12/12話 ☆ 病怨愛 ~yamnderet~
前回のあらすじ。
犬が、巨乳好きだとバレてしまった。
1.
別離の3月は、恋の季節。新たな春の訪れは、ひとつの出会いとの別れ。1年間のこのお話も、いよいよ皆さんとのお別れです。
今日も地上のあちこちで、惜しみながらも別れゆく人々。これを最後と激しく、恋の炎を燃やしている人。想いを静かに、心の海に沈めていく人。人それぞれに、それぞれの途を。次の春へと、進んでいきます。
ほら、ご覧なさい、あそこでも。1つのお別れの場面が、今も進んでおりますよ、っと。
綺麗に並んだ、たくさんの椅子。一様に背を伸ばし、正面を見て座る中学生たち。いつもは賑やかな中学校が、今日はしんと静まり返り。体育館は厳粛ながらもどこか穏やかな、暖かい空気に包まれています。
卒業式。
起立、礼、着席。起立、礼、着席。この学校で毎日、幾度も繰り返されている、この三拍子。体育館に集まった生徒たちは既にこの一時間、まるで日々の中学生生活を凝縮したかのように、ひたすらこの3つを何度も何度も繰り返しています。
前列に並んでいるのは、卒業生。友との別れを思い、涙する女の子。これが俺の人生計画の第一歩と、野心に燃える男の子。既に意識が宇宙と繋がっており、今にも悟りの境地に辿りつきそうな、明らかに生徒ではない変な卒業生もいます。揃いの制服に身を包みながらもその心の内は、様々。おや、1人だけカラテ着姿で男泣きしている定家先輩の姿も見えますね。
後列に座るのは、在校生。会場の雰囲気に完全に飲まれて、なんだか泣いてしまっているのは主人公の高木里美さん。その隣ではイケメンな方、新帝圭二さんがつまらなそうな顔をしています。場所、状況がどう変わっても、常にマイペースを崩さないふたり。意外なところで似た者同士のふたりは、今日の並びも隣同士です。「しんてい」と「たかぎ」ですからね。五十音順でしょう。
幾度かの起立、礼、着席が繰り返され、偉い方々のありがたいお話が一通りおわり。校長先生が卒業生ひとりひとりに、卒業証書を手渡していきます。ころんとまんまるな、校長先生。そのまんまるな顔を今日はさらにまんまるにして、微笑みながら。
「おめでとう。」
「頑張ったね。」
「元気でね。」
「君は誰だい。」
ひとりひとりに、声をかけます。校長先生の暖かいお人柄が伝わってきますね。
やがて。最後のひとりに卒業証書が手渡されると、再びの起立、礼、着席。席に戻った校長先生にかわり、1人の小太りな生徒が壇上に上がります。在校生、送辞。代表として壇上に立ったのはサトミさんの同級生、妹尾武くんです。
武くんは、その横に広い体型の安定感もさることながら。その立ち姿にはどこか中学生らしからぬ威厳があり、威風堂々。全校生徒、ご父兄の方々、ご来賓の皆様の前に1人立っていても、まるで物怖じしない立派な態度です。去年の5月まで、教室の隅で大きな身体を小さく縮めていた武くん。1つの出会いが、そして、それからの1年の経験が。彼をその身体に見合う、大きな男へと成長させたのでしょう。
「卒業生の皆さん。ご卒業、おめでとうございます。」
一礼した頭を上げた武くんが、その重く太い声で言葉を紡ぎはじめます。
「在校生の代表として、お祝いの言葉とともに。この日を迎えられた皆さんに、私は是非、考えてもらいたい問題を提起させて頂きたい。皆さんは本日をもって中学生ではなくなる。成人への道をまた一歩、先へ進まれるわけです。これが、どういうことであるのか。何を意味するのか。」
武くんは視線を卒業生の並ぶ前列に向け、見渡すように間を置きました。しばしの沈黙。武くんが再び、口を開きます。
「成人に近づくということは、それだけ幼女から遠ざかるということ。よろしいですか、皆さん。女性は十歳を越えると、汚れてビッチになります。その意味では皆さんはもう既に汚れきっています。ババァです。それはとてもとても、悲しいことですが。事実は事実として、認めなくてはいけません。本日卒業されるババァの皆さんには、明日からはせめて。俺の目につかない場所で幸せに暮らして頂きたい。」
会場の空気が固まりました。いったい、この小太りは真顔で何を主張しているのでしょうか。なんかもう、色々ぶち壊しです。
「しかし。そんな皆さんにも、出来ることがある。」
武くんはお構いなしに続けます。無駄によく通る、太い声が静まり返った体育館に響きます。
「皆さん。大人は、新たな幼女をこの世の中に産み出すことができます。次世代への希望を紡ぐことが出来るのです。それはとてもとても、素晴らしい事だ。卒業されるババァの皆さん。皆さんには是非、1日でも早く、1人でも多く、この世の中に幼女を送り出して頂きたい!それが皆さんの存在する唯一の意味であり、皆さんが持っている唯一の可能性である。その後はせめて、俺の目につかない場所で幸せに暮らしてください。重ねまして、ご卒業おめでとうございます。」
武くんが深々と頭を下げました。あまりに堂々とした武くんの態度に会場の皆さんは、怒ったものか、笑ったものか、呆れたものか。対応に困ってただ呆然と、言葉を失っています。
「非合理的だ!!」
静まり返った会場の空気を割くように突如、怒声が上がりました。保護者席から1人の男が立ち上がります。長身・痩躯。武くんとは対照的な体型を女子中学生の制服で包んだ明らかな不審者。変態マンこと、瀬古、無一郎です。
「貴様は1番大切な事を見落としている。いいか、大人に近づくとは。卒業するとはどういう事なのか。」
瀬古、無一郎は先ほどの武くんと同じように、会場の皆さんを見渡すように視線を向け、言葉に間を置きます。しばしの沈黙。瀬古、無一郎が再び口を開きます。
「制服を着なくなるってことだろうがぁ!!!」
突然、瀬古、無一郎がキレました。この変態、とことんまでブレません。
「いいか、今日、卒業する女の子たちは。おそらくもう二度と、この学校の制服を着ないんだぞ。わかっているのか?今日、卒業する女の子たちの分だけ。同じだけの制服が、今日、この場で死ぬんだぞ!?その事実から目を背けたまま、幼女がどうの、希望がどうのと。笑わせるな!貴様は今ここにある問題に目を閉じて、聞こえの良い空虚な言葉を並べているに過ぎん。愚かな大衆に迎合することばかり考えて物事の本質を捉えようともしない、人気タレントきどりのエセ指導者め!!」
瀬古、無一郎が武くんをビッ!と指差し、敵意のこもった眼差しで睨み付けます。いったい、武くんがいつ指導者になったのでしょうか。相対的になんだか、糾弾されている武くんが普通の人に見えてきたから人間の感覚というのは不思議なものです。
「幼女より制服の方が大切だろうがぁああ!!」
瀬古、無一郎が叫びました。訪れる重い、重力の底のような沈黙の時。女の子の中にはもうわけがわからず、泣き出してしまう方もいます。人の動きの止まった体育館に、どこからか能天気なサンバホイッスルの演奏が近づいて来ました。
ピーッピッピッピ!ピーッピッピッピ!ピーピッピッピピーピーピーッ!
ピーッピッピッピ!ピーッピッピッ!ピーッピッピッピピーピーピーッ!
バカスカバカスカバカスカバカスカバカスカバカスカバカスカバカスカ。
「ぼっくっらっのまっちにー、やってくるー。イッエッスのらっくっえっん、やってくるー。くーいあらーためーよくーいあらーためーよ、どっうっぶっつたっちっにー、ざっんっげせよー。」
類は、バカを呼ぶ。空気を読まない慈恵イエスの明るい歌声が聴こえたその時、遂に会場の皆さんに我慢の限界が訪れました。
「ふざけんなこのロリコンデブ!!ぶっ殺すぞ!!」
「こいつ在校生代表に選んだ奴誰だ!責任者出てこい!!」
「なんで送辞の対象が女生徒だけなんだよ!お前らおかしいだろ!?」
「た、高木さんの制服着るな変態!うらやましい!」
「そうだ変態!ぼくに譲れ!!」
「ハー!トリアエズ、バカ!ハー!」
卒業生、在校生、明らかに生徒ではない変な生徒、教員、ご来賓の皆様、ご父兄の方々。その全てが思い思いに、一斉に怒りの声を上げます。約2名、正直な人がいるようですが。幸い、周りの叫びに飲み込まれて当のサトミさんには聴こえなかったようです。よかったですね、有荘くんに清水くん。
会場が暴動寸前になった、その時。カッ、カッ、と高い足音を立て、1人の女生徒が舞台の階段を上りました。無駄に目立つ変態二人を今にも血祭りにあげようと腰を浮かせていた人々が、状況の変化に気づき、1人、また1人と静かに腰を下ろしていきます。マイクの前に立っていた武くんが、気圧されたように一歩引き下がり、マイクを譲りました。会場の空気が変わります。
「卒業生代表、答辞。」
壇上の女生徒。眼鏡の美少女、文化祭執行先輩の凛とした声が響きました。
「私たちが今日、この場にあるのは。この日を迎えられたのは。私たちのこの三年間。中学生としてのなんということもない1日1日の生活。その1日1日の積み重ね、そのなかで。私たちが日々、泣き、笑い、怒りながら、たゆまず命の歩みを続けてきたからです。生きているということはそれだけで素晴らしく、それだけで、かけがえのないもの。なんということのない1日1日の生活、その全てが、本当は二度とやってこない、欠かすことのできない1日1日で。その大切な1日1日が、この中学校での3年間を形作るピースとして、今。3年間の中学生活という作品を作り上げ、燦然たる完成の時を迎えました。本日、今、ここに、3年間をともに過ごした場所、諸先生方、仲間たち、それらに別れを告げる、私たち。それは明日から始まる新たな歩み、その出発点に私たちが立っているということ。これから先、私たちが進んでいく未来は。輝かしい希望に充ちた世界か、或いは、絶望の底への転落か。どのような結末となるものか、何も見えません。しかし。私たちは、明日からもまた、なんということもない日々の中で、泣き、笑い、怒りながら。欠かすことのできない、二度と来ない1日1日を積み重ね。たゆまず、命の歩みを続けていきます。私たちの人生という、その作品の完成を迎えるその日まで。私たちはただ、ひたすらに命の歩みを続けていきます。そして、その日には、願わくば。私たちの心を今、満たしているこの想い、それと同じ言葉を抱けるよう、ありたい。本日、卒業の時を迎える、私たち。その心を満たしている想いとは、この一言です。…ありがとうございました!」
文化祭執行委員長先輩が深々と頭を下げます。しんと凍った湖面のように、鎮まりかえる体育館。先程の沈黙とはまるで質の異なるそれは、やがて、誰ともなく始めたまばらな拍手にかわり。やがて万雷の拍手の渦として、会場を包み込みました。
スタンディング・オベーション。会場の人間が皆、自然と取った行動は、世界共通の敬意と祝福の仕草。いつ終わるとも知れない会場総立ちの拍手を前にもう一度、文化祭執行委員長先輩が深々とその頭を下げました。
タカタタカタカタンタン、タンタタン。
タカタタカタカタンタン、タンタタン。
絶妙のタイミングで、舞台袖のピアノが軽快な前奏を奏でます。
ピアノの前に座っているのは、さも当然のように涼しい顔をしている、圭二さん。サトミさんが驚いた顔で隣をみると、そこには憮然とした顔の小太り。いつの間にか、入れ替わっていますが。「せのお」と「たかぎ」ですからね。本来、こちらが五十音順で正しい席次でしょう。
卒業式最後のプログラム、卒業生、在校生、全生徒による混声二部合唱、「希望の旅路。」
予定されていた式順とは異なるタイミングで、しかし、最高のタイミングで始まった歌声は、体育館の屋根を越え、3月の青空へ昇っていき。やがて風に乗り、世界中へ拡がっていきます。
朝陽へ向かえ 錨を上げろ
希望の風を その帆に受けて
進め青く広い 海原を
進め果てしない 大空を
今 ぼくたちは 夢を目指す
昨日までの日々に 別れを告げ
さらば友よ また逢おう
風が大地を廻り 出逢える日まで
さらば友よ また逢おう
海と空の彼方 輝く未来へ
翔べ
2.
「そういえば在校生代表、なんで妹尾くんだったんだろ?」
校庭での卒業生見送りが終わり、自分たちの教室へ戻っていく在校生たち。いつまでも「お師匠!お師匠!」と泣き止まない定家先輩を、もらい泣きしているカラテ部の丸坊主部員と一緒になってなだめていたサトミさんと幸恵さんのふたりは、他の皆から少し遅れて教室への廊下を進んでいます。
「妹尾くん。なんかー。今年のMVP生徒だった、らしいよー?」
幸恵さんがサトミさんの疑問に答えます。武くんは去年の5月、史上最年少にして史上初の中学生国会議員として当選。議員の職を辞してからも地域のパトロール活動を精力的に行っており、その実績だけを評価するならば、なるほどMVPといえる活躍であったと言えるでしょう。
「あー…。」
サトミさんは納得と、諦めの感情の入り混じった声を出します。
「文化祭執行委員長先輩の方はー?」
今度は、幸恵さんがサトミさんにききます。
「あぁ…、なんかね?」
サトミさんが微妙な表情で答えます。
「文化祭の一件で文化祭執行委員長先輩、校長先生にかなり、気に入られちゃったらしくって。校長先生がなんか、文化祭執行委員長先輩に答辞読ませないと、アリスさん呼んで歌わせるぞ!!って先生たちを脅したんだって…。文化祭執行委員長先輩、その話聴いて即答で引き受けたって…。」
「あー…。」
幸恵さんも、納得と諦めの感情の入り混じった声を出します。当日の変態どもの暴挙からのみならず、あわや校長先生の個人的な感情で卒業式がぶち壊しになっていた可能性からも見事、大切な卒業式を守り通して見せた眼鏡の美少女、文化祭執行委員長先輩。これが最後の登場となってしまうのが、非常に残念です。ふたりは心の中に、文化祭執行委員長先輩の白く光る眼鏡を思い浮かべ。お疲れ様でしたと、ねぎらいの言葉をかけるのでした。
「…ていうか。瀬古さんはなんでいたのかなあ?」
「さあー?瀬古さんも大学、卒業した?からー。ヒマなんじゃ、ないかなー。」
ふたりは教室の扉に手をかけます。突然、反対側からガラガラガラと、扉が開かれました。
「失礼な!ぼくはヒマなどではない!!」
教室の中に、瀬古、無一郎。この異常事態に、さすがの二人もぎょっと固まり、言葉を失います。
「大学という組織から解放されたぼくは、ようやく、無知蒙昧な君たち大衆への啓蒙活動にすべての時間を割けるようになった。改めてこの国、この世界を見渡すにあたり、日々、何も考えずに無為に過ごしている人間の、なんと多いことか!もはや、一刻の猶予もない。このぼくがヒマであることなど、許されないのだ!!」
瀬古、無一郎はイライラと教室内をうろつきながら、ブツブツ呟き続けています。
「とりあえず、教室に入らないでください!!」
サトミさんは瀬古、無一郎に言いたいことは山ほどありましたが。とりあえず、優先順位のもっとも高いと思われる部分を要求しました。
「はぁ…、高木君、君はまたそれだ。」
瀬古、無一郎がやれやれと首をふります。
「先程の眼鏡の方も言っていただろう?我々が今、生きている、このなんでもないような日々は、その実、我々の人生にとって二度と来ない、かけがえのない1日1日であると。今、我々が考えるべきは、真に今、自分が何をするべきなのか?だ。その前には、誰かの勝手に決めた社会常識など、いったいどれ程の価値があることだろう。高木君、大義を見失うな。」
こともあろうに、この変態。先程の文化祭執行委員長先輩のメッセージを引用して自分の正当化をはかります。彼は彼なりに感銘を受けた部分があったようですが、なんというか。もう、いろいろと台無しです。
「とりあえずー。はやく逃げた方が、いいですよー?」
幸恵さんがのんびりとした声を上げました。サトミさんと瀬古、無一郎は。ふたりそろって、幸恵さんの見ている方へと向き直ります。
その視線の、先。窓の外には、赤く光る回転灯。抜かりない文化祭執行委員長先輩の最後の仕事としての通報を受け、校門に駆けつけたパトカーが。今、まさに、付近をうろついていた慈恵イエスを捕らえたところでした。慈恵イエスはめざとく校舎の窓の中にサトミさんを見つけると、ヤッホー!サトミーン!と嬉しそうに、両手を振って喜びを表現します。今までのパターンから察するに、パトカーの中身は例のブリーフ刑事でしょう。サトミさんはガックリと肩を落とし、大きなため息をつくのでした。
圭二さんの、自室。誰もいないはずの部屋の中から。
「オーィエス!オーィエス!オー、オー、オー、グッド、グッド、アーハーン!」
およそ健全な中学生の部屋にはふさわしくない、艶やかな女性の矯声が漏れてきています。
部屋の中では、黒いひよこさん。〈ちにゃー、ちにゃー。〉と喜びの声をあげながら、圭二さんがいないのをいいことに、スマホで洋モノのよからぬ動画を観賞し。ひとりっきりのお留守番を、見事に満喫しております。
「アァー!オーィエス!オーィエス!カム!カム!カム!カミーン!」
画面の中のブロンド女性が、今まさに最高潮の声をあげようとした、その時でした。
「デゥーリィーリィーリィーリリリリィーリィーオー!クサマン!!オー!クサマン!!」
スマホが突如、けたたましい大音響で下品な替え歌を歌い出します。ビクーン!と飛び上がった黒いひよこさんは。〈チッ、ファッデム。〉と舌打ちすると、「着信中」と文字の表示された画面を、器用にくちばしでスイッとやります。黒いひよこさんが地上に来て、はや、1年。すっかり、文明の利器を使いこなしておられます。
<はい、もしもし。アイアイムオバマ。>
黒いひよこさんはスマホに向かって話しかけます。電話にオバマが出たため、電話の向こうの声は一瞬、返答するのに戸惑ったようですが。
<やはり貴様か!まったく、いつに間にかなくなっていたと思ったら!勝手に、人の携帯を持ち出しおって!!>
相手がオバマではなく、予想通りの人物だと認識するが否や、怒りの声を上げます。
<…スシっすか?>
黒いひよこさんはかわいらしく、首を傾げます。
<寿司だとぅ!?ふざけるな!!>
電話の向こうの声がキレました。たしかにちょっと、黒いひよこさんはさっきからふざけすぎですね。電話の相手はよく知っている人なんでしょうか。
<まあそうおこるな、へんたい。ハゲるぞ?>
黒いひよこさんは相手の頭髪を気遣います。。
<私は大臣だ!!ハゲてなどおらん!!貴様はまったく、相変わらずそうやって人の傷つくことを的確に…。>
電話の声はブツブツと、愚痴を言い続けます。そう。どうやら、電話をかけてきたのはあの、天の世界のはだか大臣。そろそろ頭髪の気になるお年頃ですか。お気持ち、お察し致します。
<どんまい。おわびに「せかいのむりょうエロどうが」、いっぱいダウンロードしておいてあげたから。げんきだして。>
黒いひよこさんはやさしく、傷心の大臣をなぐさめます。
<やはり貴様か!!身に覚えのない架空請求が毎月、山のように送られてくると思ったら!!>
大臣がふたたび怒声をあげます。それにしても、天の世界にまで請求書を届けるとは。違法動画サイトもなかなか、侮れないものであります。
<キレんなや。おまえのたいせつな「ちじょうのじょしこうせいとうさつコレクション」なら、ちゃんと保存してあるから。あんしんしていいぞ。>
黒いひよこさんはハッハッハッハッハ!とアメリカ人のような笑い方をします。電話の向こうのはだか大臣は、むう、とか、ぐう、とか、歯ぎしりをしてしばらく、唸っておりましたが。
<…貴様。わかっておるのか?>
大臣は急に声のトーンを落とし、黒いひよこさんのペースに乗せられて今まで切り出せなかった本題を語り始めました。
<貴様が地上に降りて、11ヶ月。女神さまが人間どもにお与えになった猶予は、あと1ヶ月足らず。だが、貴様は連戦連敗。12の奇跡のうち、既に11までが発動してしまっているのだぞ!?>
大臣は自分の言葉の効果をはかるように、一旦言葉を切り、少しの間をおきました。しばし、沈黙が流れます。黒いひよこさんが口を開きました。
<…スシ。>
<寿司ではない!!>
すかさず、大臣が被せてきます。声色から、もはや先ほどまでの愉快な変態大臣ではないことが伺えます。黒いひよこさんが、チッ、と舌打ちをしました。
<いいか。我々が目的を達成するためには…。>
1、
12番目の奇跡が発動するのを妨害し、神器の触媒となる人間を美しい愛に目覚めさせない。
2、
12番目の奇跡が発動する前に1年が経過。
3、
1、2、の条件が満たされる前に『ダークボックス』を満タンにし、そのダークパワーを用いて人類を滅亡させる。
<この、3つの条件のどれかを満たすことが必要なのだぞ?>
大臣がわかりやすく、現在の状況を説明します。
<(へんたいのくせに、あいかわらず、ムダにわかりやすいせつめいだな。)>
黒いひよこさんは若干失礼な感心の仕方をしています。
<貴様。あれだけ大きなことを言っておいてよもや、「寿司でした。」で済ますつもりではあるまいな。当然、なにか策があるのだろうな!?>
大臣はここぞとばかりに黒いひよこさんを責めにかかりますが。
<ま、そうはいってもまだ、いっかげつあるしぃー?なんとかなるんじゃね?ってカンジー?>
黒いひよこさんは女子高生口調でテキトーに、ヘラヘラと流してしまいます。
電話の向こうでは、なおも大臣が。
<な…貴様!?おい!笑うな!人の話をきけ!!>
などと焦り続けていますが、黒いひよこさんはアメリカ人のようにハッハッハッハッハと笑うばかりで、もはやまともに取り合おうとしません。ハッハッハッハッハ。ハッハッハッハッハ。笑い続ける、黒いひよこさん。ふと人の気配を感じ、部屋の入り口へと目を向けます。
<あ、おかえり。けいじちゃん。>
卒業式のため、今日は半日で学校から帰ってきた圭二さんが、いつの間にかそこに立っていました。圭二さんの、「(君、携帯なんて持ってたっけ?)」という視線を察して、黒いひよこさんが<あぁ。>と口を開きます。
<やっべえぜ、けいじちゃん。スポンサーちゃんがおいかりだ。>
黒いひよこさんがハッハッハッハッハと笑います。それでおおよその事情は理解できたのか、圭二さんは。「ふぅん?」と軽く流して、興味なさげに部屋の奥へ行ってしまいます。
黒いひよこさんはそんな圭二さんの様子を、ヘラヘラ笑いながら小気味よさそうに見ていましたが。
<ま、でもたしかに。おれさまちゃんたちも、ぼちぼち、いいかげんでちょっとだけ、ほんきださなきゃいけない?ってカンジ?>
かわいらしく小首を傾げて、珍しく殊勝なことを言います。女子高生口調で。
「君さ。地上の、クイズ番組って、観たことある?」
圭二さんがはブレザーをハンガーにかけながら、振り向かずに言います。
「たいていね、ああいうのは。番組を盛り上げるために、わざと面白おかしく、間違った解答をするポジションの人がいるんだ。で、最後の問題になる頃には、トップの人ともう、絶対に逆転不可能なくらい、点差がついちゃってるんだけど。」
カバンを机の脇に置き、椅子に腰掛ける圭二さん。軽く床を蹴って、くるっと黒いひよこさんの方に向き直ります。
「そこでね、司会者の人が言うんだ。最後の問題は特別に、サービス問題で百万点ですから。まだ、勝負はわかりませんよ。」
黒いひよこさんと、圭二さん。向かい合った二人が、ニヤっと笑みを浮かべます。
<つまりおれたちは、さしずめ。スーパーひとしくんをのこしているノノムラマコトってワケだ。>
必要以上に正確に伝わったようです。圭二さんは、「(こいつ、テレビ好きなんだな。)」と苦笑します。
「まあ、そういうことさ。番組を盛り上げるためには、最後の問題以外は勝負に関係ないとわかっていても、面白おかしく間違えて、悔しがって見せ続けなきゃいけない。それでも。最後の問題さえ落とさなければ、僕たちの勝ちは揺るがない。」
そう。今までの彼らの敗北は、あくまでも「面白さ」を優先していたがゆえの、いわば、お遊び。圭二さんと、黒いひよこさん。彼ら最悪チームは最初から、勝敗を決定する切り札を手元に握っているのです。
「僕たちは最後の御遣いがどこにいて、誰のために最後の奇跡を起こそうとしているのか、とっくに把握している。負ける要素がまず、ないんじゃないかな。」
圭二さんはフッと微笑み、涼しい顔で眼をつぶります。
<…って、けいじくんがいってるので。まあ、ダイジョウブ。なんじゃね?>
黒いひよこさんがスマホに向かってしゃべります。
<待て!けいじって誰だ!おい!答えろ!切るな!!>
スマホからは大臣の悲鳴に近い叫びが漏れ聴こえていますが。黒いひよこさんはかまわず、ハッハッハッハッハと笑って着信画面をスイッとやってしまいます。
「(携帯、まだ繋がってたのか。)」
圭二さんは若干、カッコいいセリフを言ってしまった事を後悔しました。
<…いよいよ、けいやくのときがくるワケだな。>
静かになった部屋の中で、黒いひよこさんがポツリとつぶやきます。
「ああ。いよいよさ。」
圭二さんも、つぶやくように応えます。
「(そう。あの子の恋が叶う事は、絶対に、ない。)」
圭二さんの左眼が、怪しく赤く光りました。
3.
それから、1週間ほどが過ぎ。三年生がいなくなり、生徒のが2/3になった中学校は、少々静かになりましたが。2年生のまま最上級生になったサトミさんたちは、だからといって特になにか、変わったこともなく。4月までの微妙にモラトリアムな期間を、日々、普通に過ごしておりました。そして。
3月、14日。
その日もサトミさんはいつものように学校に行き、いつものように授業を受け。いつものように、放課後になったのですが。
カバンに教科書やノートを入れ、帰る準備をしていたサトミさんは、前に誰かが立った気配を感じ、「?」と何気なく、視線を上げます。
「(圭二くん!?)」
サトミさんの動きが固まります。そう、サトミさんの前に立っているのは他でもない、憧れのイケメンな方、新帝圭二さんです。いつもなら放課後になると、さっさと席を立ち、一人で帰ってしまう、圭二さんです。今日に限ってこれはいったい、どうしたというのでしょう。
「高木さん。このあとちょっと、いいかな。」
圭二さんは極めて普通に話しかけてきますが。基本的に他人と関わらない圭二さんが、こんなふうに話しかけてくるのは。実は相当、珍しいことです。事によると、圭二さんが転校してきた、初日。9月のあの日以来のことではないでしょうか。サトミさんは状況がよく理解できず、おろおろしています。
そんなサトミさんの様子に、圭二さんは優しく微笑んで。
「ほら、バレンタインの。お返し、したいんだ。」
明確に、その意図を伝えます。
「屋上で待ってるから。」
それだけ言うと、圭二さんはさっさと行ってしまいます。10秒。20秒。状況が理解できていないサトミさんは、カバンにノートをしまいかけたそのままの姿勢で固まり続けていましたが。
「えぇーっ!?」
ようやく自分が何を言われたのかを把握し、2分38秒遅れのリアクションをとります。
「どどどどど、どうしよう!!圭二くん、バレンタインの『お返し』、したいって!!これって、つまり、あの、その、アレだよね!?」
サトミさんは今さらのようにバタバタと慌てながら、隣の席の幸恵さんに助けを求めます。
「まあー。『そういうこと』、なんじゃー、ないですか?」
幸恵さんは何故か、こっちを向いてくれません。肩がプルプル震えています。明らかに、笑いをこらえています。
「こっち向いてよ!!ていうか。なんで丁寧語なの!?」
サトミさんは必死に訴えますが。
「屋、上、でぇ、待っ、て、る、か、らぁ。」
幸恵さんは口をパクパクと動かし、一語一語丁寧に、圭二さんの口真似をしています。
「ちょ、幸恵ちゃん!?やめてったら!!なんでいつも顎をしゃくれさせるの!?」
サトミさんはいよいよ困って、頭を抱えてしまいます。
「どうしよう…バレンタインの、『お返し』、って。私、手紙、つけちゃったのに。圭二くん絶対、手紙、読んじゃってるよぉ…。」
サトミさんのこえはか細く、今にも消えてしまいそうです。
「手紙ー?」
目ざとく面白そうな単語に反応した幸恵さんが、にゅう、と首を伸ばしてきました。
「にゃー!!」
真っ赤になったサトミさんの悲鳴が、放課後の校舎に響き渡りました。
屋上へ続く、一回り幅の狭い、階段。その小さな踊り場に、幸恵さんを先頭に、清水くん、武くん、有荘くん。サトミさんのクラスメート、いつものメンバーがところ狭しと集まり。鉄扉の前で、聞き耳を立てています。彼らは意を決したサトミさんが席を立つと、誰からともなくこっそりと後を追い。こうしてサトミさんの入っていった扉の中の様子を、先ほどから一言一句逃すまいと、真剣な表情で伺っているのでした。
その、扉の中では。屋上の手すりに寄りかかり、空を見上げている、圭二さん。その前に先ほどから立ち尽くしている、サトミさん。どうにか心を決めてこの屋上に来たはよいものの、当の圭二さんはまるで気づかぬふりの、知らんぷり。圭二さんがこちらを向いてくれないので、サトミさんはどうしていいのか、わかりません。
どれほど、そうしていたのでしょう。
空を見上げていた圭二さんが、ようやく、振り返り。
「来たね。」
サトミさんに声をかけ、近づいてきました。サトミさんの心臓が、とんでもない速さで音を立て始めます。
「呼び出してすまないね。どうしても、バレンタインの。お返し、したかったものだから。」
圭二さんは爽やかな笑みを浮かべつつ、カバンへとその手を差し入れます。
「ほら。コレなんだけど。」
圭二さんはカバンから取り出した、「ソレ」を。
無造作に、足下に投げ捨てました。
「…え…?」
サトミさんは圭二さんの予想外の動きに、思考が止まります。足下にある「ソレ」は、確かに、見覚えのある、小さな包み。カバンの中に、よほどテキトーに入れておいたのでしょう。教科書やノートに潰され、大きくへこんで。かわいらしくかかっていたリボンも、無惨にぐしゃぐしゃに、歪んでしまっていますが。
サトミさんが先月、バレンタインデーに圭二さんに贈った。あの、小さな包みでした。
「こ、こ、これ…。」
足下で潰れている「ソレ」が何であるかに気づいたサトミさんは大きく目を見開き、ガタガタと震えています。サトミさんの頭の中にはたくさんの「?」が渦巻き、今起きていることがまるで、理解できていません。
「だからさ。『お返ししたい』んだ、ソレ。僕、言ったよね?バレンタインの。『お返ししたい』、って。」
そんなサトミさんの様子を見た圭二さんが、冷たい、満足げな笑みを浮かべます。
「なん、で…?」
サトミさんは信じられないという顔で、すがるように圭二さんを見上げています。圭二さんは逆に、見下すような眼で、サトミさんを見下ろしています。
「なんで、って。わからないかな。僕、君の事、嫌いなんだけど。」
圭二さんは躊躇なく、きっぱりと言い切ります。
「しつこく付きまとわれたり、まわりでうるさく騒がれたり。正直、鬱陶しいんだよね。君って、僕の一番、嫌いなタイプの人間だ。君さ。相手の立場とか、気持ちとか、考えたこと、ないの?あんな風にみんなに見られてる前で渡されたら、受けとるしかないって、わからないかな?とりあえずは、受け取ってあげたけどさ。やっぱり、好きでもない相手からこういうのもらうのって、すごく気持ち悪いっていうか。何が入っているか、わかったモンじゃないし。怖いから、手元に置いておきたく、ないんだよね。捨てちゃっても良かったんだけど。僕が喜んで受け取ったとか、ずっと勘違いされるのも嫌だし。」
次々と出てくる辛辣な言葉とは裏腹に、圭二さんの顔は、サディスティックな悦びに輝き。とても嬉しそうに、サトミさんが傷つくであろう言葉を選んで、発し続けていきます。あまりの事に、サトミさんは返す言葉もありません。今まで溜まりに溜まっていた不満を吐き出すように、圭二さんは言葉をぶつけ続けます。
「嫌いな相手に好意を持ってるとか勘違いされ続けてるのって、どんなに嫌なことか、想像できる?できないよね。君は自分勝手で、思い込みが激しくて、僕がどんな眼で君を見ているのかなんて、気づきもしない。まったく。ちょっとでも僕の気持ちを理解してもらいたくて、せっかく毎月毎月、気持ち悪い変態どもをけしかけてやってるのに、まるで意に介さないどころか、君ときたら勝手に好意的に解釈して、いつの間にか仲良くなってる。ニブイというか、なんというか…。」
圭二さんに一方的に言葉の暴力で殴られ続け、俯いていたサトミさんが、えっ!?という表情で顔を上げます。サトミさんには、圭二さんが何を言い出しているのか、理解が追い付いていません。圭二さんはやれやれ、といった表情で、困ったように肩を竦めます。
「だからさ。こっちはわかり易いように、わざわざ毎月のお決まりのパターンでやってあげてるんだから。いい加減で、気付いて欲しいんだ、っていう話。闇の奇跡で中学生やり直してまでやってるのに、まったく気付いてもらえないんだもんな。さすがに驚いたよ。いや、正直なところ、疲れるんだよね。頭の悪い相手に合わせてあげるのって、さ。それで、そんな風に僕を不快にさせている君が、それには気づきもしないくせに毎月毎月、変態相手にわかった風な口をきいて、お説教して。そこまでいくともう、逆に笑えるよ。」
圭二さんはハッハッハッハッハと、乾いた笑い声を上げます。いつも物静かな圭二さんがここまで感情をあらわにするのは、初めてのことではないでしょうか。
「ああ…、笑える、と言えば。」
圭二さんが、ニヤッといやらしい笑みを浮かべます。
「君の、友達のあの子。あれが一番、笑えたね。僕に君を取られたくないからって、僕と付き合おうとしてきて。面白いから話を合わせてあげたけど、いきなり殴るんだもんなあ。勘弁して欲しいよ。」
ヘラヘラと馬鹿にしたような態度を取る、圭二さん。それまで黙って聴いていたサトミさんが、初めて口を開きました。
「幸恵ちゃんを、悪く言わないでよ!!」
怒りのこもった目で、サトミさんは圭二さんを睨み付けます。サトミさんが圭二さんにこんなふうに敵意を向けるのは、これも初めてのことのように思えます。圭二さんは意に介さず、ふん、と鼻で笑って見せます。
「圭二くんに、幸恵ちゃんの何がわかるの!?あの時だって幸恵ちゃんは、私の事を心配してくれて…。」
幸恵さんを馬鹿にされて、怒りの言葉をぶつけようとする、サトミさん。しかしその真剣さとは対照的に、圭二さんは、さっきから視線を合わせようとせず、下を向いて笑いをこらえているように見えます。
「圭二くん!真面目に聴いてよ!!」
怒りの叫びを上げるサトミさん。下を向いたままの圭二さんが、クスクスと笑い始めました。
「それがね。僕にはあの子の事は、すごくよく見えているんだよ。君なんかより、はるかに、正確にね。むしろ、あの子を理解していないのは、君の方なんじゃないかな。…僕の眼には、そう視えるんだけど?」
クスクスと笑いながら、圭二さんがゆっくりと顔を上げます。圭二さんの持ってまわったような言い回しに、憮然とした表情をする、サトミさん。やがて圭二さん顔が完全に正面を向いた、その時。サトミさんの表情が、恐怖に凍りつきました。
「け、圭二くん…ソレ…!」
顔を上げた圭二さんの左眼には、闇の神器・『ラブスカウター』が浮かび上がっており。圭二さんの端正な顔と完全に一体化したそれは、おぞましく伸びた触手をうねうねと蠢かせています。『ラブスカウター』の中心、圭二さんの左眼が、怪しい赤い光を発しました。ハッと気づいたサトミさんが、隠すように両手で顔を覆い、その場にしゃがみこんで体を丸めます。
「嫌!圭二くん、視ないで!お願い!!お願い!!」
サトミさんは悲鳴に近い叫びを上げます。圭二さんはふぅん?と意外そうな顔をします。
「お前みたいな奴でも。自分の醜さは、自覚してるんだな。」
圭二さんの口調は、もはやいつものものではありません。完全にサトミさんを、冷然とゴミクズのように見下ろしています。
「今さら隠したって、遅い。言っただろ。僕が『どんな眼で』お前を視てきたのか、お前は理解できていない、気付いていないって、な。」
圭二さんがサトミさんの肩に手を置きます。サトミさんがおそるおそる、涙に濡れた顔を上げました。いつの間にか目の前に迫っていた、圭二さんの顔。サトミさんは慌てて、また下を向きます。
「聞いたよ。お前、この眼で、僕を視なかったんだって。何かもっともらしい、綺麗事を言っていたらしいけど。言ってやろうか。お前は視なかったんじゃない、視たくなかったんだ。この眼は、相手の嫌なところや醜いところ、知りたくない事まで視えてしまうからな。お前は逃げただけだ。自分が視たくないことを、事実として認めることからな。」
淡々と、圭二さんが言います。サトミさんは両手で耳をふさいで、イヤイヤと首を振ります。圭二さんが乱暴に、その手を引き剥がしました。
「逃げるなぁ!!」
圭二さんが声を荒げます。常に余裕のある態度を、絶対に崩すことのなかった、圭二さん。こんな圭二さんは、本当に初めてです。
「はっきり言ってやる。お前はクソだ。自分の嫌なこと、都合の悪い事からはすぐ眼をそらして、好きなところしか視ようとしない。お前さ、本当は気付いてたはずだろ?高校の制服を着た僕と、何回も会ってるのに。知らないはずのお前の名前を、何故か知っていたのに。不自然だって、気付いてたんだろ?それでも、お前は気付かないふりをした。その方が、自分に都合が良かったからな。」
フン、と圭二さんがサトミさんを突き放します。サトミさんは小さくうずくまったまま、ブルブルと震えて泣き続けています。
言いたいことを言い終わった圭二さんは、満足げに、サトミさんを見下ろしていましたが。あ、そうだ、と何かを思い出したように、ズボンのポケットから一通の封筒を取り出します。かわいらしいひよこさんのシールで封のされた、見覚えのある封筒。サトミさんがバレンタインデーに贈った、あの包みに刺さっていた、封筒です。
圭二さんは遠慮なく、無造作に封筒を開封し、便箋を広げます。
「えー、なになに。圭二くん。好きです。大好きです。なんていうか、ちょう好きです。好き好き。結婚してくださーい?」
なんということをするのでしょう。圭二さんは書いた本人の目の前で、ラブレターを音読するという暴挙に出ました。悪魔だってここまで酷い事はしません。
「やめて!!」
サトミさんが悲鳴を上げます。圭二さんは弱い獲物をいたぶる獣のような、残酷な笑顔で続けます。
「何コレ。小学生?もっと、僕のどこが好きとか。あの時、こうしてくれたから、好きになりました、とか。そういうの、ないの?…あるわけないよな。お前は僕のことなんて、ちっとも視ていない。最初の最初から理解しようとすること自体を放棄していたんだから。お前は、僕を好きになったんじゃない。お前が好きだと思い込んでいたのは、お前が勝手に作った、お前の中にしかいない僕だ。お前は結局、お前自身しか好きじゃなかったんだよ。」
圭二さんは便箋をビリビリと破り、挑発するようにサトミさんの頭上に小さくちぎって捨てていきます。下を向いたままのサトミさんの頭に、ちぎれた紙片が次々と、積もっていきます。
「わかっただろ。お前は恋なんてしていなかったんだ。相手を理解しようとすらしないお前が、恋なんてできるわけがない。お前は勝手な自己満足に浸って、恋愛ゴッコしてただけなんだよ。」
圭二さんがサトミさんの髪を掴み、グイっと頭を上げさせます。容赦がありません。
「酷い…。」
今にも消えそうな小さな声で、サトミさんが言います。
「酷いよ、圭二くん…なんでこんな酷い事するの?好きだったのに。…私、圭二くんがこんな酷い人だなんて…。」
「こんな人だとは、思わなかった。」
先回りするように、圭二さんが言います。
「言われ慣れてるんだよ。僕の一番、嫌いな言葉だ。」
憎々しげに呟く、圭二さん。その顔は何故か、酷く寂しそうに見えて。
「…お前も結局、そうなんだな。」
圭二さんは誰に言うとでもなく、ポツリと呟きました。
「どいつも、こいつも同じだ。いつもそうだ、お前らは。人の事を見た目の良さだけで判断して、勝手な理想像を人に押し付けてくる。そのくせ、ちょっと傷つけられると、そうやって勝手に失望して、責め立ててくる。僕に言わせれば 愛だの、恋だの、そんなのは最高のジョークだね。いいか。そんなものは何処にも、存在しないんだ。人間なんてのは、みんな一緒。どいつもこいつも自分勝手。自分の求める自己満足を、綺麗な言葉で都合よく飾り立てて。自分に都合の悪いことや嫌いなもの、醜いものには視えないふりをする。最低だ。だから、僕は…。」
圭二さんは何かを言いかけましたが。思い直したように言葉を止め、サトミさんに最後の言葉をかけます。
「二度と僕の視界に入るな。」
冷たく言い捨て、圭二さんは。重い屋上の鉄扉を開け、去っていきました。その視線がサトミさんに注がれる事は、もうありませんでした。
屋上の踊り場で身を乗り出すように様子を伺っていた幸恵さんたちは、突然開いた鉄扉に、慌ててパッと飛び退きます。先頭の幸恵さん、二番手の清水くんが俊敏に反応して身をかわす中、人一倍鼻息を荒くして聞き耳を立てていた武くんだけが逃げおくれ、ガッ!と鈍い音を立てて鉄扉の直撃を食らいます。思わず頭を押さえて屈み込んだ武くん。心配して声をかけようとした有荘くんは、扉から一人で出てきた圭二さんのただならぬ雰囲気に気圧され、サッと道を開けました。
想像していたものとはまるで異なる、修羅場の空気。この場に集った非モテ軍団は二人が出てきたら思いっきりからかって、思いっきり祝福して。その後は若い二人に任せて、自分たちは清水くんが間違いなく用意しているであろう大量のクッキーで残念パーティー!そんな未来を、心に描いていたのですが。予想に反して一人で出てきた圭二さんは、まるで、それこそ今すぐ人類を滅ぼしかねないような。殺意と、憎しみを全身に充満させていました。その迫力は、あの幸恵さんですら、微動だにできなかった程です。圭二さんは彼らには一瞥もくれず、まるで視界に入らないかのように。ゆっくりと、階段を降りてゆきました。
数秒後。今度はバーン!と音を立てて、勢いよく鉄扉が開かれます。先ほどから頭の位置が変わっていない武くんはふたたび鉄扉の直撃をガーン!と受け、声にならない悲鳴を上げます。
鉄扉の中からは、無惨にもぐしゃぐしゃになった小さな包みを抱えたサトミさんが。同じく涙でぐしゃぐしゃになった顔で飛び出してきました。明らかに異様なサトミさんの様子に、非モテ軍団は声をかける事すらできません。
どうにもリアクションのとれないので立ち尽くしている幸恵さんと目が合った瞬間、サトミさんは。ワッと泣きながら駆け出し、階段を踏み外し、破壊音をたてながら、遥か下。無限の闇の底まで転げ落ちていきました。
その日から。
サトミさんの姿は、学校から消えました。
4.
数日後。
サトミさんのいない教室では、クラスメイトの女子の皆さんが。
教室の真ん中にぽっかりと空いた席に向かって、ヒソヒソ、コソコソ。
なにやら、あまり耳聴こえのよくない誹謗中傷を繰り返しています。
「(知ってる?高木さん、最近休んでるけど。なんか、新帝くんに告って思いっきりフラれたらしいよ?)」
「(情報、遅い!みんな知ってるよー?マジウケるよね!新帝くんが転校してきた初日から、ずっと彼女ヅラしてたくせに、今まで告ってすらいなかったとか!!)」
「(THE ざまぁって感じ!そもそもあの子の、いつもうるさくて目立ってて、正直ウザかったし!)」
「(このまま、戻ってこなければいいのに。ねー。)」
「(ねー。)」
なんという酷いことを言うのでしょう。しかし。彼女たちを責めてはいけません。ひとたび落ち目になった者は、徹底的に蹴落とされる。それが女子の世界の厳しいルールであり。彼女たちも、そうしなければ女子の厳しい世界で生きていけないのです。
女子たちのグループから一人外れていた幸恵さんが、突然、机をひっくり返し、立ち上がります。耳障りな物音に、女子たちが一斉にそちらを向きました。幸恵さんはそのまま、ひっくり返った机も直さずに。ひとり、教室から出ていってしまいます。
「(終わったね、あの子も。)」
荒々しく扉を閉めて去っていくその孤独な背中に、女子たちは冷たい視線を投げるのでした。
心の内とは裏腹に、晴れ渡る3月の青空。不安と心配に曇った表情で幸恵さんは、白い雲の浮かぶ穏やかな空を見上げます。
「(サトミちゃん…。)」
校門を出た幸恵さんの足は自然に、サトミさんの家へと向かいました。
ひよこさんは今日も、ひとり。サトミさんの部屋の閉じたままの扉をじっと、見つめ続けています。傍らには、サトミさんのお母さんが作って置いておいてくれた、カレー。あの日以来、サトミさんは部屋に閉じこもるようになり。中に入れてもらえないひよこさんはこうして、ずっと扉の前でサトミさんを待ち続けています。
時折、サトミさんは気まぐれのように部屋から出て来ることもあるのですが。まるで、ひよこさんが見えていないかのように相手にしてくれず、家の中をウロウロと歩きまわったり、かと思えば、ボーッと何時間も立ち止まっていたり。突然、うふふふふと笑い出したり。さらにここのところは、何故か、急に。ひよこさんに対して、敵意のこもった目で睨みつけてくるようになってきました。ひよこさんには、どうしてこうなってしまったのか。そして、どうしたらいいのか、わかりません。今日も、ひとり。ひよこさんはラップのかかったカレーの横で、ずっと、サトミさんのいる部屋の扉をただ、じっと見つめ続けています。
閉めきられた真っ暗な部屋の、闇の中。サトミさんはボンヤリ、なにも見えない空中を見上げています。眠っていないのでしょうか。ゴハンも食べていないのでしょうか。お風呂にも入っていないのでしょうか。サトミさんの可愛らしかった目は落ちくぼみ、頬はすっかり痩せこけ。顔のあちこちには、階段から転げ落ちた時に出来た青アザが痛々しく浮かび、油っぽい髪がペッタリおでこに貼りついています。
ああ。
これが本当に、あの、可憐なサトミさんなのでしょうか。とても信じられません。
「(圭二くん。私のこと、あんなに嫌いだったんだ…。)」
ハッキリしない意識のまま、サトミさんは何回も同じ事を考えています。サトミさんの頭の中を、ぐるぐる。この一年の、圭二さんとの思い出が現れては消え、消えては現れます。
卒業式。バレンタインデー。文化祭のピアノ。武道場。思い出の中の圭二さんは、いつもつまらなそうにそっぽを向いていて。常に知的で冷静でカッコよく、でも。フとした時に、優しい言葉をかけて、助けてくれて。サトミさんにはまだ、圭二さんが。あんな風に感情を剥き出しにして、憎悪の言葉をぶつけてくるなんて、信じられません。
「(違う。あれは、圭二くんじゃない。違う。違う。)」
サトミさんは圭二さんの、物静かな横顔を思い浮かべます。4月のあの日、トーストをくわえながら走っていたサトミさんの目に焼きついて、それ以降、離れることのなくなった顔。直後に電柱の衝撃と、暗転。黒いひよこさん。『ラブスカウター』…。
「(そうだ…!!)」
サトミさんはハッと、思いつきます。
「(圭二くん、あの、変なメガネ、つけてた!あの、黒いひよこ。きっと、あの黒いひよこにだまされて、無理矢理つけられちゃったんだ!!私や、みんなといっしょ。圭二くんもきっと、あの黒いひよこにだまされて。操られてるんだ!!)」
なぁんだ、そうだ、そうだ。そうだったんだ!サトミさんは何十回めかの同じ結論にたどり着き、うふふふふと笑い始めます。
「(圭二くんを助けなきゃ、圭二くん。圭二くんを、ひよこから助けなきゃ、ひよこ。ひよこは、やっつけなきゃ、圭二くん…。)」
サトミさんは、ぐらぐらする頭。ふらつく足取りで立ち上がり、扉の方へと向かっていきます
「圭二くん。安心して。私が、助けてあげる。絶対に、助けてあげるから!!」
ブツブツと一人で呟きながら、サトミさんは部屋の外へと出ていきました。
ようやく開いた扉に、ひよこさんが駆け寄ります。足元に近づいてくるひよこさんを捉える、サトミさんの、虚ろな目。
「ひよこ。ひよこ。」
ブツブツ言っているサトミさんを、ひよこさんは不思議そうに見上げます。
「ひよこは、やっつける。」
サトミさんは、ひよこさんの頭をおもむろに掴み上げると。
乱暴に、窓から投げ捨てました。
「おじゃま、しますー。」
玄関に、幸恵さんの声が響きます。チャイムを鳴らしても誰も出ませんでしたが、鍵は開いていて。勝手知ったるサトミさんの家、とりあえず玄関に上がった幸恵さんは。リビングの奥に人の気配を感じ、「?」と何の気なしに、そちらへと向かいます。
夕暮れ時。電気のついていない、薄暗い室内。家の中の異様な雰囲気に妙な胸騒ぎを覚えた幸恵さんは、キッチンで幽霊のように音もなくボーッと立っているサトミさんを見つけ。ギョッと、立ち止まります。
「サトミ、ちゃん…。」
あまりに変わり果てた親友の姿に、幸恵さんは言葉もありません。
「あれ。ゆきえちゃんだ。」
明らかに尋常ではない身なりに合わず。サトミさんは、ごく普通に、幸恵さんに語りかけてきます。
「あのね。ケーキ。つくってるの。ケーキ。ぐしゃぐしゃに、なちゃったから。せっかく、ゆきえちゃんにおそわって、つくったのに。ぐしゃぐしゃだから、けいじくんも、おこっちゃったから。ケーキ、つくってるの。ゆきえちゃん、てつだいにきてくれたんだ。やさしい。」
すごい顔でニコニコと笑う、サトミさん。しかし。キッチンには異臭のする潰れたケーキの包みがあるだけで、料理をしている気配は見当たりません。
「サトミちゃん!!」
幸恵さんはサトミさんの肩を掴み、ガクガクと揺さぶります。されるがままのサトミさんの頭が、ガックンガックンと大きく揺れます。
「いったいどうしちゃったの!?しっかりしてよ!!」
幸恵さんは必死に呼び掛けますが。
「だいじょうぶだよ、ゆきえちゃん。ちゃんと、このまえおしえてもらったし。ちゃんと、このまえも、できたし。しんぱいしなくても。わたし。ひとりで、やれるから。ひとりで、ちゃんと、やれるから。」
サトミさんはピントのズレた事を答えて、うふふふふと笑います。
「サトミちゃん…。」
幸恵さんはそんなサトミさんの様子を見て、茫然と立ち尽くします。
「(なんだろう。ゆきえちゃんが、ないてる。なんでかな。あ、そうか。わたしきょう、がっこう、いかなかったから。ゆきえちゃん、さびしかったんだ。ゆきえちゃん、ああみえて、さびしがりだから。あんしんさせて、あげなきゃ。)」
サトミさんはゆっくりとキッチンの流しの方へと向き直り。
「だいじょうぶだよ、ゆきえちゃん。わたし。ひとりで、やれるから、だいじょうぶ。ひとりで、ちゃんと、やれるから。」
ブツブツとそればかりを、呟きつづけます。その目には、流しの端に置いてある。1本の果物ナイフだけがうつっていました。
圭二さんの、自室。ソファーに腰かけ、「コーヒー濃いめのキャラメルマキアート」のカップへ口を運ぶ圭二さんを、黒いひよこさんが何か言いたそうに見上げています。
「何?」
静かに目を閉じ、濃いめのコーヒーのテイストを楽しみながら、圭二さんがききました。
<いや…おまえ。いいのか、あれ。>
言いづらそうに、黒いひよこさんが言います。
「ふぅん?」
圭二さんが、意外そうな顔をしました。
「君でも。人の心配をすること、あるんだ。そんなにあの子のこと、心配かい。」
圭二さんはとても素っ気ない態度で言います。
<いや、まあ。おまえがいいなら、べつにいいんだけどよ。>
再び静かに濃いめのコーヒーのテイストを楽しみ始めた圭二さんを見ながら、黒いひよこさんは小首を傾げます。
<(…おれさまがしんぱいなのは、むしろおまえのほうなんだが。)>
黒いひよこさんの気遣いをよそに、圭二さんは。いつもの通り変わりなく、動揺のカケラも見えません。
<(おれさまは、てっきり。コイツはあのおんなにきがあるモンだとばかり、おもっていたんだがな。)>
なんとなく釈然としない様子の、黒いひよこさん。その前では、『ダークボックス』のアンテナが。
かつてないほどのスピードで、ビビビビビビビビビビビと揺れ続けていました。
5.
それからまた、数日が過ぎて。
三学期、終業式。
遂にこの日もサトミさんは、学校に姿を見せませんでした。
ティンコンティンコンと、終業のチャイム。担任の歴史教師、野茂田先生のありがたいお話が終わると、例によって圭二さんは。これから始まる春休みの解放感に「さあ今から何をして遊ぼう?」と盛り上がっている級友たちを横目に、さっさとひとりで教室を出いこうとしますが。
「新帝くん。話があるの。」
その前に、厳しい表情の幸恵さんが逃がさないとばかりに立ちふさがりました。
「そろそろ、来ると思ったよ。」
明確な敵意を隠そうともしない幸恵さんの様子を、意にも介さないように。圭二さんは、静かにフッと笑います。
「屋上で、待ってるから。」
圭二さんは普通に幸恵さんを避けて、さっさと先に行ってしまいます。その背中に、幸恵さんはむぅと眉をしかめました。
幸恵さんが屋上の扉を開けた、その時。圭二さんは屋上の手すりに寄りかかり、空を見上げていました。幸恵さんは知らないことですが、このシュチュエイションは。先日、サトミさんが屋上に呼び出された時の、そっくり、そのままです。
そう。屋上に入ってきたのが、幸恵さんで。憤怒と、憎悪に満ち溢れた目で、先ほどから圭二さんを睨み付けているという違いを除けば。
あの時同じように、当の圭二さんはまるで気づかぬふりの、知らんぷり。こちらを向いてくれない圭二さんと、圭二さんを睨み続けている、幸恵さん。ピンと張りつめた、緊張感のある沈黙の時間が、二人の間に流れます。
どれほど、そうしていたのでしょう。
空を見上げていた圭二さんが、ようやく、振り返り。
「来たね。」
遂にしびれをきらし、自分から声をかけようとしていた幸恵さんのタイミングを外すように、声をかけてきました。初めて、二人の視線が正面からぶつかりあいます。
「今回は、交際を申し込みに来た…ってわけでは、なさそうだね。とりあえず。いきなり殴るのだけは、もう勘弁してくれないかな。」
圭二さんは意外にも、気さくに話しかけてきますが。幸恵さんはハナから、相手にする気がありません。
「…サトミちゃんに。何を、したの。」
怒りを押し殺しているかのような静かな口調で、幸恵さんが圭二さんを問い質します。
「嫌だなあ。人聞きの悪い。それじゃまるで、僕があの子に『何か』、したみたいじゃないか。」
圭二さんはまるで挑発するかのように。先ほどからつとめて軽薄な口調で、らしくもない、軽口を叩いていますが。眉間にギュッと皺を寄せて表情を変えた幸恵さんを見て、適当な言い逃れは出来ないと踏んだのか。やれやれといった様子で、いつも通りの素っ気ないキャラクターに戻ります。
「別に。あの子に告白されて、僕が断った。それだけ。そりゃ、少し言い方はキツかったかも知れないけど、ね。でも、僕にも選ぶ権利ってものがあるし。その後、あの子がどうなったのかまでは、ちょっと。責任は取れないかな。」
圭二さんの言っている事はウソではありませんし、正論のようにも聴こえます。しかし。幸恵さんはハッキリと、「違う。」と言い切りました。
「サトミちゃんはそんな、弱い子じゃない。あなたは何か、特別な事をしたはずだ。」
幸恵さんが、ジリ、っと一歩を踏み出し。圭二さんとの距離を縮めます。
「あなたは、何者なの。本当は、中学生ではないはずだ。転校してくる前に着ていたのは、高校の制服だった。転校初日からサトミちゃんの名前を知っていたのは、なんで?」
ジリ、ジリ、と距離を詰めながら。幸恵さんは圭二さんに対して抱き続けていた疑問を、次々と投げかけていきます。
「あなたは、あの黒いひよこと組んで、いったい、何をしようとしているの。何が目的で、サトミちゃんに近づいてきたの?」
幸恵さんは遂に、殴れば届く間合いまで、圭二さんとの距離を詰めました。返答次第によっては、実際に、圭二さんをこの屋上から殴り落とすつもりです。圭二さんの背中に当たっているのは、屋上の手すり。完全に、追い詰めた形となりました。
「…そうだよねえ。それが、普通の反応だ。普通はそうやって。まともな人間なら、疑問を抱くものだよ。実は、ひょっとしたら僕の感覚の方がおかしいじゃないか?って。不安になっていたところだったんだ。」
圭二さんが、ホッと安心したように、ため息をつきます。要領を得ない圭二さんの反応に、幸恵さんが怪訝な表情を浮かべます。
「ああ、ごめん。こっちの話。あの子が、あんまりにも気づかないものだから、さ。」
圭二さんは一瞬、「あの子」とのやりとりを思い出して、フッと笑みを漏らしますが。
「…で。」
その顔からスーッ、と表情が引いていき。次第に、恐ろしく、冷酷な顔へと変わっていきます。
「問題は、君の方だね。今、こっちは最後の仕上げをしているところで。出来れば邪魔を、して欲しくないんだけど。どうしようかなあ。このまま、何も言わずに帰ってもらう…。って、わけには…。」
圭二さんは幸恵さんに聴かせるとでもなく、淡々と、話します。
「…やっぱり。いかないよ、ねえ?」
圭二さんの左眼が、怪しく赤い光りを発しました。その隣に、業ッ、と黒い焔の竜巻が巻き上がり。黒いひよこさんが、その中から現れます。ただならぬ雰囲気に危険を感じとった幸恵さんが、一気に飛び退いて距離をとり、身構えます。
「僕はね、こう見えて、ヒューマニストだから。出来ることなら、犠牲は最小限に留めたいと思っていたんだ。まあ。結局は、皆死ぬことにかわりはないんだけど、さ。それでも。出来うる事なら、自分で直接、手を下す事はしたくなかったんだけど。」
先ほどとは逆に、今度は圭二さんが、ジリ、ジリ、と距離を詰めていきます。気圧されたように一歩、一歩と後退していく幸恵さん。その背中が、トン、と「何か」に当たりました。
「やあ。来てくれたんだ。間に合ったね。」
圭二さんが幸恵さんの背後の「何か」に、気さくに声をかけました。思わず振り返った幸恵さんの表情が、一瞬で固まります。
「サトミちゃん…!?」
幸恵さんの後ろに立っていたのは。ボーッと、空中のあらぬところを見つめている、虚ろな顔のサトミさんでした。
「あれ。ゆきえちゃんだ。」
どこを見ているのかよくわからない、焦点の合っていない瞳のまま。サトミさんは、幸恵さんに普通に話しかけてきます。「ダークボックス」に生命力を吸われ続け、衰弱しきったサトミさんは、幽霊のようにユラユラと揺れて、まっすぐ立っているのさえおぼつかない有り様ですが。その表情は謎の活力に満ちており、なんとも言えない迫力があります。そのあまりの異様さに幸恵さんは、今、自分が置かれている、おそらくは危機的であろう状況も忘れ。その場にただ、立ち竦んでしまいました。
「ゆきえちゃん。ゆきえちゃんがいる。なんでだろう。おくじょうには、わたしがよばれたのに。」
サトミさんはハテ?と不思議そうに首をひねりながら、ブツブツと呟きます。
「おかしいな。ゆきえちゃんが、けいじくんと、いっしょにいる。けいじくんは、わたしがすきなのに。なんで、ゆきえちゃんがいっしょにいるんだろう。ねえ、ゆきえちゃん。なんで、けいじくんと、いっしょにいるの。」
サトミさんは、幸恵さんの方を見ないまま、ききました。その責めるような口調に、幸恵さんが答えに詰まります。
去年の、9月。嫉妬心にかられた幸恵さんは、サトミさんから圭二さんを奪おうとしました。御遣いのいぬさんの協力もあり、二人は仲直りができ。その後は、それまで以上に仲良しになれたのですが。
二人の心の奥底には、その時の事が。小さなしこりとして、実は、ずっと残っていました。今、精神に異常をきたしているサトミさんは。その時の事と現在のこの状況が頭の中でごっちゃになっているのか。目の前の幸恵さんに対し、微妙に悪意のある言葉をぶつけてきます。
突然、サトミさんがアッハッハッハッハ!と勘にさわる甲高い大声で笑い始めました。幸恵さんがギョッとして、目を見開きます。サトミさんはそんな幸恵さんにかまわず、フラフラと、引き寄せられるように圭二さんに近づいていきます。
「(そっかあ。ゆきえちゃん、しんぱいして、きてくれたんだ。しんぱいしょうだなあ。わたし、ひとりで、ちゃんと、やれるのに。)」
「(ゆきえちゃん、やさしい。でも、だいじょうぶだよ。わたし。ひとりで、ちゃんと、やれるから。)」
フッフと笑いながら。一歩、一歩、サトミさんは進んでいきます。幸恵さんは呆然と、その様子を見守るしかできません。
そう。今のサトミさんは、まともな会話の成り立つ精神状態ではないのです。今のサトミさんの言動は支離滅裂で、その言葉に深い意味はない。先日、サトミさんの様子を見ている幸恵さんには、本当ならそれが、理解できていたはずだったのですが。
幸恵さんは、9月の一件でサトミさんを傷つけた事に対して。心の奥ではずっと、罪悪感を抱き続けていたのです。サトミさんの言葉は、期せずして。サトミさん以上に無敵に思える幸恵さんの、その唯一ともいえる弱点をピンポイントで突いていました。
それは本来、常に冷静で聡明、観察力に優れた幸恵さんの判断を、ほんの一瞬、遅れさせ。
そして。
その一瞬の判断の遅れは取り返しのつかない重大なミスとなり、最悪の事態を招くことになりました。
「サトミちゃん!!ダメ!!」
サトミさんの右手に握られている果物ナイフに気づいた幸恵さんが、悲鳴に近い叫びを上げ、駆け寄っていきます。
既に圭二さんの目の前まで進んで来ていたサトミさんは、一度だけ、幸恵さんを振り返り。ニッコリ笑うと。
「大丈夫、私。ひとりで、ちゃんと、殺れるから。」
ハッキリとした口調で言うと、右手の果物ナイフを。
圭二さんの左眼へ向けて、一切の躊躇なく振り下ろしました。銀色のナイフは白い軌跡を描き、圭二さんの左眼へとまっすぐに、吸い込まれていきます。
圭二さんはそれまで、すべてを受け入れるように静かに眼を閉じ、サトミさんを待っていましたが。
「今だ!やれ、メフィストフェレス!!」
カッ、と眼を見開き、最後の叫びを上げました。
<はいよ。ポッチとな。>
黒いひよこさんが、『ダークボックス』のセーフティを解除した、瞬間。
屋上は、立ち昇る黒い焔の竜巻に一気に包まれました。
6.
地上高く噴きあがる、黒い焔の火柱。サトミさんから発せられる強大なダークパワーを吸収するだけ吸収し、パンパンに膨れていた「ダークボックス」の中で、不思議な化学反応により数百倍、数千倍にも膨張した、圧倒的なパワーの奔流。中学校の屋上を一瞬で吹き飛ばした竜巻は、しばらくの間、禍々しい音を立てて渦巻き続けていましたが。やがて、凝縮されるように1つの象を形成し、一頭の巨大な、地獄の闇のように真っ黒な鶏へと、姿を変えていきます。
街を見下ろす、黒い焔の鶏。その、業焔渦巻く中心部に。氷のように真っ白な肌となった、圭二さんの身体が浮かんでいます。
静かに閉じられていた圭二さんの眼が、スーッと開くとともに、その端正な顔が。とても圭二さんらしくない、醜く歪んだ下卑た表情へと変わっていきます。
<遂にやったぞ。完全復活だ。>
闇の悪魔が、ニヤリと恐ろしい笑みを浮かべました。
to be continued….
次回、予告。
「お師匠。自分には、アレが何で。今、何が起こっているのか、サッパリ理解できないッス。どうしたらいいかもわからないッス。でも。今の状況をどうにかできるのは、お師匠だけしかいないと思うッス。…どうか、目を覚まして欲しいッス。」
眠れる乙女。
「定家君。背中がお留守ですよ。」
駝鳥真拳。
「おぃい!?かよわい女子がピンチなんだぞ、助けろよ!!」
かよわい女子(33歳)。
「いょう、ハゲ。なんか楽しそうなこと、やってんなあ。」
修羅、参戦。
「俺たちは、高木のおかげで変われた。ちょっとは、マシな人間になれたんだ。少なくとも今の俺たちは、キモいとか、ウザいとか、他人に言われたって。社会のせいにしたり、誰かを恨んだりしない。そうだろ?」
リーダーシップ。
「動物だから。人間だから。そうではなく、好き、嫌いは本人の心の持ちよう。ボクはサトミンに、それを教えてもらった。今のイエスの楽園があるのも、サトミンのおかげだ。何をやる気か知らないが、ボクはあんたに協力するよ。」
感謝。
「非合理的だが、いいだろう。やってみる価値はある。」
妥協。
「なんだよ。そのくらい普通だろ?友達なんだから。」
イケメン理論。
「殺せ。」
殺害指令。
「(何やってんだコイツら。)」
疑問。
<ゆきえ…おれを、みルナ…。>
変貌。
「いぬじろうさん…?いやだ…いやだ!!」
惜別。
次回より。
恋の地上で、ファイナル☆ウォーズ、最終章、スタート。
「ピヨコットちゃん。…お願い。最後の奇跡を起こして。」
「ち、違う!!僕はそんな事を考えない!!ときめいてなんかいない!!」
第13話☆純愛 ~Yes,fallin'love~
女神の奇跡、ここに在れ…。




