第23話 〜 第33話
☆言葉の魔術師☆
青い空がコンクリートの森を突き抜けていた。
時折見せる白い雲は散りながら流れ、四角い箱を出入りする群衆を横目で哀れんでは、その自由を満喫し果てる。幾つもの機影を隠し、生命を見下ろし、地球の息吹と胎動を空に描く。
風は無力にも箱を撫でる。ただいたずらに逆巻き、舞う粉塵とアスファルトの臭いを、むせ返るような嘔吐臭の中で混ぜ合わせ、行き交う車輪に轢かれても彼らの歩みを留める事すら出来ない。
影は無数に散らかり、交差点で器用に交わりながらも薄っぺらい無表情の後を追う。
何に向かっているのか、何処かに帰りたいだけなのか、冷たい視線の先に見たい幻想をせめて追いながら、影の主は交錯して雑踏と言う虚無の旋律を奏で続けていた。
雑居ビルの屋上で翼を休めるためにカラスが舞い降りる。その背中から降りたジンとレン。
小さな身体を大きく伸ばして、深呼吸を一つ。次の瞬間に眉根を寄せて地上の人間達を見回す。
「くせぇ、空気悪い。こんな中で生きてるなんて信じらんねー」
赤帽子のレンのボヤキに深く頷いて言葉を返すのはジンだ。
「環境に慣れるって怖いよね。無意識に大事なものを忘れて行くみたいだ」
二人が肩を並べて眉根を寄せていると、隣りのカラスがアーッと鳴いた。決してお腹が空いたとか疲れたとか不満を表現して鳴いたわけではなく、その声は近くの空を飛んでいる仲間に向けられていた。
一羽のカラスが飛来してビルの屋上に舞い降りる。
小人たちと、二羽のカラスが並び声を掛け合う。
呼んだカァ?
おう、すまねぇチョット頼まれちゃあくれねぇカァ?
何でぇ小人じゃねぇカァ。
この奴さん達を小人の村まで案内しちゃあくれねぇカァ?
へっ、お安い御用だべらんめえ、まかしといてんカァ。
そんなやり取りがあったかどうかは定かではないが、ここまで乗って来たカラスは大きく翼を広げて飛び立つ。
代わりに、先ほど現れたカラスがさも自信に満ちた風体で鎮座していた。
「君が北区の本部まで案内してくれるのかい?」
尋ねるジン。
「カァー!」
「よろしく頼むよ」
和かに向けられる笑顔。
ジンは明確にではないが、知能の高い動物との対話や意思疎通に優れている。これも夢珠の一種・言葉玉による能力である。
夢防人達はお互いの言語によるコミュニケーションを円滑にするために、誰しもが言葉玉を使用する。
その時に得られる効果で、稀に目的の言葉を超えた能力が解放される事がある。
動物との会話もその一つだ。
もちろん、初めから『動物との会話』を目的とした夢珠が存在確認されている。希少だが、ペットを飼っているニンゲンから得られ、使用すればまさに会話が成り立つ物だ。
ジンの場合は偶然に付与された能力であり、能力レベルは低い。だがそれすらも持たないレンにとっては、便利そうで少し羨ましくも思えるのだった。
新しいカラスに乗り換えたジンとレンは東京の空を飛んだ。こうして昼はカラス、夜はフクロウの背に乗り移動して丸二日、ようやく辿り着いた大都会に、赤と青の帽子は雑踏を残して紛れて行った。
☆
人間の中でも有名人や、芸能人の夢珠は質が良く、中玉や大玉が高確率で入手出来る。夢防人達がそれらを管理下に置き、完全に監視と調整、保護をしていた。そうしなければ小人達が奪い合いや乱獲など、同じ夢防人同士の醜い争いに発展しかねない。
しかしそれでも、監視網を抜けて狩場に侵入する若者や、狩りを終えた後の夢珠の輸送中を襲って奪おうとする非道な者もゼロではない。
夢珠の管理において、邪夢やニンゲン以外にも、備えるべき敵が居るなど同族ながらに悲しいモノだ。
少しでも非道な行いを減少させるため、特定のニンゲンを希望して狩場に付ける申請の予約制度、また欲しい夢珠の能力を得るために、集められた管理所に夢珠の予約をする注文制度がある。
基本的に、収穫した夢珠の大きさによっては提出しなければならない掟があり、倒した邪夢の数や様子なども報告の対象だ。
だがそれらがごく平和に管理され、正確に報告されているのは田舎町ぐらいなもので、都会においては『現場の臨機応変』の名目の下に、管理は行き届いていなかった。
都会での住宅事情は夢防人にとって、管理をしにくくなるばかりの発展と進化を遂げ、跳梁跋扈する邪夢たちの大きさや変容も、田舎町の比類ではなかった。
しかし、それでも絶滅せずにやってこれたのは、田舎町からの夢珠の援助や、都会でその場で得られる高品質の夢珠のおかげであった。
都会では昔からある組織的な集落による管理団体と、若者や一部の夢防人達が個人で集まってチームを作り、邪夢に対抗している、二分された様相を成していた。
組織集落は田舎町と契約して援助を得ながら維持され、個人チームは自分達が獲得した夢珠を元手に交換したり、傭兵のように戦いの技術面で仕事を請け負う事で存続を維持していた。
それも夢防人達が通貨の概念を持たない種族である事も、一つの要因と言えよう。
東京都北区、夢珠管理団体第一支部、通称『アレックス』は昔からある管理団体であり、北区の中でも一番人気が高く、夢防人達が多数登録している。
その管理受付のカウンターで一人の小人が肩を落として項垂れていた。
半年前から予約していた狩場の出動が当日になって延期になったからだ。
「申し訳ありません。上層部の決定事項によりご容赦下さいませ」
カウンターを挟んでオペレーターが頭を下げる。
緑色の長い髪を掻き上げながら、その女性、夢防人・モーリスは大きな瞳をオペレーターに向けた。
「半年も待ったんだから、今更一日延期になったくらい構わないけど、理由を教えてもらえないって事は無いんじゃない?他の人は納得してるの?」
「はい、皆様延期については快く応じてお帰りになられました」
「う、何だか私だけごねてるみたいじゃないのさ」
「はぁ……何しろ急な決定でしたので、私共にも詳しい事情が伝わっておりませんので……またはっきりとした事情が分かりましたらお伝えさせて頂きます」
「くぅ~、これだからお役所仕事は!!」
「申し訳ありません」
機械的に頭を下げるオペレーターに業を煮やしてモーリスはカウンターを後にした。
黄色いロングスカートのように見えるローブと緑色の髪が映えて、歩く調子に合わせて揺れる。
女の戦士は珍しいわけではないが、その装備は軽く、戦場に出るには少し心許ない。
一瞥すると普段着のようにしか見えない程だ。
戦場の予約を入れて、当日までに編成チームが組まれ、戦力の補填として組織から戦士が補充される。
モーリスは誰とも組んでおらず、主に単身で活動しているため、あえて自分の戦場の役割を中間的な物にしていた。装備も出動前に用立てるため、普段から鎧めいた装備はしていない。
武器にも得意、不得意はなく、状況に応じて変更出来るように訓練している。
カウンターを後にしたモーリスはやり場のない怒りを抱えていたが、それをぶつける事よりも、すっかり空いてしまったスケジュールの穴埋めに悩んでいた。
エントランスホールに用意されたフリースペース、『待ち合わせ場所』にある椅子に腰を下ろし、天井を見上げる。
高い天井、ニンゲンの出入りするビルを模して夢珠の力で建造された12階建ての建物。
ビルに内装されるカウンター、イスを始め、全てがニンゲンの真似をして作られ、小人達がお役所業務をしている。
モーリスがふと目線を戻すと、お役所の上層部にあたる小人が前を通り過ぎた。北区の管理団体、そのトップ、総支配人アレックスである。後ろに従者を連れてこんな『待ち合わせ場所』に赴くとは如何なる事態か。
モーリスは目を見張る。
アレックスを前にして椅子から立ち上がったのは赤いトンガリ帽子を被った小人と青いトンガリ帽子の小人だった。
いったい何十年前のファッションなのか、明らかに時代錯誤で、現代の戦士からも浮いていた。
民族衣装には違いないが、そんな来客が北区のトップにどんな理由で会いに来たのか、モーリスは聞き耳を立てる事をやめられなかった。
長身でスラリと伸びた足。彫りが深く往年の笑顔のシワが人相と性格を表しているようだ。髪は金色の短髪で清潔感と、ビジネスマンのような仕事人を風体としている。総支配人のアレックスは長い足をツカツカと回転よく鳴らし、二人の来客に歩み寄った。
後ろに控えるのは、藍色の髪を束ね利発そうな眼鏡も光る女性の従者『テス』。秘書と雑務を担っている。
二人とも、人間のような服装で、黒いスーツという姿で現れた。アレックスにおいてはネクタイまで締めている。それも都会の流行りなのだろう。
青い帽子のジンと赤い帽子のレンは共に立ち上がり、待ち合わせ場所であるエントランスホールのフリースペースに背筋良く起立した。
「どうも初めまして、総支配人のアレックスです」
握手を求めるアレックス。
「初めまして、僕はジン。こっちがレンです」
「ども。はじめまして」
順番に握手を交わす。
レンが照れたようにすぐに半歩下がると、アレックスとジンが向き合う。
「遠い所から大変でしたね、宿はゆっくりお休み頂けましたか?」
「ご親切に配慮下さり有難うございました。おかげで疲れも取れました」
「それは良かった。スタローン様のご友人とあらば家族も同然、お気の済むまで泊まって行って下さい。とはいえ、あまり長居は出来ないんでしたね」
「そうですね、二、三日したら帰るつもりです。それまでに何とか目的を達成したいんです」
「事情は秘書から伺いました。【コトダマ】の入手については秘書が調べておりますので、直接お聞き頂くとよいでしょう。テス、ご説明を」
はい、と後ろに控えていた従者が前に出る。
「現在、夢珠の在庫をお調べしたところ、【コトダマ】の在庫はゼロでした。予約待ちで約三ヶ月以降との事です。これに関しては直接の獲得の方が効率が良いと判断させて頂きました。確率としては下がりますが時間の猶予も有りませんし、【コトダマ】を発生するニンゲンの元へ直接行って、夢珠を捕獲して頂けるように手配を致しました」
『ええっ!? 本当に!?』
ジンとレンが驚く。
アレックスが満足そうに頷いている。
秘書のテスは冷静に頷いて言葉を続けた。
「はい。ジン様より情報を頂きましたニンゲン、『漆原めぐみ』の夢珠が最も【コトダマ】として有力であるという説は間違いないようです。管理連にて確認致しました。よって本日の夜8時より、『漆原めぐみ』の自宅にて夢珠の回収捕獲の手配を行いました。援護として我々の組織から戦士を3名お付けしますので、邪夢の排除は彼らにお任せいただいて、夢珠の回収のみをジン様、レン様にお手伝い頂くという形でお願いいただけますでしょうか」
「ちょっと待ったぁあ!!」
余りの事に驚いて声も出ないジンとレンが突如叫ばれた声の主を見る。
緑色の髪と黄色い服の少女が手を挙げて震えていた。
名をモーリス。
今日、『漆原めぐみの夢珠回収』を延期されたばかりの夢防人である。
☆ ☆ ☆
東京都北区、アレックスの居室にて。
「申し訳ありません、周囲への配慮が足りませんでした」
オフィスに二人きり、テスはアレックスに対して頭を下げた。
それを片手を上げて制し、アレックスが言う。
「いや、ここに呼び出さず足を運んだのは私が言い出した事だ。テスに落ち度は無いよ。むしろよくやってくれた。確かにあの状況を予期出来ていれば、君の言った通りここで話すべきだったんだ」
「いえ、しかし良かったんでしょうか、あのモーリスと言う者を同行させて」
「彼らが構わないと言うんだ。容認するしかないだろう。それに夢珠も報酬も要らないと言うし、組織としてはタダで働いてくれる戦士が一人増えたんだ、願ったりだよ」
「ニンゲンの……ファンでしょうか?半年も前に予約して、会うだけでいいなんて、私は理解に苦しみます」
「ははは、芸能人の家から私物やゴミを持ち帰って来る奴も居るからな。まあ、お客様の邪魔さえしなければいいさ」
「彼女を調査しますか?」
「……そうだな、身元が解る程度には調べておけ。後でゴネたらかなわん」
「はい」
「久しぶりの田舎者の上客だ、ここで恩を売りまくって、夢珠の支援の足がかりを作る。相手はあのスタローンだ。きっと側にシュワルツも居る。デカイ取り引きになるぞ!もぐりのチーマーどもに負けてられるか!!」
鼻息を荒くするアレックスに敬礼し、テスは部屋を後にする。部屋を出て一人、廊下で呟くのは主の陰口か。
「……小さな子供も、役に立つなら使えばいいわ」
ガラス窓が並ぶ廊下を歩きながらテスは一人、自分に微笑んだ。
☆ ☆ ☆
「あれ?二人って聞いてたんだけどなぁ」
「あはっあはははは、さっき武器屋でも言われた、に、二回目っぷぷぷ」
「いやぁ、実は先ほど増員になりまして」
「……すいません」
pm7:30 エントランスホールで組織の三戦士と合流したレン、ジン、モーリス。
テスの取り計らいで武器と防具を組織内の武器屋で新調し、出発の準備を整えていざ、という所で三戦士達が首をひねって困り顔をした所だ。
組織から選出された護衛組の三人、ジュン、チョウサク、ハルオ。白い和風の戦装束をお揃いで身につけ、それぞれ剣、槍、鉄扇を装備している。レン達よりも少し歳上、それぞれがっしりとした体格でとても頼りになりそうだ。
ジュンが少し考えて、二人と何やら相談し、振り返るとレン達に言う。
「五人乗りの用意をしていたのですが、六人はちょっとそのままではキツくなりますので……今からもう一騎増やして、三人ずつの二騎に切り替えます。我々が先導しますので御三方は後方から着いて来ていただけますか」
「わかりました。レン、笑いすぎ!」
ジンが応えながら転がる赤帽子にツッコミを入れる。
「じゃあもう10分ほどしたら出発出来ますので、もう少々こちらでお待ち頂けますか」
チョウサクとハルオが慌てるように準備のために走り去り、その後をジュンが追う。
エントランスに残された三人は顔を見合わせると、先ずモーリスが口を開いた。
「何だか申し訳ないわ。予定外でバタバタさせて」
少し落ち込むモーリスの左肩をジンが軽く叩く。
「まあまあ、気にしなくていいんじゃない?もう言われる事ないだろうし」
あとにレンが続く。
「もう一回言われたら俺が笑い死ぬだろう」
右隣でレンが予言した。
モーリスは顔を上げると、ジンに尋ねる。
「本当に良かったの?私なんか着いて来て」
ジンは頷く。
「いいんだよ、元はと言えば割り込んだのは僕たちの方なんだから。それより、夢珠も報酬も無しなんてモーリスの方こそ大丈夫なの?」
ジンが問いで返すと、モーリスは微笑しながら自分の手をじっと見る。
「私は、別に報酬目当てで行くわけじゃないから。漆原めぐみに会えればいいのよ」
「でも、彼女の夢珠はみんなも欲しがってるくらいだよ」
と、ジン。
「いいのよ。そのチカラなら私はもうとっくに持ってるから」
モーリスは自分の掌を見つめながら、拳を握り、少し遠い目をした。
「ああ、なるほど」
ジンが頷く。レンも一緒に納得している。
「じゃあ中玉以上の夢珠がもし出来たら予定通りレンが先に使って」
「おう、了解」
「ジン君はあとでいいの?もしかすると、一つだけしか取れない可能性あるわよ?」
「別にいいさ。レンがチカラを持ってくれれば、僕はそのサポートに回る。レンだっていきなり使えるか分からないし、よく分からない状態のチカラを二人で同時に持つより、レンに試してもらって、しばらく慣れてからの方がリスクだって少ない」
「実験代ってわけね」
モーリスが笑みを見せる。
「レンがチカラを得たら、それ以降の夢珠は選定して持ち帰る。基本的に邪夢はあの三人に任せるけど、必要なら僕とレンも戦闘に参加する。その時は夢珠の回収をモーリスに頼めるかな?」
「イヤよ。私は無理だから戦闘に参加するわ」
即答で断ったモーリスは当然といった顔を向ける。が、目を丸くしたレンとジンを見てすぐに眉根を寄せて身体を縮めてブルブルと震わせる。
「ワタシニンゲン恐いカラ近寄りたクナイのよほー」
少しワザとらしい声を出して尚も拒否する。
ジンはレンと顔を見合わせ、仕方ないとばかりにため息を一つ。
「じゃあ、戦闘にはまず僕とモーリスが後方から援護に入ろう。レンが回収をして、その流れで先に夢珠を使えそうなら使って。その後の回収は臨機応変に出来る者がしていこう」
「ん、わかった」
「オーケーよ」
「じゃあそろそろ行こうか、準備出来てるかもしれないし」
建物の入口に向かって歩き始めたレン、ジン、モーリス。
その前方から護衛組の1人、ジュンが走って来るのが見えた。
「ジン様~!ネコバスの準備が出来ました~!」
叫びながら走り寄って来る。
「え?ネコバス?」
固まるジンとレン。
モーリスが当然な顔をしながら言った。
「あら、知らないの?都会じゃポピュラーな乗り物よ。酔わないでよね、けっこう揺れるから」
先を歩くモーリス。
後に続くレン。それからジン。
……
……
……
酔った。
☆ 小さなモミジ ☆
「ちょっと、大丈夫~?しっかりしてよ、着いたわよほら!」
「ぐぅぅ、この世にこんな乗り物があっていいのか……」
「都会のゲロ臭さにこの揺れはもう嫌がらせレベルだろ、吐くなと言う方がおかしいぜ」
「これなら僕たちみたいに首にぶら下がる方がまだ全然いいよ。あ、まさか帰りも乗るのか!キッツイなあ!!」
「ふふ、恐ろしいな……ネコにバスケット……ぐふっ」
「レン!気を確かに!」
「せめて窓は要るだろ、密閉するなんて信じられ……ガハッ」
「ジン!目を開けて!」
「……」
「……」
「いいゃああぁ!!」
「何をやっとるんですか」
思わずツッコミを入れたのは護衛組のジュンだ。
漆原邸に到着した黒猫の『ネコバス』が二騎、背中に設置された藤籠から這い出したのは夢防人のレンとジン、そして普通に降りてくるモーリス。
暗闇と夜道に溶け込むため、あえての黒猫と濃い茶色のバスケットは東京北区では一般的な移動手段だ。
ただし、乗り心地は極めて不安定で、時折訪れる猫のジャンプ、ダッシュ、急斜面からの急ブレーキなどなど……
「……」
「……」
「ちょっと待ってあげて、二人ともグロッキーだから」
初心者には辛い仕様になっている。
この移動手段については、昼間用として、鳥のハトを使用した『ハトバス』なる物も存在するのだが、稀にバスケットが落下する危険があるため、近年では「ハトバスよりネコバスのが使えるっしょ?」という戯れた認識が拡散している。
程なくして立ち上がったレンとジンは歴戦を重ねた老兵のような表情を見せ、漆原邸の前に肩を並べて、家を見上げた。
宵の闇に浮かび上がる白の外壁、近代住宅の屋根はダークブラウン、日本瓦ではない平面化した屋根は高く、ジャンプして辿りつける距離ではない。
外壁も四角を綺麗に形取り、幾つか窓はあるがどれも開いている様子はない。
どちらかと言えば防犯のセキュリティも完備された、侵入し難い造りだ。レン達のような田舎なら、たまに開いている二階の窓から侵入したり、旧日本家屋なら隙間や通気口、ネズミが開けた穴など、利用出来そうな場所を使って侵入する。
「しかしながら屋根まで高いな。鳥のがよかったんじゃね?」
レンが言う。
残念ながら揺られまくったネコバスは既に中庭まで侵入しており、庭の片隅に丸くなって待機している。その背後に目線を走らせると、隅々まで手入れの行き届いた青い芝生と鉢植えに並ぶ花、細長いプランターに植えられたハーブが視界に映る。
それを大きく取り囲む外壁が、都会ながらも庭付きの一戸建てという上等な条件を満たしている事を匂わせる。
ジンが護衛組を振り向き、この家の入り方を尋ねる。
「いつもどうやってるんですか?」
一度使用した侵入経路や模範方法があるならそれを知りたい。毎日の事だから定番化していればそれに則る。
ハルオが建物の中でも一番小さい窓を指差して応える。
「あの窓から解錠魔法を使って入るとの事です。ただし、トイレらしいので、侵入してからもう一つ、ドアを開けるミッションが必要ですね」
レンが面倒くさそうに声を上げる。
「うわ、じゃあ全員が寝静まるのを待ってからになるって事?」
頷くジュンとチョウサク。
こればかりは仕方ないと言うが、それならば時間の調整が間違いではないのかと突っ込みたくなる。
眉根を寄せてレンとジンが見合う横で、スルスルと玄関の扉に近づくモーリス。
玄関の前にある小さな階段を軽快にジャンプし、ドアの前に立てかけられた空の傘立てを足掛かりにドアノブにタッチする。
「チョット開けて」
そう呟いてタッチだけをして、そしてまた高いドアノブからジャンプして地上に降り立つ。玄関の前で振り向きざま、当然な顔をレン達に向ける。
「開いたわよ。先に行くね」
そう言うとモーリスの目の前で玄関のドアノブが動き、小人が入る分だけの隙間を開いて止まった。自動扉のように人影はなく、ドアが自らモーリスを招き入れていた。
家の中に消えたモーリスを慌てて五人が追う。
全員を招き入れた後、ドアは静かに閉まり、カギが掛かる音がした。
先を歩くモーリスを追いながら、ジンが声を潜めて投げ掛ける。大きな声は出せないがこの少し自分勝手な連れ合いを呼び止める必要はある。
「モーリス、段取りを無視するのはマズイよ」
元々が小さな身体の小人である。もし人間が居ても、その音量はヒソヒソ声にすらならない。
玄関に並んだ男性皮靴や女性物のヒール、そして子供用であろう虹色のスニーカー。それらを踏み台にして玄関から廊下へと上がり込むモーリス。
それを見て真似をしながら靴を蹴るように続くジン、そしてレン。さらに後方から護衛組の三人が走る。
赤帽子のレンが追い付き、モーリスに言う。
「サンキュー、助かったぜ。あのまま寝るまで待ってるなんてゴメンだよなぁ」
それを聞いてジンが長年の相棒を嗜める。
「確かにそうだけど、勝手に動くのはマズイよ。見つかったらどうするんだ」
モーリスはジンとレンを交互に見て、しれっとした表情で応える。
「あら、レン君の方が融通が効くみたいね。ジン君は優等生タイプかしら?ニンゲンが起きてるくらい、どうって事ないでしょう?」
ジンが少しムッとする。
「僕たちだって毎日夢珠の回収はしてるし、こういう最近の家にも侵入経験はある。ニンゲンが起きてても見つからない自信だってあるさ。それより、段取りってもんがあるんだ、先にヤルならヤルで言ってからにしてくれって話だよ」
「ふふふ、怒っちゃってカワイイ~、いいわ、教えてあげる」
モーリスは微笑みながら、電気の消えた廊下のあちこちを指差し、次々と説明をしていった。
「通路の奥左手がリビング。今は誰もいないわ。右手の手前がトイレ、右奥にお風呂、シャワーの音が聞こえるでしょ?旦那さんが入浴中よ。今はもう子供が寝る時間だから、5歳の息子と漆原めぐみ当人は二階の子供部屋に居るわ。夜寝る前にベッドで本を読んであげるのが日課よ。この階段、上がるわよ」
モーリスは慣れた足取りでジャンプし、階段を登り始める。
軽快に飛び跳ね、段を登り切ると、足を止めて振り向き、全員が登りきるのを待った。
一番に追いついたジンが確信を込めて言う。
「モーリス、君は何度かここに来てるんだね」
「そうよ、回数なんて分からないけど。この家が建てられて六年余りかしら。最近は人気出ちゃってあんまり来れないんだけど、まぁ、目を閉じてても歩けるってヤツよ」
自信有り気に言ったモーリスに、ジンは真面目な眼を向ける。
「それは判った。頼りにするよ。でも過信は良くない」
「あ、可愛くな~い」
続くレンは笑いながら付け足す。
「そう、可愛くないんだよ。ジンは真面目な事ばっか言うけどな、掟やぶりをするのはいっつも俺より先だから気を付けた方がいい」
「あら、そうなの?」
「レン、余計なコト!」
「本当だろうが、ニンゲンとお友達になるとか前代未聞だ」
「まさかニンゲンと接触したの!?」
「ちょっとレンってば!!」
「おかげで死にかけたしな。とんだお利口さんだよ」
「うわ~本当にぃ、意外ねぇ~」
ジンが舌打ちするのと、護衛組の三人が階段を登りきり、追い付くのが同時だった。会話は聞き取れなかったようで、追い付いたジュン達は頭の上に各自が『?』マークを付けていた。
モーリスは全員が揃うのを確認すると、二階の廊下の奥にあるドアを指差して言った。
「あそこが漆原めぐみの眠る寝室よ」
護衛組の三人が頷くと、先に歩いて部屋へ向かった。
「我々が先に潜入して、隠れている邪夢が居たら排除します。ジン様達は一緒に入ってもらってかまいませんが、どうされますか?」
戦士ジュンがそう尋ねると、モーリスが青い帽子の先を引っ張りながら言った。
「子供部屋の様子を見に行きましょうよ。多分、息子とめぐみが居るわ。見たくない?」
「わかったから引っ張るなよ」
ジンが言うと、戦士ジュンは寝室の方へと向かった。
「ではお気をつけて、後ほど寝室の方へ来て下さい。邪夢の掃除が終わったら我々はベッドの下に待機します」
その背中にモーリスが手を振った。
レンが廊下に並ぶドアを見上げる。寝室のドアを含めて三つ、その内の階段に一番近いドアから話し声が聞こえる。女性の、ニンゲンの声だ。
何かの物語を読んでいるらしく、冷静な口調とリズム、時折キャラのセリフなのかとんでもなく元気な声が響いてくる。それに重なるようにして、男の子の笑い声が聞こえた。
「あそこが子供部屋?」
レンが尋ねると、モーリスがそうよと頷いた。そして廊下の中程まで進み、真ん中の部屋の前で足を止める。
「この部屋は物置きみたいになってるんだけど、ここから屋根裏に上がれるから。上から隣に回り込みましょう」
モーリスが言って、ドアにそっと触れた。
頭の上からドアノブが動くカチャリと微かな音がして、さほど力を入れた様子もなく、ドアがゆっくりと開く。
「スゲーな、それ。どうやってるんだ?」
レンが屈託もなく好奇心を込めた笑顔で尋ねる。
モーリスは微笑して言う。
「ドアにお願いしてるだけよ。部屋に『入れて』って」
モーリスの言葉は優しい。だがどこか、悲しい。
「それって言霊のチカラかい?ドアの鍵を開けたりも出来るんだね」
ジンが関心するように言った。
「まぁ、そんなとこ。ただ、あなた達が夢珠を使って得られるのは戦闘に使うためのモノでしょう。おそらく発動に溜めが要るし、私のチカラとは少し違うから、同じ事をするのは難しいかも」
部屋の中に入ったレン、ジン、モーリス。その目の前に広がるのは、白い犬のキャラクターグッズが所狭しと並んだコレクションの山。漆原本人が買った物もあるが、ほとんどがファンからのプレゼントだ。
「なんだ、ひょっとしてチカラが弱いのか?」
レンが言う。
言葉の夢珠でも、チカラのレベルが差異を産み出す。それはどんな夢珠でもある事だ。
モーリスが返す。
「逆よ、強すぎるの」
少し悲しげに言うモーリス。
だがそれを聞いて好奇心を膨らませるレン。
「おお、スゲーじゃん!」
「凄くないわ」
即答して立ち止まるモーリス。
何かに取り憑かれたように虚ろな表情でレンを見る。
「私がレン君に『止まれ』って言って触れたらどうなると思う?」
レンに向かって右手を差し出し、手のひらを見せる。
白い小さな指がその繊細な容姿と裏腹に、何か得体の知れない気配を纏って、赤帽子を見つめる。
レンは少し考え、
「そりゃ……多分、動けなく……なる?」
「じゃあ『死ね』って言ったら?」
モーリスがレンに向かって差し出した手に、レンが圧倒的な威圧を感じて息を飲む。
モーリスの目が冷たい。
空気が凍るように部屋に静寂が生まれようとしていた。
瞬間、
二人の間に割り込んだジンが、その手を平然と掴んだ。
「そういえばまだ握手もしてなかったね。よろしくモーリス」
ニコリと笑顔を向けたジンの両手は、小さくも温かくモーリスの右手を包んでいた。
驚きを隠せずに両目を見開いたモーリスは、青い帽子の小人の笑顔を見て言った。
「ジン、あなたチョット変わってるわ」
ジンは手を包んだまま言葉を返す。
「よく言われる。あんまり自覚ないんだけど」
笑顔が苦笑いに変わる。
モーリスと同じく驚いて固まっていたレンが笑い出した。
「……はははっ!ほらみろ!そーやって俺より先にやるんだよな」
言うとモーリスの左手を掴んだ。
「じゃあ俺はコッチだな。よろしくな」
「ちょ、ちょっと離してよ」
右手をジン、左手をレンに握られて、モーリスの声は上ずった。
「あなた達ヘンよ!……やめてよ!……」
その言葉に、チカラを発動する気配はない。
「……離してよ……私の事なんて、何も知らないくせに……」
心から思う言葉ではないのだから。
「あれ?モーリス、どうして泣いてるの?」
なぜ一人で戦って来たのだろう。
「わかんないわよ!あなたの所為でしょ」
なぜ同じ戦場ばかり選んで来たのだろう。
「あー、ジンがモーリス泣かした~」
カエリタイ場所は何処だったのだろう。
「レン君、あなたもよ!」
思わず吹き出してしまったモーリスは、自らも手を握る力を込めた。
心から思った言葉は秘めたまま、胸の奥にしまい込んだ。
『このまま離したくない』と。
温まった手が赤くなって、小さな紅葉のようになった時、モーリスは初めての仲間を二人も得たのだった。
☆ ☆ ☆
東京北区、夢珠総合管理連合『ゆめれん』
東京北区で行われた夢珠の回収、及びその情報が集められる機関だ。
組織『アレックス』の一部ではあるが、組織に属さない小団体や、個人単体での回収も受け入れている。
その情報室の中に、資料に目を通すテスの姿があった。何枚かの紙の束を紐で結び、本のように読める状態にしている資料は、個人別の回収記録だ。
「これは……まさか?」
テスの目が鋭く光る。
資料に記載されているのは、日時、場所、回収した数、その大きさ、誰と行動したのか。
場所に付随される人間の情報、名前や住所、家族構成など。
そして戦闘行動、邪夢との戦闘における討伐数やその大きさや特徴である。
テスはその内の一枚を手に、近くに居た事務員に声をかける。
「この子の出生地とオリジナルを調べて欲しいの。すぐに解るかしら?」
紺色のスーツを着崩した女性の小人が直ぐに応える。
「記載されているこの登録ナンバーで探してみましょう。地元の出身ならすぐ分かりますよ」
「お願い」
その指示を受けて事務員はものの数分で資料を用意してみせた。
分厚いファイルの中から一枚を取り出し、テスに渡す。
それを一瞥してテスは足早に去りながら言った。
「借りるわね。後ですぐ返すわ」
誰も居ない廊下を急ぐテスの表情がより険しくなった事を知る者は居ない。
☆ ☆ ☆
屋根裏から回り込んだジン達三人は子供部屋の押入れの中に居た。わずかに開いた扉の隙間から、部屋の中を伺う。
ベッドには短髪の男の子が布団を首元までかぶり、ウトウトとまさに今、瞳を閉じかけている。
傍らに腰を下ろした女性は、読んでいた本を閉じながら、声の音量を下げていった。
本は、アヒルの男の子が冒険をする内容の物語で、自然や環境問題をテーマにした奥深いものだが、アヒルのキャラクターがコミカルに活躍して、ストーリーを楽しい雰囲気にしている。また、普通の所は普通に読むのだが、感情が表れるキャラクターの台詞などは声を変えて様々に演じ分ける。登場キャラクターが増えれば増えるほど、その声は七色に彩られた。
やがて、
物語も後半になり、興奮も落ち着いて目を閉じた子を見て、静かに立ち上がった女性は、部屋の電気を消し、子供の本棚に手中の本を戻して部屋を後にした。
足音が遠ざかる。
階段を静かに降りていく。
「あれが漆原めぐみかぁー」
声を潜めていた三人の内、レンが一番に呟いた。
「あの本読みは楽しいな。逆に内容によってはなかなか寝ないだろ」
それを聞いてモーリスが笑みを見せる。
「まぁ、楽し過ぎると寝ないわね」
ジンも口を開く。
「いつもなら本棚に隠れるんだけど、ここに居て正解だったね。見つかるとこだったよ」
「言ったでしょ、押入れ出ない方がいいって」
「ありがと、モーリス。もうそろそろ、出ていいかな」
ジンは周りを警戒しながら、押入れから出る。
子供部屋のドアは閉めておらず、広い廊下と階段の方が見える。
廊下の電気はオレンジ色で柔らかく、子供の眠りを妨げる程ではない。
「子供部屋の方は邪夢の警戒するんだよね?」
ジンが言うと、モーリスが答える。
「私達が寝室に行くんだから、入れ替わりであの三人の内の一人に任せればいいでしょ。旦那さんと二人で寝るんだから、寝室に二人来てくれた方がいいだろうし」
「そうだね。じゃあ僕たちも寝室に行こう」
ジンは二人を促して子供部屋の出口へと走った。オレンジの光が三つの影を作り、小さく弾みながら子供部屋と廊下に軌跡を描いた。
☆ ☆ ☆
『ゆめれん』の地下2階、シークレットと書かれた部屋の扉をテスが開く。普段ならば鍵とセキュリティの掛かっている扉は、先人の手によって解除されており、容易く開く事が出来た。
一歩、部屋に入ると、テスの目の前に広がるのはジャングルと見間違う程の樹木たちだ。
その幹は太く、生気に満ち満ちた緑色で規則正しい列を成して遥か奥深くまで続いている。
右も左も、奥も、遥かに際限なく広がる樹木は、頭頂部に丸い膨らみをもたげている。
それは緩やかにカーブし、七色の優しい光を持って静かに樹木の首を傾げる。
それは夢の光の結晶、夢珠に他ならない。
大玉と呼ばれる光の夢珠は、回収され、この場所に運ばれる。
そしてこの樹木に一本につき一つ、花の蕾のように蓄えられ、静かに長い年月を過ごす。
時には数年、数十年、時を経て熟しながら、膨らみはいつしか果実か、はたまた大輪の為の蕾か、膨らみながらその瞬間を待ち続ける。
テスは歩を進め、密林の一画で自らの主を見つけた。
「アレックス様、こちらにいらっしゃいましたか……」
「やあテス、君も見に来たのか。今夜の発表次第でジョディ氏もアカデミー女優だ。今日こそはやってくれると、何処のニュースも期待しているからな」
アレックスは一際大きく実を太らせた、目の前の樹を振り仰ぐ。
テスは同じように夢珠を見上げる。
「初来日の時に回収した夢珠ですね。しかし……あいにく、私は別の用件です。アレックス様」
言いながらテスは手にしていた一枚の紙、夢防人の登録証を手渡した。
「これは?」
「あのモーリスと言う少女のものです。やはり同行させるのはまずかったかもしれません」
アレックスはゆっくりと書類に目を通す。
「……なるほど、これは……よく気がついたね」
書類の一点を指差し、パチンと紙を弾く。
「彼女の回収記録は同じ人間の家ばかりをローテーションしていました。それだけでなく、漆原めぐみの回収については五年前からは必ず毎日と言っていいほどの参加」
「ファンと言うには行き過ぎてるね」
「問題なのは、他の人間の時には夢珠の回収も邪夢の退治もちゃんとしています。ですが漆原めぐみの時は邪夢退治のみで、夢珠は一つも回収していません」
「……なるほど、だから気がついたのか。確かに、夢珠の回収には、その人間に多少なり接触する時があるからな」
「はい。おそらくモーリスは漆原めぐみに接触する事が出来ません。もしくは……」
「自殺志願者か」
「はい。可能性はゼロではありません」
「うーん、夢珠も報酬も要らない。会えるだけでいい……か。しかし、何度も参加して自殺するならチャンスは沢山あったわけだ。今まで何もせず、無事に帰って来ているわけだから、今日も大丈夫だと思いたいね」
「最近の漆原めぐみは【コトダマ】の人気のせいで順番も半年待ちでした。楽観視は出来ません」
「ふぅ、厳しい見解だね」
アレックスが振り仰ぐと、頭上の夢珠が輝き出し、虹色の光を強く発し始めた。
「おや、産まれそうだ。アカデミー賞の夢が無事に叶ったな」
夢珠は一際大きく、さらに膨らんで蕾を弾けさせた。
それは巨大な華が花弁を惜しげも無く開くように、光を撒き散らしながら大輪の花を咲かせた。
周囲の樹木が共に喜びを分かつように共鳴する。
虹色の花、そしてその中心、
蕾の中から現れたのは、金髪で青い瞳を潤ませた、一人の女の子、新しい小人の姿だった。
「おめでとう、出来れば名前を聞かせて欲しいな」
眩しさに目がくらむアレックス。手を伸ばし、少女の小さな手を取る。
テスが外国語を操りながら現れた少女に話かける。
「……アリシア・クリスティ……」
少女はまだ虚ろな瞳でゆっくりと答えた。
「ようこそアリシア、まずは夢珠で言葉を覚えよう」
ここは小人達の秘密の森。
夢の花咲く【夢咲き森】
☆ ☆ ☆
寝室に入り、護衛組の三人と合流したジン、レン、モーリス。先発として部屋の邪夢討伐を行っていた三人から、隠れていた一匹を討伐したとの報告を受ける。
護衛組はジュンとハルオの二人をベッドの下に残し、チョウサク一人を子供部屋に向かわせた。
「よろしく頼む」
「何かあったら知らせる」
護衛組のジュンが言うと、子供部屋を任されたチョウサクが槍を手に走って寝室を後にした。
その背中を見送って、ジンとレン、そしてモーリスは部屋にある本棚に身を隠す事にする。下に隠れる方が見つかり難いのだが、眠るまでの監視をするためにも上からベッドが見える場所を確保したいのである。
ジンが背中に背負っていた弓を手に取る。組織の武器屋で新しく能力を付加した新しい弓。かつて都会から来た弓の女戦士アルテアから知った要素も取り入れた。
弓には水色に光る玉が付いている。接着されている訳ではなく、まとわりつくように弓の周りを浮遊している。この光の玉は弓の本体の形状に合わせて大きさや姿を変える。弓の場合は光の弦となり、本体が杖のように伸びると球体になって先端を飾る。そして、杖のまま光の玉から糸状に長く伸ばすと、
「釣り竿?魚でも釣るの?」
モーリスがそれを見て真顔で聞いた。
ジンはニコリと笑ってモーリスの手を掴む。
「こう使うんだ」
言うとジンは片腕で釣り竿を振り、本棚の中間を目掛けて針先を打ち込む。上手く掛かったのを確認すると、光の糸を急速で縮めた。
それは竿を握るジンと、手を繋いだモーリスの身体を空中に運ぶには充分な力と速度である。まさに一瞬で飛行した二人は本棚の中腹に着地した。
「ムチと弓の融合を目指したらこうなったんだ」
「びっ、びっくりした!」
驚くモーリスをなだめて、ジンが微笑む。
「杖にもなるしね。あとはこの光玉が剣みたいに尖ると槍になるんじゃないかと思ったんだけど、そこまでは容量オーバーだったみたい。もっと強い夢珠が要るね」
レンが下から声を投げ掛ける。
「おーい、俺も俺も~!」
目をキラキラさせながら手を振っている。
ジンは竿を振るって、レンに糸を飛ばす。
赤帽子はその光の糸を左手で掴む。
「オッケー!」
「いくよー」
ジンが竿を立てると勢い良くレンが釣れた。
空中を飛んでモーリスの隣りに軽やかに着地する。
「うほーっ!!たっのっしっい!」
レンが興奮している。
背中に大剣を背負いながらも軽やかな身のこなしを見せるレン。彼にモーリスが問う。
「思ってたんだけど、レン君」
「レンでいいぜ」
「レンはその邪魔そうな剣は小さく出来ないの?」
「ん、無理だ」
「……即答ね」
「でも重さを自由に変えられるから、今は重くないぜ」
「いやいやいや、もしサイズを変えて小さく出来たら軽くなるでしょ。それでいいじゃない」
「違う違う違う、サイズ変更の能力だと、最初の重さが最大重量だろ。それじゃあ攻撃力ダウンだ」
「え?」
「持ち運びだけのために軽くするならサイズ変更の能力で正解だ。俺だってわかってる」
「何?重くしたいって事?」
「そう、そっちがメイン。このサイズのまま攻撃力を増すために、邪夢を斬る瞬間にドーンと重くしたいわけだ」
呆れた顔をするモーリスが思い出したように言う。
「でも武器屋でレンも新しく武器に何かしてたじゃない。何か変わったの?見た目全然変わらないけど、店でスゲースゲー言ってたじゃない」
「ああ、アレ。聞いて驚け、なんと重量コントロールの変化時間が0.2秒も速くなったんだぜ!」
……
……
……
「ゴメン、よく分からないんだけど、それだけ?」
「馬鹿な!こんなスゴイ事が分からないなんて! 0.2秒って言ったら12フレームだぜ!?」
「ゴメン、その例えピンとこないから」
「技を出した後の硬直や空振りしたあとの硬直が0.2秒短縮されるんだ、それだけ俺は早く動けるようになるし、着地硬直だっていくらか軽減される時があるし」
「着地こう……何?」
「マジか!?そこから説明するか」
「いや、多分聞いても分からない気がするわ」
「例えば邪夢を上から叩っ斬るとするだろ?これが当たればいいけど避けられた時にだなぁ……」
「え、何この子めんどくさい」
「めんどくさいって言うなぁ~!」
「ジン君、あなたの友達アタマがいいのか何なのか分からないわ」
「ジンでいいよ。レンはすっごく頭いいよ。ただ自分の好きな事にだけ120%頭を使うタイプ」
「ああ~、いるいるそういう子」
「それ褒めてんのか?」
睨むレン。一応、貶されてはいない。
そんな三人のやり取りを護衛組のハルオが羨ましそうに見ながら呟いた。
「仲良いな。若いっていいなぁ」
隣でジュンが吹き出した。
「ははっ、俺たちだってまだ若いし仲も良いさ。負けてないだろう」
「いや、あの女の子とは今日初めて会ったらしいけどもう打ち解けてるからさ」
「ああ、そう言えばそうかな。でも俺たちだって初めて会った時から意気投合していたじゃないか……どうした?ハルオにしてはしんみりして、悩み事か?」
「ああ、まだジュンにもチョウサクにも言ってなかったんだけど、ずっと言えなかった事があるんだ」
「何だ?言ってみろ」
「俺の名前、実はミズノ・ハルオじゃないんだ」
「!?」
「最初に自己紹介した時からそのまま今日まで来ちゃったけど、ギャグのつもりで言ったのにお前達に受け入れられてさ、何だか本当の事を言えなくなっちゃったんだ。ごめんよ。チョウサクにもあとで謝るから……」
「……それで本当の名前は?」
「ほ、本当は……」
ハルオが意を決して何かを言おうとした時、階段を踏み上がるニンゲンの足音が響いて来た。
☆ ☆ ☆
息を潜めていた。
夜が時を経るに連れて静寂を取り戻して行く中で、部屋の住人と管理人達はいつしか無音を求めていた。
洋室に鎮座するダブルベッドに、今夜の管理対象である人間、漆原めぐみとその夫が眠りには就いてまだ間も無い。
寝室のドアは開け放たれたまま、部屋の電気は消され、廊下のオレンジ色の照明だけが、唯一の灯りとして寝室と子供部屋に柔らかな光を届けていた。子供が夜中に起きてしまった時の為に、残された優しさの灯りであり、ドアである。
だが、夢防人たちにとって、ドアを開け放した状態は、管理において好ましいものではない。
戦闘中に邪夢に逃げられたり、別の部屋から現れたり、一般家庭に巣食う害虫の類が紛れ込んだりもするからだ。
だが、夢防人たちはドアを閉める事が出来ない。人間が意図的に動かした物、触れた物を夢防人たちは個人の都合で動かしてはならない掟がある。
だが、長期間人間が触れていない物、自然における風や揺れによって動く可能性がある物はその掟に外する。
人間に見つからない事、人間を恐がらせない事が優先されるべき掟だからだ。
もしも人間の目の前で勝手に物が動いたなら、それは怪奇現象にしか見えない。そして精神的にも深い恐怖を与えられた人間は良い夢を見なくなる。
モーリスは本棚の中、傾いた本の陰から出て、眠る人間を眺める。
その眼差しは遠く、少し唇を噛んで、まるで片想いをする薄幸の少女だ。
ジンが危ないよと声をかけた。身の危険ではなく、見つかる危険を考えての声だ。
モーリスは静かな声で応えた。
「もう寝たわ。寝つきは良い方なのよ」
視線は逸らさない。
レンが足を投げ出して大剣にもたれ掛かり、怠惰な姿勢でモーリスの横顔を見ている。それはレンにとって見覚えのある横顔だった。
ジンがモーリスに近寄るために一歩距離を縮める。その瞬間を悟っていたのか、止めるようにレンが服の袖を掴んだ。ぐいっと引っ張る。
ジンが引き寄せられて驚くようにレンを見る。
レンが言った。
「お前も昔あんな表情してたよ」
一瞬考え、モーリスを振り返る。ジンの脳裏に憂いた横顔が張り付く。
ジンの背中に向かって、レンはさらに言葉を続ける。
「似てるよな。ああやって遠くから見つめたり、同じニンゲンの家に通いまくるトコとか」
そのヒントにジンが呟きを返す。
「まさか彼女も……」
「たぶんな。行く前から変な事言うから気になってたんだ。気をつけろよ」
「……何を?」
「お前は大丈夫だと思ってるだろうが、お前が特別なんだ。普通ならお前だってここに居ないんだ。もっと自覚しろ」
レンに怒られて苦笑するジン。
怠惰に見えながらもジンやモーリスの事を気にかけてくれている赤い小人は、立ち上がりながら微かな笛の音を聞いた。
甲高い、鷹が天空で鳴く声に似た笛の音。
一度目は長く、次に短く二回。
ジン、レン、モーリスが本棚の上に横並ぶ。そこから見えるのはベッドの下で同じく立ち上がり、警戒の眼差しを放つ護衛組の二人。
さっきの笛は、呼子笛と言う。小人達がよく使う連絡手段だ。
鳴らし方で事態を知らせ、時には応援を呼ぶ。
「何だ?」
レンが呟き、ジンは声を投げた。
「どーしたんですかー?」
二人の護衛戦士は本棚を振り向く。
「チョウサクからの合図です!向こうの部屋で何か起きたようです!」
ジュンが応えた。
護衛戦士は何やら話した後、お互いに頷くと、ハルオが寝室のドア、入口に向かって走り出した。
「邪夢ですかー?」
ジンの声だ。
「邪夢の事なら合図が違います!何か予定外の事態だと思われます!」
ジュンの回答にモーリスが言う。
「ジュンさんも行って下さい!ここは私たちに任せて!」
「申し訳ない!お任せします!」
ジュンはすぐに駆け出す。
今回の責任者としても、護衛組のリーダーとしても、全力で駆け出さずにはいられなかった。
☆
夕暮れの空に似たダウンライトのオレンジは眼を凝らすまでもなく優しい色で長いフローリングの廊下と二つの影を照らす。
寝室を出たジュンが見たのは廊下の半ばまで先を行くハルオの後姿だった。決死の足取りで足を回転させ、子供部屋へと急ぐ。
ジュンは自分も後を追っている事を告げ無かった。それは余計な叫びが廊下にこだまするのを避けた為だ。ニンゲンが起きている事を想定すると不用意に叫ぶ訳にもいかない。
先を行くハルオは子供部屋にたどり着き、その開け放したままのドアを潜る。
薄暗い部屋の中、ベッドにはニンゲンの子供が寝顔を見せている。
どうやらこの子供は非常事態の原因ではないらしい。
そして次に、ベッドの側に横たわるチョウサクの姿を発見する。
うつ伏せになり無造作に肢体を伸ばすその身体に、急いで駆け寄るハルオ。
思わず駆け寄ってしまったと言っていい。
本来ならば現状確認をしてリーダーに報告するのが最優先であり、駆け寄る行為自体も安全を確認した上で許可を取るべきだった。
だが、些細な事から心を乱していたハルオは、高まった仲間意識から冷静な判断を失っていたのだろう。チョウサクに駆け寄り、両ヒザを付いて右手に持っていた武器、鉄扇を傍らに置いた。空いた両腕でチョウサクの身体を揺り起こそうとした刹那、衝撃と共に視界が歪む。
チョウサクの身体に倒れ込みながら、それが邪夢の攻撃などではなく、何か重い鈍器で頭部を殴られたのだと思い知る。
「……」
声が出ない。
不覚を取られた。その想いも虚しさも悔しさも、頭部の痛みさえも言葉にならない。
「……!?」
いや、呻き声さえも目の前で、いや喉から掻き消されたように音にすらならない。
そこまでのダメージを受けたのか?と、ハルオは一瞬絶望した。いや、これは異常だ。身体がそう言っている。
ハルオの声は地底に住む悪魔にでも奪われたように一音にもならず、口をパクパクと動かしながら息だけが漏れる、不可解な現象を起こしていた。
「ちょっと【黙】ってろよ。そっちのお仲間さんは【眠】ってもらってるだけだ。安心しな」
誰か男の声が聞こえた。ハルオの視界に足が映る。
同じ小人の足が四つ。膝まであるブーツに小さな鉄板を幾つも張り巡らせ、防御を上げている。それは戦士としての装備に違いない。
ハルオは痛む頭で理解した。
同族の小人の戦士、部外者が侵入し、チョウサクはそれを知らせたのだと。
だが気付いた頃には遅い。
指先の感覚が僅かにあるが、今動くのは得策ではないと判断する。
何より、リーダーに知らせなければならない。寝室の赤帽子達にも、緊急事態だ。
だが、肝心の声が出ない。
(そうか、だからチョウサクは笛を……)
チョウサクも同じように声が出なくなったのだ、とハルオは直感した。すぐにこの事態を知らせるならば笛を使うより叫んだ方が早い。だが先に声を奪われてしまった。
(確かに……笛ならば吹く事は出来る)
そして、眠らされた。
ハルオは次第に身体の感覚と頭部の激痛を取り戻しながら、未だに動けないフリを続け、思考する。
おそらくこの侵入者は夢珠を横取りするつもりなのだ、と。
どこの組織なのか、野良チームなのかは不明だが、こういう乱暴な輩は存在する。
それがレアな夢珠を産む人間の家ならば、尚更その危険も増すだろう。
チョウサクを眠らせた後ですぐ近く、ベッドの陰か上に隠れて、呼び寄せた仲間である自分を待ち伏せていたのだ。ハルオは静かに憤怒した。
頭部の痛みが酷く、首の根元まで重く感じる。ベッドの上から飛び降り様に一撃を浴びたのだと判断する。
そこまで逡巡の判断と思考を取り戻し、次の一手を思考するハルオの耳に、聞きなれた仲間の声が届いた。
「誰だお前達は!!二人とも何処のチームか名乗れ!!チョウサク!ハルオ!意識はあるか!?」
子供部屋の入口に立って叫んだのはジュンだ。
その声は冷静に裏打ちされた叫びだ。部屋の状況を寝室まで聞こえるように叫んでいる。
「あらら、もう一人居たよ。もう少し隠れておくべきだったかな」
侵入者の一人が言った。灰色の髪を怒髪天のように逆立たせ、黒い鎧を身に纏う。背は高く筋肉も鍛えられており、その太い腕に似つかわしくない腰の短剣が金色に輝いている。
その隣には同じくらい長身の赤銅色の鎧戦士が無言で立つ。こちらは灰髪の男よりもやや細身だが、顔を全て兜と仮面で覆い、表情は見て取れない。その無言と、持つ剣のやたらとギザギザした刃の凶々しさが不気味なオーラを放っていた。
ハルオは何故ここにジュンが来たのか分からなかったが、自分の意識があって動ける事を伝えるため、寝ながら右手を僅かに上げた。
それを確認してジュンが叫ぶ。
「ちくしょう10日ぶりの仕事だってのに問題起こしやがって!今行くからジッとしていろ!」
それを聞いてハルオが微かに緊張する。
(オーケー、10秒後に反撃する)
ジュンが叫んだのは裏の意味を含めた指示だ。
10日というのは10秒という時間を示し、ジッとしていろとは逆指示で反撃となる。
10秒数えたら同時に二人で動くという意味だった。
長い10秒が始まった。
ジュンは腰の剣に手を掛け、部屋の中へと歩を進ませる。
目標である灰髪の男と赤銅色の鎧戦士に向かって。
……2……3
正面に灰髪、左に鎧戦士。二人の間に出来た隙間からチョウサクとハルオの姿が見える。
数歩前に近付いた後、右に急転進する。
……5……6
駆ける。灰髪と鎧戦士を縦一列に並べるためだ。鎧戦士からは灰髪が邪魔になり攻撃し辛くなる。
ジュンの目標は灰髪の男に絞られ、その間合いを詰める。
灰髪の男が言った。
「ちょっと、仲良くさせてくれませんかねっ……!?」
不敵とも取れる余裕がある笑みを見せながら、腰の短剣に手を掛ける。
その目はギラギラと開かれ、疾駆する白い戦装束を捉えた。
ジュンは大声で応えながら床を蹴って跳躍した。
「ここに入り込んだ事が既に成敗されるに値する!」
抜剣するや両手で握りしめ、灰髪の男の首元を目掛けて振り下ろす。
同時に動くハルオの右腕が、床に閉じていた鉄扇を拾い上げながら灰髪の足をめがけて振り上げられた。
刹那に斬撃が重なり合い、二つの金属音が耳を突く。
その攻撃が描いた理想ならば、ジュンの刃と灰髪の刃が結び合い、鉄扇により灰髪の左足を打ち据えていた筈だった。
だがジュンの剣は首元の寸前で、背後から滑り込むように差し出された赤銅鎧の凶剣に食い止められ、鉄扇の一撃は灰髪の短剣により受け止められていた。
「くぅ!!」
ジュンがバランスを崩しながら床に着地する。思わず口惜しいセリフを吐きそうになりながら。
凶剣は切っ先でありながらも強靱な反発力でジュンの一撃を跳ね返したのだ。その全体重を跳ね返した力も、背後から正確に首の真横を通した技も驚愕の一言だ。
灰髪の男は見開いた眼をジュンから一度もそらさなかった。
斬られるその刃を無視して、ジュンを見つめ、心眼のような神業でハルオの攻撃を防いでいた。しかも左腕一つ、逆手に引き抜いた短剣で。
「!?」
ハルオが驚いて声を出そうとしたが無言に阻まれた。
「そんな馬鹿なってか?随分と舐められたもんだな」
灰髪の男が左腕に力を込める。鉄扇はその重さにより敵を打ち据え、骨をも砕く。だがその重さを物ともせずに弾き飛ばしてみせた。
空中に舞う鉄扇が開き、扇状になりながら床に落ちる頃、灰髪の持つ短剣はその姿を変え、ロングソードと呼ばれるほどに大きく変化した。
体勢を崩したジュンの身体を蹴り飛ばしながら、
「同族を斬るのは心が傷む」
灰髪の男は言った。
その言葉に背中が凍るジュンとハルオ。
ハルオが身体を起こし、振り向きながら手を伸ばした。
「だが先に殺されそうになったのはこちらの方だ。悪く思わんでくれ」
「逃げろ!ハル……!!」
立ち上がりながらのジュンの叫びが予期していた光景を彩る。
振り上げ、振り下ろされる黄金色のロングソード。
抵抗を示すハルオの左腕、
そして眠る仲間を守るために広げられたハルオの右腕。
袈裟掛けに振り下ろされた黄金の剣は、赤く染めた手の平を紅葉のように舞い散らして床に揺れ落とした。
崩れるハルオの身体が光を放つ、儚く散る夢の光は、収束してから空中に弾け飛んだ。
脱力するように両膝を突くジュン。
この瞬間、部屋で最も幸せだったのは、眠りについたままのチョウサクと、ベッドの中の子供だけだったのかもしれない。
床に転がる小さなもみじは、時を置いて光となり、散る運命なのだから。