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あの場所で

作者: AKI

いい天気だなぁ。

・・・会社休んじゃおうかなぁ・・・

どうしたって、海が俺を呼んでいるって感じなんだよなぁ。

疲れてんのかなぁ…俺?・・・。

キメた! 休む!

透はいつもとは反対側のホームへ向かった。

体調不良の電話を会社へいれる。

やはり後ろ髪はひかれる。けど、もう決めたんだ。

1年に一辺くらいアリだよ、きっと。365日もあるんだし。…

もう一人の自分が”どうしようもねぇな”と呟くのを聞きながら。



良かった。晴れて。…

奈保子は10日前に有給休暇の申請をしていた。

最近、仕事が波に乗らない。

周りからは仕事に関しては、順調に見えているだろう。

それとは別のひっかかりがあった。

だからきっとそれは自分自身の問題なのだ。

平日に海でも見に行こうと思った。

仕事の都合上、水曜日にした。

本当は金曜日が良かったのだけども。

ヨシ!準備出来た、出掛けよう。



JRへの乗り換えのある駅を過ぎたら

電車は嘘のように空いた。一層社会からはみだしてる気分になる。

”学生の頃と同じだ。俺は落ちこぼれだなぁ”などと脳裏をよぎるが、

せっかく休んだのだ、もう考えないぞ!と空の青さに誓った。

明日からまた頑張って取り戻せばいいのだ。

仕事ならきっと取り戻せるはずだ。



奈保子は先月、三十路を迎えた。

誰に悪い事でもないのに、妙に動揺した。

仕事、仕事で懸命に走ってきた。あっという間だった。

母親の呆れ顔を横目に、自分でも時々自信がなくなる。

親戚の同年代の娘たちはとうに結婚している。

独身だからって、そんなの競争じゃないのに、恥ずかしい事じゃないはずなのに。



電車が海へ近付いてくると景色が変る。

いや、変ったような気がするのだ。

陽射しの加減が、強い気がする。

それは、思い出がそうさせるのか、現実なのか定かではない。

人間の五感など、とてもあいまいなものである。

それはそこに記憶が付加されるからだと思う。

海の町。

透は子供の頃から、この雰囲気が好きだった。

雑なようで人懐こい。優しいようで艶かしい。



鎌倉で横須賀線を降り、江ノ電に乗り込んだ。

なんだろう。この路面電車は、乗り込むだけで、楽しい気分にさせてくれる。

人は皆、海に何かを捨てにくるんだ、…そんなコピーすら

吹き飛ばしてくれる軽快さがある。

途中下車するんだぁ。

そして高台へ登って、そこから海の光を見る!って10日も前から決めてた。

青春の眩しさ。私にだってあった。これからだってある。

それが青春というかは別として。

ただ海を見たくなっただけ。…



春の湘南も好きだが、11月の湘南も格別だ。

水が澄んでる気がする。

ぷはぁ

海だっ!

思い切り背伸びをして、ネクタイをはずした。

俺は、コレの代わりに何かを失った気がする。

一瞬、投げ捨ててしまいたくなったが、”馬鹿な”…と、

独り言のあとポケットに詰めこんだ。

スーツが汚れるのを一瞬ためらってから、

諦めたように砂浜に座り込み煙草に火をつけた。

思い切り潮風と共に吸い込んだ。

キラキラ輝いている波模様。

”俺があの頃見てた夢って何だっけな?”…波に問いかけた。



坂の途中、

あいつの横顔が浮かんだ。あの頃、いつも隣にいた男。

あいつを思い出したくてここに来たわけじゃないのだけど。・・・

そういえば私、最近恋愛してないなぁ。

少しだけ、ふくらはぎが痛かった。

もう少し、もう少し、もう少しで頂上の高台。

頂上って見えるから、登る気がするんだよね…きっと。

…でも、なんで私、ここに来たくなったんだろう?

かつて、あいつと同じ夢は見れなかったけど、

あんな風に、心の全部でぶつかり合って、求め合って…。

私からさよならしちゃったけど、

あいつくらい理解してくれる人、いなかったなぁ。

あったかかった。私好きだったなぁ、あいつの事。



海というのは不思議で、

見たい見たいと思ってる時は昂揚するのだが、

いざその場に来ると、一瞬で萎えてしまう。

萎えてしまうというより、満足してしまうのかもしれない。

最近は海で泳ぐ事もなくなった。

そういえば、俺はバイクも降りちまった。

そうやって捨てた分だけ、何かを得たのだろうか?

考えてみれば、恋愛も捨てちまったじゃないか・・・

一瞬、あいつの怒った顔が雲に浮かんだ。

それだけ怒らせる事ばかりしてたって事だよなぁ。

でも、好きだったなぁ、あいつの怒った顔も。・・・

好きだった・・・。

あそこ行ってみるかな。



「1,2,3!」

高台の頂上で、声に出して振り返った。

海~っ!これよ、これ!これが見たかったの。

なんだか泣けてくる・・・

潮風を吸い込んだ胸が苦しかった。

仕事の事…世間体…周りの声…

”なんなのよ、一体!30歳がなんだっていうのよ!

私だって頑張った!…私だって頑張って生きてきた。”

そう心内で叫んでみた。

誰に見られてもいい。

このまま死ぬほど泣いてやろうと思った。



なんだ?

俺の特別な場所に誰かいるじゃねぇか。

なんだ、あの女。顔を覆い隠しちまってる。

なにやってんだろ?俺の大事な場所でよぉ。



いきなり、海とあいつが重なった。

何度も瞬きをしてみた。スーツを着ているが間違いない。

見間違うはずもない。

私が愛した男なのだ。



「奈保子か?」


「・・・透」


「・・・なにやってんだ、お前・・・」

「ちょっと待って」背を向け涙を拭いた。


「・・・・・・」

「ね!私、顔ヘンじゃない?っていうか、あんたこそ何やってんのよ」

一度目線を反らして、もう一度透の全身を眺め見た。

あの頃には無かった眉間の深いシワを見て、透の物語が見えたような気がした。


「…俺? サボリ・・・」恥ずかしくなって横を向いた。

「まったくぅ~、学生じゃないんだからね。全然変ってないのね、そういうとこ」


「うん…」

あの頃より奈保子は綺麗になっていた。

俺と別れて良かったんだよ。



「あのさ、…お前、間違ってないよ」

「えっ?」

嬉しかった。”間違ってない” 透がそう言ってくれる事、嬉しかった。


「海見る?」

「お前を見てる。…なんちゃって」奈保子の横に並んで振り返った。



どんな人間にでも特別な場所は存在する。

海はいつだってここに居てくれるのに、普段忘れちゃってる。

関係性が終了したあとだって、

何もなかったかのように、そこに居てくれる。





https://akisbar.hatenadiary.jp/

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