10話 さも好きなだけ尻に敷かれますけどみたいな人畜無害な童顔をしているが、性根は亭主関白のドメスティックバイオレンスな花嫁
「ぜぇーっ! はぁーっ!」
道端に座り込んでそんな風に息を吐いているルルスは、ゴルティナに背中をサスサスとさすられていた。彼女にしこたまキスされ続けて、やっと息を吹き返したのだ。しかしながら、その回復のメカニズムは完全に謎であった。
「大丈夫であるか?」
「良くはなったけど……えっ? なに今の」
いまだに青白い顔をしているルルスは、ふと顔を上げる。
「なんか、とつぜん死にかけたんだけど」
「うむ。ガッツリピカピカに死にかけていたな」
「だよね」
「というか、命の灯が消えかけていたな」
「……なんで?」
聞きたいことは山ほどあったが、とにかくその全てを「なんで?」に集約してみる。
「説明するのを忘れておった。仮とはいえ、契約中であるから」
「契約?」
「うむ。契約したであろう、我が花嫁よ」
ルルスはダンジョンで、ゴルティナに初めて出会ったときのことを思い出した。
最初にキスされた際に言われた『仮契約』という言葉と、背中に感じた焼けつくような痛み。
あれのこと?
「えっ? もしかして……僕って、いきなり死ぬ系の呪いがかかってるの?」
「呪いとは失礼な。契約は契約である」
「その……契約って? どういうこと?」
「うーむ。ちゃんと説明しようとすると、ビッカビカに難しい話であるからな」
「いや、難しくても説明して欲しいな……」
いくら難しくても、聞いておいて損は無い系の話のはずである。
損の部分が突然死レベルなので。
ルルスはつい先ほどまで繰り広げられていた対アシュラフとの修羅場のことなど、頭からすっぽり抜け落ちてしまっていた。それよりも、がぜん緊急度が高い問題が持ち上がってきたからだ。
というよりもその問題は、単に説明が省かれていただけで、ずっと存在していたらしい。
「とりあえず。詳しい話はルルの家に行ってからにしようではないか。そこで話そう!」
◆◆◆◆◆◆
ルルスが借りている部屋は、冒険者ギルドが管轄しているダンジョンの近くの通りにある。その通りには集合住宅が立ち並んでおり、その小部屋に住んでいるのはほとんど全てが冒険者だ。
ダンジョンへの行き来がしやすいこの通りは冒険者ギルドの管理下にあり、豊かではない冒険者はみな、この通りの集合住宅のどれかに住む。そして特別な事情が無い限り、ギルドに加盟している以上は、別の場所に部屋を借りることは認められない。冒険者ギルドの大きな収益の一つは、この半強制の賃貸料が占めていたりする。
「……狭い」
「仕方ないだろ」
「あと暗いのだ」
「それも仕方ない」
ゴルティナを連れて、ルルスは自分の部屋に戻っていた。
ギルドからあてがわれる部屋は非常に狭い、木組みの縦長の小部屋。
横幅と縦幅をそのままベッドに置き換えると、横幅はベッドの短辺にして1.5個分。縦幅はベッドの長辺にして約1.3個分ほど。つまりベッドを置くとほとんど他の物は置けないし、歩くスペースすらない。ベッドを一つ置くためだけに存在するような空間だった。
部屋の中は薄暗く、すきま風もひどい。
そんな中でやや薄汚れたベッドに腰かけているゴルティナは、あまりのみすぼらしさに頭を抱えていた。
「えっ!? 本気で言っておるの!?」
「な、なにが?」
ルルスは汲んできた水を沸かしてお茶を作ろうとしながら、そう聞き返す。
水を沸かしてくれるのはアルミ製のケトルで、内部が下部と上部の空間に仕切られている。下の空間で火を起こして、上の空間で水を沸かす構造だ。これはルルスが錬金で作った代物だった。
「ここ!? ここに住んでおるの!?」
「住んでるけど……」
「なんで!? なんでこんな狭い所に住めるのだ!?」
「ベッドが置けるんだから、十分だろ」
「いや、ベッドしか無いではないか!!」
「あと、ちっちゃいけどテーブルと椅子もある」
「そういう問題ではないわー!」
ボスンと音を立てて、ゴルティナがベッドに寝転がる。
「想像していたのと違うぞ!? そんな大きなお屋敷だとは思ってなかったけれどもな! いや万が一そうだったら良いなあとは思っていたけれどもな!」
「悪かったね、みすぼらしい家で」
「もはや家ですらないわ! 蜂の巣かな!? 人間種が住めるように改造された蜂の巣であるのかな?」
「蜂の巣だって、住んでみれば快適なんだよ」
ケトルの中でお湯が沸いた。
ルルスはお茶を一杯注ぐと、もう一つのカップが無いことを思い出す。
仕方なく、自分の分のお茶はケトルの中で直接作った。
「はい、お茶」
「えええ……? ルル? お主な、こんな粗末な蜂の巣に我を招待しようとしていたの? こんな貧相ですきま風で薄暗い場所に我を連れ込もうとしていたの……?」
「たしかに、先に説明しておいた方が良かったかも……」
しかしルルスも、知らないと死ぬ系の情報を説明されていなかった疑いがある。
おあいこにできないかな、とルルスは思った。
「最高精霊に対して、あまりに不敬すぎない……? 我びっくりしちゃうよ…?」
「だから、ゴルティナは別に借りた方が良いって言っただろ」
「そーもそもなぁ!」
お茶が入ったカップを持ちながら、ゴルティナが立ち上がる。
熱いカップをよく鷲掴みにできるなと思ったら、そのカップはよくよく見てみれば、ゴルティナの手の中で浮いていた。なるほど金属製。
「こんな経済状況で! よく我に求婚しに来たな!? 自分の家すら無いではないか! 我と一緒に暮らすための家すら無いではないかぁ!」
「う、うるさいなあ! 貧乏人で悪かったな!」
「はぁ……我、最高黄金精霊ぞ? いちおう神格ぞ……?」
「それは重々承知だけども」
「こんなのな! 普通はありえんのだからなー! ありえんのだからなー!」
ゴルティナはふたたびベッドにボスンと倒れて、ごねる子供のように手をバタバタとさせて転がる。
手にしていたはずの熱々のお茶入りのカップは、いつの間にか空中に置き去りにされている。見えない糸で釣られているかのように、空中でピタリと固定されているのだ。
そういうことがほとんど無意識に出来るのはわかるけれど、いちいち心配になるのでやめてほしい。
「我を迎えるには! 本来ならば人間種の王が直々にして丁重に出迎え! 我が現れては神官が祈りの言葉を謳い! 我が要求する前には専用の宮殿を用意し! 宴を開いては朝から晩まで我のことを楽しませなければならんのだぞー!」
「ここは僕の宮殿みたいなもんだしなあ」
家賃を滞納している系の宮殿ではあるが。
「ルルぅぅぅ! お主なあ! 意外と図々しいというか性根が図太いのだなぁ!」
「ああもう! そんなに不満ならな! 出て行ってダンジョンにでも何でも戻ればいいじゃないか! 甲斐性無しで悪かったな!」
そう言い返したところで、ルルスはハッとする。
(彼女にその自覚は無いが)生殺与奪を握られまくっている、存在の次元レベルで格上の相手に……なに啖呵を切っているんだ。
というか……そもそも騙して外界に連れて来て、不満なら帰れも人間として無いような気がした。
色々とアウトなような気がしていた。
ルルスが冷や汗やら罪悪感に駆られていると、ベッドの上で動きを止めたゴルティナが、ぐすりと泣き始める。
「どおおじてそんなことを言うのだぁ……! 我に本当に帰って欲しいのかぁ……!」
「いや……ごめん。悪かった」
「これから末永く生涯を共にするかもしれないのにぃ……! たくさん愛し合うかもしれないのにぃ……!」
「あの……うん、普通に言い過ぎた。本当にごめんって」
「ルルはあれかぁ…? 怒ると豹変するタイプなのかぁ? さも好きなだけ尻に敷かれますけどみたいな人畜無害な童顔をしおって、性根は亭主関白のドメスティックバイオレンスな花嫁であるのかぁ……?」
属性が渋滞していた。
「ごめん……反省した。もうあんなこと、言わないから」
「本当であるか?」
「本当だと思う」
ガバリ、とゴルティナが起き上がった。
同時に空中で待機していたカップがストンと落ちて、小さな丸テーブルへと一切の弾みも無くスッと着地する。
「うむ! それなら許そう!」
「えっ、本当に?」
「いやいや、考えてみれば我も言い過ぎたぞ! 仲直りであるな!」
「はあ、良かった……」
「仲直り仲直り! 夫婦というものは定期的に喧嘩して仲直りした方が末永く付き合えるものだと、父上から聞いているぞ!」
「まあたしかに、男女の仲はそんなもんかもね」
「よい兆候であるなあ! 仲直り一回目! これからもドンドン仲直りしてピカピカになろうではないか!」
「喧嘩が発生するのは前提なんだね……」
そこでルルスは、おや? と思う。
……なんだか、本当に結婚する方向で話が進んでいないか?
しかも、物凄いペースで距離が縮まっていないか?
今日の昼に会ったばかりだというのに、もはや秒読み段階に入っていないか?
…………。
「それで」
ルルスは思考を切り替えると、そう切り出した。
「いきなり死ぬ可能性があるらしい僕の契約とやらについて、説明してくれない?」
「うむ! そうであったな! バッチリピカピカに説明してくれよう!」
ビシッ、とゴルティナがポーズを取った。
どうにも、定期的に決めたい性質らしい。
「簡単な説明と、難しい説明。どちらがよい?」
「簡単に説明してから、難しく説明してくれる?」
「それがよいな! ルルは頭が良いぞ!」
ビシッとルルスのことを指さしてから、ゴルティナはズズッとお茶を啜る。
「簡単に言えばな。ルルは精霊と契約して、我の松明になったのだ」




