徒然草と竹取物語の個人的な関連
小学校の授業等でよくあることだと思うのだけれど、何故か竹取物語や平家物語の冒頭を暗唱するという授業がなかっただろうか?
今となっては何が目的なのだろうとしか思えないのだけれど、おかげさまでというべきか私は今でも竹取物語と平家物語の冒頭を暗唱することができる。
ただ、その時徒然草も同様に暗唱させられたと記憶しているが、私は今となっては徒然草を暗唱することが出来ないのだ。
いつも「徒然なるままに日暮らし」までしか続かないその後がどうしても「野山に混じりて竹を取りつつ」と竹取物語になってしまうのだ。
「野山に混じりて竹を取りつつ」の前が「日暮らし」という単語ならば私も納得出来ただろうが、もちろん前は「今は昔竹取の翁というものありけり」なので「日暮らし」という単語は出てこない。
納得は出来ないが私にとって「徒然なるままに日暮らし」の続きは「野山に混じりて竹を取りつつ」なので竹取の翁は徒然なるままに日を暮らしていたのか竹を取っていたのか訳の分からない人物になってしまった。
正直意味わからないですよねぇ
徒然なる-することが無くて退屈な様 なので竹取ってるんならそれはすることが無い訳ではないですからね
そもそも徒然草とか平家物語ってなんのために暗唱させられてたんですか?
今のところ覚えててよかった!先生ありがとう!ってなったことは無いんですけどね
「それが教養って言うんやで。」みたいなことをドヤ顔で語っている先生の顔が脳裏に浮かびますよね
なーにが教養じゃとしか思えないのは私の性格が悪いのかはたまた
正直何が書きたかったのかわからないものを垂れ流しているだけなのでこういうのを徒然なるままに日暮らしスマホに向かいつつ心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつくればあやしゅうこそ物狂おしけれってやつなのかも知れませんね
ここにダラダラ書いてるのは本編よりも後書きを長くしてみたいという下らない願望からなのですがそろそろ無理が出て来たので終わりにします
長々とありがとうございました
もし同じように途中から別のものに繋がってしまうという奇怪な症状に襲われてるという人がいらっしゃいましたら教えて頂けると私は一人じゃないんだと喜びます




