか?」
「いや……どうしてゴルティナは、僕が求婚しに来たと思ったのかなって」
「冒険者がわざわざ精霊に会いに来るといったら。首を取りに来たか求婚しに来たか。どちらかしかあるまい」
精霊の知られざる新常識だった。
殺し合いか結婚しかないのは両極端というレベルではない。
「父上から話は聞いていたぞ。昔は、といっても遠い昔は。精霊と人間種が婚約することが良くあったらしいからな。我もその時が来たならば、その人間種の勇気に敬意を払い、決して無下にはしないよう言われていた」
「それって、どれくらい昔の話?」
「父上が若かった頃だから、ザっと二千年ほど前のことではないか?」
神話の時代だった。
半神半人が生まれまくっていた時代だった。
「お待ちどうさま」
料理がすぐに運ばれてきた。
注文されてから作ったのではなく、すでに作ってあるものを鍋から掬ったり取ったりして、盛り付けてきたのだ。
ガチョウの塩煮とジャガイモとパン、それに具の無い黄緑色のスープ。
もう一つの小皿には、痩せたニシンの燻製が二つ乗っていた。
ルルスはそれを手に取ると、去りかけていた給仕に声をかける。
「すみません。これは?」
「それ? それはサービス」
「ああ、ありがとうございます」
ルルスがゴルティナに向き直ると、彼女はいつの間にか、料理に添えられた銀のフォークとスプーンを空中に浮かせて首を傾げている。
「これはどうやって使えばいい?」
「少なくとも、浮かせては使わない」
ルルスはいそいそと、宙に浮いたフォークとスプーンをテーブルに戻す。
空中から動かせないかもしれない、と一瞬思ったが、それは磁力に引っかかるような微妙な抵抗があるだけで、普通に動かすことができた。
「ほら、こうやって手で持って」
「なぜ手で持つ必要が?」
「みんな君みたいに、金属を自由に操れるわけじゃないから」
「我は操れるぞ」
「みんなビックリしちゃうだろ」
「ビックリするとどうなる?」
「とっても面倒なことになる」
「面倒事は嫌いじゃないぞ」
「僕は好きじゃない」
「そうか。ならば、好きじゃない方に合わせよう」
暑がりと寒がりが居たら、寒がりに合わせようみたいな理論だった。
料理を食べるというよりはトドメを刺すための持ち方でフォークとスプーンを握ったゴルティナは、つたない手つきでガチャガチャと料理を食べると、とりあえず腹が膨れてご満悦な様子だった。特にガチョウの塩煮が気に入った様子だったので、ルルスはそれを一口分けてやる。
「んまい。んまいな」
「精霊の口に合ったようで何より」
「味がちょいと薄い気はするが、久しぶりの食事であるからな。なんでも美味しく感じるわ」
「久しぶりって、どれくらい?」
「500年ぶりくらいではないか?」
スケールが違った。
「それで? これからどうするのだ?」
「うーん。とりあえずは、寝床でも探そうか」
「探す? いつもどこで寝ているのだ」
「僕の寝床は、一応あるけどさ」
家賃滞納の制限時間が刻々と迫っている寝床ではあるが。
「君の寝床が無いだろ」
「気にするでない。我もそこで、一緒に寝れば良かろう」
「僕が気にするんだよ。君だって女の子だろ」
「精霊であるぞ」
「精霊の女の子だろ」
「でも、我に求婚したのではないか?」
「……ということは?」
「婚約者なら、一緒に寝るのでは?」
そうなる?
「我はちゃーんと知っておるぞ。今夜は初夜という奴であるな」
「いやそれは違う。初夜は結婚してからだよ」
「なら、婚約している時は何と言えばいいのだ?」
「たぶん、特に言葉は無いかな」
「えー。つまらんー」
「強いて言うなら……『婚前交渉』?」
「それではあまりに人聞きが悪い。『初夜イヴ』と名付けよう」
生まれてはならない造語が誕生してしまった。
「さあとにかく! 腹も膨れたことであるし、ルルの家へと招かれようではないか!」
「う、うーん……! 本当に、これで良いのかなあ……!?」
「何を怖気づいておるか! 今夜は『初夜イヴ』であるぞ!」
「あまり大きな声で言わないで!」




