側妃を愛した侍女の憎しみ
「サシャの食べ物に虫を混ぜろ。」
アランさまに命じられた私は、泣いて拒みました。
サシャ様とお話をさせて頂いたことはございませんでしたが、王妃様とは違いとてもお優しい方だと侍女の間でも噂されておりました。それでなくとも、もともと貧乏男爵家出身で食べ物の有り難みを知っている私には食べ物に虫を混ぜるなんていう、そんなことはとても出来そうもございません。
本来であれば、殿下付の侍女に選ばれるような出身ではない私ですが、アランさま付になった侍女は皆、精神を病んで辞めてしまったため私のようなものが選ばれてしまったのです。
そんなアランさまですので、侍女が泣いたくらいで許してくれるはずがございません。
無理やり頷かされて、私はどうしてよいか絶望しておりました。
しかしアランさまは私なんかの想像を超える馬鹿でした。
虫を混ぜやすいようにという理由で私をサシャ様付の侍女にさせたのでございます。
そして報告を求めることもなかったため、私はサシャ様の食べ物に虫を入れるような真似は一度もしなくて済んだのです。
この時ばかりは、アランさまが馬鹿で良かったと心から思いました。
サシャ様とアルーシャ様と過ごす日々は天国のようでした。
侍女たちの噂通りのお優しいサシャ様と、明るく聡明でお母様想いのアルーシャ様。
王妃とアランとは天と地ほどの差でございました。
そしてサシャ様付になって初めて知ったのですが、サシャ様は、国王様の寵愛のお方でいらっしゃいました。
王妃に知れるとますますサシャ様を迫害されることが目に見えているため、国王様はこっそりと通われていたのです。
アルーシャ様が光魔法の使い手であることが判明した時から、王妃はサシャ様を酷くいびっていたようです。
しかしもともと隣国の姫である王妃が、平民出身の側妃様に嫌がらせをしたところで罪に問えるはずもございません。
王妃は、必ずサシャ様が一人の時にしか嫌がらせには参りませんでした。もっともあの方たちにとって侍女は道端の虫と同じでございますので、私の目の前では何度もサシャ様に言いがかりのような罵詈雑言を浴びせておりましたが。
アルーシャ様は、そのようなことは全くご存知ありませんでした。
いくら王妃であっても光魔法の使い手であるアルーシャ様を直接害することは憚られたようです。
それにサシャ様は、アルーシャ様にはご自身のあっている仕打ちを決して気づかせないようにしておられました。
サシャ様はお亡くなりになる一年ほど前から王宮魔法使であるルーカス様にお願いをしてアルーシャ様に通常の魔法を練習させておられました。
光魔法が使えれば、通常の魔法を覚える必要などございませんので、その時の私はとても不思議に思ったものです。
ルーカス様も私と同じ疑問は持たれたようですが、なぜかルーカス様から魔法を学ぶことをしなかったアランの分まで時間をかけて、アルーシャ様を指導してくださいました。
そしてサシャ様はお亡くなりになる半年ほど前から国王様に「もしも」のお話をされるようになられました。
「もしも私が死んだ時には、どうかアルーシャをこの王宮から解放してくださいませ。」
「君は、最愛の人を失った僕に大切な息子さえも手放せと言うのか。」
「私の最初で最後の我が儘でございます。」
「僕ではアルーシャを守れないからか?」
「王妃様を裁けないことはあなた様のお立場でしたら当然のことです。今は王妃様の憎しみは一心に私に向いておられますが、もしも私が死んだ時には、それはアルーシャに向かうでしょう。
どうかアルーシャを殺すことだけはさせないで。
継承権を放棄して、王宮から出ていくことできっと王妃様は満足されるでしょう。もしそれだけでは納得されないのなら、光魔法を使わないと約束させてでも、どうかアルーシャを生きてこの王宮から出してあげてください。それが私のあなた様への最後の願いです。」
私はこの時初めてサシャ様のお考えを知りました。
「私が平民であった頃に唯一優しくしてくださった貴族であるデイモン男爵家にアルーシャを養子にして頂けるようお願いをしてあります。あのご夫婦であれば、アルーシャを正しく育ててくださるはずです。」
すべてはご自分がお亡くなりになった後のアルーシャ様のためだったのでございます。
「アルーシャは、王家を憎むのではないか?」
「いいえ、アルーシャは誰のことも憎みません。」
サシャ様のブルーの瞳にまっすぐ見つめられた国王様には、サシャ様の最後のお願いを叶える以外に選択肢はなかったのです。
サシャ様が儚い命を終えられた後、アルーシャ様はデイモン男爵家に養子として引き取られました。
王妃は自分の罠が上手く嵌まったと思い、意地の悪い歪んだ笑顔を浮かべておりました。
私も微力ではございますが、少しでもアルーシャ様の助けになれればと、デイモン家で働かせて頂くこととなりました。
デイモン家に着いた初日にアルーシャ様は通常の魔法で、ご自身の瞳と髪の色を変えました。
そのお美しいブルーの瞳と、国王様と同じ金色の髪はとても目立ちましたので、仕方のないことかもしれませんが、サシャ様を思い出すあの瞳の色が見れないことが私には残念でございました。
それから8年が経ちましたが、成長しても何も変わらなかったんだなというようなアランのダンスパーティーでの愚行と、婚約者であるアリス・サーフィス公爵令嬢と婚約破棄をしたというニュースは街でも話題となりました。
アルーシャ様は、アランの愚行にとても怒っていらっしゃいましたが、それは決して憎しみではございません。
傷つけられたアリス様と、光魔法を失ってしまったルーカス様のご子息であるカイル様のため、そして罪を犯したアランと向き合うための怒りでございます。
アルーシャ様は、ご自分を追い出した王妃のことも、屑なアランのことも憎むことはございません。
それがサシャ様の願いだからでございます。
ですから私はアルーシャ様の分まで、いいえ、アルーシャ様とサシャ様の分まで、あの心醜き者たちを憎むのです。
地獄に堕ちろ、と。




