72部
「伊藤さん、本当にやるんですか?」
30代半ばの男が伊藤に向かって聞いた。伊藤が黙ってうなずくと、男は後ろにいる西川に向かって、
「西川さんも今ならまだ歯止めが利きます。それでもやるんですか?」
「もう後戻りできないところまで来てるんだよ。それに今やめたらこれまでのすべてが無駄になる。命がけでやってきたことの意味を僕らは見せなければいけないんだ。」
男は伊藤と西川を含めた四人の顔を見回して、覚悟を決めていることを悟ると、四枚のカードを取り出して伊藤に渡す。
「入局証です。僕にできるのはこれくらいです。」
「迷惑かけてすまないな。もし何か言われたら拳銃で脅されたってしっかりと言えよ。」
伊藤の言葉に男は黙ってうなずき、その場を離れていった。
「それじゃあ、行くとするか。」
伊藤は四枚のカードを一人一枚ずつ配りながら言った。受け取りながら全員がうなずき、N局の裏口へと進んでいった。
異変は佐々木アナがニュースを二つくらい読み終わってから起こった。
本来ならいないはずの場所にスタッフのジャンパーを着た男が立っているのが見えたからだ。近くのADに
「おい、あそこに立ってるスタッフは誰だ?新入りか?」
聞かれたADもそのジャンパーの男を確認する。
「いや、わかりません。相田さんが何か目的があって配置してるのかと思ってたんですけど違うんですか?」
相田自身にはそんなことを指示した覚えもない。ADに向かって確認してくるように伝えようとしたその時だった。
急にドアが開いて、覆面姿の男が二人入って来る。その手には拳銃と大きなカバンを持っている。覆面姿の男の一人が
「手を挙げて動かないでください。こちらの指示通りにして頂ければ身の安全は保障いたします。
しばらくのあなた方の番組を占拠させて頂きます。」
緊急時のマニュアルに沿って部下の一人が動きを見せたのを相田が見て、
「動くな!言う通りにしよう。大事なのは下にいる番組出演者やここにいる者も含めたスタッフ全員の命だ。無駄な抵抗をして犠牲を出したくない。
抵抗しなければ我々に危害を加えないんですよね?」
「はい、お約束します。
そんなに長い時間・・・・・かかるとは思えません。一時間、あるいは30分ほどになるかもしれませんが、その間だけで結構です。大人しくしていて下さい。」
相田はそれを聞いて、部屋を見回し、大きな器材が置いてあった場所を見つけて、
「みんな、放送機器から離れてあそこに移動して固まっていよう。
それでいいですか?」
「ええ、かまいませんよ。携帯電話などは全てこちらで預からせて頂きます。地面において我々の方に蹴ってください。」
全員が指示通りに携帯を覆面の男の方に向かって蹴っていく。覆面の男は回収することなく、相田に近づき、
「相田さんにはこちらにいて頂きますよ。部下の方たちが暴挙に出ないように人質にさせて頂きます。」
「わ、わかった。だが、こんなことをして何になる?」
相田の質問に答えたのはもう一人の男だった。
「相田さん、あなたが警察に協力したように我々にも協力して頂くだけですよ。」
「やっぱりお前か、西川。こんなことしても結局、警察に捕まって終わりだ、今ならまだ・・・・。」
相田が言いかけたところで佐々木の短い悲鳴が聞こえる。画面を見ると下の方でも覆面の男が現れて、拳銃を突きつけている。
「相田さん、我々ももう止まれないところまで来ているんです。マスコミによって家族を奪われたり、やりがいをもってしていた仕事を奪われたりした我々の復讐の最後の行動なんです。
静かに見ていてください。これがマスコミという思いあがった力への最大の批判なんですから。」
相田は大人しく近くにあった椅子をたぐり寄せて座り、画面を見つめる。
西川がインカムを取って、
「谷さん、伊藤さん、『報道ジャック』を始めましょう。」
谷と伊藤から短く返事が来て、西川も機器の操作を行い、用意してきたVTRの再生準備に入る。準備ができたところで画面操作を行い、VTRの再生ボタンに手をかける。
心の中で『報道ジャッカー、スタート』と叫び、ボタンを力強く押した。




