30話 彼女は特殊な訓練を受けています
待合室に繋がる、最後の扉が破られた。
先陣を切ったのは、背筋を伸ばせば大人二人分の背丈はあろうかという大柄なトロール。ボコボコとした筋肉を全身に搭載し、腹に大量の脂肪と分厚い筋肉を纏うその巨漢は、体重にして人間何人分があるのか。
その後ろにゾロゾロと連なるモンスター達は、トロールが破った扉から溢れ出るようにして、待合室に侵入し始める。
「来たぞ……!」
アシュラフを先頭にして最前衛に陣取る冒険者たちが、殺到するモンスターの群れを前に、一斉に武器を構え直した。これほどの対多数戦には、あまりにも狭すぎる空間。その中で誰もが、これから血で血を争う激しい混戦が繰り広げられるものと覚悟していた。
何かに怯えるように、命からがらといった具合で通路から溢れて来たモンスター達の群れ。
その先頭に立ってゴツゴツとした巨槌を握るボストロールは、今度は目の前に立ちふさがる冒険者たちをなぎ倒して前へと進もうとして、
その一番奥に立つ、絶対存在の気配に気づいた。
「あ、気付いたみたいだぞ」
ゴルティナがそう言った。
「何に?」
「我に」
そんな言葉を交わした瞬間、トロールの野太い悲鳴が響く。
「グォオォオオォオオオッ!」
顔をさらに恐怖に歪めた巨漢のボストロールが発する、怯えと戦慄の鳴き声。
勢いよく待合室に突入してきたモンスター達は、一転して踵を翻して、今度は元来た通路へと退散しようとした。しかし彼らは今まさに通路から溢れて出てくるモンスター達に阻まれ、前進しようとする群れと後退しようとする群れが必死の押し合いを繰り広げる。こちらへ殺到したい雪崩と、ゴルティナの存在に恐れをなして帰りたい雪崩同士の衝突である。
こちらに来たいのかあちらに帰りたいのかわからない、モンスターたちの奇行。
その奇妙な光景を見て、冒険者たちはポカンとした表情を浮かべていた。
「……なんか、怯えてるぞ」
「逃げようとしてるのか?」
「お、俺たちに恐れをなしたんだ!」
「なんだかわからんが、よし!」
最後にそう言ったのは、最先頭に立っていたアシュラフだ。
彼は今しがた破って来た扉へと戻って行こうとするボストロールの背後へと近づき、その剣を振り上げた。
「今の内に、一匹ずつ斬り倒せ!」
「おお! アシュラフがいったぞ!」
「食らえ!」
彼は叫びながら、背中を向けるトロールに背後から斬りかかろうとする。
しかし、その瞬間。
ふと気配に気付いて背後を振り返ったトロールが、その腕を咄嗟に振り上げた。
「グォォオオオオオオッ!」
「おごぁっ!?」
トロールの太腕の薙ぎ払いを受けたアシュラフが、弾かれるようにして横方向へと吹っ飛ばされる。
彼は吹き飛ばされた先で壁に激突し、無残にもそのまま、床にずり落ちて気を失った。
「……あ」
「アシュラフがやられた!」
「あのトロールやばいぞ!」
「そもそも今いく必要あったのか!?」
目の前の事態がよく理解できていない冒険者たちが、次々にそう叫ぶ。
その後方では、ギルド幹部が目を細めていた。
「……これは一体……どういう状況だ?」
こちら側に侵入しようとする群れと、入って来るなり悲鳴を上げて、踵を返して逆にあちら側に戻ろうとする群れ。
そのカオスな状況の中で、ゴルティナが呟く。
「これはもう、収拾がつかんぞ」
「……だね。あれって、ゴルティナに怯えて戻ろうとしてるんだよね?」
「うむ」
「そもそも、彼らがなんでこっち側に来てるのかわかる?」
「何かに怯えているようには見えるな」
「それじゃあ……脅威に追われて逃げてきたら、もっとやばい脅威がこっちにいた感じか」
最高黄金精霊ゴルティナという名の脅威が。
「うーむ。もう、我が話をつけに行こうかなあ」
「……マジで? ここで?」
「だってルルよ。この辺で止めておかないと、大変なことになるぞ。今は怯えて戦意喪失しているからよいがな? 何かのきっかけで完全にパニックになってしまったら、もうおしまいである。血で血を争うドロドロ血まみれで、ここら中ヌルヌル大パニックなことになるぞ」
「……止めようか」
ルルスとゴルティナが、最後列から歩み出した。
「どうどう失礼?」
「あ、すいません。失礼します」
対応を決めかねている冒険者たちの合間を縫って、前列へとグングン進んで行く。
必死に元来た通路へと逃げ帰ろうとしているトロールは、最高黄金精霊ゴルティナの接近を感じて、さらに悲痛な悲鳴を上げ始めた。それは絶対的な存在が歩み寄って来る本能的な恐怖であり、すでに完全降伏の態勢を取ろうとしているようにも見える。
そうして最前列へと歩み出た二人は、そのままトロール達に近づいていこうとして、屈強な冒険者たちに止められた。
「待て待て君たち」
「一体どうしたんだ、危ないぞ」
「あー、えっとー……」
ルルスが返答に困っていると、制止を気にしなかったゴルティナが、そのままスタスタと歩いて行ってしまう。
「どーうどーう。ぴかぴっかー」
「おい! 女の子が行ったぞ!」
「ぶち殺されるぞ! 誰か止めろ!」
ゴルティナを心配し、焦って身を乗り出してくる屈強な前線戦闘員たち。
彼らの前進を、立ちふさがったルルスが必死で止め始める。
「だ、大丈夫です! 彼女は大丈夫なんです!」
「何が大丈夫なんだ!」
「彼女はその……特殊な訓練を受けていますので!」
「どんな訓練だよ!」
「あんな小さい女の子が大丈夫なわけないだろ!」
「大丈夫なんです! 彼女は特殊な訓練を受けていますのでー!」
背後で繰り広げられている喧騒には耳を貸さずに、ゴルティナがスタスタとトロールに近づいていく。
その接近に周囲のモンスター達までもが怯え始め、その場に固まって動けなくなってしまっていた。
「どうどうどう、怯えなくてもよいぞー。どうしたのだ」
ゴルティナがそう言って傍まで歩み寄ると、巨漢のトロールは最高黄金精霊を目の前にしてすっかり委縮してしまった様子で、その場に縮こまってうずくまってしまう。
他にもゴブリンにチビトロールにスライムにオークにインプたち。
あちら側に逃げ帰ろうとする群れは、ゴルティナの存在によって完全に委縮してしまい、逃亡を諦めてその場に縮こまり始めた。敵意はありません、見逃してくださいという具合に。
その異様な様子を見て、冒険者たちが唖然とした表情を浮かべる。
「な、なんだあの女の子……」
「怯えてるみたいだぞ……?」
「一体どうなってるんだ……」
そんな当然の疑問に一応は釈明を付け加えておくため、ルルスが咄嗟に叫ぶ。
「ええと……みなさん! 彼女は特殊な訓練を受けておりますので! 大丈夫です!」
「特殊な訓練って、だからどんな訓練だよ!」
「特殊な訓練なんです! みなさんは真似しないでください!」
「わけがわからないぞ!」
「ええと彼女は……あれです! 由緒正しきモンスターブリーダーの家系で……その、モンスターの扱いに慣れていて……凄腕で、どんなモンスターも手なづける……そういう女の子なんです!」
「そんな話、聞いたことないぞ!」
そりゃそうだった。
即興でそれっぽい話を作っているだけなのだから。
ルルスにすら、自分が何を言っているのかよくわかっていなかった。
「いや……聞いたことがあるぞ」
するとふと、後衛にいた冒険者の一人がそう呟いた。
「知っているのか!?」
「ああ……聞いたことがある。モンスターブリーダーの家系……ダンジョンのモンスターを手なづけ、自分の配下にしてしまうという特殊な職業だ」
「そんな職業があったのか……」
「あったのか……」
最後にそう呟いたのは、ルルス本人だった。
「すでに途絶えたと聞いたが……彼女はもしかすると、その失われし技術を継承しているのかもしれないな……」
「なるほど……」
「そんなレア職業があったのか……」
「本当にあるのか……」
最後にそう呟いたのは、やはりルルス本人だった。
よくわからないが、ものすごい勘違いだけどものすごくそれっぽく補完してくれる人がいて助かった。
ルルスとしても初耳だが、そういうことにしておこう。
そんな周囲の喧騒には構わず、ゴルティナは縮こまってしまっているトロールを撫で始める。
「そんなに怯えて、一体どうしたのだー。取って食わぬから大丈夫だぞー」
「おお! トロールがまるで、子犬みたいに大人しくなってるぞ!」
「あの女の子すげえぞ!」
「我に話してみないか。ほらほら、そんなに怖がるでないー」
「すげえ! 子犬をあやすみたいにトロールをあやしてるぞ!」
「腹を向けて寝転がり始めたぞ!」
「もはやどういう感情なんだ!?」
「彼女は特殊な訓練を受けています! みなさんは真似しないでください!」
「だからどんな訓練を受けたらそうなるんだよ!」
自炊面倒くさい病が再発し、食生活が乱れ始めたことをここに報告します。




