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 かつてチェザービクの銀狼は、その猛々しい通り名に相応しい立ち居振る舞いで有名であった。早い話が、酷く荒れた少年時代を過ごしていたのだ。

 それはウェイドにとって黒歴史に他ならない。出来ることなら、当時の甘ったれた己を叩きのめし、更生させたいと思うくらいに恥じていた。

 決して褒められたものではない噂が、王都から遠く離れたスピッツ男爵領ゼントリールにまで知れ渡っているかは定かでない。

 定かでないが、ウェイド・チェザービクを応接室へ案内する痩せた老執事は、右手と右足を同時に前に出していた。これが彼にとって通常通りの歩き方だと思いたいが、恐らく違うだろう。

「お連れ致しましたっ……!」

 ギクシャクしたまま辿り着いた応接室の扉をノックし、中で待つ主達に掛けたその声は上擦り、若干震えてもいた。

 そして、扉を閉めるや否や、猛烈な勢いの足音が遠ざかっていく。やはり、先程の歩き方は平素のものではなかったようだ。

 農地一辺倒の田舎を治める男爵邸に、宮廷医にして現国王の腹違いの弟が突如として現れたのだ。それだけでも前代未聞で震え上がるところに、忌まわしい噂と己の外見が合わされば、どのような印象を受けるかは考えるまでもなかった。

「ようこそ拙宅へ、ウェイド殿下!」

「急な訪問にも関わらず、お時間を割いて頂き感謝致します。ウィリアム男爵、ディアナ夫人」

 頼りない足取りで歩み寄ってくる小柄な老夫婦に、ウェイドは極力驚かさないよう細心の注意を払って腰を折る。顔を上げて右の目に映ったのは、いびつな笑みを口元に貼り付け、安物の蝋燭よりも血の気の失せた二人の顔だった。

 ずんぐりむっくり。

 スピッツ男爵夫妻と対峙した時、皆がまず思い浮かぶ印象だ。失礼ながら、スラリとした細高い肢体を持つフレデリカの両親とは思い難い。

 しかし、医師として人体を知り尽くすウェイドの目には、二人のそこかしこに彼女との相違点と共通点を見出した。肉の付き方こそ違うが、フレデリカの骨格は父親似だ。母親似の目鼻口は、一つ一つじっくり見れば超一級品ではないものの、配置が絶妙で化粧映えも抜群なのだ。

「どうぞ、お座りになって」

 精一杯の笑みを振りまき、小柄な夫人はウェイドを部屋の中央に設えられたソファに誘う。ドレスから覗くディアナの手には、実用的に使い込まれた逞しさがあった。医者としての観察眼から、癒え掛けた擦り傷も瞬時に把握する。

 領民からの徴収に胡坐をかくことなく、上流階級では忌避されがちな労働に精を出す彼ら一家は素晴らしい。令嬢が斯くも逞しく育つはずである。

 チェザービクに向かう馬車で押さえ込んだフレデリカの手も、母親と同じようにささくれていた。農具を握って出来たのだろうタコも……貴族令嬢にあるまじき感触に驚いて拘束の力が弛み、ウェイドは猛烈な反撃を食らった。

 そうでもなければ、か弱き乙女に後れを取ったりはしない。何よりも、フレデリカの物言いに腹を立てたとて、あんな振る舞いをするべきではなかった。

 あの状況下で彼女の負けん気の強さは甚だ軽率だったが、体力的に勝る大人の男が少女に狼藉を働いていい理由にはなり得ないのだ。

 頭に過った失態と悔恨を脇に押しやり、ウェイドがソファに腰を下ろすと、座部からスプリングが軋む錆びた音がした。目の前の二人の蒼褪めた顔に、サッと羞恥心からの朱が差す。

 男爵夫妻越しに目に入った壁紙も、色も素材も違うものを細かく継ぎ合わせていた。一見前衛的だが、同じ壁紙で継ぎ目なく一面を張り替える余裕すらないのだ。

 社交界に流れるスピッツ家の経済状況は耳にしていたし、それとなく気に掛けてはいたが、実情はそれ以上のようだ。美しく育ったフレデリカに、玉の輿を期待するのは致し方ないことなのだろう。

「明朝早馬に託した手紙でお知らせ致しましたが、現在ご子女フレデリカはチェザービクの別邸にいます。コルベット伯爵邸にも事情は説明済みです」

 それ以上の粗が目に留まらぬよう、ウェイドは目の前の二人に視線を固定し、本日の訪問理由を舌に乗せた。

 コルベット伯爵家は、スピッツ男爵家の遠縁である。社交界シーズンの今、フレデリカは王都の伯爵邸に身を寄せていた。

 しかしながら、伯爵夫妻は彼女が夜半を過ぎても戻らないことに気付きながら、捜索すらしなかったのだ。恐らく目当ての貴公子を口説き落とし、同伴したのだろうと……妙齢の乙女を預かっておきながら、下世話で危機管理能力に欠ける話だ。

 更に突っ込んで聞いていくと、もともと夜会に送る馬車も片道のみで、帰りは自ら確保するよう言い含めていたらしい。馬車賃を持ち合わせているはずもないフレデリカは、毎日屋敷までの暗い夜道を歩いて帰っていた。

「あの子の性格を知りもしないで、何て無責任な言い草なのかしらっ……フレデリカはそんなふしだらな娘ではないわ!」

 ウェイドが呆れと苛立ちから一時的に口を噤んだ瞬間、ディアナ夫人は悲鳴じみた声を上げる。ふっくらとした彼女の頬は、羞恥心ではなく、怒りに赤く染まっていた。

「こら、お前! 殿下の前でっ……」

「殿下が気付いてくださらなければ、命を落としていたかもしれなかったのですよっ? これが黙っていられますか!」

 ウィリアム男爵は慌てた様子で窘めるも、母親として正当な怒りに我を忘れる夫人に、ウェイドは好感を持った。

「いえ、全面的に同意します」

 それは、伯爵夫妻を精神的に締め上げて白状させたものだ。四の五の続ける要領を得ない言い分を要約するに、フレデリカを預かる謝礼額が気に入らなかったゆえの嫌がらせだったらしい。後先を考えない最悪な意趣返しだ。

 ドレス姿のか弱い婦女子が夜道を一人歩きしているなぞ噂になりそうなものだが、驚くべきことにフレデリカはそのことを周囲に微塵も悟らせなかった。不測の事態にも即座に反撃に転じられる身の軽さと、並外れた逞しさを兼ね備えた彼女である。隠密行動も得意なのかもしれない。

 それでも、夜盗に襲われればひとたまりもないだろう。今まで無事だったのは、比較的治安の良い城下町で、なお運が良かっただけだ。

 いつも引き上げる姿こそ見送っていたが、会場を出た後、馬車に乗り込んだかどうかまで確認していなかったことを後悔する。偏に、スピッツ男爵家の資産状況を甘く見積もっていたウェイドの不手際だ。

 ウェイドは己の向う脛を陥没させんばかりの力で蹴り上げた鋭利なヒールを思い出す。あんな物を履いて毎夜短くない道のりを歩いていたとは、大した体力だ。翻ったペティコートから覗く、まるで卵を腹に抱えた鮭のように見事に盛り上がったふくらはぎも覚えている。

 アレを初夜の寝台の上で初めて見ることになる夫が世間一般的な趣味嗜好の持ち主ならば、きっと相当な衝撃を受けるに違いない。違いないはずだが、己の趣味嗜好が世間一般と異なることに気付かされたウェイドは、大いに動揺した。

 チェザービクの銀狼が、武芸の一手も知らない少女に後れを取った本当の理由……それが、命の遣り取りにも似た危険極まりない心の昂ぶりを抑え込むことに必死だったからだとは、口が裂けても言えない。

「あんなことがあったというのに、信じられませんわっ……!」

 よそ事に逸れていた思考を、怒りに駆られた夫人の声が一刀両断する。

「……ええ、いくら知らぬとは言え、かつて誘拐の憂き目にあったうら若き娘に、薄暗い夜道を一人歩きさせるとは信じられませんな」

「その通りですわ! あの子は平凡を絵に描いたようなスピッツ家には奇跡的な美形、またどこかの不埒な輩にかどわかさ……えええっ?」

 首がもげそうなほど頷き、捲し立てていたディアナだったが、途中ではたと気付いた様子で素っ頓狂な声を上げる。

「……あの、ウェイド殿下。どうして貴方が十年も前のことを?」

 妻と同様に仰天していたが、一足先に我に返ったウィリアムが問い掛けてきた。それまでの及び腰は鳴りを潜め、真っ直ぐ注がれる視線は獲物を狙う猛禽類のように鋭い。……自らの命を賭してでも、娘を守ろうとする父親の気迫だ。

「二度と姿を現さないとお約束しながら、誠に申し訳ない」

 本当に何と最悪な再会だろう。

 ウェイドは、スピッツ男爵夫妻とは遥か昔に面識があった……件の令嬢、フレデリカを通じて。

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