5/12話 ☆ 制服愛~costume fetish~
前回のあらすじ。
カラテ家、ご当地アイドルに敗北。
1.
太陽の8月は、恋の季節。ぎらぎら燃える太陽が、容赦もなしに地上を焦がし。
地上に生きる人々も、恋に心を、焦がします。
必要以上に注がれる、太陽熱の、エネルギー。
過剰なエネルギーを受けて、ある人は海へ、ある人は山へ。
ウキウキしたり、ドキドキしたり。はたまた、おや。
なんだかイライラしている人も、いらっしゃるようです。
炎天下に、帽子もかぶらず。伸び放題のぼさぼさ頭から、イライラ、イライラ、湯気を発しておりますよ、っと。
「(まったく、けしからん!!)」
中学校の校門の前で。この暑いのにGパンに白衣など羽織った、むさ苦しいお方が憤慨しておられます。
夏休み。本来なら、人の出入りのないはずの中学校ですが。
本日は、おや。楽しげな中学生たちが、ぽつり、ぽつりと登校して、おるのです。
そのGパン白衣のむさ苦しいお方は怒りに燃える眼差しを、校門を通る少年少女たちに。
とりわけ、少女たちにそそいでいましたが。
遂に怒りを抑えきれなくなったのか。談笑しながら通りすぎようとする、ひよこさんを連れた二人の女の子に狙いを定め、つかつかと歩み寄りました。
「君たち。君たちは、中学生では、ないのか!?」
怒気を含んだ声で問いただされた女の子二人は、Gパン白衣マンの意図を飲み込めず、きょとんとしていますが。
「制服!何故、制服を着ないんだ!」
白衣マンが叫ぶと、ああ、と合点がいったのか。
「あ、私たち、いま夏休みで。今日は、教室解放の日なんで、
宿題やりに来たんです。先生、私服でもいいって、言ってたんで。」
「部外者じゃ、ないですよー。」
明らかに様子のおかしい、明らかな部外者に、にこやかに事情を説明します。
このテの変態に慣れた様子で普通に対応している、女の子二人。
ご存知ですよね。そう、主人公の高木里美さん。そして、お友達の梶田幸恵さんです。
4月から始まった1学期の間。毎月毎月、凶悪な変態が起こしたトラブルに巻き込まれているうちに、二人は少々、感覚がマヒしてしまって。不審者に声をかけられる事案が発生したぐらいでは、動じなくなっているようですね。
「私服でもいいなら、制服でもいいだろ!!ていうか!制服の方がいいだろう!!制服という選択肢もあるのに、あえて制服を選択しなかった理由はなんだ。答えろ!!」
突然、白衣マンがキレました。白衣マンと二人の間に、気まずい沈黙が流れます。さすがの二人も、ようやく相手があからさまな変態であることに気づいた模様です。
「どうした、答えないのか。君たちは、確たる理由も持たずに、行動しているのか?先生が、私服でもよいと言ったから。無批判にそれを受け入れ、自ら考えることを放棄した。権力者にただ従うだけの、怠惰に溺れた愚昧な大衆め。」
白衣マンは、二人をビッ!と指差し、糾弾します。何故、夏休みに制服を着ていないだけで、こんなに怒られなくてはいけないのでしょう、か。変態の発言はいつだって、理不尽なものです。
「えっと。私たち、宿題やらなきゃいけないんで…。」
「宿題!?非合理的だ!!」
無難に離脱を図るサトミさんの言葉を、すかさず変態白衣マンが捕らえます。なにがなんでも、逃さない気のようです。
「君たちは、夏休みに宿題があることの意義について、考えた事があるのか。ただ、漠然と与えられた宿題をこなし、満足してしまう。まさに、思考停止したままの典型な愚民だな。そんなことで、夏休みを有意義に過ごした、夏休みに何か学習したことがあった。得たものがあったと。君たちは、胸を張って言えるのか!!」
言えるのか!言えるのか!言えるのか!言えるのか!変態マンのムダによく通る声が、夏休みの校舎に木霊します。
「制服のほうが、大切だろう!!」
ついにこの変態、言い切りました。ものすごい説得力です。
「つまりー。わたしたちに制服を、着て欲しいってことですねー。」
難しい言葉が多くて既に理解が追い付いていないサトミさんにかわり、幸恵さんが簡潔に話をまとめます。
「い、いや。ぼくは。そういう目的で、言っているわけでは。」
変態マンは急に声が小さくなり、もじもじし始めました。
「(めんどくさい…。)」
二人は、同じ事を思うのでした。
今月の変態も、なかなかに手強い相手のようですね。
2.
「んー、教室!あっつい!!」
サトミさんがバッタリと、机に突っ伏しました。広げられた宿題のテキストが、みるみるうちに汗でふやけ、滲んでいきます。
いつまでも変態マンに関わっていては、夏休みに宿題をすることの是非はともかく、物理的に宿題が終わるわけもないので。
二人は変態マンが怯んだ隙にそそくさと逃げ出し、教室へ入ることに成功しました。さすがの変態マンも、校舎の中までは追ってこないようです。安心した二人は、本来の目的を果たすべく、向かい合わせた席に着いたのですが。
10分ともたずに、サトミさんは戦闘不能に陥っているようです。
「なんでクーラー、つけてくれないかな!来た意味ないじゃん!」
「サトミちゃん、家だと絶対宿題やらないしー。」
快適な環境で宿題を進めるつもりだったサトミさんは、大きくアテが外れてしまったようで、机にノビてしまったまま、動こうとしません。
真夏日に閉めきられていた教室は、既に人間の活動できる環境ではなくなっていました。ひよこさんもサトミさんの足元で、ぐてーんと、さっきからノビきっています。似ていますね。
「こんなの、ひごうり的だー。」
うめくようにサトミさんが、さっき覚えたばかりの言葉を口に出します。
「君たちは、夏休みに宿題があることの意義について、考えた事があるのか!」
だしぬけにキリッとした顔を作った幸恵さんが立ち上がり、サトミさんを指差しました。突然のことに、ブフゥッ!とサトミさんが吹き出します。
「幸恵ちゃん!ちょ、ちょっと、もー。やめてよー!!」
サトミさんは笑いをこらえて、ブルブル震えています。
「制服のほうが、大切だろう!!」
幸恵さんは容赦なく、トドメを刺しました。
「あははははは!ゆ、幸恵ちゃん!真顔やめてよ!あははははは!超似てる!ダメ!あははははは!」
すっかりツボにハマってしまったサトミさんは、苦しそうに笑い転げています。
「君たちは、何故!制服を着ないのか!!」
突然、校舎の外から大音響で流れてきた本家・変態マンの声に、二人はビクッと背筋を強ばらせました。
「君たちは、自分たちが受けている不当な扱い!不当な指導に、気づいていない!制服を着なくても良い、という指導は、君たちから制服を着るという、選択!制服を着ても良い、という当然あるべき選択肢を、無意識のうちに奪い!無言の同調圧力のもと、私服での登校を、強制している!!断固、戦うべし!!」
ガガッ!ピー!という雑音が、ところどころで変態マンの演説に混じります。どうやら変態マンは、拡声器を使って校舎へのアジテーションを開始した模様です。
「私服登校!反対!!制服廃止!反対!!我々は!学生の制服を着る権利と自由!!それらを奪うすべてに!!反対する!!」
我々は、と言っていますが、いったい誰の事なのでしょう。校門の前には、拡声器を構えた変態マンの姿しか見えません。
「中学生から!制服を着る権利を!制服を着る自由を、奪うな!制服を着るということは、モラル!そう、モラルの問題なのです!制服を着ると、モラルが守られます!ていうか。制服着ろ!!」
もはや、何を言っているのか、わかりません。ただ、中学生に制服を着せたいという異常なまでの情熱だけが伝わってきます。
「あー。」
ピロリロリン。と鳴った携帯を覗いた幸恵さんが、思わず声をあげました。
「どしたの?」
「事案。発生しちゃってるー。」
幸恵さんの見せた画面では、「白衣の男が校舎の前で制服を着るよう呼び掛ける事案が発生」との旨、「町の防犯安心メール」が伝えています。
「あっちゃー。」
サトミさんが「やっちまったな」という顔をすると同時に、ファンファンファンファンとパトカーのサイレンが聴こえてきました。
「おい、そこの無職。うるさいからやめなさい。」
駆けつけたパトカーから、変態マンへ適切な指示が飛びます。
「失礼な!ぼくは無職ではないぞ!!これは侮辱だ、横暴だ!官権横暴!官権横暴!ぼくは、断固戦う!!」
パトカーは、変態マンの闘志に火をつけてしまったようです。
「うるせえ。いいからやめなさい。」
あくまで冷静に、パトカーは対処します。
「貴様らは政府の犬だ、モラトリアムだ!官権横暴!強制退去反対!!制服廃止絶対はんた、待て!なにをする、触るな!ちょっ待って待ってマジ待って!ごめんなさいごめんなさいやめますから!はい、やめます。痛い痛痛痛い!やめ、許して!アーッ!」
拡声器を通して、変態マンの悲鳴があたりに響き渡りました。
「帰ろうか?」
顔を見合せていたサトミさんと幸恵さんは、どちらからともなく言い出しました。
3.
「で、名前は?」
年配のおまわりさんが、めんどくさそうに尋ねます。
「…これは、不当逮捕だ。」
変態マンが、おまわりさんを睨み付けました。
「政治的見解の主張を行う権利は、日本国憲法の思想信条の自由により保障されている!君たちは善良な市民に不当な圧力を加え、弾圧している!!」
変態マンが怒りに震える声で、主張します。おまわりさんは、あからさまに「(めんどくせぇ。)」という顔で変態マンを見ています。
「だからさ、タイホはしてねーだろ。手錠もかけねーし、調書もとらねーよ。ゼンリョーな市民の方に、あくまで自由意思でのご同行をお願いして。オハナシをお伺いしてるだけのハナシだ。」
アンダスタン?とおまわりさんが、変態マンを促します。
「刑法が定めるところによる逮捕とは、人身の自由を奪い、あるいは拘束し、その自由意思による行動を…。」
「はいはい。公共の福祉に反しない限り、公共の福祉に反しない限り。で、センセイのお名前は?」
言いかけた変態マンに、おまわりさんが鬱陶しそうに口を挟みます。
「…瀬古、無一郎。」
グッ、と言葉を飲み込んで、変態マンこと瀬古、無一郎がようやく質問に答えました。たしかに、めんどうくさい方ですね。
「瀬古、無一郎。無職、と。」
おまわりさんは手帳にさらさらと、ボールペンを走らせます。
「無職ではない!学生だ!!」
瀬古、無一郎が叫びました。どうも、彼にとってそこだけは、譲れないポイントのようですね。
「はん。お前。学生かよ。」
馬鹿にしたような顔で、おまわりさんが白衣を羽織った瀬古、無一郎の身なりを見回します。
「どこ大学?」
おまわりさんの質問に、瀬古、無一郎の顔が曇ります。先ほどまでとはうって変わった低いテンションで、「…帝王大学。」とだけ答えます。
「ああ、いか大学な。」
おまわりさんが半笑いで言いました。瀬古、無一郎はギッと、悔しそうな目でおまわりさんを睨み付けています。何かこの辺に、彼の複雑な事情があるようですね。
「なんだったのかな。あの人。」
立ち寄ったコンビニの駐車場で、サトミさんは「メリメリくん」をかじりながら、幸恵さんに話しかけます。
「制服が、好きな人?なのかなー。」
幸恵さんが答えます。まあ、今のとことはそれ以上の判断材料がありませんね。
「どうしよっか、これから。」
教室がサハラ状態なのに加えて変態マンまで現れては、学校はとても宿題などやっていられる環境ではありません。二人は持て余した時間と、進まない宿題に頭を悩ませます。
「図書館、行こっか?」
「混んでないと、いいけどー。」
このままコンビニの駐車場で「メリメリくん」をかじっていても宿題は進まないので、とりあえず二人はその方向でいくことにします。
「ピヨコットちゃん。行こー。」
サトミさんは振り返り、ひよこさんに声をかけますが。
うしろではひよこさんが<きゅう。>と言って、見事にひっくり返ってしまっています。
「ピヨコットちゃん!?大変!!」
サトミさんがあわててひよこさんに駆け寄りました。
「(クソが。)」
イライラとぼさぼさ頭から湯気を立ち上らせ、瀬古、無一郎が足早に歩いています。
「めんどくせーから帰してやるけど、もうあんまり学校の前でヘンなこと、すんなよ。次はマジでしょっぴくからな。」
やらかした変態行為のわりに、瀬古、無一郎がすんなりと解放されたのは、ひとえにこのやる気のないおまわりさんの、「めんどくせーから。」という理由に依るものでした。
まともに相手にされてすらいない。その事が、さらに瀬古、無一郎をイラだたせます。
「(あいつら公僕なんてものはしょせん、目的意識のかけらもなく。ただ、与えられた仕事を何の疑問も持たず、与えられたようにこなすしかできない木偶人形だ。頭を使って生きていない、ロボット警官が!あんな者がぼくを馬鹿にした目で見て、ぼくの貴重な時間を奪うなんて!!)」
「非合理的だ!!」
突然立ち止まった瀬古、無一郎が、大きな声で叫びます。うしろを走っていたおばあさんの自転車が、キキーッと裂くような音を立て、急ブレーキをかけました。
「うるせえ!!」
瀬古、無一郎がキレました。罪もないおばあさんは、かわいそうに、すっかり怯えてしまっています。まわりの冷たい視線が、瀬古、無一郎を無言で非難しています。
「まったく、どいつもこいつも。愚民どもが!」
吐き捨てるように呟くと、瀬古、無一郎は愚民どもを一瞥し、そのまま立ち去ろうとします。そんな瀬古、無一郎に、果敢にも後ろから、ぶつかってきた者がいました。
「あ!すいません!ごめんなさい!!」
怒りの表情で振り返った瀬古、無一郎の前では、ぐったりとしたひよこさんを抱えた女の子が、オロオロしています。
怒鳴り付けようとした瀬古、無一郎の顔から怒りがスッと消え、つかつかと女の子に歩み寄って来ました。真面目な顔で女の子の抱えているひよこさんをじっと見ているその姿は、とても変態マンと同じ人物とは思えません。ひよこさんのおでこや首の下に指を当て、状態を確認しているようです。
「あの…。」
ぶつかってきた女の子、サトミさんが、おずおずと声をかけます。
「熱中症だな、これは。」
顔を上げた瀬古、無一郎が答えました。
4.
小さな公園の、木陰のベンチ。
ころがっているひよこさんを、瀬古、無一郎が濡らしたハンカチで拭いてあげています。
「動物は、専門外なんだけど。脈拍、呼吸も落ちついてきたし、とりあえずのところ、命に別状はないんじゃないかな。」
心配そうに見ている幸恵さんに、瀬古、無一郎が無愛想な顔で話しかけます。
そこへ、息を切らせたサトミさんが、全速力で駆け込んできました。
「氷!買ってきました!!」
サトミさんがパンパンに膨れたコンビニ袋を、勢いよく突きだします。無言で受け取った瀬古、無一郎は氷、タオル…と、中身をベンチの上に広げ、確認します。
「あ、あの!ピヨコットちゃんは…。」
オロオロと慌てるサトミさんに、瀬古、無一郎は頷いてみせます。
「体が小さいからな。氷は直接、当てない方がいいだろう。小さく砕いて、タオルに包む。下にも1枚、タオルをひいてあげたほうがいいかな。」
サトミさんが「おりゃあ!」とパンチで氷を叩き割り、幸恵さんが丁寧にタオルを畳みます。
完成した簡易ベッドと氷まくらに、瀬古、無一郎がひよこさんをそっと、寝せてあげました。
「とりあえず、しばらくそのまま休ませてあげて。水、こまめに飲ませた方がいい。さっきのハンカチ水に浸して、絞ってあげるといいだろう。」
サトミさんはハンカチを掴むと、水道へダッシュし、蛇口を全開。濡らしたハンカチを「おりゃああああああああ!」と全力で絞り、「絞りすぎだ。」と冷静に止められます。
三人の介抱の甲斐あって、ひよこさんはしばらくして、意識を取り戻しました。
<ごしんせつに、ありがとうございます。>
ひよこさんが瀬古、無一郎に深々と頭を下げます。
サトミさんと幸恵さんも、「ありがとうございました!」と頭を下げました。
瀬古、無一郎はつまらなそうに、ひよこさんを眺めています。
「変わった生き物だけど。それ、鳥?」
そうですね。普通、ひよこはしゃべりません。瀬古、無一郎はサトミさん達より年長者なためか、ひよこがしゃべっているという非常識な事態に、若干の疑問を抱いているようです。変態マンのくせに、この辺の感覚は正常です。
「あ、ピヨコットちゃんは。天使さまなんです。」
「天国から、きたんですよー。」
ヤングな二人組は平気で非常識な説明をします。瀬古、無一郎の顔がみるみる、険しくなりました。
「天使さま!?非合理的だ!!」
瀬古、無一郎が叫びます。
「天使だからといって、敬うべき対象と決まっているわけではないだろう!!そんなものは、既得権益に迎合する愚かな大衆の行動だ。何故、君たちはそれに疑問を抱かず、無批判に崇めてしまうのか!?」
瀬古、無一郎がビッ!っと二人を指差したまま、動きを止めました。
「え、そっち!?天使が実在してること自体は、否定しないんですか!?」
サトミさんは、やはりこの瀬古、無一郎が、どこか考え方のズレている変態であることを再認識します。
「お医者さん…なんですかー?」
一方、用心深い幸恵さんの中ではまだ瀬古、無一郎は「校門の前ではしゃいでいた変態」という認識でしたが。
てきぱきと手馴れた様子で応急処置をする姿は、白衣を羽織っていることもあって。信用に値する人間、少なくとも、ただの変態ではなく、医療に携わる変態であると、認識し直されているようです。
「医者ではないよ。…い学生、だ。」
瀬古、無一郎は一瞬考えてから、「い学生」という言葉を選びました。
「医学生!」
意図通り、素直に勘違いして憧れの目を向けてくれるサトミさんから、瀬古、無一郎が気まずそうに顔を背けました。
瀬古、無一郎は長野県の山奥の、小さな村に生まれ。
幼い頃からその明晰な頭脳、そして、田舎の小さな村にはそぐわない、旧習に囚われようとしない進歩的な考え方から、まわりの人間たちの期待を一身に集めて育ちました。
そんな瀬古、無一郎が医師を志したのは、純粋に、病に苦しむ人々を助けたい。特に、この村のような無医村で働く医師になり、人々の役に立ちたいという、この上なく正しい使命感からでした。彼が「帝大」「いか学部」に現役合格を果たした際には、村中が喝采をあげ。故郷の駅から彼は、万歳三唱とともに「東京」へ送り出されました。
そして、やってきた「東京」で、瀬古、無一郎は無情の真実に打ちのめされることになります。
夢と希望を胸に訪れたキャンパス。遂に始まった大学生活。瀬古、無一郎は他の学生のように遊ぶことはせず、一心に勉学に打ち込みました。いか生態学。いか解剖学。いか漁歴史文科学。いか市場経済学。いか卸業者精神病理学。いか漁熱中症応急救命実技。日に日に、いかについて詳しくなっていく自分に、瀬古、無一郎の明晰な頭脳は大いなる違和感を禁じ得ません。
自分が入学したのが村の年寄りたちの言う「帝大」ではなく新設の私立大・「帝王大学」であり、彼の目指した「医科学部」ではなく「いか学部」で日々、いかについて学習していることに瀬古、無一郎が気がつくまで、そう時間はかかりませんでした。
関東のすべてが、東京ではない。さいたまという微妙な所在地すら認識できていなかった我が身を、瀬古、無一郎は呪わしく思いました。長野県の山奥の、小さな村。戦前で情報が止まっているような、とんでもない田舎。自分も所詮、あの老人たちと同じ。日本の社会から隔絶され、取り残された、旧弊な人間の1人でしかないのだ。
その事に思い至った瀬古、無一郎は、日本の社会に純然として存在する地方格差、1億総中流社会と呼ばれる中に明らかに残されている理不尽歪み。そういったモノに敵意を覚え、当たり前のように経済大国・日本の恵みを甘受し、当たり前のように暮らしている「大衆ども」を憎むようになりました。
やがて彼は、怪しげな学生運動にのめり込むようになります。キャンパスの外れの、バリケードで囲まれた、奇妙な一角。何と闘っているのかサッパリわからないものの、とにかく「闘争」がスローガンの学生組織・全東京学生連盟(全学連)の本部が、彼の生活の場となりました。
瀬古、無一郎はただ、必死でした。自分が医師への道を閉ざされたのも、間違えてやたらといかに詳しくなってしまったのも、すべて、日本の格差社会のせいだ。自分がこのような間違った社会を正し、日本の国をあるべき方向に導かなくては。自分と同じような悲劇は、もう起こしてはならない。
「闘争」に明け暮れた大学生活は、あっという間に過ぎていきました。そのなかで、ともに「闘争」してきた同志たちもひとり、またひとりと「卒業」していき。
遂に1人になった「全東京学生連盟」の本部で瀬古、無一郎は大学5年めの春を迎えました。
単位不足のため、留年。田舎の村の中とはいえ、エリート街道をまっすぐ走ってきた彼にとって、初めての明確な、敗北。必死に「闘争」を繰り返してきた大学生活の残してくれたものは、おまけのもう1年という、モラトリアムな時間のみでした。
自分はいったい、何をやってきたのだ。瀬古、無一郎の胸が、挫折感で一杯になります。彼と一緒に「闘争」していたはずの同志たちはその一方で社会のシステムにちゃっかり順応しており、卒業に必要な単位だけはしっかり押さえて、社会へと羽ばたいていきました。一番熱心に「闘争」にのめり込んでいた彼だけが、また、取り残されてしまったのです。
せめて、卒業だけでも、しよう。瀬古、無一郎の、なんの目的もない、必要単位の取得という消化試合的な学生生活5年めが始まりました。朝、家を出て、大学でこれよいって興味もわかない「いか」について学び、夕方、家に帰る。皮肉にも瀬古、無一郎は初めて、社会のシステムに正しく順応できたのでした。
そんな彼の無為な生活の中で、唯一の癒しとなったのが、朝夕通学する制服姿の少女たちでした。人生の目標を見失い、半ば生きる屍のようになった彼には、制服の少女たちの可憐な姿。輝くくらい白い制服に包まれた胸元や、弾けるようなふとももはあまりに眩しく、それを眺めている時だけ、瀬古、無一郎の心の中に、熱い炎が点ります。いつしか瀬古、無一郎にとって、少女の制服姿は若さと情熱の象徴、憧れと崇拝の対象となっていました。
ある日、ぼんやりとテレビを観ていた彼は。「幼女との自由恋愛を認める法案」、通称ロリコン法が国会で可決されたことを知りました。
「非合理的だ!!」
思わず立ち上がった瀬古、無一郎は叫び声を上げます。
日本の社会はいったい、どうなってしまったんだ。こんな破廉恥な法案が認められるなんて。ここまで、日本の社会は腐りきっていたのか!!
こんなことをしている場合ではない。一刻も早く、日本社会を正さねば。やはり愚かな社会に対する闘争こそが、自分の生きる場所なのだ。愚かな大衆を啓蒙し、認識を改めさせなければならない。
「制服の方が、幼女よりいいに決まっているだろう!!」
テレビに向かって、瀬古、無一郎は叫びました。彼の心は、どうやら、想像以上に病んでしまっていたようです。
翌日。ゼミに突然姿を現した瀬古、無一郎は、他の学生から驚愕を持って迎え入れられました。いか漁医療研究室。一応の在籍はしていたものの、1度も訪れることのなかった部屋。勢いよく扉を開けた瀬古、無一郎は、周囲の反応などお構いなしに、徹夜で書き上げた「卒論」を教授に叩きつけます。
そこには、制服少女の素晴らしさ。制服少女のもたらす経済効果、心理的影響、社会のモラルの向上、さらには今後の国際的な展望に至るまでが、情熱をもって書き記されていました。
教授は難しい顔をして分厚いソレに目を通していましたが、読了すると、「これは…実にすばらしい。」と、素直にその価値を認めました。
「しかし…瀬古君。これはいったい、いかと何の関係があるのだね?」
教授は、当然の疑問を口にします。
「いかより制服の方が大切に決まっているだろうがぁ!!」
教授の胸ぐらをつかんで怒鳴り付けた瀬古、無一郎は、その日にうちに研究室への出入りを禁止されました。
結局、大学側の下した裁定は、「このまま下手に刺激すると問題起こしそうだから、さっさと卒業させちまおう」というものでした。瀬古、無一郎の「卒論」は卒論として認められ、あとは必要な単位さえ取得し、大人しくしてさえいれば、来年の3月には卒業が認められます。しかしそれは、瀬古、無一郎のもっとも嫌う、安寧な生活の中で怠惰に溺れ、日々を無為に過ごしていく愚かな大衆の姿に他なりません。
自分は、こんなことをしている場合ではない。制服の素晴らしさを、愚かな大衆どもに理解させなくてはならないという、大切な使命があるのだ。なのに自分は、何をしているのだ。瀬古、無一郎の中で、フラストレーションが次第次第に膨れ上がっていきます。
そして、訪れた8月。夏休みに入り、制服姿の少女たちが街から消えた時。彼は遂に限界を迎え、溜まりに溜まったフラストレーションが爆発。気づけば拡声器を片手に、中学校の前に立っていたのでした。
「あ、あの…。」
何度目かのサトミさんの呼び掛けで、瀬古、無一郎はようやく長い回想から我に返りました。二人の女の子とひよこさんが、自分を心配そうに見ています。
「本当に、ありがとうございました。私、高木里美って言います。私たち、ほら、今朝の。」
サトミさんの言葉に、「瀬古、無一郎だ。」と答えつつ。瀬古、無一郎は「(今朝の…?)」と今朝の出来事に思いを巡らせます。
ようやく今朝の一件に思い当たった瀬古、無一郎は怒りの表情でサトミさんの肩を掴み、「制服を着てないじゃないかーっ!!」
と叫び声をあげました。
「何故だ。何故、君はまだ制服を着ていない!?着替える時間は十二分にあっただろう!?今朝から君は、何も思うところがなかったと言うのか!!何故だ。何故、制服を着ない!!暑いからか!?制服はな、大勢の生徒が着て毎日生活するものだ。当然各学校、機能性を十二分に検討した上で、採用している。夏服は涼しく。冬服は暖かい。暑い日こそ、制服をきた方が合理的なんだ。非合理的だ!君はあまりに、非合理的の塊だ!!だいたい、脚を見せたいなら!スカートを履けばいいだろう!!」
瀬古、無一郎がビッ!と、サトミさんのショートパンツから伸びる脚を指差します。真っ赤になったサトミさんが、慌ててTシャツの裾を引っ張り、脚を隠しました。
「えっとー、結論として。サトミちゃんの脚が、見たいって事ですかー?」
幸恵さんはこういう時、容赦がありません。
「違う!そんな脚などにはなんの価値もない!!ぼくは制服のスカートから覗く、輝く白いふとももが見たいんだ!!」
相手は、想像以上の変態だったようです。いったい大声で何を言っているんでしょうか、この人は。
ピロリロリン。幸恵さんの携帯が鳴り、それを覗いた幸恵さんが「あー。」と声を上げます。
「事案。発生しちゃってる…。」
通りから、ファンファンファンファンとパトカーのサイレンが近づいてきます。
「これは不当逮捕だ!権力による言論弾圧だ!」とわめき散らす瀬古、無一郎が「うるせえ。いいから乗れ。」とパトカーに押し込まれるのを見送るサトミさんの胸には、「(そんな脚って、どういう意味!?)」と納得のいかない気持ちが残っているのでした。
5.
夕刻。ようやく交番での「オハナシのお伺い」から解放された瀬古、無一郎は、イラ立ちながら足早に家路を歩んでいました。夏の日は長く、まだ沈まない太陽がじりじりと彼を焦がし、怒りのボルテージをあげていきます。まったく、どいつもこいつも。ふつふつと沸き上がるやり場のない怒りを、ぶつぶつと独り言に変えながら歩を進める彼の前に、突然、業ッ、と禍々しい黒い焔の竜巻が巻き起こり。地獄の闇のように真っ黒なひよこさんが姿を現します。
<あー、あっちぃ。しぬ、だりぃ、ムリ。やべえ、かえりてー。>
黒いひよこさんは完全に暑さ負けで、既にKO寸前です。
<あ、っと。おい、おまえ、あれか。こいとか、なんか、そういうの、なやんじゃったり、してるわけ。ふーん、たいへんだなあ。>
どうみてもやる気のない黒いひよこさんは、テキトーに話を進めてしまいます。
「なんだ、君は!人に話しかけるのに、その失礼なだらしのない態度!おまけに、恋だと!?非合理的な!!」
瀬古、無一郎はここぞとばかりに怒りを爆発させます。
<うるせー、のうにひびく。いいから、こいとか、なやんじゃったりしてることにしろ。のぞみがかなっちゃうから。>
黒いひよこさんはハナから、まともに聞く気がありません。
「恋だと!?そんなフワついたものは、不必要だ!!それより今は、制服の方が重要だろう!!」
瀬古、無一郎が例によって叫びます。
<あっそ。じゃ、なんかしらないけどそれね。おまえののぞみな。>
黒いひよこさんはテキトーに受け答えをすると、テキトーに闇の奇跡を起こしてしまいます。
『悪魔が来て、なんか。ラッパとか。吹いちゃって。なんだっけ?えーと。なんとか、マグナム。ぼんじーそわかー。』
闇の悪魔が神器・黒焔のラッパをテキトーに鳴らすと、なんか。地が割れたり、風が狂ったりして。黒い焔とかが、大地を焦がす。
「ハー、ボス!ソレガシガボスヲ、プロポーズシテアゲルネ!ハー!」
おざなりににぐるぐる回っていた黒い焔の竜巻が消えるとそこには明らかに日本人ではない、変な口調で喋る変なプロデューサーが立っていました。
<あとはテキトーにやれ。>
黒いひよこさんは瀬古、無一郎と変なプロデューサーを二人っきりで残し、無責任に黒い焔の竜巻の中へ消えてしまいます。
明らかに不快感を込めた眼差しで、瀬古、無一郎が変なプロデューサーを睨み付けました。
「なんなんだ!君たちは!非合理にも程がある!!」
早速、瀬古、無一郎の怒声が飛びます。
「ハー?ボスハマズ、ソノフィアッションガ、ダッセ。」
変なプロデューサーは平気な顔で瀬古、無一郎を勝手にプロデュースし始めてしまいます。変なプロデューサーです。
「ソモソモボスハナゼ、セイフク、キテイナイディスカ?マズハボスジシンガ、セイフク、キルベキネ、ハー?」
変なプロデューサーの言葉に、瀬古、無一郎がハッとした顔をします。ああ、いけません。瀬古、無一郎はテキトーな悪魔の囁きに、耳を傾けてしまいました。
「ハー!ジブンデセイフク、キナイヒトノイウコト。ダレモキクワケ、ナイ。ニンゲンワミタメガ、ダイイツ。ボスハセイフク、キルベキネ。ハー!」
なるほど、一理ある。そう考えた瞬間、瀬古、無一郎の白衣が黒い焔の竜巻に包まれ。布地のやたら少ない、軍服風のセクシーコスチュームに変化しました。瀬古、無一郎の痩せた体にピッチリとセクシーコスチュームが貼りつき、その背中が、お腹が、惜しげもなく露出しています。
「ボス、カッコイイネ!メッチャイカス!ハー!」
変なプロデューサーが、みるからにあからさまな変態と化した瀬古、無一郎を褒め称えます。魔界のセンスは、地上と少々異なるようですね。
「制服を、よこせー!!」
雄叫びを上げる瀬古、無一郎は、ビジュアル的にもすっかりわかりやすく、それまでの瀬古、無一郎ではなくなっていました。
クーラーのよく利いた自室で、イケメンな方、新帝圭二さんが、よく冷えた「豆乳ココア」のグラスを傾けています。さすがイケメンです、飲み物のセレクトに毎回、センスがありますね。そこへ、業ッ、と黒い焔の竜巻が巻き起こり。黒いひよこさんが帰ってきました。
<そととかマジもうムリ。しぬ。>
黒いひよこさんはすぐにべしゃっと、潰れてしまいます。
「ずいぶん早かったね。」
圭二さんは冷たい視線を黒いひよこさんに向けますが、黒いひよこさんはそんなものはまるで意に介さず、もう頭すら上げようとしません。
<あぁ?あぁ。マルゲリーのヤツをおいてきた。あとは、ま、テキトーにやるだろー。>
黒いひよこさんはマジごくらくー、マジごくらくーとクーラーの送風を楽しんでいます。いつの間にやらすっかり、現代社会に馴染んで。文明の利器の造り出す快適な環境をエンジョイしてしまっているようです。寝っ転がってテコでも動かないその様はまるで、休日のお父さんのようなやる気の無さです。
<けいじー。たのむ、「メリメリくん」とってー。いっしょうの、おねがいー。>
黒いひよこさんがノビたまま、圭二さんに話しかけます。
「そこなんだけど、さ。」
圭二さんがグラスを置きながら語りかけます。
「君の得意のやみの軌跡ってやつで、冷蔵庫を開けたり、アイスを出したりはできないのかな。確か君のは、何回でも使えるんだろ?」
圭二さんの目に厳しい光が宿ります。何か、言葉以上に意図するところがありそうですね。
<あぁ?あぁ、それな。そこがぶっちゃけ、キセキってやつのメンドクセーところでな。>
いかにも面倒くさそうに、黒いひよこさんが答えます。普段なら圭二さんの意図を深読みして、このテの自分の手の内を明かすような質問はのらりくらりと煙に巻いてしまうのですが。今日はやる気のなさのあまり、素直に答えてしまっているようです。
<おれたちあくまにしろ、みつかいのヤロウどもにしろ。ちじょうでキセキってのをおこすばあい、しょくばい、ってのがひつようになるんだわ。イケニエ、ともいうわな。ようするに、キセキをおこすためのベースになる、にんげんな。>
案外親切に、黒いひよこさんは説明してくれます。
<で、そいつのもっともつよくねがう、おもいのパワーってやつを、おれたちがサポートしてブーストしてやるわけだな。そのときにつかうのが、おれたちのもつ、じんぎ、ってワケだ。>
ちら、と黒いひよこさんが圭二さんの左眼を見ました。その左眼が、答えるように赤く光ります。
<そもそもほんらい、キセキってやつは、だ。そうそうはおこらねーからキセキ、ってよばれるワケで。いってみりゃ、ひとりのにんげんののぞみをかなえる、ってのはだな?セカイをマルっと、そいつのためにつくりかえちまうのと、おんなじワケ。ンなことができるのは、だ。あの、クソったれのめがみくらいのモンだな。このおれさまでも、チィとかんたんにはできねぇかな。>
ハッハッハ!と笑う黒いひよこさんを、圭二さんが冷たい眼で見つめています。大分、この話に興味があるようですね。圭二さんは、「ふうん。それで?」と黒いひよこさんに話の続きを促します。
<ほんらい、できねーことをムリクリやるわけだから、きびしいルール、っちゅうか。せいやく、ってやつがあるのよ。おまえもきいたこと、あんだろ。なんだっけ。めがみのキセキはぁ、ホントーにそれをのぞむものにしかぁ、おとずれない?とか、いうやつ。みつかいのれんちゅう、いつもさいしょにきいてンだろ。あなたは、こいになやんでいますか?って。アレが、ソレな。ソイツがほんきのほんきでこころから、イチバンにソレをのぞまねーかぎり。じょうけんがクリアーできなくて、じんぎのパワーがつかえませーん、ってなっちまうワケ。そいで、そいつをイチバンさいしょにかくにんしてんのよ、アレは。>
長い説明で疲れたのか、黒いひよこさんはガクッと頭を下げ、<ぐう。>と寝てしまいます。圭二さんの眼に、殺意の光が灯りました。ヤバそうな雰囲気を察した黒いひよこさんは、<あー、で、なんだっけ?>と仕方なくまた、説明を始めます。
<あぁ。おれさまのおこす、やみのキセキのハナシか。おれさまのばあいはな、れんちゅうとちがって。ケチクセーせいやくとか、なくて、つかいほうだい、なんだがな。ざんねんなことに、セカイをひんまげるほどのスゲェパワーは、はっきできねぇ。けっきょく、おれさまやマルゲリーがくっついて。じまえのまりょくでサポートしてやんなきゃ、ならんのよ。それがぶっちゃけ、スゲーめんどい。てあたりしだいにキセキおこさねぇりゆうは、そこな。ンなだりぃこと、やってらんねぇ。>
黒いひよこさんは、イヤイヤと首を振ります。
<つまるところ、みつかいのれんちゅうがせっしょくした、おもいのパワーがつよいヤツらを、よこどりしちまうのがイチバン、こうりついいのよ。れんちゅうのジャマも、できるしな。んーで、コレはおれたち、あくまのハナシなんだけど。まりょくでにんげんのねがいをかなえるときに、キマリ、というか、まあ、はんぶんはシュミなんだが。けいやく、ってやつをかわすんだ。かんたんにいうと、「わたしののぞみはコレでぇす。かなえてくださぁい。」と、にんげんのいしでいわせるんだな。ま、たいていはあとで、「こんなハズじゃなかったぁ!」とか、なきさけぶハメになるんだが。しったこちゃねー。>
クックックックック、と黒いひよこさんが怖い笑い方をしますが。その顔はさっきから、クッションに突っ伏したままです。
<つーワケだからよ、けいじ。しんぱいしなくても、オメーとのけいやくも、キッチリはたしてやるよ。あくまってのは、りちぎだからな。にんげんが、なこうが、わめこうが、あやまろうが。いちどかわしたけいやくは、ぜったいに、すいこうする。せいぜい、たのしみにしてろ。>
黒いひよこさんが、ヘラヘラヘラと笑います。やる気がないようでも、さすが悪魔。圭二さんが質問してきた意図を、みすみす見逃したりはしません。
「なるほど、ね。なかなか、面白い話だったよ。」
圭二さんは眼を閉じ、「豆乳ココア」のグラスを口に運びます。
「…で、結局。君は、その魔力ってやつで冷蔵庫を開けて、アイスは出せないのかな。」
一番肝心な部分を、圭二さんが改めて質問します。
<ぶっちゃけ、できる。ていうか。まりょくとかつかわなくても、ふつうにとどく。>
黒いひよこさんが、ダルそうに答えます。
<でもいまはもう、たちあがるの、ムリ。けいじ、とって。けいやく、するから。>
黒いひよこさんはごろごろ転がりながら、やる気なさげに羽をパタパタさせます。そのザマを見て、圭二さんは。「(コイツはもう来月まで使い物にならないな。)」と諦め、ため息をつくのでした。夏の夜は、静かに更けていきます。
6.
「おはよー!今日も、あっついねー!」
翌朝。いつもの角で、サトミさんは幸恵さんと落ち合いました。結局、昨日は宿題がサッパリ進まず。学校は変態マンが出現する恐れがあるので、今日は最初から、図書館に行く予定です。
「ピヨコットちゃん。大丈夫ー?」
ひょこ、と首を伸ばしてサトミさんの後ろにいるひよこさんを覗き込んだ幸恵さんが、バフゥ!と思わず吹き出しました。
ひよこさんの頭には、おでこから後頭部にかけて。細切りにされた1本の「冷え冷えシート」が、べったりと貼り付けられています。その様はまるで、有名なプロレスラーのアニマル・ウォリアーのような、いかついモヒカンが生えたように見えます。
「(ちょ、ちょ!いいのー?ソレ!?)」
幸恵さんは相当ツボにはまったらしく、ぶるぶると肩を震わせ、笑いをこらえています。
「ピヨコットちゃん、やっぱりちょっと、暑いの苦手みたいで。試しにコレ、貼ってあげたら、なんか。気に入っちゃったみたい…。」
サトミさんはバツが悪そうに、頬を掻きます。ひよこさんはなにやら誇らしげに胸を張り。モヒカンを見せびらかしているようです。
「(まあ、本人が気に入ってるなら、いいけどー。)」
天の世界のセンスは地上とはやっぱり、違うんだなー。幸恵さんは堂々とのし歩いているひよこさんを見て、そう思うのでした。
「あれ?なんだろう…?」
一番前を歩いていたサトミさんが、道に何かが落ちているのに気づき、脚を止めます。小さい、丸っこい、何か。近づいてみたサトミさんが、思わず声を上げます。
「大変!」
そこには、1匹のハムスターさんが。<きゅう。>と言って、ひっくり返っていました。熱中症ですね、コレは。
二人は昨日、瀬古、無一郎に教わったばかりの応急手当てを、早速実行します。
昨日と同じ、公園の木陰の、ベンチ。タオルの簡易ベッドの中で、やがて、ハムスターさんは目を覚ましました。
<チューペットさん。だいじょうぶですか。>
ひよこさんが、ハムスターさんに話しかけます。
「あ、やっぱり、ピヨコットちゃんのお友達?」
サトミさんがハムスターさんを覗き込みます。ハムスターさんは、不思議そうに首を傾げて、ひよこさんを見ています。
<ダレちゃん?>
ハムスターさんが訊きました。
鋭い幸恵さんがピンときて、ひよこさんのモヒカンを指で隠してあげます。
<お、おぉー。ピヨコッちでねーの!>
ハムスターさんはようやく、状況が飲み込めたようです。
<いやー、スマンね、ピヨコッち。オレちゃん、たおれちゃってたケイ?サンキュ、サンキュ。てか、ピヨコッち、みないあいだにスッゲ、アカぬけてね。そのカミがた、イメチェン?イマいわー。>
ハムスターさんがは、見かけによらずなんだか、軽薄なキャラクターのようです。
サトミさん、幸恵さん、ひよこさんの三人が、気まずそうに、ハムスターさんの頭をじーっと、見ています。<ン?ン?>とハムスターさんは、頭に手をやって、状況を確認しています。
幸恵さんが携帯を開き、パシャっと、写メを撮りました。ハムスターさんがそれを、覗き込みます。
そこには、ひよこと、ハムスター。おなじようにいかついモヒカンを生やした2匹のアニマル・ウォリアーが、こちらを向いて写っていました。ハムスターさんは呆然と、しばらく無言でそれを眺めていましたが。
<イカス。コレ、イマくね?>
どうやら、気に入って頂けたようです。天の世界のセンスは、やっぱり地上と若干、異なるようですね。
「ハムスターさんもー。やっぱり、天国からきた、天使さまなんですよねー?」
幸恵さんが、ハムスターさんに話しかけます。
<チューペット、な。>
ハムスターさんは気さくに答えます。
<このヘンにさ、スッゲ、こいになやんでるヤツ、いるハズなんだけど。おっぱいのおっきいオネーチャン、ちがう?>
幸恵さんが、ふるふると首を振ります。
<そっかー、ザンネン。そっちの、おっぱいないコちゃんは?>
サトミさんの縦拳が、ハムスターさんのすぐ隣の路面にめり込みました。
<しぬって。マジ、しぬって。>
ハムスターさんがは恐怖に震えています。お年頃の女子中学生に、胸の比較は厳禁ですよね。次からは気をつけましょう。
<おかしいなー。きのうまで、あふれんばかりのじょうねつのパワーが、このヘンからビンビンに感じられたんだけど。>
サトミさんと幸恵さんは、思わず顔を見合わせます。これが、いつものパターンだとすると。二人には、思い当たるフシが有りすぎます。もう、嫌な予感しかしません。
そんな二人の予感に応えるように。四人の背後に、怪しい陰が迫ります。
「あー、お嬢ちゃんたち。」
話しかけてきたのは、下着姿に革靴を履いた、中年男性です。
「出たな!変態!!」
サトミさんたちは、思わず身構えました。
「い、いや、待て。違う。おじさんは、変態じゃない。この先の交番に勤務する、警官だ。この姿には、ちょっとした、事情があって。」
中年男性はごそごそと、ブリーフから警察手帳を取り出します。
「実は、だね。昨晩、私は。怪しげな軍服風のセクシーコスチュームを着た、変態にこのあたりで襲撃されて。制服を、奪われてしまったのだ。とにかく、制服にやたらと執着しているヤツで。制服を、よこせ!制服を、よこせー!と、ソレばかり、言っておった。」
中年のおまわりさんは真剣な顔で、話を続けます。
「同じような事件が、4件。付近で勤める警備員や、運送会社のドライバー、コンビニの店員。とにかく、制服を着ているものばかりが襲われ、制服を奪われている。お嬢ちゃんたちは見たところ、制服は着ていないようだが。いつ変態に襲われるともわからないから、今日はもう、帰りなさい。」
おまわりさんは言っていることはマトモなのですが、下着姿です。「(ていうか、服を着ようよ。)」四人は同じ事を思いながら、おまわりさんの話を聴いていました。
「やっぱり…瀬古さん?だよね。どうしよう。ほっとけないよ。」
サトミさんが呟きます。アクの強すぎる変態とは言え、ひよこさんを助けてくれた、根っこの部分は優しい青年。それが変態的な愚行を繰り返し、このまま社会的な処罰の対象となるのは。ちょっと、捨て置けないものがあります。
<よく、わかんねーンだけどさぁ。ソイツ、セイフク、ってのに、こいしちゃってるケイ?ソレがあれば、すくわれる、ってカンジ?>
ハムスターさんが訊きます。サトミさんと幸恵さんは、ウーン、と、考えてしまいます。
「たしかにあの人、すっごく、すっごく、制服が好きみたいだったけど…何?」
ハムスターさん、ひよこさん、幸恵さんの三人が自分をじーっ、と見ていることに気づき、サトミさんはなにやら、とんでもなくイヤな予感に背筋を震わせました。
<きてやれば、よくね?>
ハムスターさんが予想通りの提案をします。
「絶対、イヤ!」
サトミさんは即答しました。
「それに、私の制服。クリーニングに出しちゃってるしぃー。」
ちら、と目を泳がせたサトミさんの顔が、凍りつきました。ハムスターさんはどこからか取り出した神器を構え、女神の奇跡を起こすモーションに入っています。
「イヤイヤイヤイヤ!ちょ、待って待って!おかしいし!ソレ、絶対おかしいし!ていうか、ね?私の制服手に入れるためなんかに、奇跡使っちゃダメだってば。もったいないよ、ね?やめよ?」
サトミさんは顔をひきつらせ、必死で説得します。しかし、サトミさんは知りません。現役女子中学生の使用している制服を法に触れずにゲットするには、ソレこそ、奇跡的な幸運が必要だということを。
<めがみのきせきは、ほんとうにそれをのぞむものにしか、おとずれない。スマンがあきらめな、おっぱいないコちゃん。>
ハムスターさんが気さくな笑顔を浮かべました。
<スーパーラブチャンス!>
『鼠かじれば鈴鳴り響く、女神の奇跡、ここに在れ。照らせ太陽、光を充たせ。アーメンゴキゲン、ヒャーウィ☆ゴー!』
第四の御遣いが神器、太陽の握鈴を打ち鳴らすと、太陽は真白に燃え上がり、熱い陽炎が世界の景色を歪ませる。
太陽から一筋伸びた陽光の道の中を、見覚えのある制服が、キラキラと輝きながら、ゆっくりと降りて来ます。
それを見たサトミさんは「イヤーッ!!」と悲鳴をあげ、顔を覆ってバタバタと悶えています。
「ちょ、ホント、なんで私の制服なの!?幸恵ちゃんだって、いるじゃん!ムリ!私、真面目にムリだって!!」
サトミさんは恥ずかしさのあまり、ごろごろと転げ出しました。
<あきらめろ。そっちのオネーチャンじゃ、そのセイフクに、ムネがはいらねー。>
言い終わるか終わらないかのうちに、ハムスターさんの真横、スレスレに。ダン!と轟音を立て、サトミさんの足が振り下ろされました。死に直面したハムスターさんは、その恐怖に完全に硬直しています。
「着ればいいんでしょ!?」
半ばヤケになったサトミさんが、叫びました。
7.
昼なお薄暗い、「全東京学生連盟」本部。その最奥、書記長室に、瀬古、無一郎はいます。
目の前の机には、警備員、配達ドライバー、コンビニ店員、野球部員。様々な制服が、山のように積まれています。
「ハー、ボス!サスガボスワ、サイコーノセイフクマニア、ネ!1ニチデコンナニセイフク、フツーアツマラナイアルヨ!アイヤー!」
傍らに控える警察官の制服を着た変なプロデューサーが、変な日本語で心にもないお世辞を言い、瀬古、無一郎の功績を讃えます。変なプロデューサーです。
瀬古、無一郎は目の前にそびえる制服の山を眺めながら、その心に、不思議と満足感はなく。ただ、空虚な想いだけが、心にポッカリと空いた穴を吹き抜けていくのを感じていました。
「(なんだ、何が足りないと言うんだ。ぼくは何が、不満なんだ。)」
瀬古、無一郎は先ほどからずっと、自分に問いかけています。
「(求めていたものは、制服。それは既に、呆れるほどの量が目の前にある。だが、なんだこの違和感は。これは本当に、ぼくが求めていたものなのか?何故だろう、これらを見ていても、ちっとも、うれしくならないぞ!!)」
何か。一番大切なものを、すっかり忘れてしまったような。言い知れぬ不安と苛立ちを感じながら瀬古、無一郎は悶々と考え込んでいます。その横出は、変なプロデューサーが、難しい顔で九九の八の段を思い出そうと、同じように考え込んでいます。
突然。瀬古、無一郎が立ち上がりました。勢いで彼の座っていたパイプ椅子が倒れ、ガシャンと耳障りな音を立てます。
瀬古、無一郎は小刻みにガクガクぶるぶると震え、きょろきょろとあたりを見回しています。
「制服の、匂いがする…!!」
焦点の合わない目で、瀬古無一郎が何もない空間を見つめています。
「ハー?」
変なプロデューサーはつられて、同じ方に視線を飛ばしますが。
「キサマ!制服をどこにやった!制服はどこだ!出せ!制服はどこだ!?」
急に掴みかかってきた瀬古、無一郎が変なプロデューサーの肩を揺さぶり、わめき散らします。
「クソ!制服はどこだ!!」
瀬古、無一郎は変なプロデューサーを突飛ばし、人間とは思えないとんでもない速度で外へ駆け出して行きました。
「ハッパ、ロクジュウヨン。」
変なプロデューサーが、九九の八の段を呟きました。
制服姿のサトミさんが、肩を怒らせ。灼熱のアスファルト上を、ずんずんと進んでいきます。その背中からはまるで陽炎のように、憤怒のオーラがイライラと立ち上っております。その後ろには、幸恵さん。ひよこさんに、ハムスターさん。さらには、下着姿のおまわりさんが続きます。
はた、とサトミさんが立ち止まりました。後ろの一同は一定の間合いをキープしたまま、同じように立ち止まります。
「なんでみんな、一緒に歩いてくれないのっ!?」
サトミさんがバタバタと、地団駄を踏みます。夏休みの昼間に、学校へ行くわけでもないのに、制服を着て歩いている。なんだか酷く、場違いなことをしているような。まるで、裸で歩かされているかのような気恥ずかしさを、サトミさんは感じていました。
「(これ…みんな絶対、面白がってるでしょ!?特に幸恵ちゃん!!)」
サトミさんの視線に気づいた幸恵さんが、ニッコリと笑って「(ファイトだ!)」とジェスチャーを送ります。サトミさんは「(もぅ!)」とため息をついて、先に進みます。
一向がいつもの角に差し掛かり、曲がろうとした、その時。真っ黒い人影がふたつ、恐ろしいスピードで水平横移動し、一同の前に滑り込んできました。
「お前の制服をよこせ、お前の制服を、よこせー!!」
軍服風のセクシーコスチュームに身を包んだ変態・瀬古、無一郎が絶叫します。傍らには、おまわりさんの制服を着た、明らかに日本ではない、変なプロデューサー。状況証拠的に間違いなく、制服強奪事件の犯人です。おまわりさんこの人です。
「動くな!逮捕する!」
半裸のおまわりさんが、パンツから取り出した拳銃を瀬古、無一郎に向けて構えます。
「ハー!」
変なプロデューサーが奇声をあげ、おまわりさんに襲いかかりました。おまわりさんはあっという間に後ろ手に捻り上げられ、パンツから取り出した手錠をかけられてしまいます。
「ハー!ボスノコレクションノジャマオスルヤツワ、ミーンナ、タイポシチャウゾッ!」
バキューン!と変なプロデューサーが、指で作ったピストルを撃つ真似をしました。変なプロデューサーです。
その足元に、とことことひよこさんが歩み寄り。おもむろに大きく頭を振り上げました。
<いぬパンチ。>
頭突きです。ひよこさんの問答無用の「いぬパンチ」が炸裂し、変なプロデューサーは哀れにも、洗濯機の中のジャージのように激しくローリングしながら吹っ飛んでいってしまいました。
「(んー、この変な人、微妙にムカつくのは、なんかわかるけど。相変わらずピヨコットちゃんは容赦、ないなー。)」
足元のアスファルトを削るようにして頭から地面にめり込んでいる変なプロデューサーにさりげなくトドメを刺しながら、幸恵さんは思うのでした。
ひよこさんは今度は、瀬古、無一郎の方へとことこと歩いていきます。
「ピヨコットちゃん、待って!」
サトミさんが、それを止めました。サトミさんとひよこさんの前では、瀬古、無一郎が呆然と、制服姿のサトミさんを見つめています。
「あ…ああ…!」
瀬古、無一郎の喉から、呻きのような、嗚咽のような、言葉にならない声が漏れだし。瀬古、無一郎はよろよろと、おぼつかない足取りでサトミさんに近づいてきました。
「制服…制服ぅっ。やっと、やっと、やっと。やっと…会えたぁ…。」
瀬古、無一郎が力を失ったかのように、サトミさんの足元に崩れ落ちます。小さな子供がお母さんにするように、サトミさんの制服のスカートの裾を、ぎゅっと握りしめながら。えぐっ、えぐっ、と肩をしゃっくりあげ、瀬古、無一郎は泣き続けています。
「ずっと、会いたかった!寂しかった、寂しかったんだ!夏休みで、女の子たちがみんな、制服を着なくなって!制服!制服!制服ぅぅぅっ!!」
サトミさんは悲しそうな顔で、瀬古、無一郎を見下ろしています。
「瀬古さん…。」
サトミさんが、口を開きました。
「瀬古さん。私、ね。バカだし。瀬古さんの言うことは難しくて、ちゃんとはわからないよ。でも、私。たしかに、今までなんで、学校では制服を着なくちゃいけないのか、とか、みんなが同じ制服を着る意味、とか。瀬古さんに言われるまで、全然考えたこと、なかった。お父さんやお母さんや、学校の先生、まわりのみんなが、学校では制服を着るものだ、って言うから。何も考えずに、そういうモノだと、ずっと思ってた。」
瀬古、無一郎が顔を上げました。涙と鼻水でめちゃくちゃな顔で、サトミさんを見上げます。
「瀬古さん。私、制服、着たよ。本当にすごく恥ずかしいし、男の人が女の子が制服着てるの見たがったり、女の子の制服欲しがったり、そういうの。すごく嫌だし、こわいけど。私はいま、ちゃんと自分で考えて、自分の意思で、制服、着てる。瀬古さんにこういうこと、やめてもらいたいから。」
サトミさんが初めて、瀬古、無一郎の瞳を真っ直ぐに見つめました。
「瀬古さん、お願い。こんなこと、もうやめて。私は瀬古さんのこと、よく知らないけど。瀬古さんは、すっごく真面目で。いつも、いろんな事を真剣に考えていて。瀬古さんは絶対、こんなことをしていていい人じゃない。」
瀬古、無一郎が両手で頭を抱え、ガクッと突っ伏します。
「おお、おおおおおおおおぉ!!」
鳴き声とも、断末魔とも聴こえる叫びを、瀬古、無一郎が発しました。その全身から、黒い焔が次々と噴き出し。太陽の光に溶けるように、消えてゆきます。
あとには、よれよれの白衣を着た。いつもの瀬古、無一郎が、憑き物の落ちたような顔で、呆然と座っていました。
「瀬古さん!大丈夫!?」
サトミさんが瀬古、無一郎の肩に手をかけ、心配そうに覗き込みます。意識を取り戻した瀬古、無一郎は、突然、サトミさんのスカートに顔を埋めるように、ガバッと抱き着いてきました。
「なっ…!?」
完全に予想外の行動に、サトミさんの動きが固まります。
「好きだぁーっ!!」
瀬古無一郎が叫びました。瀬古、無一郎の両手に力が籠り、ぐい、ぐい、とサトミさんのスカートを引っ張ります。
「ぼくと、結婚してくれ!!」
サトミさんは必死でスカートが引き下ろされないよう掴んでいましたが、瀬古無一郎の畳み掛けるような爆弾発言に、みるみる真っ赤になっていきます。
「え、えーっ!?いやその!それは!な、なんて言うか、さすがに。ごめんなさ!?」
「キサマなどには言っていないわーっ!!」
絶妙なタイミングで、瀬古、無一郎がキレました。彼は真剣な眼差しでサトミさんのスカートを見つめると、言葉の限りを尽くして求婚します。
「あぁ!君はなんて、なんて美しいんだ!このプリーツの折り幅
、布地の肌触り、縫製の度合い!すべてが完璧だ、君のように美しい制服には、出会った事がない!ぼくと、ぼくと結婚しよう!幸せな家庭を築いて、命果てるその日まで、ふたり一緒にいよう!!」
「死ねぇっ!!」
サトミさんの膝が瀬古、無一郎の顎を真っ正面から撃ち抜き。瀬古、無一郎は満面に幸せそうな笑みを浮かべたまま、真後ろに倒れていきました。
8.
「はぁ。制服…どうしよー。」
サトミさんがガックリと肩を落とし、ため息をつきます。変態・瀬古、無一郎を膝蹴りで葬り去った、その帰り道。サトミさんは既に、Tシャツにショートパンツの私服に着替えていますが。その手に、制服はありません。
瀬古、無一郎はサトミさんの膝蹴りで致命的な打撃を受け、そのまま絶命したかに見えましたが。その手はサトミさんのスカートの裾をがっちりと握っており、どうあっても離しませんでした。
結局。根負けしたサトミさんは、ひよこさんのくちばしをおでこに突き刺されて復活した瀬古、無一郎に制服を渡し、別れます。
瀬古、無一郎はありがとう!ありがとう!と、いつまでも手を振っていました。
<あぁ。おっぱいないコちゃんのセイフク?>
ハムスターさんがちょろちょろとサトミさんの足元に近づきます。
<アレなら。アイツにわたしたほうは、めがみのきせきでつくりだされた、カンペキなコピーだから。ホンモノのほうは、クリーニングやに、フツーにあるケイだよ?>
ハムスターさんの言葉に幸恵さんが、「…だって。よかったねー、サトミちゃん。」と続けます。
「まぁ…それなら、いいんだけど…。」
サトミさんは複雑な表情のままです。
「(やっぱり、さっきまで私が着てた制服、瀬古さんがこれからずっと持ってるの、恥ずかしいよ…あと!)」
ダァン!と轟音を立て、サトミさんが、ハムスターさんの真横、ギリギリのスレスレで路面のアスファルトを踏み抜きました。パラパラと、舞い上がったアスファルトの破片が硬直したハムスターさんの頭に降り注いでいます。
「いい加減、おっぱいないコちゃんて呼ぶのやめないと。次は、マジで当てるからね?」
そうですね。お年頃の女子中学生には言っていい事と悪いことがあるのです。
やがて四人がサトミさんの家の前に着いた時、部屋の窓から。チーン!と、『ときめきラブコンテナ』の目盛りが動いた音が聴こえました。
<せこさんも、うつくしいあいにめざめてくれたようですね。>
ひよこさんが窓を見上げます。
<…っつーワケで。オレちゃんのおシゴトは、これでおしまいチャンって、カンジ。ま、チョッチなごりおしいきも、すんだけどさ。ここで、おわかれチャンだね。>
ハムスターさんがグッと体を縮めて、ジャンプの準備をします。
「あ!待って!」
サトミさんがあわてて、ハムスターさんの頭に貼り付けたままの「冷え冷えシート」を剥がします。勢い余って、ハムスターの頭の毛が長方形にむしり取られました。幸恵さんが、「ブフゥッ!」と噴き出します。
ン?ン?と頭をなで回して状況を確認しているハムスターさんを、ぶるぶる震えて笑いをこらえながら、幸恵さんがパシャッと写メに撮りました。
そこには、有名なプロレスラーのホーク・ウォリアーのような見事なツー・ブロック、俗に言う逆モヒカンと化したハムスターさんが映っています。
<ヤッベ。コレ、超、イカス。まじ、イマくね?>
はい。気に入って頂けたようで、なによりです。
<ンじゃな!しっかりやれよ、ピヨコッち。おっぱいのデカいオネーチャンも、たっしゃでな!それと…。>
ホーク・ウォリアーが、ニヤッと笑います。
<げんきでな、おっぱいないコちゃん!!>
唸りをあげて振り上げられたサトミさんのサッカーボールキックをピョーンとかわして飛び上がると、ハムスターさんは昼下がりの太陽と重なり、あっという間に見えなくなってしまいました。パタパタと羽を振るひよこさんの後ろで、サトミさんはダンッ!ダンッ!といつまでも地面を踏み鳴らしていました。
ビーン、と音をたてて、『ダークボックス』のアンテナの揺れが止まります。
<あー、じょうかされちったかー。ま、どんまーい。>
クーラーのよく利いた圭二さんの自室で、黒いひよこさんはもう、すっかりくつろいでおられます。
「(ふぅ…。やっぱり、人任せでは、ダメかな。)」
<ちにゃー。ちにゃー。>と声を上げて「メリメリくん」をかじっている黒いひよこさんを見下ろす圭二さんの左眼が、怪しく赤く光りました。
それから。
帝王大学近辺では、時おり「高木里美」という名札のついた女子中学生の制服を着た変態が、制服の素晴らしさ、制服の重要性を道行く人々に拡声器で説くようになり。
「ロリコン見守り隊」と並ぶこの町の名物、「制服おじさん」としてプチ・ブームが巻き起こり、一緒に写メを撮ったり、差し入れのお菓子をもらったりと、意外にも近隣の方々にも好意的に受け入れられていきました。
サトミさんが「インターネット」で自分の名前と制服が全国的に話題になっているのを知ったのは、夏休みが明けて、2学期が始まってからの事でした。
さあ、波瀾の2学期が。いよいよ、幕を開けますよ。
次回、予告。
「わたしはー、大丈夫!わたしの大好きなひとはねー。いつも、一緒にいるんだよー?」
主人公/梶田幸恵
<すまないな。うつくしい、むすめ。どうやら、せわになったようだ。>
御遣い/犬・いぬじろう
次回、第6話☆同性愛~homo sexual~
「…サトミちゃんは、わたしのイチバンだよ?サトミちゃんは、わたしがイチバンじゃ、ないの?誰かと一緒とか、誰かと比べるとか。イチバンって、そういうのが、もう全然関係ない人の事だよ?」
恋ナル☆前半戦、最大のクライマックス。
coming☆soon!