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「どちら様ですか?」
彼女のいる病室に駆け込むようにして入った瞬間、いつもと変わらぬ無邪気な笑顔で彼女は言ったのだった。
火照っていた体は嘘のように冷めてしまった。
「……覚えていないのか?」
「……ごめんなさい」
申し訳なさそうな顔で彼女は謝る。その姿に僕の胸はひどく痛んだ、自分が彼女をひどく責めているような気がして。
彼女は事故で頭を打ってしまった、そのせいで一部の記憶が消えてしまったらしい。
「いいんだ、ごめん」
「あの、名前を……」
「あ、僕の名前は佐田浩二です」
「佐田さん、ですか。あの、私とあなたはどんな関係なのですか?」
僕らが恋人同士だったことも彼女は忘れている。これは言った方がいいのか悪いのか悩んだが言った方がいいのかなと思った。
少しでも早く記憶が戻ってほしいから。
「僕は、君の恋人です」
彼女の目が大きく見開かれる。
「そう、なんですか……」
「うん」
しばらく沈黙が訪れる、彼女は何を考えているのだろう、余計なことを言ってしまったのではないかと内心焦っていた。
ところが彼女は少し申し訳なさそうな顔で僕に言った。
「早く記憶が戻るように頑張りますね、ごめんなさい」
「いや、謝らなくても……」
彼女が謝る必要はない。好きで記憶を無くしたわけではないだろうし。
「焦らなくていいよ、ゆっくり思い出していこう」
「はい」
それから僕は彼女が退院するまで毎日通った。
時々、面会時間までに行けないこともあったが、ほぼ毎日彼女に会いに行った。
僕が来ると彼女はいつもにっこりと笑って向かえてくれた。それが本当に嬉しかった。
彼女は記憶を失う前と何も変わっていなかった。だから僕は自然体で彼女に接することができた。
「もし、このまま私の記憶が戻らなかったらどうします?」
窓の方を見ながら彼女は言った。
「私と別れますか?」
「それはないよ」
少し悲しげに彼女は笑う。
夕日は僕らを温かく橙色に包み込む、その柔らかな橙色に真っ白な病室は夕日色に染まっていく。
本心からの言葉だったそれはどうやら彼女には届かなかったらしい。
部屋はこんなにも優しい色なのに彼女の瞳は酷く冷たい目をしていた。
「どうした?」
「……少し不安になったんです」
冷静な声で彼女は語る。
「だって、私の中に佐田さんの愛した私はいませんから。もしかしたら記憶が戻らないかもしれない」
「何があったんだ、取り会えず落ち着けよ」
「始め会ったときは何とも思ってなかったんです、でも、今の私にとって佐田さんは大切な存在で……でも、あなたが愛してるのは今の私じゃなくて……」
頭を抱えてそう捲し立てる彼女に諭すように僕は言った。
「僕はどんな君だって好きだ」
「だったら、どうしてそんな寂しそうな顔をするんですか!」
泣きながら声を上げる彼女は酷く苦しそうだ。
そんな彼女に掛ける言葉が見つからない。
だから僕は彼女をただ黙って抱き締めた。彼女を落ち着かせる方法をこれしか思い付かなかった。
「信じて」
たとえ、彼女の記憶が戻らなくても僕はもういいかなと思っていた。戻ることは良いことだがもし、戻らなくても今の彼女をちゃんと愛することができるだろう。
彼女は彼女だ、それに変わりはない。
もし、また明日になって彼女の記憶から僕がいなくなっても僕は彼女を変わらず愛し続けるだろう。
あの日の僕らはもうどこにも見つからない、けれどもこれからは新しい僕らの道を歩み続けよう。