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閑山自撰詩篇

南蛮寺にて

作者: 竹井閑山

蓮華谷への道すがら、だんだん足が重くなる。

もうずいぶん長い距離を移動してきている。

――どこか休める処はないだろうか?

――それでしたら、近くに南蛮寺がありますよ。

猫は、蛸薬師通りを左へ折れて先導する。

右手に三層の楼閣が見える。

あれが南蛮寺だという。

教会というよりも、どこか唐風の建物である。

入り口の前で屋台が天ぷらを揚げている。

二枚の大皿に盛られた売り物を見て、種は何だと聞いてみる。

鱚に太刀魚だという。

猫にごちそうしたいので、ふたつみつくろってもらう。

小判を出すと、釣りがないので、ふたつくらいなら持っていけと言う。

路上生活者なら、小判一枚で食っていけそうである。

猫に天ぷらを与えて寺の中に入ると、会堂にはたくさんの信者が詰めかけている。

出入りがひっきりなしである。

南蛮人のほかにも羊が何頭か混じっている。

一匹、二匹、やめておこう。眠くなりそうである。

子羊がメェメェ鳴いている。迷子になったようである。

壇上では伴天連が、参堂した人たちに聖体拝領を行っている。

うまそうなので列に並び、口を開けて待っていると、

放りこまれたのは、かわみち屋の蕎麦ぼうろである。

休憩がてら席に座って、弥撒に参加する。

グレゴリオ聖歌のおごそかな響きが、白檀の瞑想的な香りと相俟って会堂を満たす。

伴天連の先導で、祈りの言葉が展開される。

するといまこの瞬間、世界中のあらゆる場所で、誰かが何かに祈ってるんだという思いにとらわれる。

そしてさらにこの瞬間というのが、あらゆる時代に繫がっていると考えると、

その人たち皆とひと繫がりであるような錯覚におちいる。

アーメン唱和のあと、堂内は深く沈静し、私もしばし瞑目する。

猫は横で天ぷらをかじっている。


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― 新着の感想 ―
[良い点]  他の作品も読んできました。一番好きだった作品に感想を書きます。  繋がっている。……いい響きですね。文章力と相成って、とてもきれいな物語でした。  屋台での、人間味のあるやり取りも好き…
2015/02/19 06:02 退会済み
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