Car Girl カー・ガール
離れのガレージを発進した白黒ツートンボディのハチロクは、街とは反対方向へ向けて走り出す。
アカネの家からクルマで20分くらいの場所に夜間はほとんどクルマが通らない峠道がある。
ママは若い頃、よくこの峠に走りに来ていたらしい。
で、パパと出会ったのもこの場所だと聞いたことがある。
麓からしばらく登った頂上付近の広場にクルマを停めるママ。
この広場からだと街の景色が一望できる。
「ずいぶんひさしぶりね、ここに来るのも」
ママはクルマを降りて景色を見ながらスッとタバコを取り出しライターで火をつける。
夜景にもみとれるが、ママのタバコを吸う様子はやけにカッコ良くて見とれてしまう。
アタシはタバコは吸いたいとは思わないけど、こんな大人の雰囲気には憧れる。
「ママ、ここで運転の練習? 確かに夜はほとんどクルマも通らないから練習しやすいのかもしれないけど・・・・・・」
と、アカネが聞くと
「そうよ。運転の練習にはここが一番なの。」
「さてと、これからあなた達に教習所では教えないことを教えてあげる」
「本当のクルマの走らせ方を、ね」
再びクルマに乗り込むと、
「アカネ、後ろに置いてあるボールを持って!」とママからの指示が。
「えっ? ボールってこのボウル?」
振返って後ろの荷室を見ると、確かにボウルがおいてある。そう、球ではなくて料理に使うやつ。
「その中にこれを入れてちょうだい」
ママはツナギのポケットからピンポン球を取り出してボウルの中に放り込む。
ピンポン球がボウルの中で跳ねて思わず
「おっとっと・・・・・・」
と声を上げるアカネ。
「その球の動きをよく見ておくのよ!」
ママは言うや否や、さっき登ってきた道を今度は下り始めた。
普通のペースでゆっくり登ってきたさきほどの様子と違って、明らかにピンと張りつめた感じが伝わってくる。
ギアをローに入れて、下りながらアクセルを踏んで加速するママ。
ピンポン球が手前に動き、ボウルの壁面にククッと登ってはりつく。
グワッと加速して今度はギアをセカンドへチェンジする。
シフトチェンジの瞬間、ピンポン球が少し中央へ動いたがすかさずまた元の位置へと戻る。
ヘッドライトが照らし出す闇の向こうに左カーブが見えてきたが加速をゆるめないママ。
ぐんぐんとカーブが近づいてくる。
あぁ、もう曲がり切れない・・・・・・!!
と思った瞬間、ドンっと減速。
アカネは思わず前につんのめりそうになり、ピンポン球は手前からボウル向こう側の壁のぎりぎりの淵まで登ってピタッと止まる。
前につんのめった大勢から少し体がフッと戻った瞬間、クルマの向きがカーブに沿って左側に向きを変えていくに従って身体が右側にもって行かれそうになる。
ジェットコースターに乗っているような強烈な横G(重力)が襲ってくるが、ピンポン球は外にはみでることなく、きれいな弧を描きながらボウルの中の壁面を移動する。
ひとつ目の左カーブを抜けるとすぐさま今度は右カーブが迫る。
「○△※%√φ・・・・・・!」
叫び声にならない叫び声をあげるアカネとノゾミ。
峠の麓に着くまで、幾度も阿鼻叫喚が続いた。
「くっ、クルマの運転ってこんな激しいものなの・・・・・・」
ゼエゼエと肩で息をしながらアカネが呟く。
「あ、あたしも驚いた・・・・・・」
ノゾミも視線が遠い。
「あんた達、だらしないわね」
「次っ、登り行くわよ!」
ママはやる気満々である。アカネ達は正直、もう勘弁してっ!と心の中で叫んでいた。
登りは下りほどの怖さはないものの、やはり前後左右から身体に襲ってくるG(重力)がやっかいだ。
登りのコーナーを3つ4つ過ぎた頃だろうか、ルームミラーに光がチラッと映り込む。
どうやら後ろから1台登ってきているようだ。
ママも気が付いていたようで、
「ん・・・・・・? 結構速いな・・・・・・」と呟く。
さっきは点のような光だったが、みるみるうちに大きくなって近づいてくるのがわかる。
アカネが後ろを振り返ると、もうすぐそこに来ていた。
「フオオオオン・・・・・・」
と、まるで闇の中を切り裂く叫び声のような音を立てながらハチロクの直後までそのマシンは迫ってきていた。
ルームミラー越しに背後のクルマのシルエットを確認したママが、
「フッ、これは初日からとんだのと出くわしちゃったかな・・・・・・」と呟いた。
「あいにく登りじゃこっちが不利・・・・・・。でもちょっとだけ一緒に遊んでくれるかな?」
この先は、緩やかな右カーブから左へと続くS字カーブとなっていた。
ママは右カーブ入り口で全開から一瞬アクセルを戻したかと思うと、ふいにサイドブレーキのレバーをぎゅっと引き上げた。
とたんにクルマのテールが左へと振り出す、と同時にまたアクセル全開。
「ギョリギョリギョリギョリ!!」とタイヤのスキール音とともに盛大な煙を上げ、道路の進行方向に向かって横になりながら駆けあがっていく。
「ちょっ、何コレ・・・・・・⁉」とボウルを抱えたアカネが叫ぶ間もなく、こんどは左カーブが迫ってくる。
ママは、「それっ!」と軽く呟きながらハンドルを逆方向に切り返す。
するとハチロクは、今度は右側にテールを振り出してまた真横になりながらカーブを駆け上がっていく。
背後にピタリとつけていたクルマは、1つ目の右では思わぬ動きにあっけにとられていた様子だったが、2つ目の左カーブではハチロクの動きに合わせ、きれいな弧を描き真横を向きながらカーブを駆け上がってきた。
「やっぱやるわねぇ・・・・・・」
と感心した口調でママが呟く。
「何なの一体なんなの! こっ、この横向きの走りはっっ?」とアカネが叫ぶ。
「ふふーん、すごいでしょ。これがドリフトよん♪」明るくママが答える。
「どりふと、どりふと・・・・・・」ノゾミがまるでお念仏のように復唱している。
抱えていたボウルの中のピンポン球は、、、、、、なんと外に出てない!
「さてと、伝説ちゃんに挨拶しとかなきゃね」
頂上付近のパーキングで2台は停まり、ハチロクから降りたママは後ろのクルマの方へと向かって歩く。
するとドアが開き、中から髪の長い女性が降りてきた。
「どうも~! もしかして、伝説ちゃん?」とママは声をかける。
降りてきた女性は少し恥ずかしそうな様子で、
「伝説だなんて・・・・・・。止めてください」と答える。
この人、ママの知り合い?
クルマを降りたアカネとノゾミも二人の方へ近づいて行った。
近くに行くと、ほんとこの人スタイルが良い、というか凄い。
ママも長身だけどそれに劣らず背が高く、まるで峰不○子ばりのスタイルだ。
思わず「おねいさま!」と呼びたくなるオーラを纏っている。
「紹介遅れちゃったわね。こっちが私の娘アカネ。でアカネの友達のノゾミちゃん」
二人ともペコリと頭を下げる。
「わたしは、静蘭女子高校3年 高橋ユウ」
「そう、そしてまたの名をレジェンドね」と、ママが付け加える。
レジェンド・・・・・・伝説。一体どんな伝説をお持ちなのかしら?
それにしても、とても同じ高校生とは思えない雰囲気に圧倒される。
「レジェンドだなんて、とんでもない」
謙遜? それにしてもクールな受け答えだ。
「学生インターカップ連覇、タイムトライアルレコードホルダー。いまや最速の座に君臨するアナタにはぴったりの呼び名だわ」
ママの言葉に「最速?」とキッと鋭い視線を返す。
「非公認記録ながら、わたしのレコード記録をいきなり乗った他人のマシンで上回る記録を出した方がいると聞いておりますが・・・・・・」
えぇっ! そんなスゴイ人がいるだなんて・・・・・・アカネは思わずノゾミと顔を見合わせた。
「ふーん、アナタそんなこと気にしてるのね」となぜだか素っ気ない返事をするママ。
「ええ。わたくしの母からよく話を聞かされるもので。今日こんな形でお会いできるだなんて思ってもみませんでしたよ、外神摩子さん・・・・・・いやオーナーキラー(殺し)の摩子とお呼びしたほうがよろしいでしょうか」
外神摩子って・・・・・・? これってママの名前じゃない!
「オーナーキラー(殺し)だなんてやだなぁ。ずいぶん昔のハナシよ。それにしてもなんでアタシってわかったの?」悪戯っぽく微笑むママ。
「さっきの登りのS字、非力なハチロクであんな走りができる人間はそういません。それに・・・・・・」
「それに?」
「それに、母からよくあなたが現役で走られていた頃の写真を見させて頂いておりましたので」
「なーる。ま、20年たってもあまり変わってないってことかしらねぇ♪ アタシったら!」
いやいやいや、めっちゃ変わってるでしょ!と心の中で思わず突っ込むアカネ。
「なんだか褒められちゃったしぃ~! 今日はゴキゲンだわ」
「逆に、なんで私のことがわかったのですか?」とレジェンドが訊く。
「そのマシン、あなたのお母さんが乗ってたハコスカでしょ?」
コクリと無言でうなずく。
「エンジンはL型改TC24Bのツインカムヘッドね。あの女神のソプラノと呼ばれたエグゾースト・ノートは一度聴いたら忘れられないわ」
「忘れ物・・・・・・」ふいに呟くレジェンド。
「えっ?」
「母の忘れ物はいつか私が取りに行きたいと思っていますので」
「忘れ物ねぇ・・・・・・。オッケー、いいわよ。でもアタシはもう走らないから、この子達に託そうと思うの」ママはアタシとノゾミに視線をやりながら話す。
「そうですか・・・・・・。わかりました」
レジェンドはアカネとノゾミに視線を向けて、
「勝負する日を楽しみにしています。それから・・・・・・」
「わたしを失望させないでくださいね」
そう告げて去って行った。
「いやぁ~貫録あるわ、あの娘」ママが感心したように言った。
「あんた達! 売られた喧嘩はきっちり倍にして返して差し上げないとねぇ・・・・・・」
あちゃ~、どうやらママのスイッチが入ってしまったようだ。これはややこしいことになりそうなやな予感がする・・・・・・。それにしてもレジェンドが言ってた「忘れ物」っていったいなんだろう。
アカネ達が去った後、広場の少し離れた物陰からさきほどのやり取りを窺っていたひとりの娘が「ふーん、これは面白くなりそう」と呟く。
「さてと、これから始まるスペシャルなイベントに、アタシもぜったい参加させてもらうんだからね」と口元のシルエットにニヤリと不敵な笑みを浮かべていた。
――一夜明けて次の日
昨日はひやひやドキドキさせられて、家に着く頃にはもうぐったり。今日からまた一週間が始まるので早めにベッドに入ってバタンキューだった。
朝いつものようにノゾミと一緒に登校したのだが、ママの昨日の走りがよほど強烈だったのかひとりで「どりふと・・・・・・、どりふと・・・・・・」と小さな声で呟いている。ノゾミは気になることがあると自分の世界に浸って外が見えなくなることがしばしばある。
「のんったら!」
「へ・・・・・・?」
「へ? じゃないわよ! あんたさっきからなにぶつぶつ言ってんの?」
「あ、わたし何か言ってた・・・・・・?」
自分では気が付いていなかったらしい・・・・・・
「まぁ、いいけど。それにしても昨日のレジェンド、なんかちょっとカッコ良かったと思わない? 『わたしを失望させないでくださいね』だなんて」アカネがレジェンドの声色を真似して言う。
「わたしはレジェンドよりアカネママの方がかっこ良かった・・・・・・」とノゾミ。
「え~っ? うちのママは大人げないよ。だいたい高校生相手にあんなに本気になったりしてさ」
とどうやらアカネは不満な様子。
「それにしてもさ、あたし達あのレジェンドと勝負する日なんて本当に来るのかな・・・・・・?」
ノゾミがいつになく真剣な表情で訊いてくる。
「さぁ、ね。あたし達勝負って言ったって学校の自動車部に入ってるわけじゃないし・・・・・・」
そうなのだ。タイムトライアル等の競技は、自動車部に所属して公式に試合にエントリーする手続きが必要になる。レジェンドが通っている静蘭女子の自動車部は、幾多の公式試合で常に上位入賞を果たしている名門と呼ばれている。
アカネ達が通う白百合学院高校の自動車部も、かつては強豪と呼ばれていたらしい。しかし現在では部員数がなかなか集まらず廃部の危機にさらされているとか・・・・・・。
「レジェンドには悪いけど、勝負がどうこういう前に超えなきゃいけないハードルがたくさんあるよね。しかも、うちらまだクルマの運転については経験のないド素人だし」
「うん・・・・・・でもねアカネ、あたしアカネのママみたいに自由自在にクルマを動かせるようになってみたいと思ったよ」とノゾミから意外な答えが返ってきた。
「そうなんだ・・・・のん」
「あたしは・・・・・・正直勝負で勝ちたいとかいう気持ちはあんまりないけど、なんかこのまま何もしないで終わるのもイヤだ・・・・・・」と話すノゾミの瞳の奥に、なにか決意のようなものをアカネは感じた。
「じゃあさ、放課後にうちの学校の自動車部に行ってみよっか?」アカネの提案にノゾミも首をコクリと縦に振った。
「よし決まり! じゃ放課後ね」
「りょーかいでっす!」ノゾミがおどけて返事をよこした。