ギフト
晴れた月曜日の朝8時。
それは通勤と通学の時間帯であり、目的地に向かって多くの人々が予定通りの移動をひたすら行う慌ただしい時間帯。
その一画、人通りの多い区域の横断歩道の階段を上る二人の女子高生がいた。
「アビちゃんはスカートのガードいつも固いなぁ」
階段を上がりきったところで振り向いて、もう一人の女子高生がスカートを両手で抑えながら慎重に階段を上がる様子を見下ろして続けた。
「あんまり気にするならスカートの裾、少し下げたら?」
まるでパンツ履いてないのか?と疑われてもおかしくないようなガチガチな動きだったがよくあることなのか先を行く彼女は気にせずに相手を待った。
「いやー恥ずかしくってついついさぁ」
「裾下げたら?」
「そうなんだけど危ないのってココだけだしね」
「まあそうだけど。トイレ我慢してるようにも見えるよ。」
ようやく階段を上りきってスカートをロックしていた両手を解除する。
この二人の女子高生、先に上がりきった方はなな、後から上がったもう一人はあびだ。
毎朝このような調子で通学する二人。
よくある光景、よくある月曜日。
そして、勢いよく大型トラックが近付いてきて、そのまま通り過ぎようとした。
ブォォ…
ガソリン混じりだが柔らかな風が下から横断歩道橋まで吹き上げた。
風速2m程度の強さだろうか、スカートであれば丁度良く持ち上がる勢いのある風が吹き上げた。
それは憂鬱な月曜日の朝を行く男性の心に、一片の癒しをもたらすささやかなギフトとも言えた。
女子高生のスカートは優しく舞い上がり、天使の微笑みに惹かれ、今まで他人に無関心だった背後を行く人々の視線がそこに集中した。
女子高生は再度慌ててスカートをロックした。
間一髪スカートの状態が維持されると、解散の号令を受けたかのように視線は一斉にバラけ始めて月曜日の朝の顔に戻った。
が、
その数秒後だった。
何の前触れもなくもう一度風が吹き上がり今度はスカートが大きくめくれてしまった。
視線がバラけた後のそれを見ていたのは丁度横断歩道橋を上がり始めた学生、ノボルただ一人だけだった。
(え?パンツ履いてない?)
顔を綻ばせながらそう思った瞬間、それは起こった。
ズギュルチュグルプニュグウンジュルプグ
ギフトの恩恵を一身に受け、天使の微笑みによってもたらされたものは純白や縞模様の布…
ではなく、漆黒の虫のように蠢く闇だった。
それはノボルに腕を伸ばして掴みかかるがごとく勢いよく覆い被さった後、ブラックホールに引きずり込まれるかのようにスカートの中へ小さく消えてしまった。
ノボルは意識がなくなる前にスカートの中の太腿のさらに奥に漆黒の扉と耳にこびりつくような狂気的な叫び声が聞こえたような気がしたが、恐怖を感じる前に事が終わってしまった。
あまりに一瞬のことで誰も気付かなかった。恐らく目撃しても自分自身を疑い、気のせいだと思いたくなるほど日常のほんの一瞬の出来事だった。
何も起きてはいなかった。
いつも通りの月曜日だった。
しかしノボルにとっては、これまでの人生の全てを覆す運命の日だった。
※
重力のない空間。
水道の管の中を水が流れていくような光景。
未知の世界。
そこにノボルはいた。
学生服、携帯端末、眼鏡、ローファー、身に付けていた物が1つずつ消え、空間の流れに任せてゆっくりと回転しながら全裸になり、人体の一部が再構成されていた。
昨日運動中に擦りむいて怪我した肘や、今朝付けたばかり整髪料の匂い、今生の世界の痕跡がなくなり向こう側への互換処理が終わると落合登の体は遠くにポツンと輝く白い光に向かっていた。
異世界への転生。
それが先ほどからの一連の出来事に対する答えだった。ここで肉体や精神がリセットされ、消える。
そしてこれから新しい命の営みが始まろうとしていた。
やがて白い小さな光が一気に大きくなり全てを包み込んだ。
もし彼に意識があったなら空高くから落ちるような時の感覚を覚えただろうが今は叶わない。
ノボルの体は完全に白く塗り潰されて見えなくなった。
※
ノボルの感覚が戻って初めに感じた光は先ほどのものではなく、見知らぬ森にかかる斜陽だった。しばらくの間、放心していたが少しずつ意識を取り戻してきた。
(俺何してたんだっけ…)
ノボルは辺りを見回しながら自分の身に起こった事態を把握しようと頭と目をフル活動させた。
嫌な予感がする。
どうにも違和感がある。
これまで感じたことのない異様な空気感と警戒感がまとわり付いて離れる気がしない。未知や危険との遭遇に対して体が黄色信号を発しているようで落ち着かない。
彼は自分の家や旅行先や両親の実家などの生活圏を脳みその記憶の過去の同じような感覚の経験を掘り起こそうとしたが上手くいかない。
否定したい。
何かその根拠がほしい。
何でもいい。
夢であってくれ。
そして冷や汗が落ちた時、遠くから甲高く不気味な鳥獣の鳴き声が響き渡り、半信半疑だった疑念が確信に変わり、それを口に出した。
「ここはどこだ…?」