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8/12話 ☆ 大衆愛 ~the idol master~

前回のあらすじ。


引き続き、パンツがキーポイントです。

1.


山燃ゆる11月は、恋の季節。赤や黄色、色とりどりに染まる樹々の葉、鮮やかに野山を装い。秋から冬へ、一年の。最後の炎と、燃やします。

ご覧ください、ほら、あそこにも。頬を鮮やか朱色に染めた、可憐な一人の美少女が。今日も今日とて野山に負けじと、恋の炎に燃えていますよ、っと。


朝の、ホームルーム。お馴染みの主人公、高木里美(たかぎさとみ)さんは。一か月ぶりに登校してきた憧れのイケメン、新帝圭二(しんていけいじ)さんを隣の席に迎え、頬を真っ赤に、頭はポッポ。相変わらずの状態で、懲りずに夢中で、恋の世界。自分も周りも、意識の外です。

圭二さんは、今年の9月。サトミさんのお友達、梶田幸恵(かじたゆきえ)さんが若干危険な精神状態に陥った際。そのとばっちりで特に意味もなく殴り倒され、以降、約、1カ月。割と真面目に、生死の境を彷徨っていたのですが。先日、ようやく、その左眼の下に残ってしまった僅かな傷跡をのぞいて、全快し。本日、めでたく学校への復帰を果たしたのでした。

圭二さんと、幸恵さん。すっかりときめきラブコンテナと化しているサトミさんを間に挟み、対称の位置に座っている、この二人は。お互いに思うところが、間違いなくあるはずなのですが。今は互いに知らんぷりを決め込み、涼しい顔をして座っています。その様、まさに嵐の前の、凪が如し。いつかまたこの二人、ぶつかり合うことになるのでしょう。知らないのはさっきから二人の間で呆けっ放しの、サトミさんだけですが。知らぬが、ほっとけ。知らぬが、ほっとけ。

「…では、一人目は、新帝で、ええな。ええな?新帝しっかり、頼むぞ。」

よろよろと震えながら、サトミさんたちの担任、歴史の野茂田秀雄先生62歳が、カツカツと黒板に文字を書きます。62歳という年齢以上に今にも死にそうな野茂田先生ですが、手元の資料によると。見掛けにによらず女装趣味のある、剛の禿げ。ちなみに視力は0.03と、ありますが。まあ、今回のお話には今のところ、関係がありません。

無意味に野茂田先生に寄ったカメラが、再びサトミさんを映します。先月、まったく活躍しなかった我らが主人公、サトミさん。今月のご活躍に、期待します。

隣の席のイケメン・圭二さんの姿形、言動、息遣い、存在感。それら全てに心ときめかせ、胸高鳴らせていたサトミさんは。野茂田先生の口から出た「新帝」という言葉に、フッと現実に引き戻されました。

「では、あと一人。新帝の他にもう一人、誰か、おらんかー。」

よろよろと枯れた声を出す野茂田先生に、反射的にバーン!と机を両掌で叩き、勢い良く立ち上がった、サトミさん。立ち上がってから、あれ?なに?とキョロキョロ、あたりを見回しています。

「…なんじゃ、高木。やりたいのか。」

野茂田先生がカツカツと、黒板に文字を書いていきます。

新帝圭二。高木里美。横に並んだ二つの名前を見て、状況が全く理解できていないサトミさんは。え?え?と今更のように、激しく狼狽して見せるのでした。


2.


放課後。生徒会・会議室。「20XX年度第一回 文化祭執行委員会会議」と書かれた黒板の前に、サトミさんと、圭二さん。二人は並んで着席しています。サトミさんは、どぎまぎ。圭二さんは、平然とした顔。場所は違えど、いつもの二人の、光景です。

「(どどどどど、どうしよう!?なんか、大変なことになっちゃってる!!)」

サトミさんは今現在の状況が、現実のものとはとても信じられない気持ちで、頭がいっぱいです。朝の、ホームルーム。野茂田先生のお話を全く聞いていなかったサトミさんは。サッパリ頭の理解が追い付かないまま、先生の発した圭二さんの名前に本能的に反応し、自ら、クラス代表の文化祭執行委員に立候補してしまいました。これから半月の間、サトミさんは、圭二さんと、二人。文化祭の円滑な運営のために、力を合わせ、尽力していかなくてはならないのです。

「…よいのでは、ないでしょうか。それなりに知名度もある方ですし、地域の発展に尽力もされている。少々、特定の個人の意図が見えるところが気になりますが…。文化祭の趣旨から鑑みても、大きく逸脱するものではないと、考えます。」

サトミさんの隣でイケメン・圭二さんが、何か言っています。圭二さんの発言は一言一句、決して逃すまいと常日頃より集中しているはずのサトミさんですが、今日はまったく、その内容が頭に入ってきません。いつも通り、平常運転のサトミさんですね。見ているこちらも安心です。

「なるほど。高木さんも同じ意見、ということでよろしいでしょうか?」

眼鏡が知的な美少女、文化祭執行委員長先輩に突然話を振られ、まったく聞いていなかったサトミさんは。ムダに元気よく「はい!元気です!」と、またしても理解しないまま全面的に肯定の意思を表明してしまい。あれ!?なに!?なんなの!?とキョロキョロしています。

「それでは、この件は新帝君。そして、高木さん。二人に担当して頂きます。教諭側の担当は校長先生ですので、打ち合わせの際などには同席をお願いします。」

文化祭執行委員長先輩は、トレードマークの眼鏡を光らせます。その知的で冷徹な外見と裏腹に、隠れ巨乳でクラスの一部の男子生徒から熱烈な支持を受けている、と手元の資料にある彼女ですが。今回のお話には、さほど、関係がありません。非常に残念ですね。

「それでは、今回の会議は以上で閉会致します。半月後の文化祭本番に向けて、各員。今回割り当てられた担当の仕事を、進めておいてください。」

文化祭執行委員長先輩が眼鏡美少女だという以外の情報が全くないまま、20XX年度第一回 文化祭執行委員会会議は解散したのでした。


「それでー。どうだったのー?会議-。」

帰り道。サトミさんの戻りを待っていてくれた幸恵さんと落ち合い、ひよこさんを連れた、サトミさん。いぬさんを連れた、幸恵さん。いつもの通りに仲良く並んで、歩きます。サトミさんは何やら、浮かない顔です。

「それがね…。なんか、やばいことになっちゃって。私と圭二くん、今回の目玉の特別イベント、ってやつの担当になったんだけど…。」

サトミさんが、言葉を濁らせます。

「で、その、特別イベント、ってのが、ね…。」

ごにょごにょごにょと、サトミさんが何かを言います。

「あ、あー。」

幸恵さんも、うん、それはたしかに、ちょっとマズいんじゃないかなー。という表情を、浮かべます。

特別イベント。いったい、何が行われるというのでしょうか。今回もまた、波乱の予感がしてきましたね。


数日後。学校近隣の、スーパーの駐車場の一角。特設ステージで行われる「スペシャルイベント」の席に、校長先生と並んで座る、制服姿のサトミさん、圭二さん、二人の姿がありました。人もまばらな座席には、前方に固まって陣取っている、いかにもソレと一目でわかる、異様な集団。なれない雰囲気に間が持たず、サトミさんはソワソワと、先程から校長先生におごっていただいた「ほうじ茶ラテ」に、何度も口を運んでいます。その、異様な集団のさらに先頭に何故かいる、白いカラテ着の丸坊主たち。その、さらにさらに先頭に見覚えのある角刈りボーイの姿を認め、サトミさんがバフゥ、と口に含んだ「ほうじ茶ラテ」を噴き出しました。

ティンポンパンコーン。お客様に、お知らせします。只今より、駐車場、西側。特設ステージにて。本日の、スペシャルイベントを開催、致します。只今より、駐車場、西側。特設ステージにて。本日のスペシャルイベントを、開催します。ティンポンパンコーン。

アナウンスが「スペシャルイベント」の開催を告げるとともに、異様な集団がスックと立ち上がり。うおぉぉぉぉぉおおお!とケダモノじみた、人間語ではない咆哮を上げます。

「みっんなー!お待たせ!今日も来てくれて、あっりがとー!!」

明らかに地声ではない、カン高くかわいらしい声が会場に響き渡ります。スピーカーからエレキギターの爆音が響き。この会場にはまるで不釣り合いな、びっくりするような美女が姿を現しました。

流れるような美しいロングの、黒髪。均整の取れた細身の、スラっとしたスタイル。文句なしの、100%美女。おや?見覚えのある、この方は。

「ア・リ・ス、ちゃぁぁぁぁぁん!!!!」

異様な野郎どもの野太い声援で、会場が揺れます。

「(うっっっっわキモ!アッホくせえ!!!)」

カメラが今回の主役、ご当地(ローカル)アイドル・六道(りくどう)アリスさんを、その心の内なる声ごと、アップでとらえます。なるほど。今月はこのお方が来ましたか。

サトミさん、今回、これ。ちゃんと、活躍できるのでしょうか。



3.


「(アリスさん。初めてライブ、やってるところ観たけど…意外、って、いうか。普通にアイドル、やってたんだなぁ…。)」

校長先生に連れられ、今日はアリスさんの控え室となっている、備品置き場のプレハブ小屋に向かう、道すがら。サトミさんは少々失礼な、正直な感想を頭に浮かべます。

サトミさんは以前に、アリスさんに出会った事がありました。今年の7月、夏休みの少し前。熱血カラテボーイ、角刈りの定家(ていけ)先輩に絡まれたサトミさんは、その後しばらく、意味のよくわからないストーカー騒動に巻き込まれてしまいました。極悪ストーカーと化した定家先輩はサトミさんの尽力もあり、美しい愛に目覚めて改心、清く正しい?ストーカー道を歩むことになったのですが。

その定家先輩が標的(ターゲット)としていたのが誰であろう、六道アリスさん、その人だったのです。

改心した定家先輩に改めて清い交際(ストーキング)を申し込まれたアリスさんは一瞬でブチ切れ、定家先輩を全殺しにかかりました。サトミさん、幸恵さん、ひよこさんの主人公トリオが三人がかりでどうにか止めたため、定家先輩は一命をとりとめましたが。アリスさんの存在は恐怖とともに、サトミさんの心に深く深く刻み込まれたのでした。

曲がりなりにも、カラテの全国大会に出場する程の腕前の定家先輩。その定家先輩がろくに反撃すらできず、一方的に全殺されるしかなかったほどの、変態的な戦闘力、圧倒的な残虐性。サトミさんにとってアリスさんのイメージは血に濡れた拳を振るうその姿以外になく。今日もアリスさんのステージを観ながら、いつアリスさんがステージ下に固まって異様な叫び声を上げている異様な野郎どもに、キレて暴れ出すか。特に、最前列でステージにかぶり付き、アリスさんのパンツをまっすぐ迷いのない澄んだ瞳で見上げている変な角刈りが、いつ血祭りに上げられるか、まったくもって気が気ではなかったのですが。

無事、ステージを終えて拍手を背に去っていくアリスさんに、サトミさんは意外な一面を見たような気がしました。

「(アリスさん、なんていうか。本当にアイドル、だったんだなぁ…。歌ってるところ、ちょっと、カッコ良かったかも…。)」

サトミさんが先ほどのステージを思い返します。その視界の中で、校長先生のころんと丸い背中が止まり、それに気づいたサトミさんも同じく、足を止めます。

校長先生の手が、プレハブ小屋のドアをノックしようと、伸びたその時。

「がああああああああああぁっっ!!」

獣の咆哮じみたアリスさんの叫びとともに、ドガムという鈍い破壊音が、響き渡りました。


「あー、うっぜぇ。」

アリスさんの蹴りが炸裂した長テーブルが壁に当たり、粉々に砕けます。プレハブ小屋が大きく揺れ、一方の壁が大きくひしゃげて歪みました。

アリスさんはパイプ椅子にドッカと腰を下ろすと、背もたれ越しにガクッと頭を下ろし、低い天井を見上げながら、呟きました。

「はー、これはまた、派手にやったねえ。経費で弁償だなあ。」

眼鏡のマネージャーさんが、眼鏡をクイッとやります。マネージャーさんはアリスさんの方に向き直ると、「お疲れ様、アリスちゃん。」と、にこやかに声をかけてきました。

「ハ!アリスちゃん、ってトシかよ。」

アリスさんが、アメリカ人のように大げさに肩をすくめて笑います。

「ナアナアナア?マネージャーくん。私、いつまで、このアホみたいなフリフリ着て。アッホくせぇかわいこぶりっこ、してなきゃならねえんだろ。ぶっちゃけ、見てる方もキツくないかい。需要あんの、実際。」

天井を見たまま、アリスさんが言います。

「アリスちゃんは、社長のお気にだからね。」

マネージャーさんは笑顔を崩さず、答えます。

「いくら社長のお気に、て、いってもなあ。金になるほど客呼べるワケでもない、挙げ句、あちこちで暴れて、備品ブッ壊す。こんなの飼ってられるほど、会社(ウチ)は儲かっているのかねぇ?」

アリスさんはやる気なさげに、うんだかだー、うんだかだー、と天井を見たまま、腕をプラプラさせています。

「アリスちゃんのファンは、量より質なんだよ。ぶっちゃけ、今日の会場に来てるような連中は、売り上げ的にはどうでもいいんだけどさ。」

マネージャーさんが、再び眼鏡をクイッとやります。

「アリスちゃんには固定の、アリスちゃんが出続ける限りワシは出資するぞ!ってパトロンさんがけっこう、付いてるんだよね。ぶっちゃけ会社(ウチ)の資金繰り、それ頼りだし。」

マネージャーさんはさりげにすごいことを言ってますが、にこやかに笑みを崩しません。

「まあ、そんなわけで。アリスちゃんには、スイートさくらんぼ写真館時代からの根強い、熱烈なファンが…。」

言いかけてマネージャーさんは、ムッとして顔を上げたアリスさんに気付き、慌てて「おっと失言、失言。」とこの話を打ち切ります。

「マネージャーくん、さあ。」

アリスさんが、気だるげにスマホをいじりながら言います。

「前からそうだけど。けっこう言いづらいこと、ハッキリ言うよね。普通、本人に対してハッキリ言う?そういうハナシ。そんな正直で、営業って勤まる訳。」

アリスさんの指がポチポチと、スマホの画面をタップします。

「常に、誠実であること。それがわが社の、社是の第一だからね。」

胸を張って、マネージャーさんが言います。

「あ、そ。」

興味なさげに、アリスさんはスマホの画面に目を戻しました。

「がああああああああああぁっっ!!」ドガム。アリスさんのスマホが突如、怪音を発します。

「おいおいおーい。マネージャーくぅん?さっきの、ソッコー盗撮()られてアップされてんぞ。仕事しろ。」

アリスさんは呆れ顔で、今日の日付と「六道アリス、ライブ終了後、吼える」と見出しのついた動画サイトを開いた画面を、マネージャーさんに向けます。マネージャーさんがは、「ありゃ。」とアメリカ人のように大げさに肩をすくめてみせました。

「六道アリス 暴行。六道アリス 器物破損。六道アリス ファン半殺し。なあ、マネージャーくん。こんだけ公になってて、なんで私、まだ芸能活動続けてられるんだい。不思議で仕方ないよ。」

アリスさんはハッハッハッハッハ!と額に手を当てて乾いた笑いをあげます。

「アリスちゃんはわりと初期から、そういうキャラとして受け入れられちゃったからねー。さすがにこの前の、カラテ家撲殺!事件はなかなか、インパクトあったけど。」

マネージャーさんが、三たび、眼鏡をクイッ。

「ま、全国紙に名前も載ったし。会社(ウチ)としては、結果オーライ?ってとこか、な。」

このマネージャーさん、どうも、滅多なことでは動じない性格のようです。まだ若いようなのに、たいしたものです。

「そんなモンなのかねぇ。そこそこいいトシまでやってきたけど、私はまだ芸能界、ってやつの感覚が。理解できないところがあるよ。」

アリスさんが、ふぅん、と小さく溜め息をつきました。

「さ、ぼやいてないで、お仕事、お仕事。次の打ち合わせ、始めるよ。先方(スポンサー)がもう、見えてるんだから。」

マネージャーさんがパンパンと、手を叩きます。

「あー、それなんだけど。さぁ。」

アリスさんは飽くまで乗り気ではありません。

「中学校の文化祭?だっけ。なんだか、なー。公開処刑っつーか。私さあ、29だぜ?お肌ピチピチ、とぅるとぅるのガチ中学生が見守る中で、布の少ない服着たオバーチャンが、精一杯若いフリして、歌って踊って。普通に痛いだろ。」

アリスさんがじっと、マネージャーさんを見ます。

「まあ、そうなんだけどさ。」

「認めんなタコ。」

マネージャーさんはあくまで、正直を貫くスタンスでいるようです。社是の第一は、誠実であること。

「ロハなんだろ?中学校じゃ、その、熱烈なファン?ってのも、来るわけじゃないだろうし。ペイできんのかい。今さら私が地域のミナサンに貢献して、顔売っても。なあ?」

なあ?とアリスさんは、マネージャーさんに同意を促します。

「それが、そうでもない。文化祭の予算として、市の助成金が、ゴニョゴニョでね。不透明な金の流れがあり、会社(ウチ)にも少なくない金が入る。」

淡々と、マネージャーさんが説明します。

「マネージャーくん、さらりとすごいこと言うね。」

アリスさんは呆れます。

「あーあ。マジ、やってらんね。やりたくねー、やりたくねー。ナアナアナア、マネージャーくん?私さあ。引退しちゃ、ダメかしら?もうテキトーに、結婚でもしたいんだけど。なんかさあ、結婚して、ソッコー死んでくれそうな。都合のいい金持ちとかさ、知らない?」

やりたくねー。と再び、背もたれ越しに頭を落とした、アリスさん。そこにいたハゲ頭が目に入り、ぎょっと動きが止まります。

「…おい。いつから居た?そこのハゲ。」

視線の先には、校長先生、サトミさん、圭二さんの一団が。所在なげに突っ立っています。

「いつから…って。がああああああああぁぁっっ!!バコム。の、ちょっとあとあたりから、ずっといたけど。あれ、先方(スポンサー)見えてるって、さっき言ったよね?」

マネージャー氏、四度目の、眼鏡クイッ。

「アリスちゃんは、相変わらずですねえ。」

校長先生が、ころんと丸い顔をさらにまん丸にして、ニコニコ笑います。

「ハゲおさーん!今日も、来てくれてたんだ!アリス、うれしいっ!!」

声のトーンが突然変わり、キュピッ!と「アリス、うれしいっ!!」のポーズを決める、アリスさん。

盛大にズッこけたサトミさんが豪快に頭をぶつけ、プレハブ小屋が大きく揺れました。



4.


「アリスちゃんはねぇ。もともとは、私の生徒で。君たちの、大先輩なんだよ。」

ニコニコ笑いながら、嬉しそうに校長先生が語ります。「大先輩」と「先輩」を強調した単語に、アリスさんのこめかみが若干、ピキピキと音を立てています。

「アリスちゃんがアイドルデビューした時、私は嬉しくて、嬉しくてねえ。握手をしてもらおうとして、緊張のあまり、間違えておっぱいを揉んでしまったんだよ。」

ああ、ありましたねー、とマネージャー氏が相槌を打ちます。

「パイプ椅子で滅多打ちにされて血の海に沈みながら、私はね。この子は、絶対に成功する。他のアイドルに持っていない唯一の光るものを、この子は持っているんだと、確信してね。すっかり、ファンになってしまったんです。」

目を閉じて、思い出に浸る校長先生。「は、はぁ…。」と反応に困っている、サトミさん。圭二さんは「(早く帰りたいな。)」

とあっちを向いて知らんぷりです。

ふと、サトミさんはきっと自分をじーっと見ているアリスさんの視線に気がつきます。「あ、私…。」言いかけたサトミさんに、「あー、やっぱり。この前の子だ。」アリスさんも、確信を持ったようです。

「覚えてて、くれたんですか!?」

サトミさんは素直に驚きます。

「カラテ家撲殺!事件はなかなか、インパクトあったからねぇ…。」

アリスさんが、チラっとマネージャーさんを見ます。

「まあ、一応私もアイドルだしね?ファンの顔は覚えてるよ。あ、アンタは別にファンじゃなかったか。」

アリスさんは、緊張気味のサトミさんを面白そうに見ています。

「あ、あの、でも!今日の、さっきのコンサート、すごく、カッコよかったです!私、てっきり…。」

言いかけて、「あっ。」と黙ったサトミさんを、アリスさんが逃さず、からかいにかかります。

「てっきり。観客を皆殺しにでもするかと思った。かい?」

おろおろと狼狽しているサトミさんの様子に、アリスさんは「(図星かよ。)」と苦笑しました。

「まあ、なんだ。そこのハゲとの約束でな?なんでも、君がアイドルを本気で続けたいと思っているのなら。アリスちゃんに会うのを楽しみに来てくれたお客さんのことだけは、絶対に裏切っちゃいけない。ステージを降りるまでは、君はアリスちゃんをやりきらなきゃいけない。みんなを幸せな気持ちにできる、そんなアイドルになってください。…なんだ、そうだ。」

アメリカ人のように大げさに肩をすくめるアリスさん。校長先生は嬉しそうにその言葉を聴いています。チッ、とアリスさんは小さく舌打ちをしました。

「仕事だ、仕事。勘違いすんな。別に、ハゲのためにやってるんじゃないから。私も食ってかなきゃいけないし、給料貰ってるからな。その分くらいは、そりゃ、真面目にやるさ。ま、楽屋じゃご覧の通りだけど!」

ハッハッハッハッハ。アリスさんは仰け反りながら、豪快に笑ってみせますが。今度はふと、どういうわけか自分をキラキラした憧れの目で見ているサトミさんの視線にぶつかり、慌てて目を逸らします。

乱暴な、怖い人だとばかり思っていた、アリスさん。その実こうして接してみると、気取らず、さっぱりとしていて、まるで、お姉さんのようで。サトミさんは先ほどのステージの印象もあり、アリスさんに対してかなりの好感、ありていに言えば、「かっこいい大人の女性」というイメージを抱いてしまったようです。

「(どうも、やりづれぇな。)」

アリスさんは妙な、感じたことのない類いの落ちつかなさを感じているのでした。

「…で、ハゲおさんよ。呼ぶからには、客、集められるんだろうな?ただでさえこっち、乗り気じゃねえんだ。お前しか見に来てないとかだったら、真面目に帰るぞ?」

嫌な予感しかしねえ。そういった顔をしているアリスさんに、ハゲお、もとい校長先生は、「大丈夫ですよ!」と即答してみせます。

「アリスちゃんなら、中学校(うち)の体育館なんて。もう、一瞬で満員御礼札止め間違いなしです。運営のことは我々に、ドンと任せて。アリスちゃんは心配せずに、いつも通りやってください。最高のステージを用意してみせますよ、ね?高木さん。」

突然、校長先生に話を振られたサトミさんは。反射的に「え!?はい!」と答えてしまいます。

サトミさん、いい加減で人の話はちゃんと聞きましょう。このハゲ、けっこうな無茶ブリをしていますよ。



5.


翌日。

机の上に置かれた、見上げるように巨大な段ボールの前で。

「(はぁ…。これ、どうしよう?)。」

サトミさんは、溜め息をつきます。

「何?これー。」

不思議そうに巨大段ボールをぺしぺし叩いている、幸恵さん。ひよこさんといぬさんも先ほどから、あちこち突っついたりふんふんと匂いを嗅いだりして、この不審物を調べています。

「これね…。」

サトミさんは段ボールを机から下ろします。小さく、「重いっ!!」と叫び、鈍い音を立てて床に置きました。若干、床が揺れます。サトミさんがごそごそと、開けて見せる巨大段ボール。幸恵さんはひよこさんを持ち上げて、一緒に中を覗き込みました。

「あー。」

幸恵さんが困った声を上げます。。サトミさんたちの背丈ほどもあろうかという巨大な段ボールの中は、綺麗に印刷された「六道アリス特別コンサート・入場券」でびっちりきっちり、隙間なく埋められています。

「こ、これってー。ひょっとして、一番下まで、これなのー?」

幸恵さんの笑顔が少々、ひきつっています。鋭い幸恵さんは既に、サトミさんの置かれている事態を察したのでしょう。

「校長先生がね…。なんか、アリスさんの大ファンらしくて。昨晩、徹夜で印刷したんだって…。」

サトミさんはちょっと、泣きそうです。今回の文化祭の目玉、地域社会の方々との交流、活躍中のOBをという名目で行われる、ご当地(ローカル)アイドル・六道アリスさんを招聘してのスペシャルコンサートは。文化祭の1イベントであるため、サトミさんたち生徒は当然、自由に見学できるのですが。

「外部の方」が入場するために必要となる、このチケット。今朝一番、校長先生から直で手渡された巨大段ボールに、いったい何百。否、何千枚、何万枚、入っているのでしょう。どう見ても刷りすぎです。校長先生は東京ドームでも埋めるつもりなんでしょうか。

「…頑張って、配ってくださいね。って言ってた。」

「あー。」

サトミさんの言葉は、幸恵さんの想像通りのものです。

ちなみに執行委員の相方である圭二さんは既に、何も聞こえていないといった様子でそっぽを向いての知らんぷりです。

「…なんじゃ、これは。」

よれよれと教室に入ってきた担任・歴史の野茂田先生が、教室のど真ん中に置かれた巨大な段ボールを見て目を丸くしました。サトミさんは慌てて段ボールを、机の上に戻して着席します。

「(いや、そういう問題ではない。)」

野茂田先生は巨大な段ボールの向こうに隠れて見えないサトミさんに、心の中でツッコミました。


ティンコゥン、ティンコウンと、昼休みのチャイム。午前の授業の間、巨大段ボールの前に座り続け、「(ていうか。前、見えない!!)」と思っていたサトミさんは。今も視界を塞ぎ続けているソレを見上げて、再び大きな溜め息をつきますが。

やおら突然立ち上がると、「よし!やるかぁ!」と声を上げ、巨大段ボールを床に下ろします。

「ピヨコットちゃん、お願い!」

サトミさんがごそっと抱き抱えるように取り出した入場券の束をを、ひよこさんが頭の上に受けとります。

「片っ端から、いくぞぉ!」

(フン)ッ!と鼻息荒く、入場券を抱えて意気揚々と教室を出ていく、サトミさん。頭にどう見ても数十キロはありそうな紙の束を乗っけたひよこさんが、それに続きます。

「あ、私も、行くー。」

同じく入場券を抱え、幸恵さんといぬさんもついて行きました。

サトミさんたちは、フロアの端から順に教室を回り。一人一人に丁寧に説明、希望枚数だけの入場券を手渡していきます。

美少女二人が笑顔で「お願いしまーす。」と手渡してくれる、チケット。女の子の反応はいまいちですが、男の子からの人気は、そこそこ。中にはついつい調子にのって、数十枚単位で大量に受け取ってしまう方もいらっしゃるようです。これはこれで、よい社会勉強になりそうですね。校長先生の教育方針もなかなか捨てたものではありません。

サトミさんは昨日の今日で、突然、予想外の巨大段ボールを手渡され。当初は困惑する気持ちの方が、さすがに大きかったのですが。

「アリスさんのコンサートを成功させたい。」「アリスさんを応援したい。」という気持ちが。昨日、アリスさんと話してからのサトミさんにも、少なからず芽生えていました。何より、「あの素敵なアリスさんのコンサートをもう一度、目の前で観たい。」という、純粋な感情。それがサトミさんに、この校長先生の無茶ブリとも言えそうなチケット配りを、積極的にやらせる原動力となっているのでした。

サトミさんたちはテキパキと、教室を次々まわって入場券を配っていきます。そして廊下の端から、4部屋め。ようやく自分の教室に戻ってきた、サトミさんたちは。同じようにチケットの束を抱えて、教室を出ていく圭二さんと出くわします。

「僕。反対側から配ってるから。」

圭二さんはそれだけ言うと、さっさと行ってしまいます。

「圭二くん…。」

てっきりまた、知らんぷりでそっぽを向いているものだとばかり思っていた圭二さんのイケメン行動っぷりに。

その背中を見送るサトミさんが、頬を赤く染めました。

「よっしゃ!もっともっと頑張って、配りまくるぞぅ!!」

サトミさんのやる気に、ターボがかかりました。


「なめるな、高木。俺を誰だと思っている?アイドルだかなんだか知らんが、そんな腐れビッチのコンサートなど、微塵にも興味ないわ!」

小太りのクラスメイト、妹尾武(せのおたけし)くんが、傲然と腕を組みます。だんだら羽織の背中には、「幼女命」の文字。アリスさんのファンの方々に近いものを持っているようで、まったく持っていない、武くん。その隔たりは、天と地ほどもあるようです。

「アリスさんはビッチじゃないよ!!すごい、綺麗な人なんだよ!?」

サトミさんは自分のことのように、プリプリ怒ります。

「他をあたれ。29歳のババァ?20年遅いわ。」

武くんはシッシッと手を振って、サトミさんたちを追い払いますが。

「(待てよ、六道アリス。六道…アリス?はて。)」

何か、思い当たるものがあるようで。腕を組んだまま一人、ウームと首を捻りました。

そんなやりとりを後ろから見ているのは、メガネのクラスメイト、有荘柘雲(ありそうつくも)くん。有荘くんは本当は、サトミさんたちに「ぼくも手伝うよ!」と、申し出たいのですが。そこが、メガネボーイの悲しさ。イケメンの圭二さんのようにはいかず、話しかけるタイミングが掴めずに。自分の番が回ってくるのを今か今かと、悶々としながら待ち構えています。

「(5枚…かなあ。)」

有荘くんはご家族の方や、数少ない知人の顔を思い浮かべます。あまり社交的ではない有荘くんには、精一杯の数字です。

「50枚!」

サトミさんに久々に「有荘くん!」と呼んでもらえた有荘くんは、反射的にパーを突き出していました。「有荘、スゲー。」と、クラスのみんながどよめきます。よい社会勉強になりそうですね。頑張ってください。

「そんなにいいの!?ありがとう!!」

パッと笑顔を輝かせるサトミさんに、有荘くんは。

「(田舎のバーチャンたち、呼ぶかぁ…。あ、そうだ、ネットで告知してみようかな。)」

この50枚は絶対に配りきってやろうと、心を決めるのでした。


「あぁ、綾子(あやこ)に渡しゃいいのか?まあ、あいつヒマそうだし、来ると思うけどよ。それ以外はムリだぞ、俺、友達とかいねーし。」

一年背の教室。ひよこさんの頭の上の入場券の山に、不気味ボーイ改め不器用ボーイの1年生、椎枝末広(しいえすえひろ)くんがぬーんと視線を飛ばします。

「うん!お願い!綾子さんにもよろしくね!」

ニッコリ笑ったサトミさんに手渡してもらった1枚のチケットを見ながら、椎枝くんは。

「(一応、綾子にも誰か呼べるか、聞いてみるか…あいつも友達、居なそうだけど。)」

さりげなく、失礼な事を考えるのでした。


「非合理的だ!!」

放課後の、公園。「高木里美」という名札のついた夏服を着て演説を行っていた、あからさまな、変態マン。瀬古、無一郎が、サトミさんの申し出に叫びます。

「何故、このぼくが。知りもしないアイドルのコンサートに行かなくてはならない!?いいか、アイドルなどというのは、しょせんは商業主義によって作られた空虚な偶像。そんなものを喜んで崇めるのは、思考停止した愚昧な大衆のやることだ。無批判に搾取され続けるだけの、凡愚どもめ。」

瀬古、無一郎がビッ!と、サトミさんを指差します。相変わらず、あからさまな変態のくせに酷い言い様です。

「あぁそうですか、ていうか。私の制服きるの、やめてください。」

サトミさんは諦めたように言います。

「学校。来たら、制服の女の子、いっぱいいますよー?」

隣の幸恵さんが口を開きました。

「ゼミの連中を連れて来よう。」

瀬古、無一郎が、サトミさんの抱えている入場券の束を奪い取りました。



「ぜんぜん、なくならない…。」

誰もいない教室に戻ってきたサトミさんは、巨大な段ボールの前で、ガックリと肩を落とします。

「けっこう頑張って、配ったんだけどなぁ…。」

既にサトミさんたちは全教室をまわり、数百枚の入場券を配っていました。サトミさんの言う通り、相当頑張ったように思われますが、しかし。もともとの絶対数が、明らかに多すぎるのです。イケメンの圭二さんが女の子たちに大量に押し付けている分を合わせても、とても配り切れるものではありません。

「わたしが、街で配ろうかー?」

幸恵さんがプチプチとブラウスのボタンを外し、胸元を広げます。

「いやいや!ダメだよ!!なんかすごい、犯罪チックな絵柄だよソレ!?」

サトミさんが慌てて止めます。そうですね、下手すれば校長先生まで逮捕されかねません。

「冗談、だしー。いぬじろうさん、もうこっち見ても大丈夫だよー?」

服装を戻した幸恵さんが、恥ずかしがって向こうを向いたままのいぬさんに話しかけます。このお友達は時々、本気とも冗談とも判断しかねる事を言い出すので困ります。

「あとは…やっぱり。あの人にも声かけないと、ダメかぁ…。」

溜め息をつくサトミさんに、幸恵さんも「あー。」と、ピンときたようです。


「あの、私、二年生の高木って言います。定家(ていけ)センパイ、いらしゃいますか…?」

校内の、一角。武道場を訪れたサトミさんたちは、出迎えた丸坊主のカラテ部員に尋ねます。可憐な少女と、清楚な少女。二人の美少女がそれぞれ、頭と背中にチケットの山を乗っけたひよこさんといぬさんを連れ、築地本願寺に似た怪しげなデザインの建物の前で、カラテ着姿の丸坊主と向かい合い、建物の中からはアチョー!アチョー!と列泊の気合い。ある意味、なんかすごい、犯罪チックな絵柄です。

「せせせ先輩!大変ッス!女性の方が!!女性の方が、二人もお見えになったッス!!」

丸坊主のカラテ部員は、おろおろと激しく狼狽します。

「馬鹿者ッ!!はははは、早く、中に、お連れしろ!!座布団だ、座布団を出せ!あと、お茶だ!あ、お前はシュークリーム買って来い!走れ!!」

同じく丸坊主のカラテ先輩も、激しく狼狽しています。ずらりと整列したカラテ部員達に「押忍(オス)!」と挨拶されながら、サトミさんは。「(なんだか、なあ…。)」と気が重くなるのでした。


「是非にとも!ご協力させて頂きたいッス!!」

カラテ部員の丸坊主たちの見守る中、サトミさん達の前に正座した定家庵臼(ていけいおうす)先輩が、ぶん、と勢いよく頭を下げ、勢い余って床にぶつけました。湯呑みが倒れ、サトミさんが慌てて直します。

「自分らカラテ部員は、カラテ部員である前に。アリスさんに身も心も捧げた、アリスさんの大ファンッス!命に変えてでも、そのチケット、配りきって見せるッス!!」

なるほど。昨日の駐車場ライブにハッスルしている姿が見えたのは、そういう事だったのですね。定家先輩が今日までアリスさんに殺害されずに生きてこられたのは、ファン活動と判別の付けづらい高度なストーキングを行っていたためだと推察されます。

「定家センパイ…受験とか、いいんですかー?」

熱苦しく燃える角刈りを前に、サトミさんは困惑気味です。

「あ、自分もうカラテの推薦で高校決まってるんで。ご心配には及ばないッス。」

平然と言い切る定家先輩に、サトミさんは。

「(なんか、新たな問題を起こして推薦、取り消されないか。ご心配になるんですけど…。)」と、沸き上がる不安を隠せずにいるのでした。

「それに、自分…。お師匠に、ご恩をお返ししたいんス。アリスさんに出会えたのも、もとはと言えばお師匠のお陰で。ずっと、卒業までにご恩返し、しなきゃいけないと思ってたんス。お師匠のためにも、是非!この定家庵臼に任せて頂きたいッス!」

再び勢いよく頭を下げた定家先輩の頭が床にぶつかり、ゴンと鈍い音が響きます。頭を上げ、真っ直ぐにサトミさんの目を見つめている定家先輩の顔は、誠実そのものです。

「(悪い人では、ないんだよね…。)」

暴走さえ、しなければ。サトミさんは改めて、なんだか惜しい気持ちで定家先輩を見るのでした。


定家先輩を連れて教室に戻ったサトミさんたちは巨大段ボールを丸ごと持っていこうとする定家先輩を慌てて止めます。

「大丈夫ッス!任せてくださいッス!」

と胸を張る定家先輩に、「ありがたいんですけど、私の仕事だし、それはちょっとさすがに…。」と、言葉を濁す、サトミさん。

「(何をやらかすか、心配なので。)」とは、さすがに言えません。

当たり障りのない言葉で定家先輩が傷付かないよう、説得を始めた、その時。

「ちょっと!待ったぁー!!」

教室の扉がバーン!と開き、武くんを先頭に揃いのだんだら羽織を着た小太りの一団が、ずかずかと教室に入ってきます。

「何ッスかお前らは!部外者が学校に入るなッス!」

定家先輩がカラテの構えでサトミさんを守るように前に出ます。

「俺は生徒だ。我々幼女見守り隊は本日より期間限定で日本ロリコン党を再結成した。その段ボールは、我々日本ロリコン党が接収する。」

武くんの後ろの小太りたちが、巨大段ボールを台車に乗せます。

「お前ら、なんのつもりッスか!」

定家先輩が小太りの前に立ち塞がります。その前に、ビニール袋で厳重にカバーされた一冊の雑誌が突き出されました。

「月刊スイートさくらんぼ写真館、創刊号。マニア価格80万円を超えるお宝だ。表紙、巻頭グラビアは、伝説のジュニアアイドル、六道アリス。」

武くんの誇らしげに見せつける雑誌を、サトミさんたちはまじまじとよく見つめます。表紙には、20年前の日付と。水着姿の、たしかに何となく、見覚えのある幼女。黒髪の天使、六道アリスちゃん、デビュー!の文字が、デカデカと踊っています。

「この月刊スイートさくらんぼ写真館は、20年前。この、黒髪の天使をデビューさせるために創刊された。いわば六道アリスこそ、この月刊スイートさくらんぼ写真館の、産みの親。我々日本ロリコン党はこの素晴らしい雑誌を造り出してくれた六道アリスに敬意を表し、これより全勢力をもって、六道アリス特別コンサートを支援する!!」

幼女見守り隊、改め日本ロリコン党のまさかの申し出に、サトミさんはただただ、目を丸くしています。

「昼はすまん、高木。20年遅かったのは、俺の方だった。出来ることなら20年前のアリスちゃんに会いたかったが、それも叶わぬ夢。ならばせめて、お前の仕事に協力させてくれ。」

武くんが、サトミさんに頭を下げます。

「サッパリ意味がわからないッス。変態ッスかお前は?」

「あ?さっきからなんだお前は。マルゲリーさん、やっちゃってください。」

理解しあえない一触即発の変態同士を、サトミさん必死になだめます。

その後ろで、「ハー!ハー!」とうるさく騒いでいる武くんの変な秘書を、幸恵さんが皆から見えないよう、さりげなく殴り倒しました。



6.


数日後。

いつもの角は、なんだか大変なことになっていました。

ずらりと整列したカラテ着姿の丸坊主と、だらしなくなく並んだ、羽織姿の小太りたち。

一様にお願いします!お願いします!と声を上げ、道行く人たちに「六道アリス・特別コンサート」の入場券を配布しています。

定家先輩と武くんは、お互いに「お前たち邪魔ッス!やるならもっと声を出すッス!」「お前らうるせえ!もっと静かにやれよ、クレームになるだろ!!」等と反目しあいながらも、それぞれのチームの監督として、忙しく走り回っています。

後ろでは、サトミさんと、幸恵さん。美少女二人が、興味を持って脚を止めてくれた方に、詳細を説明しています。いぬさんがチケットの補充に奔走し、その脇で、意味もなく人々に制服の素晴らしさを説く瀬古、無一郎。ひよこさんがサトミさんの知らないうちに、親切なおじいさんが巨大段ボールで作ってくれた「拾ってください」と書かれた新居へ、あんパンと牛乳とともに入れられています。

折しも、インターネットでは先日の「あーあ。マジ、やってらんね。やりたくねー、やりたくねー。ナアナアナア、マネージャーくん?私さあ。引退しちゃ、ダメかしら?もうテキトーに、結婚でもしたいんだけど。なんかさあ、結婚して、ソッコー死んでくれそうな。都合のいい金持ちとかさ、知らない?」というアリスさんの言葉が盗撮マニアによって拡散されており。

六道アリス引退説がまことしやかにささやかれている、そのドンピシャのタイミング。有荘くんによって掲示板に書き込まれた特別コンサートの情報が、「これが六道アリスのラストステージになるかも!?」という推察を呼び。一部の熱烈なファンがチケットを求めて大騒ぎを始め、それに目をつけた反社会的な組織のこわい方々が、とんでもない価格で販売したりします。

なんだかよくわからないうちにプレミアムチケットと化した入場券は、既にそれ自体が価値を持ちだし。中には、偽造チケットを販売する不届き者までもが出る始末。学校では眼鏡美少女・文化祭執行委員長先輩が、鳴り止まない問い合わせの電話の対応に追われ、「(何をやってくれちゃったの!?あの子!!)」とキレかけていました。

いつもの角に押し寄せる、様々な思惑の、様々な方々。そのカオス極まりない光景の前を、「(何やってんだコイツら。)」と思いながら、椎枝くんがぬーんと通りすぎていきました。



そして、文化祭前夜。

自分が巷のホットワードと化しているとは露知らず、マイペースに自宅で過ごすアリスさんは。買い置きの缶チューハイが切れていることに気づき、部屋着のジャージのまま、コンビニへいそいそと出かけます。

マンションの入り口の前で、アリスさんは。何やらそこに、黒い毛玉が落ちていることに気がつきました。

「なんだコリャ、ゴミか?」

アリスさんはなんとなく、毛玉をつまみ上げます。

<おい、きさま。こいになやんだり、してるのか。>

黒い毛玉が喋りました。

「やっぱりゴミか。」

アリスさんはそのまま、毛玉をゴミ箱に捨てようとします。

<まて。いいかたが、わるかった。>

毛玉は慌てて、命乞いをします。

<きさまののぞみを、いってみろ。なんでも、かなえてやるぞ。>

地獄の闇のような黒いひよこさんが、つまみ上げられて逆さにぶら下がったまま、クックックックックと笑いました。


<ちにゃー、ちにゃー。>

声を上げながら、黒いひよこさんが裂きイカをかじります。アリスさんの、自室。先月末、地球に帰還した黒いひよこさんは、圭二さんの自宅に向おうとして、迷子になり。1ヶ月の宇宙漂流からの大気圏突入のダメージで体力・魔力ともに使い果たしていたこともあり、遂に行き倒れてしまいました。無意識のうちに強大なダークパワーの発生源に向かっていた黒いひよこさんは、アリスさんのマンションの入り口で力尽き、丸まって毛玉になっていた、というわけです。

「…で、アンタは何。その裂きイカの代償に、私の望みを叶えてくれるわけ。」

アリスさんが買ってきた缶チューハイを、グイと煽ります。

<おうよ。まかせろ、なんでもかなえてやるぞ。>

黒いひよこさんはまだ、裂きイカに夢中です。テキトーに答えています。

「それは何、カネとか?たとえばさ、結婚して即死んでくれる、都合のいい金持ち連れてきて!とかでもいいの?」

アリスさんもあまり期待せず、テキトーに聞いてみますが。

「ハー!」

突然、リビングの扉がバーンと開き、明らかに日本人ではない変な金持ちが現れました。どういうわけか、顔に殴り倒されたような青アザができています。変な金持ちです。

「え、何。こいつ、金持ち?私と結婚したら、死ぬの?」

アリスさんは怪訝な顔で、変な金持ちを見ます。

「ハー!」

突然、変な金持ちがバッタリと倒れました。打ち所がよほど悪かったのか、ピクリとも動きません。

「おー。すげー、すげー。マジで死んでるわ。」

アリスさんは缶チューハイ片手に、突然死を向かえた変な金持ちを見下ろしていましたが。

「ウゴクナ!ケイサツダ!リクドウアリスダナ、サツジンヨウギデ、タイポシチャウゾ!!」

突然、リビングの扉がバーンと開き、今度は変な警察官たちがドカドカと踏み入ってきます。

変な警察官たちは変な金持ちの死体を撫で回し、「トウブニダゲキコンアリ、ボクサツデスネ、ハー!」等と、検分を行います。

「ナルポド、キョウキハソノ、カンチューハイカ?」

変な警察官の1人が、アリスさんの持つ缶チューハイに目を留めます。

「あ?いや、私は別に。なにも…。」

言いかけたアリスさんの腕に、ガチャリと手錠がかかりました。

「カクポー!カクポー!」

「タイポー!タイポー!」

変な警察官たちが、口々に騒ぎます。変な警察官たちはアリスさんを担ぎ上げると、わっしょいわっしょいと部屋から運び出し始めました。

「おいぃ!?待てコラ!おい黒ひよこ?なんだこれ、どうなってんだ!おい!」

運び出されるアリスさんに、「アリスサン!イマノオキモチオ、ヒトコト!!」とマイクを持った変なリポーターが次々と突撃してきます。変なリポーターです。

「お前ら、ちゃんとした日本語しゃべれぇぇぇぇ!!」

あまりに意味不明すぎる状況にピントのズレた叫びを上げ、闇に消えていくアリスさんを、黒いひよこさんがクックックックックと実に楽しそうに笑いながら見送りました。



7.


翌朝。遂に迎えた、文化祭当日。

中学校の校庭は、話題の六道アリス「引退」コンサートを観ようと。開演は夕方4時であるにも関わらず、早朝から集まった様々な人々でごった返しています。

これだけの人数。当然、コンサート会場である体育館には入れませんが。校長先生の鶴の一声で校庭に設置されたオーロラビジョンによって、同時中継でコンサートの様子は映し出される事になっています。

「どこからそんな予算が?」

と眼鏡を光らせる文化祭執行委員長先輩に、校長先生は、「市の助成金をゴニョゴニョしました。」といつも通りの笑顔で答えるのでした。

校庭に集まった皆さんは、どうあっても、体育館に入ってナマのアリスさんを拝んでやろうと。また、例えオーロラビジョンであっても、少しでも良い位置で観てやろうと、押し合いへし合い、大混乱です。

「押さないでください!慌てる必要は、ありません。開演は、16時となっております、まだ、会場には入れません!押さないでください!並んでください!並べやコラァアアア!!!」

朝礼台の上に立ち、拡声器を持ったクマのような体育の先生が、集まった方々に大人しく並んで待つよう、必死で訴えかけます。体育大学出身で普段から生徒を並ばせる事には自信のある体育の先生ですが、今回ばかりは少々、分が悪い。未経験、未曾有の人数を相手にする体育の先生の目には、既に「(なんで言うこと聞いてくれないんだよぅ!?)」という無念の涙が浮かび上がってきています。

群衆たちが体育の先生の制止を振り切り、遂に暴徒と化そうとした、その一瞬。登校してきてたまたま通りかかったイケメンの圭二さんが、彼らに冷たい一瞥を向けました。

「(殺すぞ。)」

言葉ではなく意思として直接、脳内に響いてきた、誰かの殺意。お集まりの皆さんは一瞬にして凍りつき、誰からともなく「並ぼうぜ。」「ああ、大人しく待とう。」「大人だもんな。」と体育の先生の言うことを聞くようになりました。


体育館にひとり、サトミさん。ステージの、最後の確認を行っています。このあと、文化祭の開会宣言がここで行われ、そのあと4時までは生徒による、ステージ発表。バンドや漫才、管弦楽、演劇などが披露される予定です。

そして、4時からは遂に、今回の目玉。六道アリスさんの、「引退!?」特別コンサートが始まります。

サトミさんは、このあっという間に過ぎた半月の事を、思い返すようにステージを眺めました。校長先生の尽力で生じた不透明な金の流れにより、ステージのまわりは様々な色のスポット・ライト、同時中継カメラ、巨大なスピーカー等、見違えるように豪華な設備で囲まれています。

ただ、やはり。中学校の体育館の舞台はしょせんは中学校の体育館の舞台でしかなく、豪華な設備がまわりを埋めたことにより、一層狭く、貧相に見えます。

さすがの校長先生でも、体育館をマルっと建て替えるわけにはいきませんでした。否。やろうとしたのですが、「いい加減にしろ。」と文化祭執行委員長先輩がキレかかっていたので、やむなく断念しました。

今回のコンサートがアリスさんの最後のステージになるかもしれないという噂は、当然サトミさんの耳にも入っていました。最近知ったばかりの、アリスさんの、アイドルとしての姿。その、突然すぎる最後のステージが、こんな小さな舞台になるなんて。サトミさんは、残念な想いを押さえきれません。せめて、出来うる限り最高の環境を整えようと、入念に最後の設備チェックを行い、チリひとつ落ちていないように、掃除します。

アリスさんの、最後のステージ。モップを動かしながらサトミさんは、色とりどりのレーザービームに照らされながら歌うアリスさん姿を幻視します。もうちょっと、演出にも凝りたかったな。眼鏡のマネージャーさんは、この会場ではこれが限界といってたけど。例えば。そう、花道を歩くアリスさんの背中に、龍が舞い上がる、なんてどうかな。カッコいいアリスさんにはピッタリだと思うんだ、そう、ちょうど、そんな感じで。

サトミさんの目の前を、一頭のりゅうさんが、ふよふよと流れていきます。サトミさんはハッシと、りゅうさんのしっぽを掴みました。

<あ?なんだテメーは。>

りゅうさんは不機嫌な目を、サトミさんに向けます。

「ご、ごめんなさい!あの、あなた、龍ですよね!?力を貸して欲しいんです!!」

サトミさんはぶんと勢いよく、頭を下げました。

<しるか。いそがしいんだよ、こっちは。オレサマのたんとうするはずの、こいになやんでいるヤロウのけはいが、さくばんからサッパリ、きえちまいやがった。それとも、おまえがソレだってのか?>

りゅうさんは忌々しそうに、サトミさんに掴まれたしっぽを引っ張ります。

<あ、ドラグレットさんだ。>

バケツを頭に乗せて水汲みから帰ってきたひよこさんが、りゅうさんに声をかけました。

<あぁ!?ンだよ、ピヨコットがもう、ついてんじゃねえか。ふざけんな。ったく、ムダによびとめやがって、よぉ。>

りゅうさんはイライラと、飛んでいってしまいます。

「あ…。」

サトミさんは残念そうに、りゅうさんを見送りました。

「高木さん!!」

入れ替わるように、眼鏡ボーイ・有荘くんが。息せききって、駆け込んできます。

「なに?龍なら私も見たよ?」と呑気に反応するサトミさんに、「これ!これ!」と有荘くんがスマホのニュースサイトを突き付けてきました。

「ご当地お騒がせアイドル、遂に殺人容疑で逮捕!!」

ニュースサイトの「本日の話題」のトップに踊る文字を見て、サトミさんが駆け出しました。


「ハー!ダカラナゼ、コンヤクシャオコロシタ?フツウハコンヤクシャ、コロサナイダロ!!」

わけがわからないうちに連れ込まれた変な警察署で、アリスさんは変な警察官の取り調べを受けています。

「だから殺してないって。あとお前、さっき私の部屋で死ななかったか?」

怪訝な表情で変な警察官を見ているアリスさんの前で、変な警察官が「ハー?」とアメリカ人のように大げさに肩を竦めました。変な警察官です。

「ワケノワカラナイコト、イッテナイデ。ナンデコロシタカ、ハヤクイエ。センセイ、オコラナイカラ。」

先ほどから、二人の会話は何度も堂々巡りの繰り返しです。話の全く通じない変な警察官に、アリスさんの怒りのボルテージが急激に上昇していきます。

<ハッハッハ、いいぞ、もっとイラつけ、もっとおこれ。おまえのはっする、ふのかんじょうが。ダークパワーにかわり、このおれさまをみたしていくぜ。>

黒いひよこさんはヘラヘラ笑いながら、二人のやり取りを見ています。そう、この変な警察署は現実の警察署などではなく、黒いひよこさんが魔力で造り上げた、亜空間。対象者を閉じ込め、様々な精神的イヤガラセを加えることで怒らせ、悲しませ、絶望させ。その負の感情から生まれるダークパワーを術者が吸収する、高等魔術。上位の悪魔にしか使えない、『闇の牢獄(ダークジェイル)』と呼ばれる魔術なのです。

<ほんらいこういう、ストレートなのは。おれさまのしゅぎに、はんするんだがな。あいにくラッパもねえし、いつもみたいにゆっくり、いじめてやるじかんもねえ。このままだとガチに、おれがハラへって、しぬ。ま、にんげんどものインターネット?ってやつで、コイツがいなくなってもさわがれないよう、こうさくしといたし。ホンモノのケーサツがうごくまえに、こんかいは、てばやく。かいふくだけ、させてもらうぜ。>

黒いひよこさんはクックックックックと、こわい笑い方をしています。

「(ち…さすがにコイツは、ヤベエな…。)」

アリスさんはチラリと、両手にかけられた手錠を見ました。

「(警官皆殺しにして逃走したら、さすがにアイドル続けられねえよなあ…?)」

こんな状況でも自分が警察官に勝てる前提で物を考えているあたりが、とんでもなくアリスさんらしい、アリスさんなのでした。



「おかしいよ!この記事、絶対おかしい!アリスさんは乱暴だけど、人殺しなんかする人じゃない!!」

サトミさんの言葉に、皆が「(そうかなあ?)」という顔を向けます。幸恵さん、圭二さん、マネージャーさん、文化祭執行委員長先輩。それに、武くん、有荘くん、定家先輩もいます。

「そうなの!!」

みんなの無言の答えに、サトミさんが大声で言い返しました。

「ええ、そうですよ。あの子はちょっと乱暴なところはあるけど、根は優しいんです。」

校長先生がニコニコと、サトミさんの言葉を受けて続けます。

「まあ…それはソレとして。実際、アリスちゃんとは昨晩から、一切の連絡が取れなくなっている。コンサートのある日に、行方をくらます。今までのアリスちゃんなら、まず考えられないことだ。犯人ではないにしても、実際、逮捕されている可能性は高い。」

マネージャーさんはが眼鏡をクイッとやり、文化祭執行委員長先輩が眼鏡を光らせて頷きます。眼鏡ボーイの有荘くんは、「(ぼくも何か言った方が良いのかな。)」と、二人を見て思いました。

「…私、さっき、御遣いの人を見た。」

サトミさんが思い切ったように言います。ひよこさんが頷き、幸恵さんが、いぬさんが、武くんが、有荘くんが、定家先輩が。一斉に、顔を見合せました。

「恋に悩んでいる人の気配が、昨晩から、感じられなくなったって。すごく、イライラしてた。私、それ、アリスさんのことなんじゃないかと思う。」

あ!と気づいたように、幸恵さんと有荘くんが同時に声を上げます。思い当たるフシが、この二人にはあります。6月の、サトミさん監禁事件。

「校長先生、マネージャーさん、執行委員長先輩。それに、圭二くんも。私が何を言ってるかわからないと思うけど、今は聞いて。アリスさんたぶん、すごく、大変な事になってる。私、助けに行こうと思う!」

サトミさんの言葉に、皆が頷きます。

「いや…高木さんは、校長先生やマネージャーさんと一緒に、ここに残って会場の運営をした方がいい。校庭を見ただろう?すごい集客だ。勝手がわかっている人間がいなければ、とても捌ききれない。僕には話、よく見えないけど。荒事になるなら、腕には自信があるしね。僕が行くから、信じて待っていて欲しい。高木さんには、ここで高木さんにしか出来ない仕事がある。」

沈黙を守っていた圭二さんが、口を開きました。非の打ち所がない、なんともイケメン極まる台詞です。その左眼が、怪しく赤く光ってさえ、いなければ。

「…わたしが、行く。新帝くんはここで、サトミちゃんを手伝ってあげて。」

いつになく厳しい口調で、幸恵さんが言います。圭二さんと幸恵さんは、お互いにしばらく、表情を変えないまま。目だけに敵意を充満させ、睨みあっていましたが。

「ありがとう、梶田さん。高木さん、ここは梶田さんに任せよう。」

フッと微笑んで、この場は圭二さんが折れました。結局、幸恵さん、ひよこさん、いぬさん、武くん、定家先輩の武闘派チームがアリスさんの救出に向かい、サトミさん、圭二さんの会場運営を、校長先生、マネージャーさん、執行委員長先輩、有荘くんがフォローすることになります。

「サトミちゃん、行ってくるねー!いぬじろうさん、ピヨコットちゃん、行こー!」

背を向けた幸恵さんに、圭二さんが。

「…どこに行けばいいか、わかるの?」と、からかうような言葉をかけます。その言葉の端には、「(『ラブスカウター』でアリスさんを探せる僕がいなくて、本当に大丈夫なのかな?)」という圭二さんの、意地悪な意図がほんのり見えています。

「…わたしには、わかるの。」

幸恵さんが振り向かずに、冷たく答えました。言外に、「あなたの好きにはさせない。」という意志が伝わってきます。その目からは最後まで、圭二さんに対する敵意が消える事はありませんでした。

「(参ったな…今回は僕、何もしていないんだけど。)」

白々しくとぼけていましたが、圭二さんには、当然。今回の事件が誰の仕業であるか、しっかり見えています。アリスさん救出にかこつけて、いつの間にか地球に帰って来てたらしい黒いひよこさんを、現場で回収するつもりだったのですが。唯一、黒いひよこさんと圭二さんの関係を知る幸恵さんにああまでマークされては、さすがに自由動く事ができません。左眼の下の傷痕を押さえ、圭二さんは苦笑するのでした。



「ハー!ダカラコンヤクシャオコロシタノ、ナンデ?フツウハコンヤクシャ、コロサナイ。コタエハ、ナーニ?」

何十度目かの同じ質問を、変な日本語で変な警察官がアリスさんに問います。さすがに、アリスさんも精神的な消耗が激しいのか。黙って、下を向いたままです。

「(やべえ…いい加減で、そろそろ限界だわ…。)」

アリスさんの手錠をかけられた両手が、小さく震えます。

「(次。なんかコイツがふざけたら。たぶん私、キレる。)」

あ、そういう意味の限界ですか。しかしこれは、かなりまずい状況ように思われます。

「ハー!ハラヘッタカ?カツドン、トッテヤッタゾ。イッカイキュウケイダ、メシアガレ。」

変な警察官が、変な出前のお兄さんからカツ丼を受け取ります。いかにも怪しげなカツ丼が、アリスさんの前にゴトリと置かれます。変な警察官と黒いひよこさんが、わくわくしながらアリスさんの様子を伺っています。

<(クックック。マルゲリーてづくりの、スパイス700ばいカツドンだ!どんなふうにころげまわるか、ウキウキがとまらないぜ!)>

なんて下劣な真似をするのでしょう。まさに、悪魔です。アリスさんは割り箸を手に取ると、いただきます、と口の前で手を合わせます。ひと口、ふた口。アリスさんが化学兵器級に辛いはずのカツ丼を、涼しい顔で食べ進めます。アリスさんが辛い辛いと泣きながら悶える姿を予想していた二人は、あれぇ?と顔を見合せます。

やがて、アリスさんはカツ丼を完食し。ごちそうさまと、口の前で手を合わせました。黒いひよこさんと変な警察官は、不思議そうにアリスさんを眺めています。アリスさんが、ゆっくりと首を回しながら立ち上がりました。間接の鳴る、ボキボキボキボキという音が不気味に響きます。

「あー、さて。」

アリスさんの手が、黒いひよこさんの頭を掴みました。この時ようやく、黒いひよこさんは先ほどから感じていた、違和感の正体に気がつきます。

アリスさんは、左手にどんぶり、右手に割り箸。普通に両手を使って、カツ丼を食べていました。変な警察官がカギを外した?いや、そんな間はなかったはずです。黒いひよこさんの目の前で、アリスさんの両手を繋いでいるはずの手錠の鎖が。黒いひよこさんの魔力で造られた、絶対に破壊できないはずの『闇の手錠(ダークチェーン)』の鎖が。無造作に千切られて、プラプラ揺れていました。

「何か、言い遺したい事はあるか?」

黒いひよこさんの頭を掴むアリスさんの手に、次第に力が込められていきます。

<ほんとうは、さきイカじゃなくて、スルメがよかった。>

それが、黒いひよこさんの遺言になりました。


アリスさんの僅かな気配を頼りに、アリスさんのマンション付近をふよふよとただよっていた、りゅうさんは。

昨晩から微妙に生じている時空の歪みが、先ほどから綻びはじめているのを感じ、スウと空から降りてきます。

<におうぜ。ちと、ぼうりょくのにおいだ。>

りゅうさんは亜空間の裂け目に、ふよふよと入っていきました。

変な警察署の中では、アリスさんが次々と現れる変な警察官を殴り倒しながら進んでいます。その様、まるで旧き良き、ファミコンゲームの如し。変な警察官たちはアリスさんにまったく歯が立たず、一撃のもとに屍に変えられていきます。

変な警察署の出口に行き着いたアリスさんを、ズラリと並んだ完全装備の変な機動隊が迎えました。その数、数百か、数千、はたまた、数万。

「上等…。」

雄叫びを上げ、アリスさんが駆け出しました。



時計はまもなく、午後4時を迎えます。アリスさんが現れないまま、体育館にぎゅうぎゅう詰め、満員の観客をどうにか整理しながら。

「(幸恵ちゃん、ピヨコットちゃん、お願い!!)」

サトミさんは、窓の外を見上げるのでした。




8.


「おい!いつになったら始まるんだ!とっくに4時過ぎてるぞ!!」

「こっちは夜明け前から並んでるんだ!いい加減にしろ!!」

「俺は変なダフ屋から、20万円でチケット買ったんだぞ!カネ返せ!!」

「ハー!トリアエズ、バカ!!」

小さな体育館を埋めた観客が、次々とステージへ罵声を飛ばします。ステージの上のサトミさんは、ひたすらすみません、すみませんと謝り、その悪意を華奢な身体で矢面に立って受け止め続けていました。時刻は既に、四時半を回り。朝から待たされ続けた観客のフラストレーションは、もはや爆発寸前です。

「ごめんなさい!でも、アリスさん。絶対来ます!絶対来るんです!!皆さん、どうかもう少し、もう少しだけ待ってください!お願いします!お願いします!」

泣きそうな声で、サトミさんが叫びます。その深々と下げた頭に、空き缶が投げつけられ、ガッ!と鈍い音を立てました。

「さっきからもう少し、もう少しって、いつまで待たせんだ!ふざけんなぁ!」

「お前見にきたんじゃねえんだよ!引っ込め、ブス!!」

「ハー!ドヒンニュウ!ドヒンニュウ!」

観客の悪意は、次第ににサトミさん個人への攻撃へと矛先を変えていきました。バカ。ブス。貧乳。ビッチ。ここにはとても書けないような罵詈雑言が、サトミさんに次々と浴びせられます。ちょこちょこ、変な罵声が混じっている気がしますが、きっと、気のせいです。観客が各々、手に持った物をサトミさんに投げつけようと腕を振り上げた、その時でした。


バーン!


突然、ステージの端のグランドピアノが不協和音を立てました。ピアノの前には、いつの間にかステージの上にいた圭二さんが、目を閉じて立っています。ピアノの前に立つイケメンの、異様な迫力。暴発寸前だった観客の皆さんは、気圧されたようにそっと、振り上げた腕を下ろしました。

圭二さんがステージ下へ一礼し、ピアノの前に座ります。僅かな空白を置き、その繊細な指先が。静かに、メロディーを奏で始めました。

タン、タカタカタカ、タカタン。

タン、タカタカタカ、タカタン。

しんと静まり返った体育館に、ピアノの鍵盤を弾く硬質な音が響き渡ります。

ルードビヒ・バン・ベートーベン作曲。

ピアノソナタ第23番。通称、「熱情」。

静かなメロディーの中に力強い想いを秘めたその曲は、体育館の外にまで広がっていき。

やがて、遠く時空を隔てた亜空間中にまで届きました。



激しい情熱的なピアノの調べに、アリスさんの、拳が。アリスさんの蹴りが。アリスさんの投げが、関節技が、あらゆる思い付く限りの攻撃が重なっていきます。「オラァ!」アリスさんが拳を振るう度に変な機動隊員のジュラルミンの盾が砕け。「オラァ!」アリスさんの蹴りが炸裂する毎に変な機動隊員が、物言わぬ屍と化します。

「次に死にてぇ奴、前に出ろァ!!」

いつ果てるとも知れぬ戦いの荒野、力尽きるまで止まる事を知らぬ、阿修羅。その頭上に、ふよふよと一頭の龍が舞い降りました。

<いやがったな、おんな。へ、なんだかえらい、もりあがってんじゃねえか!>

りゅうさんは空中でぐるりと1回転すると、急降下。変な機動隊員たちに颯爽と襲いかかります。鎧袖、一触。りゅうさんが通り過ぎただけで、変な機動隊員たちが次々引き裂かれ、(たお)れていきます。

「あ?なんだか知らねーが、やるじゃねえか!」

呼応するように、アリスさんの動きにも一層のキレが出ます。

<きにいったぜ、おんな。いっしょにあばれさせてもらう。パーティのはじまりだ!!>

ピアノはまさに、最高潮(クライマックス)。阿修羅と、翔龍。戦いの化身が二人、返り血に濡れた凄い顔で、互いに微笑みを浮かべました。



「(もう、5時近い…!)」

携帯を開けて何度目かの時間の確認をする幸恵さんの表情に、焦りの色が色濃く浮かびます。アリスさんの気配を辿り、このマンションの前まで来たのは良いのですが。「近くに確実にいる」事はわかるのに、アリスさんの姿はどこにも見えません。

もう、何時間も必死の捜索が続いています。脳裏に勝ち誇ったような圭二さんの顔が浮かんだ幸恵さんは、慌てて首を振ってそれを掻き消しました。

いぬさんが地面に鼻をつけ、ふんふんと何度も何度も、同じあたりをぐるぐる回っています。時空間を隔ててまさに目の前で、アリスさんは戦い続けているのです。

<(じくうの、ゆがみ。『ダーク…ジェイル』、か。それに、わずかだが、このけはい。ヤツが…いるのか?)>

いぬさんは、ぬうと。難しい顔をしています。

「ハー!ボス、ボス、ナンジャアコリャ!!」

だしぬけに武くんの変な秘書が叫び、皆が一斉に注目します。変な秘書です。「…何だよ。」と呆れ顔で近づいた武くんが、一瞬で真顔に戻りました。

変な秘書の、指差す、空中。そこに、まるで古いアパートの壁にできたひび割れのように、小さな亀裂が走っています。その裂け目の向こうでは、アリスさんとりゅうさんが。変な機動隊を相手に、激しい戦いを繰り広げていました。

「梶田!」

武くんが、幸恵さんを呼びます。武くんの指すものを見た幸恵さんは、即座に「いぬじろうさん!」と、いぬさんを呼びよせました。



何時間が、経過したのか。はたまた、数分しか、経っていないのか。歪んだ時空間の中で戦い続けていたアリスさんの耳に、突然、<いぬパンチ>と外部からの声が届きます。時空間の僅かな裂け目から飛び込んできたいぬさんが、流星のように変な機動隊員たちの中に突っ込み、薙ぎ倒しながらすっ飛んでいきます。変な機動隊員たちと時空間の裂け目のあいだに、1本の道が出来上がりました。

「アリスさん!!」

幸恵さんを先頭に、武くん、定家先輩。それぞれ、カラテ着と羽織の一団を引き連れ、突撃してきます。

「な…なぁ!?」

突然の事に面白い叫びを上げるアリスさんを、異様な一団がわっしょい!と担ぎ上げました。

「ピヨコットちゃん!準備、できた!!」

幸恵さんがいぬさんのすっ飛んでいった方へ叫びます。

<いぬパンチ。>

今度はこちらに向かって、いぬさんの背中から飛び降りたひよこさんがすっ飛んできます。ひよこさんは必殺技の勢いに任せ、時空間の裂け目に突き刺さり。現実の世界へと、そのまま突き抜けていきました。一瞬遅れて、ひよこさんが通過した跡の亜空間がガラスように粉々に砕け散り、その一角に、大きな穴が開きます。

「今だ!」

「今ッス!」

武くんと定家先輩が、同時に叫びます。状況のさっぱり把握できないアリスさんは、「ちょ待て!下ろせ!話を聞け!」と叫びながら、わっしょいわっしょいと眩しい現実の世界の光に向かって、運び出されていくのでした。



ピアノを奏でていた圭二さんの指が、最後の和音を押さえます。

バーン!と曲が終わると、圭二さんはゆっくり立ち上がり。ステージ下へ向け、一礼しました。

「来たよ。」

圭二さんがサトミさんにだけ聴こえるように呟くと同時に、わっしょいわっしょいという野太い野郎どもの掛け声が、体育館の外から聴こえてきました。


わっしょーい!と投げ出されたアリスさんは、目の前に建っている、体育館。それを取り囲むように集まった、観客。そして、駆け寄ってくるサトミさんの姿を見て、ようやく。自分がどういった意図をもってここに連れてこられたのかを、把握します。

アリスさんはサトミさんと自分を交互に見比べるように、眺め。気まずそうに頭を掻くと、「あー、なんだ。」と話し始めました。

「なんていうか。アンタが私を助け出してくれた?事には、感謝する。ありがとよ。でも、さ。そんな期待した目で見られても、困るんだわ。見ろよ、コレ。人前に出られるカッコかい?」

アリスさんはちょっと悲しそうに、笑顔を作って見せます。

「どの道。私は脱走した殺人犯で、機動隊相手に大暴れした凶悪犯だよ。六道アリスは本日をもって、アイドル廃業だ。」

ハッハッハッハッハ!と乾いた笑いを上げるアリスさんが、ぎょっと固まりました。サトミさんが、ぽろぽろと大粒の涙を流しているのです。

「ダメ、ですよ…。みんな、アリスさんが来るの、すごい楽しみに、待ってたんですよ…?アリスさん、今日で、最後になるかも、しれないじゃないですか。もう二度と、ステージで歌えないかもしれないじゃないですか。みんな最後に、アリスさんの歌ってるところ、観たいから。アリスさん、すごい素敵だったな!って、思って終わりたいから。朝早くからこんなに集まって、私達だって、みんなで頑張って。私だって、私だって、私だって…。」

えぐっ、えぐっとしゃっくり上げながら、サトミさんが言います。

「私だって…、私!アリスさんのステージ、もう一回、ちゃんと観たいよっ!!!」

サトミさんが叫びました。アリスさんは困ったように、サトミさんを見ています。

「ズルいよ、アンタ。」

アリスさんが小さな溜め息をつきました。

「ファンの子に、そんなふうに言われちゃ、な。」

アリスちゃんに会うのを楽しみに来てくれたお客さんのことだけは、絶対に裏切っちゃいけない。ステージを降りるまでは、君はアリスちゃんをやりきらなきゃいけない。みんなを幸せな気持ちにできる、そんなアイドルになってください。「あのハゲ」の言葉が、アリスさんの耳によみがえります。

「ホント、やりづらいよ、アンタは。」

アリスさんが、フッと微笑みを漏らしました。サトミさんを見るその目は、まるで、小さな妹を見るかのような優しさに溢れています。

「化粧も崩れて、髪はボッサボサ。衣装はジャージ、ご丁寧なことに返り血だらけ。ハ!スッゲェアイドルも、いたもんだ。いいぜ、気に入った!この最悪なシュチュエーション、ショボくせえ、チンケなハコ。このステージで六道、アリス。生涯最高、最後のライブ!テメーらに、拝ませてやるァー!!」

アリスさんの雄叫びが、四方に響き渡りました。


「レディース、アンド、ジェントルメン。皆様を大変長らくお待たせ致しましたこと、改めて深く、お詫び申し上げます。重ねて、お待たせ致しました!六道アリス、入場!!」

眼鏡のマネージャーさんの前口上が、朗々と響きます。しんと静まり返っていた会場が、おおおおおおおおおおおおおおおおおおと次第に大きく、揺れていきます。バン!と体育館の扉が開き、ステージまでの一直線を、観客の皆さんの海を真っ二つに割るように、アリスさんが駆けて行きます。そのジャージの背中を追うように、天駆ける翔龍。アリスさんとりゅうさんは大きくジャンプすると、一足にステージへ跳び乗りました。

「お前るァ!待たせたなァ!!」

マイクを握ったアリスさんが、戦闘テンションそのままの、素のキャラで叫びます。いろいろ、台無しです。シーンと静まった観客のリアクションを見て、「あ。」とアリスさんが自分の失敗にようやく気付きました。

ステージ下の観客達は、最初、何が起きているのかを理解できず。沈黙をもって、それに応えていましたが。やがて、一人、また一人と、ステージの上にいる血塗れのジャージを着た女性が、間違いなくアリスさんその人であることに気がつき、どよ、どよ、と波のようにどよめきが広がっていきます。どよめきはやがて、会場を満たし。遂に歓声として、爆発しました。

「アリスちゃーん!信じてたよぉー!」

「アリスちゃんサイコー!アリスちゃんサイコー!」

「ハー!ケッコンシテクダサーイ!ハー!」

観客達は次々と、アリスさんへ声援を飛ばします。やがて、会場が一体となって、盛大なアリスコールが始めました。

ア・リ・ス!ア・リ・ス!

ア・リ・ス!ア・リ・ス!

いつまでも止まらないアリスコールを、信じられないような気持ちで、アリスさんは見ています。

「(マジかー、コイツら。…ったく、ファンってのはどいつも、コイツも。しょうがねえな!!)」

顔を上げたアリスさんは、完全にアイドル、六道アリスの顔をしていました。

「みっんなー!おっ待たせ!!アリスのこと待っててくれて、ありがとー!!」

キュピ!とポーズを決めるアリスさんに、再び、おおおおおおおおおおおおおおおおおおと野郎どもの野太い叫びが上がります。

盛大にズッコケたサトミさんの頭が床を打つ音が、会場を揺らす大声援に飲み込まれていきました。


アリスさんの歌に、アリスさんのマイクに、アリスさんのポーズに、アリスさんのダンスに。

会場を埋めた観客の皆さんが、体育館の外でひしめきあって聴いている皆さんが、校庭のオーロラビジョンを見上げている皆さんが。一体となって、歓声を上げます。まるで体育館の壁がなくなったような、一体感。アリスさんを中心に竜巻のような高揚が広がり、今日ここに集まったすべての人々を包んでいきます。

<へ!いいじゃねえか。いいかんじに、もりあがってきやがった!やってやろうぜ!>

アリスさんの頭上に浮かんでいたりゅうさんが、クルリと、1回転。その手にはどこから出したのか、1本のエレキギターが握られています。

<スーパーラブチャンス!>


『龍天に舞い、エレキ爪弾く。女神の奇跡、ここに()れ。染まれ野の山、今こそ燃えろ。アーメンゴキゲン、ヒャーウィー☆ゴー!』


第八の御遣いが神器・紅葉のエレキを掻き鳴らすと。樹々の葉が一斉に真っ赤に染まり、最後の炎と、天高く昇る。


まさに、奇跡。歌い踊るアリスさんの血塗れのジャージが、ボサボサの髪が、化粧の崩れた顔が。宙を舞う真っ赤な紅葉(もみじ)の嵐に包まれ、きらびやかなステージ衣装に変わり、完璧なメイクアップが施されます。奇跡は、それだけに留まりません。(あか)い嵐は体育館の壁を、柱を、天井を包み、次々と消し去り。アリスさんと皆を隔てるすべてを、完全に消し去ってしまいます。

紅葉(もみじ)吹雪が晴れると、遥か地平まで続くような、歓声の大海原。それを前にしたアリスさんは、「(まじかよコレ!?何がどうなってんだ!?奇跡か!?魔法か!?)」と目を丸くします。

歓声の中から、「いけー!アリスさーん!!」とひときわ大きい、可憐な女の子の声が聴こえてきました。

(おう)ッ!!」

応えるように、アリスさんがマイクを握ります。

「みんなー!次が、最後の曲!新曲だよ!!最後まで、聴いてね!Final☆Wars!!」

イントロの爆音が、巨大スピーカーを揺すり。遂に、最後の曲がスタートしました。


地上はいつでも、恋の季節♪

「ア・リ・ス!ア・リ・ス!」

なかなか見えない、恋の奇跡♪

「ア・リ・ス!ア・リ・ス!」

アリスさんの歌に、満場のアリスコールが重なります。

わたしドッキ、ドッキ、しちゃうの♪

ハートズッキ、ズッキ、しちゃうの♪

だから空、見上げてー♪

『お・(ねっが)・い、と・め・て!』

アリスさんは投げキッスとともに、1回転ターン。翻るスカートに会場のボルテージは最高潮に達します。

「(マジかお前ら!29歳、お前ら倍トシ食ってるババァのパンチラで、盛りあがんなっつーの!!)」

アリスさんは最高の笑顔で、拳を高々と突き上げました。

その後ろで、ドーン!と花火が炸裂します。

Final☆Wars♪Final☆Wars♪

どうか私を止め、てー♪

「レッツゴー!」

Final☆Wars♪Final☆Wars♪

私キミを射止め、てー♪

「レッツゴー!」

キミと私の、最終(さっいっしゅっう)、戦争♪

(あか)に、燃ーえるーの、Final☆Wars!

恋の、地上(ちーじょおー)で、Final☆Wars!

「L・O・V・E・LOVELYアリス!」

「L・O・V・E・LOVELYアリス!」

ワー!と今までで最大の、天をも貫くような歓声が響き、最後のポーズをバッチリ決めたアリスさんをステージの下から押し上げます。「みっんなー!今日は、ありがとー!!」笑顔で手を振るアリスさんの頭上で、歌に合わせて揺れていた、りゅうさんが。まっすぐ天高く昇っていき、すぐに見えなくなりました。


気づけばそこは、いつもの体育館。小さな舞台の上でアンコールの渦に飲み込まれているアリスさんを、照明室(ロイヤルボックス)から、見下ろしつつ。校長先生はその真ん丸な頬に、真ん丸な涙を次々伝わせます。

「(最高のステージだったよ!アリスちゃん!)」

校長先生こと、六道梨男(りくどうなしお)は。血塗れのジャージを着た愛娘、六道有理子(りくどうゆりこ)の晴れ姿を。いつまでもいつまでもニコニコと、見つめ続けているのでした。



祭りは、終わり。

あれだけ人が集まっていたのがウソのように閑散としている体育館から、サトミさんは最後の備品を運び出しました。これで完全に元の、体育館。明日からはまた、いつも通りの日々が始まるのです。

少しだけ寂しそうに体育館を見上げているサトミさんは、その視界の端に。一人去っていく圭二さんの背中を見つけ、慌てて追いかけます。

「圭二くん!?このあと、文化祭執行委員長先輩が、打ち上げやるって…。」

息せき切って駆けてくるサトミさんに、面倒くさげに目を閉じながら、「嫌いなんだ、そういうの。」と呟く圭二さん。

「片付け。もう終わったし、僕は帰るよ。」

圭二さんはサトミさんに背中を向け、どんどん歩いていってしまいます。

「圭二くん!!」

サトミさんが、その背中に叫びました。

「さっき、助けてくれて、ありがとう!ピアノ、すごく…素敵だったよ!」

思い切ったように、サトミさんは言葉をかけますが。圭二さんはいつものように、「別に。」と軽く流してしまいます。

「なんだか久しぶりにピアノが弾きたい気分になった時に、ちょうど近くにピアノが置いてあった、それだけ。別に高木さんのために、弾いたんじゃない。」

圭二さんのにべもない言葉に、何かを言いかけていたサトミさんの言葉が止まります。

サトミさんが悲しげに、視線を落とした、その時。

「また明日。学校でね。」

圭二さんの優しい声が頭の上に、ひらひらと舞う落ち葉のように降ってきました。

「うん!!」

サトミさんはパッと顔を輝かせ、圭二さんを見送ります。圭二さんとの距離がほんのちょっとだけ縮まったように、サトミさんは感じました。



9.


数週間後。

寂れた老人ホームの小さな特設ステージの上で、アリスさんの「復活?」特別コンサートが開かれています。アリスさんの前には、よぼよぼしたおじいさん、おばあさん。それに混じって、最前列に陣取った、見るからにソレとわかる、異様な集団。その、さらに先頭にはいつものカラテ着の一団に加えて、「幼女命」と背中に書かれた羽織を着た、小太りどもまで今日は来ています。

「(うっっっげ!増えやがった!!)」

心の中で思いつつ、アリスさんは満面の笑みで、マイクを握ります。

「みっんなー!アリスは引退なんて、結婚なんて、しないぞー!?アリスの恋人は、ファンのみんなだもん!」

アリスさんの言葉に、数少ない観客がうおおおおおおおおおおおと人間語ではない叫びを上げます。

「(ま、結婚なんてダリーし。テキトーに愛人でも、やりますかね。)」

いつもの調子でアリスさんは、冷めた気持ちでステージ下を見下ろそうとしますが。

「(ハ!ダメだ、ダメだ。あんな(モン)見せられて、この六道アリス様とあろう者が。完全にどうかしちまったのかねえ?熱くなってるよ!)」

何故だか高揚してくる気持ちを、アリスさんは抑えることができないでいます。

あの日観た、果てしなく広い、会場。それを埋め尽くした観客の、嵐のような声援。そう、今度は夢でも幻でも、奇跡でもなく。自分の力でもう一度、あのステージに立ってみたい。

だから、その日まで。

手前等(みっんなー)!大好きだよー!!」

アリスさんは、いつか必ず出逢うであろう大観衆へ向けて、美しい愛の言葉を叫びました。秋空にどこからか、『ときめきラブコンテナ』の目盛りが8に増える、チーン!という音が流れてきました。




夜道を歩く圭二さんの前に、ぼろぼろの黒い毛玉が転がっています。圭二さんに無造作につまみ上げられた毛玉は、逆さ吊りのまま、<やぁ、ひさしぶりじゃん?あいぼう。>と弱々しく、話しかけてきます。

「やっぱり、ね。君、地球に帰ってきてたんだ。で、『ダークボックス』に届くはずの、ダークパワーなんだけど。なんだか途中で「何か」に、ほとんどが吸収されていたみたいなんだよね。」

圭二さんの左眼が、怪しく赤く光ります。

<どんまい。>

黒いひよこさんは逆さまのまま、てへっと笑いました。自身の魔力を注いで造り上げた『闇の牢獄(ダークジェイル)』を物理的に破壊され。現在、黒いひよこさんはまた、大分弱ってしまっているようです。

「ま、いいけど。とにかく、最悪コンビ再結成、だね。またよろしく頼むよ、相棒。」

圭二さんはフッと、目を閉じて笑いました。

<ねえ、けいじ。スルメたべたい。>

「ちくわも買ってあるよ。」

<ちにゃー。>

二人の声は、次第に闇の中へと溶けていきました。





※JASRACCO著作権許諾番号2219-34205

Final☆Wars/作詞・作曲 n.l.p


























































次回、予告。


「こっちの子は、確かに少し顔が歪んでいるけど、その分個性がある。僕が最初に手に取ったのは、こっち。こういうのは、縁っていうか。惹かれるものを、僕は何か感じたんじゃないかな。」


主人公/清水臆人


<ひろい、ヘヤ。ソレだけで、よいのですか?>


御遣い/馬・コメット


次回、第9話☆人形愛 ~pygmalion syndrome~


「もう、いい…。僕を、この世界の中へ、連れて行ってくれ。僕を…、人形に、してくれ…。」


coming☆soon!


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