ファイナルの5.
病院の、待合室。虚ろな目で、灰色の天井を見上げながら。妹尾武くんは、ボンワリとした意識の中で考えます。何故。何故、このような事になってしまったのか。と、言うより。自分はいったい、今、何をしているのか。確かなのは、定家先輩の容赦ない鉄拳制裁がめり込んだ顔面の痛み。「(俺。何やってんだろう…。)」素朴な疑問が、武くんの頭に浮かんできます。
それは、待合室の冷たいリノリウムの床に見事にぶっ倒れている、武くんを見下ろす定家先輩も同じでした。「(自分はいったい、何をやっているッスか。こんなことがやりたかったんじゃ、なかったはずッス。)」定家先輩の心に、重く、暗い想いが雨雲のように拡がっていきます。
突如飛び出した武くんの「サトミさんのおっぱい揉んだ」発言に激高し、殴り倒してしまいましたが。何故か。定家先輩は右拳に、殴られた武くん以上の痛みを感じています。例えば、そう。まるで、母親を殴ってしまったかのような。絶対に殴ってはいけなかったものを殴ってしまったという後悔と、後ろめたさが。定家先輩の心を重く、沈ませています。
周囲で見守る、変態たちもそれは同様でした。先ほどまであれ程、武くんを馬鹿にし、責め立てていた有荘くん、清水くんさえ。鼻血を噴いて倒れている武くんを前に、沈痛な面持ちで立ち尽くしています。何故。何故、このような事になってしまったのか。自分たちはいったい、何をやっているのか。自分たちはもっと、別の事をするために、ここに集まったのではなかったのか。変態たちは一様に、深い深い敗北感に襲われ。先程から無言で、じっと立ち尽くしています。
「(えーと。俺、何がしたかったんだっけ…。)」
武くんはクリーンヒットした正拳突きのダメージでハッキリしない脳味噌をフルに動かし、必死に思い出そうとしています。
「(なんか。町が、大変なことになっていて。このままでは、幼女の皆さんが…。いや、違う。そうじゃなくて。高木。そうだ、高木だ。町を救うためには、高木が…。なんだっけ。どうだっけ。とにかく、高木がなんか、どうにかなんだよな?)」
揺れる武くんの脳味噌が、とりとめのない思考の断片を、必死に繋げていきます。高木が。高木で。高木の。高木に。いつしかそれは、一つの情報。高木さんで、いっぱいになって。
「あー!!もう!!面倒くせえ!!」
突然、ガバッと跳ね起きた武くんが叫びます。武くんは目の前に突っ立ってる変態どもへ。マシンガンのように、思いのたけをぶちまけ始めます。
「おまえら、さぁ?…。いや!俺は、さあ!結局!町がどーとか、他人の役に立ちてーとか。ハナから、知ったこっちゃねーんだよ!!なんか、そういう雰囲気だったから。お前らの前でカッコつけて、綺麗事言っちまった!アレはウソだ!それは素直に謝る、俺が悪かった!!俺は、さあ!高木の奴が、泣いてたり、ヘコんでたりするのが、なんか…、嫌で嫌で仕方なくて。だから、ここへ来た!だって、そうだろ?高木はいつだって、明るくて、元気で、優しくて、何にでも一生懸命で!!そんな高木だから!俺は、好きになったんだ!!!」
瞳に涙を滲ませ、叫び続ける武くん。キョトンとした表情の変態たちの反応に、あれ?俺いまなんか変なこと言ったか?と自分の発言を考え直してみます。
「(あれ…?俺が、高木を好きになった?いつだ?何言ってんだ俺。俺が、高木を、好き…?)」
考え込みながらも、武くんは。その両目に流れる涙を、止めることができません。
「(なんだ…なんだよそれ。ハハ、俺、高木のこと好きなんじゃん。なんで今まで気づかなかったんだろう?俺。高木のこと、好きなんだ!)」
武くんは今更気づいた自分の気持ちに、気恥しいやら、情けないやら。大きな体をブルブル震えさせ、信じられないといった表情で乾いた笑いを発し続けています。
「ぼくだって。高木さんが好きだ!大好きだ!世界で一番、ぼくが高木さんを好きなんだぞ!殺されたって、世界が終わったって!絶対に、諦めるもんか!!」
だしぬけに、メガネの有荘くんが叫びます。武くんはその迫力に、お、おぅ?と半歩、後ずさります。
「僕だってサトミちゃんが大好きだ!!サトミちゃんは僕と、人形でいっぱいの家で!お話の中の主人公みたいに、いつまでも仲良く暮らすんだぞ!?こんなところで、終わらせやしない、僕が終わらせない!!」
さりげなくイケメンの清水くんが、彼らしくない叫びを上げます。
「…綾子に怒られちまうけどよ。俺も、本当は。高木センパイ、好きなんだ。まあ、綾子も好きなんだけど。」
申し訳なさそうに、椎枝くんが呟きます。
「まったく…貴様らは!!いいだろう、認めよう、認めてやるよ!!僕がこの制服を手離さないのは、高木くんの制服だからだ!高木くんに譲ってもらった、高木くんのものだからだ!!好きだよ、ああ、好きだとも!男が女を好きで、何が悪い!!」
瀬古、無一郎が。ヤケクソ気味に叫び、変態一同、驚愕に目を見開きます。
「うるさいッスよお前ら!!お、お師匠には自分が告ったんス!!好きすぎて、どうしていいかわからなくて、弟子にしろとか言って誤魔化してきたッスけど!!本当は最初から、女性として、大好きッス!!お前らなんかとは好きさのケタが異なるッス!!」
慌てたように叫びだす、定家先輩。今まで心の底の底の底に隠し持っていた、それぞれの想い。それをぶつけ合った変態どもは、一触、即発。また、先刻のようにお互い、敵意のこもった眼差しで、睨み合いますが。
「な、なんだよ。結局、俺たち、みんな。高木が好きなんじゃ、ねえか…。」
武くんがハハ、ハハハと気の抜けたような笑いを漏らしたのに釣られるように、誰からともなくフフ、ハハハハとお互いの真っ赤な顔を見て笑い合います。
「妹尾くん…と、いったかね。当然、ボクもサトミンが、大好きなワケだが。」
慈恵イエスが、武くんの肩に手を置きます。
「どうやら。君のおかげでバラバラだった皆の心が、一つになったようだよ。今のボクたちなら、出来るんじゃないかな。」
慈恵イエスの言葉に、ハッと顔を上げる武くん。清水くんが、椎枝くんが、あの頑固な定家先輩が、偏屈な瀬古、無一郎までもが。期待の眼差しで、武くんを見ています。
「もう一度やろう!妹尾くん!」
メガネの有荘くんが、微笑みながら武くんの両手を握りました。
「よぉし!お前ら、もう余計な事は考えんな!もうボケたり、ツッコンだりもすんな!いま自分の中にある、最も強い想い、それを素直に吐き出せ!どーせ同じこと考えてんだろ、それでいい!せーの!でいくからな!!」
武くんは活力の蘇った声で、皆の音頭を執ります。
「(そう、それでいい。君の素直な気持ちが、皆の心を動かした。あとはその気持ち、ぶつけるだけです!!)」
見守る、校長先生。
「ハー!ボスカッコイイ!ボスサイコー!ハー!」
武くんの変な秘書も、力の限り変な応援をします。変な秘書です。
「これで決めてやろうぜ!!行くぞ!せーの!!!」
大きく息を吸う、変態たち。肺胞の限界まで吸い込まれた空気は、身体の中でとあるシンプルな一つの言葉に変わり、一斉に、叫びとなって吐き出されます。
「結っ!婚っ!!して!くださーっ!!い!!!!」
「ヤだよ!!」
一斉に振り向く、変態たち。彼らの野太い叫びに答えた、可憐な声の持ち主は。
久しぶりにグッスリ寝て、すっきりして、なんだかトイレ行きたくなって。1階に降りてきたところを、バカなセリフを叫んで騒いでいる変態たちに出っくわし、恥ずかしくて声もかけられずに大分前からそこに立っていた。渦中の女子中学生、高木里美さんです。
「なんなの!?ていうか、もう、真面目になんなの!?妹尾くんも有荘くんも清水くんも!!椎枝くんもいるし!!瀬古さんにイエスさん、定家センパイまでいっしょになって、何なんですかコレ!!わけわかんない!!何やってるのコレ!?」
状況がわからないサトミさんは、真っ赤になって叫んでいます。いつの間にか、待合室には病院中の医師、患者、付き添いの方などすべての人が集まり。事の成り行きを、面白そうに見守っています。とにかく、目の前でやられている本人にとっては、とんでもなく恥ずかしい状況です。
あまりの恥ずかしさに悶絶しながらゴロゴロとローリングし、待合室の壁にぶつかっては跳ね返ってまた戻ってくるサトミさんを見ながら、呆けたように突っ立っていた変態どもは。
やがて顔を見合わせると、互いにガッツポーズをとり、野太い雄たけびを上げて健闘を讃え合います。
周囲の方々は意味もわからないまま、とりあえずパチパチパチと拍手を始めました。
「うるさい!!うるさいうるさいうるさいー!!」
転げ回りながらもうわけがわからなくなっているサトミさんの悲鳴に近い叫びと、変態たちのもはや人間語ですらない歓喜の絶叫。その2つが、静寂でなければならないはずの待合室に、いつまでも響き続けまています。
なんていうか。
とんでもない、大迷惑です。




