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第1話〜第22話

 

 それはヒトから生まれる。


 未知なる力を秘め、その姿は異形。個体を成して「命」を得た彼等は、時に本能、時には業を背負い、躍動する。

 そして、それはヒトに還る。



挿絵(By みてみん)



 ☆ プロローグ ☆



 暗闇の中、月は登り輝く。数多の囁きを従えて地上の小さな生命に眠りを誘う。

 ヒトもまた眠りにつく。

 夜は更けていく……


 今、ある一人の青年が眠りに落ちていた。その瞼は閉じられて長い。

 その姿を遠くから眺める瞳がある。

 一つ、二つ……四つ。

 青い帽子と赤い帽子の少年、いや、掌にすっぽりと収まるその小さな体格からはまさにコビトと呼ばれる類の者達だろう。

 眠っている青年のすぐ傍の本棚、乱雑に並んだ本達の隙間から顔を覗かせている。

 じっと息を潜め、何かを待っている。

「まだかよ、ったく……」

 赤い帽子の小人がうんざりとした声を上げる。

「仕方ないよ、こればかりは僕たちがどうこう出来ないんだから」

 青い帽子の小人がクスリと笑った。

「わかってるよ、良い夢見ろよな~!」

 赤い帽子の小人は溜息を混ぜながら、人間に向かって言葉を吐き捨てる。彼の背中には自分の背丈とさほど変わらない大きな剣が背負われていた。

 対して隣の青い帽子の方には、これまた大きな弓が背負われている。まるでこれから狩りでも行われるかのようだ。


 二人は再度、息を潜める。


 ……

 しばし。

 ……


 不意に、


 キィィン


 剣と弓が光る。

 何かに反応し、輝きと声が重なる。

「来た!」

 赤コビトが叫んだ。

 その目線の先に在る人間は微笑をたたえ今まさに夢の中へと落ちている。

 その頭上、何もない空間に、音もなく、ひっそりと光が集まり始める。

 微かな光、戯れに流れる風にでさえ、掻き消されそうにか細い光。

 それは空間で集束し、形を成す。

 丸く、純白に輝くそれはまるで、

「……タマゴだ」

 思わず呟く程に。

「見惚れてる場合かよ!行くぞっ」

 赤帽子が身軽に本棚からジャンプする。空中でヒラリと一回転を見せて、下にあるしましまクッションに着地した。

「ちょっと待ってよぅ!」

 青帽子も続いてジャンプする。おしりから真っ直ぐ落下し、クッションで弾み、転げ落ちて床でしたたかに頭を打ち付ける様は思わず吹き出してしまう愛らしさかな。

「何やってんだよ」

 赤帽子が叱咤する。後頭部をさすりながら立ち上がり、

「うぅ、ごめん」

 謝る青帽子。


 小さな影が二つ。窓から差し込む月明かりに少し、背伸びした。



 ☆ 夢珠(ユメダマ)夢防人(ユメサキモリ)



 ヒトは一夜にして数多の夢を見る。

 それこそ全てのヒトの夢を数えるならば、星の数に比類なく、また様々に異なる姿で現れては……はかなく消える。見知らぬ星の生涯にも似た輝き。

 純粋な夢達は光を伴い、愛に満ちた姿はより輝く。逆に悪夢やヨコシマな夢は暗く、ドロのように黒い闇を放つ。

 ヒトの……『想いの力』とも言える、夢に対する想い。その強さは稀に、夢の光を結晶化させる。

 光が集まり、凝縮した塊を彼らは『夢珠』~ ユメダマ~と呼んだ。


 赤い帽子の小人は、頭上に輝く夢珠を見上げながら声を上げる。

「そこそこの大きさあるぜ!回収するか?」

 青い帽子の小人もそれを見ながら、

「一個目から回収するのも可哀相だけど……」

 申し訳なさそうな顔をする。寝ているヒト……それは満面の笑顔の青年に向けられた。


 夢珠は形成されると浮力を失い落下する。

 それはヒトの肉体に触れると溶け込むように再びヒトの肉体へと還る。

 だが途中で回収、落ちて来るのを受け止めたり……奪われたり、破壊されたりした場合、今まさに見ていた夢は還る事なく失われてしまう。

 そして失われたヒトは、


『良い夢を見ていたはずなのに内容を覚えていない』


 という経験をする事になる。


「大丈夫だよ、夜はまだ始まったばかりだ、またすぐに次を見るさ」

 赤帽子が言った。

 力を持った夢珠は、彼ら小人達にとって、生活の一部を担う大切な糧だ。彼ら小人は夢珠を吸収して力を得たり、形を変えて武器や便利な道具を生み出す事が出来た。だが乱雑に回収するわけにはいかない。それはやはりヒトの夢を奪うのだから。

 だから夢珠の小さい物は回収してはならない掟があった。逆に大きな夢珠はある危険も含むために、回収、時にはその場で破壊する場合もある。それは悪夢と言ったようなヒトに悪影響を及ぼすモノが主な対象だ。

 あなたも……


『悪い夢を見ていたはずなのに……』


 ……という経験があると思う。

 まさに彼らは悪い夢から生まれる・悪い夢珠をも回収・破壊する役割を担っている。

 彼らのような夢珠の管理人を、『夢防人』~ユメサキモリ~と呼んだ。



 眠りに落ちるヒト。

 青年は自らが護られている事も知らずに今宵も睡眠を貪る。その頭上に輝く光は珠の形状を成して、(なお)も肥大する。その大きさは豆粒のようであり、ヒトからすればさほどの重さすら感じないであろうし、何かの拍子に物陰に転がって紛失するやもしれない。

 コビト達にとっては片手でもやっと持てるかどうか、野球、いやソフトボールで使う球のサイズに同等するといったところか。

 柔らかく、(はかな)く、幾多ものホタルの輝きを集めるように、光は線から粒になって収束していく。

「まだ完成まで時間かかるか……もな」


 ゴトトッ


 微かな気配に赤帽子の小人が語尾を(にぶ)らせる。

 彼は経験から次に起こりうる現象を察知していた。

「ジン、来るぞ」

 赤小人が青小人に警告した。

 ジンと呼ばれた青帽子は大きな弓をベッドの下に(うごめ)く闇に向かって差し構える。

 その方向は赤小人の背後を護り、眠るヒトの足側を護るに値する。

「レン、そっちは任せたよ」

 青帽子の小人が言った。

 赤小人のレンは呼ばれ慣れた名前とセリフに返答なく、青小人にその背中を預けた。

 ヒトの頭側に向かって立つ。自分の身の丈ほどもある大剣を両手で構え、闇に向かって気勢を吐く。

 夜闇の奥に潜む、夢珠を狙う【ヤツら】を彼はよく知っている。


「そんなに夢珠が食いたいんなら来いよ【邪夢(ジャム】ども!叩っ斬ってやるぜ!」


 ーーそれはヒトから産まれる。


 悪意に満ちた夢、ヨコシマな夢の力は収束し、結晶となり、卵から(かえ)った闇が産み出した異形の存在。


『クわセロ……食ワセロ、


 ……ハハラヘッタ……クわセロ』


 闇色の体躯はやや丸く、濡れた毛糸玉を思わせるシルエットが部屋のベッドの下、そしてゴミ箱の影からノソリと現れた。

 体表を覆う長い糸のような触手が何本か突き出し、手足となって移動する。

 毛糸玉の中央に黒く渦巻く(かたまり)が闇を結晶化させた宝石のように唯一、月の明りを反射させていた。それは眼であり、【ヤツら】=【邪夢(ジャム)】の口でもある。

 そこから聞こえる不協和音の声が、命を感じさせる唯一の輝きだった。


 ヒトは何故にこんなモノを飼うのか。青小人のジンは弓を向けながら未だに解けない疑問を頭に走らせる。

 その手に持つ大弓に力を込めて弦を引くと、左手から右手にかけて一筋の青白い光が走り【光の矢】となってつがえられた。


 赤小人のレンも、油断なく構える大剣に力を込める。両刃の剣から放たれた赤い光を、揺らめく炎のように刀身に帯びて(まと)わせる。


 彼らはこのような夜を何度も過ごして来た。

 今宵もまた……


「行くよ、レン」

「油断すんなよ、ジン」


 ……長い夜になりそうだ。



 疾駆する二つの影。

 赤と青の戦士は異形の動きを待たない。

 今、次の瞬間にも、また一つの異形が現れるかもしれないからだ。

 常に先行して動く。

 即、排除は夢防人(ゆめさきもり)の第一原則だ。

 レンは大剣を両手に、駆ける。

「おおぅりゃあぁああ!」

 咆哮と共に下段から切り上げるように振り抜く。

 邪夢(ジャム)は虚を付かれ、胴体を下から打ち上げられる。(わず)かに刃が食い込み、触手を巻いた胴体から紫色の体液を吹き出しながら、床から引き剥がされる。

 体液は床に落ちる事なく蒸発し、空中に浮かされた胴体は風船が大気に泳ぐように滞空する。

 レンが大剣を振り上げた反動と共に飛翔する。

 空中で邪夢の胴体を三度蹴り付け、自らの身体を上へ、上へと持ち上げる。異形を踏み台にして空高く舞い上がり、今度は振り上げたままの大剣を全身の力を込めて振り下ろす。

 砕けよと言わんばかりに。

 金属と硬い何かがぶつかり合う音が弾けて、邪夢の【眼】がひび割れる。

 異形の体躯は床に(したた)かに打ち付けられ、さらにゴム(まり)のように弾んだ。

 後を追うように床に着地するレン。赤帽子は軽やかに弾み、左回転する体は大剣をさらに加速させた。二回ほど空回りするも、未だに異形は空中にあり、加速するレンと大剣は大きな風車となって床を滑空した。

 異形の体躯は再び床を踏みしめる事なく、三枚におろされ、体液を撒き散らしながら一瞬の闇色閃光を放ち、霧散した。


 レンは回転を止め、大剣を肩に担ぐ。


 まだ、終わっていない。


 後ろを振り向く。


 青い帽子の弓矢が、空中に浮かんだ邪夢をウニのように針だらけにしながら、奇声を上げさせている。

 矢継ぎ早に繰り出される光の矢は、異形の体躯の下部分を高速で撃ち続ける。

 弓矢の力を下腹に受け、空中で縦回転を続けながら針の山と化していく邪夢。

 苦しみを訴えながら黒く光る【眼】を高速の矢が撃ち抜いた時、その体躯は闇色に光って消えた。


 レンは大剣を肩に担いだまま、青帽子に近づく。

「結構ヒドイよな、その技」

「レンみたいに8(レン)コンボ出来ないもん」

「コンボ数なら30以上はイってるだろうが」

「非力な僕は工夫するしかないのです」

 笑顔を見せる二人の小人の背後で夢珠(ゆめだま)の輝きが薄れつつあった。

 それは完成を意味する。

「あ、落ちて来るぞ」

 レンは夢珠に向かって駆けた。

 軽い身のこなしでベッドからはみ出したシーツの端を掴み、ヒトの眠る高さまで飛び上がる。

 毛布の起伏を山から山へと飛び移り、ヒトの肩に飛び乗る。丁度、夢珠の真下へ。

「待ってよー、もぉ、いっつも先に行っちゃうんだから」

 小さく愚痴をこぼしながらジンが毛布の上を駆けて来る。

 浮力を失い、落下する夢珠。

 このまま、もしもヒトの身体に触れたならば、夢珠はそのままヒトの身体に溶け込み、吸い込まれるように還る。だが、今回は赤い帽子の小人の両手の中に抱きしめられた。

 大きなスイカを抱えるように、レンが夢珠をしっかりと掴む。

 それは表面が虹色に光る、いつになく上質な夢の塊だった。



 ☆ 戦士とチカラ ☆



 淀んだ空気が澄んでいく。

 堆積(たいせき)した埃塵が経過した時間の中で月明かりを忘れる。入れ代わりに思い出すのは青白い大気に溶けた朝露(あさつゆ)の囁き。

 幾重(いくえ)にも折り重なる湿り気を帯びた緑葉が呼吸し、呼応する小鳥たちの(さえず)りが重なり合っては羽音を残す。

 (かす)かに。

 遠く。


 二つの小さな影が朝靄(あさもや)に紛れながら昇り始めた陽光から逃げるように家路を急いでいた。

 背中に担いだ荷袋を大きく膨らませ、軽快に屋根瓦を駆け、飛び移った(へい)の上を伝い走る。

 その俊敏さにネズミの姿を重ね見るが、赤と青のカラフルな帽子と服装は狩りを終えた二人の小人が帰る姿なのだと朝焼けに告げていた。


 二軒分の塀の上を走り抜け、次の家のガレージに飛び込む。そこに駐車されている白い自家用車に用事はなく、その車の下に眠る白い猫に駆け寄った。


「おはよう。今日もよろしくたのむよ」


 青帽子のジンが猫の背中に登りながら声をかける。

 猫の毛足が長く深い。掴んでよじのぼるのに容易く、また隠れる時にも都合が良い。足音は小さく、スピードも中々のモノだ。

 そしてなんと、首輪という『掴む所』がある。

 赤帽子のレンも背中に登り、首輪を掴んで身体を支えると、白い(ラグドール)は車の下から抜け出し、朝の公道を足音もなく走り始めた。


 白猫(ラグドール)は塀の上から屋根を伝い、時には柵をくぐり抜けて独自のルートで住宅街をすり抜けて行く。弾むネズミは姿を変え、それはしなやかな猫の身体に赤と青のリボンが揺れているだけのように、朝の町に風景として溶け込んでいった。


 町の中央に通る二本の道路は交差して方面を分ける。それは人間達の動脈として重用されると同時に、小人達の『領地(エリア)』を区分していた。町の北東部に位置する中で、大きく古めかしい日本家屋に白猫(ラグドール)は肉球を忍ばせた。


 農家を生業としているその家は、母屋とは別に大きな倉庫を所有している。農具は勿論だが、農耕機械や木材、ハシゴ、錆び付いた自転車まで半ば乱雑に収納されている。早朝という事もあり、まだ人気は無い。

 白猫は開け放したままの倉庫の入口から苦もなく侵入すると、片隅に置かれた四つ脚のソファーに居座る。かなりの月日をそのソファーは倉庫の中で過ごしたらしく、あちこち擦り切れ、開いた穴から茶化たスポンジが覗いていた。


 白猫の背中から飛び降りる小人達。

「ありがとう。助かったよ」

 と、ジン。


「またな」

 と、レン。


「にゃー」

 と白猫(ラグドール)


 朝露に揺れる雑草の青い花が、雫を土くれに与えながらそれを見守る。

 古倉庫(そこ)が小人達のアジトであり、北東部の中心だ。

 ホコリの舞う納屋の奥で、何十人もの小人達が集まり始めて居た。

 倉庫の奥に荒く傷んだ畳が二枚敷かれていた。その上には、昭和初期を匂わせる整理(せいり)箪笥(たんす)が置かれている。直接倉庫の床に置くのを嫌ったのだろう。まだその役割と機能を活かすべく、損傷の少ない木肌を晒して働いている。それを背にして畳の中央付近にまばらに集合した小人達。若者や中年層が多く、老人が数名、女性が二割程混じってはいるが、子供の姿はない。皆、狩りを終えて来たばかりのようで、手には武器と荷袋を携えていた。

 お互いに挨拶を交わし、今日の成果を見せ合う。

 レンとジンも畳の場所にたどり着くと、その和の中に加わる。

 二人の人気は小人の中でも高く、姿を確認した他の者達があちこちから声を投げかける。


「よう!二人とも調子どうだいっ」

「おかえり、未来のエースたち!」

「今日は何体仕留めたんだ」


 様々な言葉。活気に溢れる風景だ。それに律儀に応えていくジンは早々に取り巻きに捕まり、足を止める。

 レンはいつもの事なので余り相手をせずに先を歩く。必然と二人の距離は開いた。が、その内また追いつく事を、赤い帽子は知っている。


 レンが小人達の集会の中に、笑顔が見えない、少し空気が違う一団を見付けた。

 すぐ側に居た、年配の小人を捕まえて尋ねる。

「アレ、何かあったの?」

 呼び止められた小人の戦士は、持っていた手斧を肩に上げて、深妙な顔を向けた。

「誰かやられたらしい。今日は三人だ」

邪夢(ジャム)に?またかよ」

「【中島家】に行った三人だ。食われてはいないが、かなり重症らしい」

「ふーん、あんなトロい団子にねぇ」

「レン君は強いからな、ピンと来ないかもしれないが、都会に行くとかなり大きくて素早い邪夢も居るらしいからな。運が悪かったんだよ」

 赤い帽子を脱いで黒い髪をかき上げながら、レンは不服そうに口を尖らせた。まるで自分が倒してきた何体もの邪夢が小物ばかりに思えたからだ。

「レン君、今日の収穫終わったなら、あっちでマリベルとサムが受付してるから、タマゴを預けて邪夢の報告をしておいで」

「ああ、わかってる」

「タマゴはちゃんと預けろよ、最近ゴマかす奴が居るからな」

「わーってるよ、んじゃ、ありがと」

 レンは手斧の戦士と別れた。

 その内に青い帽子を揺らしてジンが追いつく。

「何話してたの?」

「お前こそだろ、いちいち付き合ってんじゃねーよ」

 二人は並んで歩きながら、受付に向かう。

 深刻な顔で何やら話し合う一団を横目に通り過ぎながらジンが口を開く。

「邪夢にやられちゃったんだって」

「知ってる」

「中島さんの家で三人だって」

「知ってる」

「すっごいデカいヤツらしいよ」

「あっそ」

「明日は南西部に応援頼んで来てもらうんだって」

「なにぃ?北東部(ウチ)で処理しないのかよ」

「あ、コレは知らなかった?」

「うるせ~よ、さっさと喋れよ」

「レンはあんまり他の人とお喋りしないから、こういう情報に(うと)いんだよ」

「……」

「中島さん家の噂だって結構前からチラホラ出てたのに」

「……もういい」

「あ、すぐスネる。もう教えてやんないからねー」

「うるせ~」

 受付に着いた赤帽子は、彼が聞かなくても勝手に喋り出す事をよく知っている。


 人間が使っていたリンゴ木箱の一部を拝借して改良した受付台にその日の成果を並べる。大きさを大・中・小の三段階に分け数量を記録して、倒した邪夢の数や様子を報告する。毎朝行なわれる【夜の部】の日課だ。

 また、人間の生活に合わせた【昼の部】も存在する。だが諸条件が悪く、回収率は夜の部より低い。


 栗色の長い髪、大きな藍色の瞳をした肉付きのよい女性、マリベルは二人が提出した夢珠を見て感嘆する。


「小玉が四つに中玉がニつ、それに上等な特大サイズが一つね。さすがはレン君とジン君のコンビね、今日で一番の成果だわ。ご苦労様」


 横で見ていたサムがジンの頭をわしわしと撫で回しながら言う。


「北東部の若きエースだからな!この調子で頑張ってくれよ!」


 サムの男くさい、体躯の良い太い腕がレンの頭にも伸びたが、レンは両手でガードした。

 レンとサムが小競り合いをする横で、ジンとマリベルがささやかな交渉をする。


「小玉もらっていい?」

「いいよ、四つとも持ってきな」

「やった!」


 ジンは持って来た時と同じように、小さな夢珠を手早く荷袋に入れて背負う。

 夢珠を食べると力が湧き、満腹感も得られる。また小さなケガならたちどころに治ってしまう。小さな夢珠は食料であり、万能薬でもある。

 狩りの前に必要ならば配給されるのだが、時にはこうしてご褒美にもなっていた。

 中玉から大きなサイズの物は、そこに秘められた力が大きく、特殊な効果が表れるので不用意に口にする事は出来ない。一度集められ、鑑定士によって力を鑑定された後、必要な部署にて使用されるか保管される。

 特大サイズに至っては保管場所も秘密にされ、厳重に管理される事になる。

 また、小さ過ぎる物は回収してはならず、乱獲も厳禁とされている。

 邪夢たちは形成される直前の光に寄っては来るが、形成されて光らなくなったタマゴ状態の夢珠にはあまり興味を示さない。

 部屋のどこかに隠れている邪夢を全て倒せば、別の部屋で新たに産まれでもしない限り安全が確保される。

 ジンとレンはその家で先に眠った方、主に子供部屋の邪夢を先に処理した後、別の部屋で眠る両親を警護する事で成果を上げている。

 邪夢に対する攻撃力、処理能力の高さが可能にしており、通常三人~四人で行う作業を二人でこなしているのはジンとレンだけであった。


 しばらくして集められた夢珠が、人間仕様の『積み木を入れていた木の車』に積み込まれると、【夜の部】の集会は解散となった。

 皆、自分の寝ぐらに戻るべく、バラバラと歩き始める。


「中島さんの家の近くに学校があるでしょ?……もぐもぐ、ヤツはそこで産まれたんだよ、もぐもぐ」


 小玉をパクつきながら歩き始めたジンは、口を開いたついでなのか、当然のように話し始める。


「学校で寝泊まりするなんて珍しいって思うでしょ?」


 レンは舌の根というものがあるなら見てみたいと思っている。


「なんとサッカー部が合宿をしてたんだなー、高校生だけど他校からも参加してて全部で50人余りさ。想像つく?体育館に布団を敷いて、凄い状況だったみたい」


 レンは舌の根というのは常に川に浸かってびしょびしょで乾く事などないのだろうと想像していた。


「そんな大人数だと眠り魔法かけても全員がちゃんと寝るわけないし、回収や討伐なんて完全に出来るわけないから、もう殆ど様子を見守るしか出来なかったみたい。体育館の外に出てくる邪夢や、外から寄って来たのを狩るのが唯一の仕事さ」


「でも【サッカー部】の人間が本体だったから……」


「そう、中で産まれた邪夢が凄く足の速いヤツだったんだ。逃げたそいつは他の邪夢や夢珠を食いまくって大きくなった」


「それが今、中島家に住み着いたんだろうって事か」


「そゆこと」


 ソファーに寝ている白猫の前まで来て、立ち止まる二人。

 考え込むようにレンは体の前で腕組みをし、しきりに足を動かしている。


「レン、行ってみたいんでしょ」

「うん。ぶった斬りてぇ」

「でも既に応援頼んでるし、明日も自分達の持ち場があるんだよ」


 そう言うジンに向かって苛ついた声でレンが返す。


「最悪、戦わなくてもいいからさ、そんな邪夢(ヤツ)が居るなら見てみたいし、西南部の夢防人(やつら)がどうやって倒すのか知りたいじゃねーか」


 レンの眼と言葉に熱いものを感じて、ジンは少し言葉を失う。

 すぐに(うなず)く。


「……うん、そう……そうだね。見てみたい。僕も知りたいよ」


 二人は見つめ合い、同時に頷くと、

 レンの突き出した(こぶし)に、ジンの拳をガツンと合わせ鳴らした。


 ☆


 今夜のレンは燃えていた。

 いつにも増して好戦的に邪夢を見付け、暗がりの中で容赦なくトロいゴム(まり)を斬り伏せて行く。

「うぉおおおぉりゃああ!!」

 疾駆する。

 先ずは大剣の大振りで邪夢の丸い巨体を吹っ飛ばし、壁際に運ぶ。

 スライディングで足払い。

 ダウンした所を下段連続斬りで徐々に斬り上げて壁に押し付けながら浮かせる。

「オラオラオラオラぁああ」

 完全に浮いたら部屋の壁に押し当てたまま、ジャンプ一番で(コノヤロ)り、(コノヤロ)り、(コノ)り、(コノ)り、横速斬(まだまだぁ)、タメて脳天振下(もういっちょ)ろし、着地からバウンド拾って、

風車(かざぐるま)ぁ!!」

 大剣を振り上げた勢いを殺さずに下から巻き上げるように縦回転して三度斬り上げる。

 会心の当たりを魅せると邪夢はタテ四枚に空中分断されて果てた。

「ノッテるぅ~♪」

 ジンが闇色の残光を眺めながら口笛を吹いた。

 援護を頼まれたのだが、羨望の眼差しと賛辞の言葉を送るのみで、実はすでにやることがない。



 数時間前、

 小人達の集会で今夜の割り振りが決定され、各自に言い渡された。

 確認のために配られた紙に記された配置図を見て、レンとジンはニヤリと笑う。


 当初の目的通り、北東部の【夜の部】の中で自分達の上官に当たる、配置権限の持ち主、一番隊リーダー・シュワルツに先ずは直接願い出た。

「頼むよ!俺たちを中島家に行かせてくれ!」

 レンの直球過ぎる願いは軽くあしらわれた。

「ダメに決まってるだろ。もう応援が呼んであるのはお前達も知っているだろう?あそこは任せておけ。だいたい自分達の持ち場があるだろう」

 歴戦の勇士であり、かつてエースと呼ばれたシュワルツは皆から今も慕われる往年の老兵だ。

 老兵と言っても鍛えられた肉体は強靭でまだまだ現役を保っている。

「見学だけでもいいから!邪魔なんかしないからさ!」

 レンは尚も食い下がる。

 その隣でジンが瞳をウルウルさせて泣き落とし作戦を密かに展開している。

「見学?何をそんなに見たいんだ?」

「俺たちまだ、そんなに強い邪夢を見たこと無いんだ!他の部から来る人達は強いんだろ?倒されちまったら次はいつ見るチャンスがあるんだよ!」

「うむぅ……」

 シュワルツの眉根が寄る。

「お前達の強さは確かに並外れてはいるが……まだ若いからなぁ。まぁ、気持ちがわからんわけではない。私もそうだったからな。見るだけならいいか」

「やった!」

「やったねレン!さすがシュワルツ話がわかる!」

 歓喜する二人。

 シュワルツは二人に向かって釘を刺す。

「ただし、見るだけだ。戦闘は許可しないからな。もし危ない様子なら戦わずに逃げろよ」

『わかった』

 ハモる二人。

「それから自分の持ち場もちゃんとやってもらう。特別に中島家のすぐ近くの家に配置を変えてやるから、そこをちゃんとカタ付けてから見に行くこと」

「うわ、早くやっつけないと、行った時には既に終わってるかもしれないじゃん」

 ジンが目を丸くしたが、レンはさほど気にしていないようで、

「オッケー、オッケー。上等だよ」

 ニヤリと笑って言った。


 そして集会で配られた配置図の紙には、中島家の二軒離れた場所にジンとレンの名前があった。

 顔を見合う二人が笑顔を確認する。

 これならば猫を使わなくても数分で行ける距離だ。

 何よりも、レンが目を付けたのは、中島家と自分達の現場の家に挟まれた、もう一つの家によく知る仲間の名前があった事だ。しかも少し大きな家だからなのか、六人体制である。人数も多い。

「俺に考えがある」

 そう言ったレンの提案は決して約束を反故にする物ではなかった。

 最初に自分達の担当の邪夢を片付ける。

 安全を確認した後、隣に行って六人と合流。その家に居る邪夢を排除。

 そこから人数を分けて二人か三人を自分達の方の家に向かわせて夢珠の回収と管理を頼む。

 邪夢を排除した後の家は安全で、新たに悪夢から産まれない限りは邪夢は来ない。

 人間が悪夢を見るようであれば、形を成す前、産まれる前のタマゴ状態で破壊すればいいので、見張りを怠らなければ、安全に成果だけを得られる。という算段だ。

 自分達の現場の成果を無しにするのはもったいないし、仲間も手伝うのだから、余計な事だと怒られる事も無いだろう。

 必然的に、二軒分の邪夢討伐をする事になるのだが、夢珠の回収を考え無くていいからその方が楽だとレンは言い切った。


「よっしゃ、隣の家に行こうぜ」

 大剣を肩に担いでレンが振り向く。

「1匹だけだとやること無くて困るよ」

 ジンはあくびしながら本棚を降り始めた。引き出しの取っ手に足が届かずに結局ジャンプしてみたり。これから長い夜を過ごす羽目になるなど思いもしなかった青帽子。



 邪夢の掃討を終えた二人は家の二階の押し入れに侵入。壁にあいた穴からネズミのようにスキマを走り、壁の空間や屋根裏を抜けて瓦の屋根から顔を出す。塀を伝い、隣家に向かう。

 煌々と光る月夜に照らされて、跳ねる姿はウサギにも負けぬ跳躍をもってまた屋根に登り、二階の部屋の窓へ近付く。……と、ヒトの声がガラス越しに聞こえて来る。

 やたらと明るい女性の声だが、部屋の電気は消えているようだ。窓から中の様子を伺う。

 薄明かりの照明、乱雑に積まれたマンガと書籍。家庭用ゲーム機の操作する機械やソフトの山。

 ベッドには膨らみが有り、ヒトが眠っている頭が見える。

 その中で、軽快な音楽と共に先程の女性の声が響く。


漆原(うるしはら)めぐみの東京ドゥギーナイト! この番組は星わっぱレーベルでお馴染みのおやびんレコードがお送り致します』


 どうやら声の主はラジオから流れるDJのようだ。


『皆さん今晩わ漆原めぐみです一週間のご無沙汰いかがお過ごしだったでしょうか~?』


 やたらと元気のいい声が、毎週言っているのであろう馴染んだセリフを転がしている。

 レンが窓から一番近い位置にある本棚に向かって手を振ると、中からムラサキ色をしたトンガリ帽子を被った小人が顔を出す。

 レンに向かって手振りと指差しで合図を送る、部屋の西側に来るように言っているようだ。

 屋根を走ってそちらに行くと、屋根と外壁の隙間から先程のムラサキ小人が現れた。

「レン!それにジンも居るじゃないか!」

 細面で勉強がよく出来そうな顔立ちをしている。メガネを掛けたらよく似合いそうだ。

「マサル、ちょっと話がある。この班のリーダー誰だ?」

 レンが言うと、マサルと呼ばれたムラサキ帽子はバツが悪そうに言った。

「以前は僕だったんだけど、今はオードリーだ」


「はぁ?オードリー?あのピンクバカか。女の尻に敷かれてんじゃねーよ、お前なら話が早かったのに」


「面目ない。この家に来てからやたらと仕切り出してさ、一緒の班の奴も手なずけて言うこと聞かないんだ」


「大体は想像つくよ。理由もな。ちょっと上がらせてもらうぜ」


 言うとレンは隙間から家の中に侵入した。後にジンとマサルが続く。

 壁の内側にある空洞から屋根裏を通り、部屋に近付く。徐々に聞こえて来るラジオDJの声が大きくなり、鮮明に響く。押入れの隙間から内部に侵入すると、ラジオからはポップな曲が響き始めていた。


 部屋の隅にあるテレビとその台の上で、三人の小人の姿があった。

 ヒトから見えないように、テレビのモニターを隠れ蓑にして並んで座っている。足を投げ出して幾分リラックスしている雰囲気だ。

 ピンク、黄色、オレンジ。三つの帽子と衣装が揺れて……音楽に聞きいって居る。

 ピンクの小人は髪の長い女の子で、黄色は少し小太りな体格の男の子。オレンジはツンツンした短髪で背が低い、こちらも男の子だ。


 レンは三人の背後に回り込み、脅かすように声を掛ける。

「おい、ご機嫌じゃないか。楽しいか?ニンゲンのラジオは」

 わっと声を上げて振り向く三人。

 黄色とオレンジが這々の体で逃げ出してテレビの陰に無理やり隠れようとする中、ピンクの帽子はいち早く立ち上がり、レンに詰め寄る。


「アンタが何でこんなトコに居るのよ!担当は隣りでしょ!」


 ピンク帽子のオードリーは女の子の割りに強気で迫って来る。

 レンはそれをさらに強気で返す。


「質問してんのはコッチなんだよ。大方(おおかた)夢珠(ゆめだま)の管理サボって深夜ラジオやテレビでも見て楽しんでるんだろうが!」


「サボってなんかないわよ!ニンゲンが眠るまで監視するのも仕事の内だし、ラジオは私達が勝手に消せないのはキマリなんだから仕方ないでしょう!」


「おお、都合のいいキマリで良かったな。じゃあこの部屋のスペースで四人も待機してる理由はなんだよ、どー見ても二人で充分だろうが!」


「そ、それは……」


 オードリーの視線が泳ぐ。図星だった。

 言い訳する材料を探して辺りを見たが、該当する物はなく、代わりに目に入って来たのはレンの後ろに立つ青い帽子の小人だった。

「ジン様!!」

 名前を叫ぶと目の前の赤い帽子を突き飛ばして青帽子のジンに飛びつく。


「どうしてこんな所へ?ジン様もしかして私に会いに来てくれたのですか!?オードリーは嬉しいですわ!嬉しいですわ!」


 突き飛ばされて危うく落ちそうになったレンが叫ぶ。


「おい!ゴマかすんじゃねぇ!」


 抱きしめられて動けないジンが片手を上げてレンを止める。ちょっと待てと。

 ジンは至近距離からオードリーを見つめながら言った。


漆原(うるしはら)さんのラジオ面白いよね。僕も大好きさ」


 それに弾かれるようにオードリー。


「本当ですかジン様!私はもう1年も前から欠かさずに聞いてますのよ!毎週ちゃんと聞いているニンゲンを見つけては特等席を確保して、時間帯によってはその前の【内田ユウキの夜空に you Kiss】から聞いていますわ!今では仲間も増えましてよ!ジン様も今日から仲間入りですのね!」




 ……

 ……

 ……あれ?




「うん、よくわかったから、オマエラチョット協力シロ」

「ジン様、レン君がこわい」


 オードリーの肩を掴むレンの手が震えるのは怒りなのかオードリー自身の恐怖からなのか。



 ☆



「最初、歌をラジオで聞いたの。ああ、なんて素直な歌い方をするヒトなんだろう、って思ったわ。特に上手いとか、かっこいいとかよく居る歌手じゃなくて、歌の歌詞に対して思いを乗せてるのが伝わって来るの」


 六人と合流したレンとジンは、隊を分けて邪夢の討伐を開始した。


「その時のラジオで名前だけは覚えてたんだけど、そんなにメディアに出てなくてテレビの歌番組でもFMラジオチャートでも見かけなかったわ」


 他の部屋に真面目に討伐に行っていた二人を、隣の家に向かわせ、事後処理と夢珠の回収を頼む。


「で、ある日ラジオで【内田ユウキの夜空に you Kiss】を聞いたの。その時は内田ユウキが目当てでラジオ聞いてたんだけど、その番組が終わって、しばらくして次の番組が始まるじゃない?ラジオ付けっ放しだから当然なんだけど。そしたら、なんか聞いた事ある声だなーって、よくよく聞いてみたらそれが漆原めぐみだったわけよ!」


 その二人が居た部屋を入れ替わりに黄色帽子とオレンジ帽子、ムラサキ帽子のマサルを三人で向かわせる。


「それから【漆原めぐみの東京ドゥギーナイト】を聞くようになって、ラジオの話からめぐさん、あ、漆原さんの事ね。めぐさんが声優だって事を知ったわけよ~」


 今、子供部屋に居るのはレン、ジン、オードリーだ。子供部屋とはいえ、部屋の主はもう高校生で身体も大きい。壁にかかったサッカーのユニフォームや無造作に置かれたスパイク。大きく成長したニンゲンである程、悪夢を見る回数も、夢珠を発生する機会も同時に多いため、気は抜けない。


「そりゃあテレビで探しても見かけないわけよね、声優なんて職業、基本的に裏方だもの。でも、声や歌にチカラって言うか、魂を込める事が出来るワケを知ったわ。言霊ことだまってやつよ。やっぱり声優だからこそ、あの歌がうたえるのよ」


 気は抜けない。

 のだが、オードリーの漆原めぐみ談議も止まる事を知らない。

 いい加減飽きてきたレンが口を開く。


「俺たち次の部屋に行っていいか。マサルをこっちに寄こすから、あとは二人で監視してくれ」

 オードリーが漆原談議を中断する。

「あら、邪夢はどーしたのよ」

 部屋のドアの隙間から出ながらレンが返す。

「どーゆーワケかこの部屋は邪夢の姿がない。ラジオの影響かもしれないけど、ニンゲンも夢珠作る気配ないし、次行くわ。うるさくてかなわん」

「ラジオの音量少し下げるくらいなら構わないんじゃない?」

「もう一個のラジオがボリュームとスイッチ壊れてるんだから意味ねーよ」

「もう一個?」

 ジンがクスリと笑ってレンと共に部屋を後にする。

 オードリーは部屋にもう一つあるとは気付かなかったと辺りを見回すのであった。


 そして程なく、他の部屋の邪夢討伐を終えたレンとジンは、四人の小人達にあとを任せて【中島家】に向かった。


 ☆


 ジンの後に付いて来ようとするオードリーを、

「お前は見学を許可されてない」

 と一蹴して追い返し、レンは【中島家】の屋根へと飛び移る。

 庭に生えた樹木が枝葉を伸ばし、屋根までの道のりを幾分楽にしてくれていた。身軽な小人達は風に乗って高くジャンプする事も出来るし、高い場所からの落下でも着地体制をとれていればダメージはほとんど無い。

 ジンは風に揺れる木の枝に狙いを付けてジャンプする。

 月明かりに照らされながら空中で枝葉の先を掴み、しなる反動を利用してさらに高く飛び上がる。屋根の上に着地しながら、素早くレンの後を追う。

 相棒を待つ背中でレンが愚痴をこぼすように言った。

「オードリーの奴、アレは油断してたら絶対について来ると思ったけどやっぱりだ。ボーリング部かなんか知らねーけど、自分の担当するニンゲンの管理くらいしろっての」

 ジンがそれを聞いて、先程のオードリーの残念そうな顔を思い出して小さく笑う。

「いやいや、あのヒトはサッカー部でしょ。まぁ、オードリーはあれで悪い子じゃないから。自分に素直なだけで」


「え、あれサッカー部?へー、そうだったのか」


「レンはもうちょっとニンゲンに興味持った方がいいと思うよ」


「部屋にボーリングの玉が見えたから趣味か部活かとは思った」


「あ、そうなんだ。僕見てない」


「おい、到着だ。じっくり見学させてもらおーぜ」


 二階の部屋の窓辺に辿り着いたレンとジンはガラスごしに中を覗く。

 田舎と都会では出現する邪夢の規模が違う。サイズも量も都会の方がはるかに大きく、大量だ。

 それに対応する夢防人(ゆめさきもり)の技術、装備の発達も格段の差が有り、今夜のレンとジンの目的はそれを見る事。装備の発達には時間はかかるだろうが都会から学んでいるので発展途上とも言える。だが、技術だけは直接教わる事でもしない限り、自らの工夫と発想が頼りですぐに頭打ちだった。

 狩りの途中で偶然に見るニンゲンのテレビや家庭用ゲームなども、情報の一つとして戦闘に昇華させれば、レンやジンのような戦い方も編み出せる。二人は実際にこの田舎と呼ばれる北東部では上位にあたる戦闘技術の持ち主だ。だがそれ故に、より高い技術を欲してもそれを学べる相手が居なかったのである。

 そこへ来て今回の都会からの遠征部隊は格好の学習チャンスだった。


 乱雑に脱ぎ捨てられたニンゲンの衣服が散らばっている。

 ベッドには大柄な成人男性の眠る姿が見られ、家具は少なく、壁に一体化したクローゼットと、部屋の隅に置かれたテレビ、本棚が一つ。

 小さなテーブルに飲み物の缶やお菓子の袋が散らかり、生活感だけは不足が無い。

 部屋の中央、テーブルの脇に小人が三人見える。

 ベッドの下を警戒しているらしく、窓辺の二人には気付いていない。

 レンが三人の内の一人を指差して言った。

「あ、大剣持ってる奴が居る。アイツ戦わねーかな」

「後ろの女の人が弓持ってるよ。ラッキーだね」

 お互いの共通する武器を見つけて喜び合う二人。楽しみでつい口元が緩む。

「あとの一人はムチかな。あれは邪夢を斬れねーだろ」

 レンが言うとジンが言葉を返す。

「多分縛ったりして捕まえるんじゃない?動きを止める役割も欲しいよね。僕は弓だからたまにそういう時あるよ」

「あー、ナルホドね。弓とは相性いいのか」

 ニンゲンの寝息が大きく響くなかで、やや緊迫した面持ちの三人の戦士達。

 静かに時が過ぎる。

「まだ邪夢いないね」

「遠征組もまだ来たばかりだろ。応援の連絡を朝にして、夕方の出発にも来てなかったから直接来たとしてもこの位の時間かな。やっぱり距離はあるよなー。カラス使えば早いのに」

「野良のカラスはすぐにエサ欲しがるからなぁ、ハトでしょ」

 取り止めのない話しをしていると、


 キィィン……


 ジンの弓とレンの大剣が共鳴を始める。同時に遠征組の三人の武器も鳴り、三人は武器を構えた。

 ヒトの眠りにおいて夢見る時間が始まったのだ。

 だが、それは白い光などではなく、深く黒ずんだ闇色に輝きを増しながら、珠と成るべく集束していく。

 眠るニンゲンの額に汗が、眉根にシワが、ノドから苦しみの声が伝わり始める。

「……悪夢だ。あのニンゲン、かなり毒されてやがる」

 レンの呟きにわずかな苛立ちが見えた。

 悪い夢を見た結晶が大きくなり黒い夢珠が形成され、それを邪夢が食べてくれる。

 それだけならばまだ良いのだが、邪夢は夢珠を全て丸呑みするわけでは無く、かじって残す。その食べた残りカスをまたヒトに還していた。

 体液にまみれた食べかけはレンが俗称する【毒】となってヒトに還る。すると、また次も悪夢のタネとして再成長する。形成されても食べられる事のなかった黒いタマゴからは、また新たな邪夢が産まれる。

 繰り返す悪夢のリサイクルは邪夢たちに都合の良い螺旋を描いていた。


 黒い光に導かれ、闇の中から醜態を晒して邪夢が(うごめ)く。

 身体に覆われた触手は長く、張り巡らされた毛細血管のように脈動しては波打つ。

 その体躯は約15cm、触手を広げれば30cm以上にはなろう。

「でっっけぇ!!なんだありゃ!」

 レンは喜々として驚いた。

 思わず笑ってしまう、それ程までに予測を越えた大きさを見て、自然と身体がうずいた。落ち着いて見てなどいられない。足が跳ね回ってしまう。

 ジンは呆気にとられて言葉を失っている。パクパクと口を動かしてただ見入っている。


 遠征組みの三人はそれぞれに武器を構え、自分達をはるかに凌ぐその巨体に対峙している。

 それを見るのは初めてではないのだろう。至極落ち着いて陣形を作って居た。

 大剣の男剣士を前に、ムチ男と弓女がその後ろに。三角形を作りながら距離を測っているのが分かる。

 レンやジン達のような三角帽子は被っておらず、肩当て、小手や胸当てなど、より戦闘向きな防具で身を固めていた。

 先陣を切ったのは弓矢だった。女の小人が弓を構えると、白く光る一筋の光の弦が張られる。

 そして弦を引き絞ると黄色く輝く光の弓矢がつがえられる。それはジンの青白い矢よりも太く長い。

 そしてその数が増える。

「二本撃ち……いや、三本!?」

 ジンの呟きを待たず、放たれた黄色い矢は閃光となって三つの軌跡を描いた。

 それは空気を貫きながら邪夢の体躯へと突き刺さる。申し分無く深く、鋭く。


『ぎ、ぎぎ、ギィィィ!!』


 邪夢の巨体から耳障りな悲鳴が響く。小さな戦士の存在を認識していなかったのか、余りにも無防備に攻撃を受け、さらに戦士に向かって愚鈍な反撃を開始する。

 長く伸ばした触手が振り抜かれ、三人の居た場所を打ち抜く。機敏にそれを躱すと床の表面に重厚な打撃音が響いた。

 次いで一本、二本と触手が伸び、捕獲しようと、さらに身を躱す小人達を執拗に追う。

 軟体生物のぬめりを(まと)わせ襲いかかる腕を飛び躱す三戦士達。

 最も機敏な動きを見せたのはムチ使いの男だった。

 ムチの中ほどから先端が輝き、光のムチとなってその長さがスルスルと伸びる。ベッドの脚、テーブルの脚、小さく突き出た物掛け用のフック、引出しの取手など、あらゆる場所にムチをうならせ、ムチの伸縮や発生する遠心力を利用して小人が飛び回る。伸び縮みする片腕のブランコのようだ。

 上下左右に飛び回って距離を取り、隙を見ては巨躯に向かってムチを振るう。光鞭の先が的確に邪夢の体表や触手を弾き、裂き、焦がした。光の先端はバチバチと音を立て、触手とかち合うとビクンと触手を痺れさせる、電撃を帯びたムチであった。


「凄いね、あんなの見た事無いよ」

「ああ、そーだな。でもさっきから大剣の奴がイマイチなんだけど。アレなら俺のが強いんじゃねーか?」


 ジンの言葉を不満で返すレン。

 確かに、大剣の剣士は触手を何度か振り払いながら斬りつけているが、ダメージと呼べる程の斬撃を与えていない。邪夢の大きさからそう見えてしまうのだとしても、期待していたレンにとっては不満が募る姿だった。


 だがそれは……



「そろそろ終わらせましょう!」


「雑魚とは遊んでられん」


「二人とも肩慣らしはもういいのか?」


『充分だ(よ)』


「わかった。じゃあ斬り捨てる」



 ……余計な思慕だ。



【斬ーざんー】



 大剣に纏いし青い光


 それは頭上で形を変えて文字となる


 頭上に浮かぶ文字は【斬】


 戦士が構え上げた大剣は青い炎を上げながら、宙空の文字と合わさり=混ざり合い、さらに大きな炎となりて大剣(つるぎ)を燃え上がらせた



(ザン)!!」



 振り下ろすと同時に大気に生まれる巨大な炎の刃影。斬撃そのものをカタチと成してそれは滑空し、



 大気を斬り裂き



 遠く離れた邪夢の巨体をも斬り裂き



 一直線に空間を()いだ。



 分断された巨躯は青い炎と断末魔の叫びを上げ、暗黒の光を撒き散らしながら跡形もなく崩れ落ちた。




「……何だよアレは」

 赤い帽子が唖然とするのはこれが最初だろう。

 見た事もないチカラの存在を消化するにはまだ彼の知識は乏し過ぎた。


 大剣の剣士は三人で再び部屋の中央に集まり、陣形を整えた。

 そして言う。


「次、行こうか」


 ベッドの下から這い出した先程より大きな邪夢に向かって、大剣を構えた。



 ☆ 長い夜 ☆



 本棚によじ登り、元の位置まで戻って来たムラサキ帽子のマサル。今はピンク帽子が目印のオードリーと二人きりで、眠るニンゲンの監視を続けていた。

 部屋のラジオは今だに鳴り続けているが、間も無く『おやすみタイマー』が働いてスイッチが切れる事を二人は知っている。

 ラジオを聞きながらチョットにやけているマサルにオードリーが言う。

「アンタ運がいいわね。お目当ての番組聞けて」

 ムラサキ帽子が今日二度目のバツの悪い顔をする。マサルも実はラジオリスナーである。目的の番組は『スマッピーのwhtat's up SMAPY』五人組の人気女性アイドルが交代でパーソナリティを務める番組だ。そして番組終了と同時にラジオのスイッチは切れる。

 マサルが苦笑いして言った。

「レンはあれで優しいトコあるからなぁ」

 即座にオードリーが反発する。

「はぁ?どこが?ジン様が優しいって言うなら解るけど、レンなんてイヤミだし乱暴だしすぐ怒るし!なんでアイツなんかとジン様が一緒のコンビなのかしら!私の方が可愛いしセクシーだしずっと役に立ってみせますのに!」

 それを聞いて笑うムラサキ帽子。

「武器も性格も相性いいからなぁ。いつだったかな……昔、ジンが人間に見つかって危ない時にレンが助けた事があって、それ以来ずっと(つる)んでるんだ」


「あら、アナタ意外と詳しいのね。聞いてあげるから知っている事は全て話しなさい」

 マサルの隣に腰を下ろしながらオードリーはもう一言付け加えた。


「ジン様の事だけでいいから」


 口元を引きつらせながらマサルがタンスの上を指差しながら冗談混じりに言った。

「お前、あの黒ツヤのボーリング玉落っことしてペシャンコにしてやろーか。きっとスリムになるぜ」



 ☆ ☆ ☆



 窓ごしに戦いを見つめるレンとジン。圧倒的な戦闘技術の差に絶句するレンにジンが言う。

「今の……何だろう。文字が浮かんで、剣から衝撃波みたいなモノが……」

「知らねぇよ!何だアレ、反則だろうが」

 言葉を遮りながらレンが声を荒げる。

「でも武器にまとわりついてる光は、戦いの最中に僕たちにもある。僕は青い光、レンにも赤い光が剣に」


「わーってるよそんなもん!あの文字だ!空中に字を書いてあんな事出来るなんて聞いたことないぞ」


「僕だって知らないよ。帰ってシュワルツに聞いてみるか……あの人達に直接聞けたら一番早いだろうけど」


「んなもん決まってる!(ちょく)で聞くんだ!戦闘が終わったらアイツら帰っちまうんだぞ!」


「今日、終わるまで待って聞きに行くって事?教えてくれるかなぁ」


「ぜぇっっったいに吐かせる!」


 猛獣のような目で遠征組を見つめるレン。石に噛り付いてでもと言うより、既に窓枠に噛り付いていた。


 猛獣の視線を受けながら、遠征して来た戦士達は二匹目を相手取っていた。

 変わらず身のこなしは鮮やかで、邪夢の動きに遅れを取ることは無い。

 ムチの戦士が陽動と遊撃を行い、動きが止まった所を弓の女戦士が射抜く。弱ってきたら大剣の剣士がトドメを撃つ。

 そうやって組まれた連携は洗練されており、経験の差をもレン達に見せつけた。

 二体目の邪夢を片付けると、今宵、三体目の邪夢が現れた。


 それは二体目と変わらずに大きかったが、


「気を付けろ!速いぞ!」


 その動きは今までの比では無かった。


 金属を握りつぶすような耳障りな唸り声を上げて、その邪夢は走り、跳ね回った。

 昆虫ならバッタやコオロギを思わせる跳躍を見せ、戦士達を翻弄する。闇色の体躯とうねる触手の体表が伸縮して波打ち、伸びてくる触手の攻撃を振り払いながら戦士達は部屋の床、テーブルを駆け回った。


 と、そこに珍客が現れる。


 騒ぎを聞きつけて来たのか、テーブルのご馳走に釣られただけなのか。

 家庭の害虫、嫌われ者のNo.1、ゴキブリ君である。

 壁を伝い、カサカサと邪夢に負けないスピードで部屋を駆ける。

 窓から覗いていたレンが、思わず吹き出してしまい、ジンにたしなめられた。

「おい!まさかのゴッキー参戦だぜ!速いの一匹でも厄介なのに、こりゃあ苦戦だなあ」

「笑っちゃダメだよ、必死で戦ってるんだから」

 そう言った矢先、


 ドスッ


 跳躍した邪夢が、走り回るゴキブリの隣に着地する。

 逃げようとする害虫を一瞬の内に触手で捕獲し、何本もの触手をさらに重ねて包み込む。

 その体躯は一瞬膨らみ、バキバキと音を立てたと思った矢先に黒く輝き始める。

 波打っていた体表が変貌を見せる。


 毛細血管が浮き出たような波打つ体表は、黒光りする艶やかなテカりを持った、硬い外皮に変わっていた。


 それは黒い鉄の球か、あるいは……



 大剣の戦士から余裕の表情が消えた。

「ちくしょう、取り込みやがったか」

 苦渋の言葉は他の戦士からも余裕を剥ぎ取った。



 ジンは蒼白な顔で言った。

「……レン、聞きたいんだけど……どうしてボーリング部だと思ったの?」

 その答えは無い。

「……」

 絶句だ。

「部屋の何処で見たの?」

 続けて問われた二問目に、レンがやっと口を開く。

「タンスの上……」

「本気でレンはニンゲンの事をちゃんと知った方がいいよ!タンスの上なんかに重いボーリングの玉なんて置くわけないだろう!!」

 ジンは激昂した。

 その眼に涙が浮かぶ。

「戻ろう、僕たちのせいだ。オードリー達が危ない」

 レンが硬直しながらも笑顔を作ろうとする。

「だ、大丈夫だよ!きっとただの見間違いさ。それにそんな邪夢なんて見たらみんな逃げてるって」


「レン、オードリーの武器、知ってる?」


「は?知らねぇよ」


「ムチだよ。君がさっき言っただろ、邪夢も切れないムチだ」


「……」


「オードリーはあの戦士ほど使いこなせていない。逃げる事も、戦う事も出来ないんだ」


 言い終わるとジンは屋根を駆け出していた。

 レンは背中を見送りながら立ち尽くす。

 だが、それも数秒、


 次の瞬間には外から窓ガラスを叩いていた。


「おいコラ開けろ!!そんなヤツさっさとぶっ殺して俺たちを助けろ!!」


 悲痛な叫びが月夜に大きく響いた。



 ☆



 中島家で黒い玉のように変化した邪夢に向き合うのは大剣の剣士。名をロキと言う。

 小人達の中では長身で、細身の二枚目顔は女子の人気も高い。和風の鎧を身に着け、青い長髪を流した頭部には額当てをし、大きめの左小手をしている。この小手は盾の役割もこなす重厚な物だ。そして邪夢に対して構える大剣は日本刀のように片刃でわずかに曲線を描き、自身の体格を模したように細身で、銀色に輝きながら月明かりを弾いた。

 丸い邪夢は黒い外殻から触手を伸ばし、小さな小人達を捕獲しようと跳ね回る。黒く、硬く変わった触手は鋭く、刃物のような斬撃を伴いながら不規則に空を切った。

 素早く躱す小人達。

 次から次へと追って来る触手をロキが大剣で払うと金属同士が織りなす鋼の音色が響いた。

 その音色を不協和音が邪魔をする。

 鈍重ながら荒々しい、ガラスとアルミサッシが軋む音だ。

「なんだ?」

 ロキが音をする方を振り仰ぐ。

 部屋の窓だ。

 月明かりを背中に浴びて、赤いトンガリ帽子を被った小人が必死な形相で窓を叩き、何かを叫んでいる。

 どうやらこの地区の同族らしいと見て取ったロキは、弓使いの女性に向かって言う。

「おい、アルテア!やめさせろ!」

 急に指示を受けた弓使いは窓を見上げながら言う。

「こっちのリーダーのシュワルツだっけ?見学者がどうとか言ってなかった?あのコじゃないの?」

 金色の髪を後ろで束ね、軽装な鎧具を部分的に着けた狩人。アルテアは会話しながらも移動する足は止めない。常に動いていないと邪夢の跳躍に遅れを取るからだ。

 ロキが返す。

「それは解ってる。だがアイツが邪夢の標的になったらひとたまりもないぞ」

「俺が行こう」

 ムチの戦士が本棚の引き出しを使って跳躍した。

「じゃあたのむわ、バルド」

 弓のアルテアが跳躍する仲間の背中に言って、振り向きざま弓を弾く。光の矢が二本飛び、邪夢の体に命中する。たがそれは硬い外皮に阻まれ、深くは突き刺さらない。


 バルドは灰色のローブを風になびかせながら、素早いムチと身のこなしで窓に辿り着き、赤帽子のレンと対峙する。

 バルドの姿を確認すると、レンは窓ガラスを叩くのをやめた。窓ごしにも声は届き、会話も可能だった。

「なんだお前は、邪魔しに来たのなら帰れ!」

 黒い髪、切れ長の目、彫りの深い顔立ちのバルドは一喝する。

 だがレンは怯まなかった。ジンが向かった家を指差しながら言う。

「俺はレン。この街の防人だ。この隣の家にもっとデカイ邪夢を見たかもしれないんだ。一緒に来てくれ!」

「なんだと……どんなヤツだ」

「ボーリング玉みたいで、今アンタらが戦ってるヤツよりもっとデカイ。それに黒くてテカテカしてる」

「本当か?見たかもしれないって事は定かではないのか?」

「俺、今までもっと小さい邪夢しか見た事なかったから、さっきソイツがゴキブリ食べて黒く光るまで、邪夢が変身するなんて知らなかったんだよ!隣の家にまだ仲間が居るはずなんだ!頼むよ!!」

 レンが叫ぶと、部屋の中からロキの声がした。

「バルド!どうした!」

 バルドが叫んで答える。

「どうやら隣の家にもう一匹居るらしい!今この邪夢より二周りはデカイぞ!隣で仲間が危険だと応援要請だ!」

「なんだと?」

「ウソでしょ?」

 ロキとアルテアが目を見合わせる。

 だがすぐにロキが口を開く。

「この家で増えすぎた邪夢がエサを求めて移動した可能性がある。隣の家がここより大きいなら間違いないだろう」

「どうする!?あ!コラ待て!!」

 窓からバルドの声だ。

 ロキが振り向くとバルドが頭を抱えているのが見えた。

「アイツ、一人で走って行っちまいやがった!」

 レンの姿は窓辺に無く、その小さな身体は既に屋根を飛び出して居た。


 ロキが苦笑しながら言った。

「仲間が危ないんだ、待ってられなかったんだろう」

 アルテアも口を開く。

「この田舎じゃあ、ろくな戦士は居ないんでしょう。確かに危険だわ」

 バルドが戻って来てロキに言う。

「どうやらのんびりしていられなくなったな」

 ロキは頷くと大剣を構え直した。

「ここはバルドと俺で片付けよう。アルテアは隣の家に行け」

「私が?」

「でも戦うなよ、他のヤツを逃がす事を優先させろ。こっちを片付けたらすぐに向かう。それまでは無理するな」

「……わかったわ」

 バルドがアルテアに言う。

「この西隣の家だ。さっきのヤツの名前はレンと言うらしい」

「はいはい、レンね。アンタ達、早く来ないと怒るからね」

「解ってる、早く行け」

 ロキが促すと女戦士は小さく舌打ちして飛翔した。



 ☆ ☆ ☆



 私は最初、冗談が本当になったのかと思った。

 マサルが指を差したボーリングの玉が、宙を飛んで落ちて来たからだ。

 その瞬間、余りにもビックリし過ぎて、二人とも笑ってしまった。

「やだぁ、ホントにぺしゃんこになったらどうするのよっ」

 そう言ってマサルの腕を手のひらで叩くと、マサルも引きつりながら笑ってたのよ。

 でも、何かがオカシイと、思ったの。

 その異変が、異変過ぎて頭の中がグチャグチャになって行くのが解ったわ。

 飛んで来たボーリングの玉が、私達の居る本棚の狭い縁に引っ掛かって、落ちないんですもの。

 目の前で揺れる圧迫感に、最初の異変を感じてた次の瞬間、その玉の足元に、何本かの長い管が伸びているのが見えた。それは本棚の淵に横から突き刺さるように、隙間に食い込んで大きな黒い玉を支えてたの。

「あれ?何で足が有るんだろう?」

 そうして見上げると黒い玉はその場でゆっくりと右周りに回転して黒くてピカピカ光る六角形のプレートのような、玉の中心をこちらに向けたの。

「あ、お尻だったんだ、今まで。失礼しちゃうわね」

 私が言うと、グイグイと私の左腕をマサルが引っ張り出した。

 最初はゆっくりだったけど、だんだん服が破けちゃうくらいに強くなってきて、ムカって来てマサルを見たら、マサルが真っ青な顔で震えてた。

 変なボーリング玉を見上げながら、口元をガクガク震わせて、両目に涙を浮かべて、鼻から汁出して、それは二つ目の異常だったわ。

 でも私の頭の中はすでにグチャグチャになり始めていたから、それが何なのか分からなかった。

「何なんだよコイツ……?何なんだよコイツ!?なんなんだよオマエ!!」

 マサルが誰に叫んだのか解らないまま、私は声を聞いたの。

『喰ワセロ、ハラヘッタ』

 どこかで聞いた声、

 ニンゲンが使っている、レコードや古いラジオがノイズするような、耳障りな不快音。

 それが部屋に響いていたラジオのDJの音に合わさって、余計に不快な声になって私の耳に届いた。


 ドスッ


 何か鈍い音がして、私の身体が揺れた。

 え?何だろう、あれ、あれ、痛い。痛い、痛い、アレ?痛い痛いイタイイタイイタイ!!!

 私のお腹に黒くて長いモノが突き刺さって、生えてた。

 思わず黒い剣みたいな何かを右手で掴んで、冷たい金属みたいな薄っぺらさとベトベトした液体が右手を汚したのが伝わって解った。

 何かが私のお腹を刺したんだ。

 それがお腹の中を貫いて背中から曲がった事、

 私の身体をそのまま凄い力で持ち上げた事、

 マサルが私を見上げて叫んだ事。


「オードリー!!邪夢だ!!オードリー!!」



 もう、……遅いわよ



 持ち上がる身体を意識しながら、黒い剣がコイツの触手なんだと解った。

 そう思ったらムカついて、汚ないって思った。

 私の身体を汚した。私に傷を付けた。

 黒い玉のてっぺんまで持ち上げられて、メチャクチャ腹が立って来た。

 腰に巻いた私の武器を左手で引っつかんでフックを外す。

 私の愛用の武器はムチだ。

 愛しいジン様のために練習中の、邪夢を、

 このクソッタレの邪夢を捕縛する為のムチだ。

 私の身体を汚してくれたお礼はしなくてはならない、絶対にタダでは帰さない。

 アレ?

 ちからが抜けてく、

 おかしいな、左手が思うほど動かないや、

 クソッタレをぶっ叩いてやるのに、


 やりたいのに、


 あ、そっか、


 お腹に刺さってるか、ら、だ、


 痛いなぁ、やだなぁ、


「オードリー!オードリー!オードリー!オードリー!」


 うるさいなぁもう、


 早く逃げなさいよ、


 アンタなんかに何が出来るのよ。

 そんな小ちゃな剣で何が出来るってのよ、

 レンじゃあるまいし、

 ブルブル震えてみっともない、

 笑っちゃうわ。

 レンの半分もないじゃない、あ、レンのやつ、

 何が邪夢が居ないのよ、


 メチャクチャ特大が居るじゃない、文句言ってやんなきゃあだめだ


  あー、 だめだ、


 ああ、


 ちからが


 ぬける





 しん


 じゃう


 わた し





 やだなぁ



 やだ なぁ




 ジンさま



 ジンさまぁ




 たすけに

 きて


 ジンさ ま ぁ





 あたし



 しんじゃ うよ



 もうイタクない



 あ、


 だめだ



 ジンさまぁ



 会いたいよぉ




 さっき


 もっと


 抱きついておけばよかった





 ああ



 ねむい




 やだなぁ



















 やだよぉ








 ☆ ☆ ☆



 狭い隠し入口から家の中に侵入して、壁の中をひたすら走る。

 青い帽子が揺れながら弾み、ホコリっぽい空気を頬で感じながらジンは全力で駆けた。

 部屋の屋根裏に出て、そこから一枚板がズレたままの穴に飛び込む。

 暗い押し入れの中に続く穴を抜けると、細く光が差し込む真っ暗な空間に出る。布団のホコリの匂いがする。

 隙間からわずかにこぼれる光を浴びながら、押し入れの扉を押し開ける。

 先程まで鳴っていたはずのラジオの音が無い。

 変わりに聞こえるのは静けさなどではなく、仲間の名前を呼ぶマサルの声だった。

「オードリー!オードリー!オードリー!」

 何度も繰り返して叫ぶ声がカスれるどころか、潰れて濁音混じりになっていた。

 マサルは震える腕を自らの腕で必死に押さえながら、自分の剣を邪夢に向けていた。

 持ち上げられたオードリーを食わせないために、こちらに注意を引き付けたかった。

 大きな邪夢が跳躍して、部屋の床部分に移動してくれたのは幸いだった。上に跳ばれていたらそこに辿り着く間もなくオードリーの身体は食われていただろう。

 マサルは走り、触手に追われながらも剣で邪夢の身体を突いて回った。

 硬い外皮はマサルの剣では傷ひとつも付けられないが、そうして突く事で自分がここにいるぞとアピールしているのだった。その場所を遅れた動作で触手が攻撃する。

 それを回避するマサル。

 大きさを逆手に取った作戦だった。

 だが、

 不意に、邪夢が横に回転する。

 ぐるりと周囲を確認して、マサルの前で【眼】を止める。

「ヤバイっ!」

 見つかった!その瞬間に足が竦む。

【眼】に対して背中を向け、振り向きながら両手で剣を振った。

 狙ったわけではなく、背後まで来ているハズの触手を払うためだった。

 キン、と金属音がして両手から虚無感を覚えた。

 剣が空中を舞い、足元にカランと乾いた音をさせて転がる。

 目の前に迫る黒い触手が一本、鋭く光ってマサルの顔面に向かって伸びた。

「うわぁあ!!」

 死を覚悟する刹那、マサルの眼前で閃光が走る。


 ギィィンッ


 青白い一本の閃光が、触手の細長い剣先に突き刺さり、その軌道を変えた。

「マサル!そこから離れろ!!」

 青帽子のジンは眼を見開いて叫んだ。

「オードリーは僕が助ける!!」


 光の弓矢は連続して空間を突き抜けた。

 その全てが邪夢の触手をことごとく打ち払い、マサルの目の前に道を作る。

「しゅううちゅうううう!!」

 ジンの瞳が血走る。

 邪夢の巨体を全て、部屋の空間を全て、

 マサルの居場所、

 オードリーの姿、

 神の眼があるのなら、今のこの瞬間だ。


「1、2、3、4、5、6……!!」


 カウントしながら時計の一秒よりも速く弓を弾く。今までの最大速射数は27本だ。ジンはそれを約20秒で完全射撃する。

 その全ての矢は空間に青い軌跡を描いて、流星のように走り、邪夢の触手を射抜いていった。


 剣を拾う事が出来ずにマサルが空手のままジンの元に駆け寄る。

「ジン!どうしてここに!?」

「詳しい話はあとだ。僕たちのミスでオードリーをあんな目に合わせた。償いはする」

「そんな!戻って来てくれて助かったよ。絶対にもう死んでた」

「オードリーの触手が離れない?」

「一本だけ身体を貫いてるんだ。解るかい?」

「……あれか。よく見える」


 そう言うとジンは目を見開いたまま、速射を始めた。


 ギィィンッ!ギン!ギン!


 一本目もニ本目も、そのまた次も、全てオードリーを捕らえたままの触手、その一本に打ち込んでいく。

 傍らで息を呑むマサルにジンが言う。

「そこに落ちてるオードリーのムチを拾ってくれないか」

「あ、ああ。コレかい?どうするんだ?」

 床に転がっていた黒い皮製のムチを、拾って渡しながら尋ねる声に、ジンが弓を下ろしながら答える。


「新しい使い方を覚えたから試してみる」


 オードリーを捕らえている触手には全部で7本の矢が突き刺さっていた。ほぼ一箇所に集中された矢は、触手に僅かな亀裂を産んでいた。


 背中に弓を背負い、右手にオードリーのムチを持ってジンは駆けた。

 右上から邪夢の触手が三本同時に伸び上がり、青い帽子に向かって振り下ろされる。その先端には全て青白い矢が突き刺さり、青の残光を空中に描いて床を叩く。

 薄暗い部屋の中では黒くて早い触手は視認するのが困難だが、青白い光矢がそれを容易い物に変えて居た。無論彼ら夢防人の戦士達の卓越した戦闘技術と、長きに渡る経験からの予測もある。

 ジンは空中に飛び上がり、それを躱しざまにムチを振るう。

 床に転がる剣を絡ませ跳ね上げる。回転しながら飛来する剣を、絡まったムチの先を伝ってキャッチし、左手に装備する。

 空中から落下し始めた身体を、右手のムチを再び振るい、今度はベッドの足に絡ませる。

 体重が極めて軽い小人の身体は少しの負荷で容易に飛び上がり、遠心力を使えばさらに加速する事が出来た。

 ムチを使う戦士から学び取った事は、空中での直線的な移動と、曲線的な移動技術だった。

 それは北東部のこの田舎では画期的な物である。

 邪夢の上まで飛び上がり、ベッドを蹴りながら軌道を変える。

 ムチを三度振るいオードリーを捕らえた触手に絡ませる。

 引き寄せると同時に自らもオードリーの元へと飛来する。

「オードリー!」

 名前を呼びながらオードリーの肩を右腕に抱きしめる。強く。

 同時に左手の剣を触手に突き刺さった矢の束を目掛けて叩き込み、入った亀裂を崩壊させる。

 役目を終えた剣は宙に投げ捨て、両腕でオードリーの身体を抱きかかえながら、邪夢の頭に着地する。

 すぐさま飛んで来る触手の攻撃を躱すため、ささやかな御返しの意味を含めて邪夢の頭頂部を力強くジンは蹴った。

 空中に踊り上がりながら両腕でしっかりとオードリーを抱きかかえ、床に着地する。

 マサルが駆け寄って来る。

「やった!凄いよジン!!」

 歓喜の声を上げながら近寄ると、ジンが叫びながらベッドの下に走り込む。

「油断するな!一度身を隠そう!」

 ジンが走る背中をマサルが追う。

 その直後を触手が掠めて行った。


 オードリーの顔色は蒼白で生気のカケラも無かったが、まだ息はあるようだ。

 マサルは部屋の隅に隠れられる隙間があるとジンを案内した。それは10センチほどの、壁と家具の隙間で、前を物で塞げば邪夢にも見つからずに済みそうであった。

 ジン達はその隙間に飛び込む。

 入口を塞げそうな物が今は見当たらないので諦めて少しでも奥に身体を隠した。

 床のホコリを払い、ジンは右腕にオードリーの頭を支えながらゆっくりとその身体を下ろす。

 マサルが自分の帽子を丸めて枕代わりにオードリーの頭の下に敷いた。

「ジン……様……」

 来てくれた。

 声にならない吐息が零れる。

 薄く目を開けたオードリーは、微かに笑みを浮かべた。

 マサルが安堵する。

「オードリー!良かった!」

「ごめん、僕たちのせいだ。今すぐ応急手当てをするから安静にしてて」

 ジンはオードリーに笑顔を向けて言うと、自分の腰に巻いたポーチから小さい夢珠を二つ出した。

「マサルも出して。あとオードリーもどこかに持ってるはずだ、マサル、捜して」

「わかった」

 小さい夢珠は食料でもあり、小さな怪我なら治せる効果がある。そのため誰でも一つか二つ、携帯している物だった。

 マサルも腰のポーチから夢珠を出し、オードリーのポーチからも二つ見つけて床に並べた。

「五つか……」

 ジンの顔が曇る。

 マサルがそれを見てジンに尋ねる。

「うぅ……足りないよね?やっぱり」

「仕方ないさ。今はやってみよう」

「さっき一つ食べちゃってさ。ああ、食べなきゃ良かった!!」

 悔しさを噛み締めて、マサルはさっき食べてしまった分を吐き出せないかとも聞いてきたが、ジンは優しく笑って仲間をなだめるのだった。

「今はこれしか無いけど、他の部屋に行った仲間や、僕たちの代わりに隣に行った仲間が夢珠を回収しているだろ。そのなかに中か大玉があればそれを使おう。緊急事態だ、怒られはしないさ」

「それで治るの?中や大って身体に影響が出るから使っちゃいけないんだろう?」

「身体を復元させるだけなら問題ないよ。経験済みだ」

「それって……」

「僕が重症で、治したのはレンだったけどね」

 ジンは片手に夢珠の小さい玉を持ち、オードリーの傷口に近付けた。

 まだそこには触手の刃が刺さっていたが、間も無く、黒い光を放ちながら消え始める。

 本体を離れた破片やカケラは、邪夢が消滅する時と同じ現象と共に消え失せる。

 それを確認すると同時に、ジンは夢珠を両手で包みながら押し潰してつぶやく。

「この者のキズを癒せ」

 その願いは夢珠にチカラを発動させる。

 眩い光を放ちながら夢珠が液体のように溶け落ち、両手の隙間から零れる。光の流水はオードリーの腹部から流れ込み、その身体を内側から輝かせた。

 その光は数秒程で消え、ジンは時間を置かずに二つ目を手に取り、同じ動作を繰り返した。


 ☆


 押し入れの内側から扉の隙間を経て部屋の中を伺う瞳が二つ。

 赤い衣装からそれは間違いなくレンであったが、トレードマークの赤い帽子が無くなっていた。

 黒くて太く固い髪質の、ややツンツンした頭が扉の隙間から突っ込まれ、次に右手に持った大剣が姿を現す。

 ラジオの音の無い部屋は、住人の寝息と外を行く車やバイクの排気音を際立たせ、ノイズのようなヤツらの声に、恐怖を感じて息を潜めているかのようだった。

 部屋に一歩、侵入して間も無く、レンの大剣が響き始める。


 キィィン……


 夢珠との共鳴だ。

 見上げるとベッドの上で儚げな光の収束が見られた。それは白く、消して悪夢の類ではなさそうだ。

 だが、その光の中心に向かって、丸い影がにじり寄るのも見える。それは大きく、艶やかでありながら悲しげにも映る背中だった。

 黒く、月明かりと部屋の豆照明を反射させながら、ゆっくりと触手を伸ばしていく。光の中心に向かって。

 それは神に救いを求める亡者の腕のように、一心に光を求めていた。

 レンは足音を消して駆けた。

 床に転がる誰かの剣を拾い上げながら部屋の真ん中まで走る。床に鎮座したティッシュの箱に身を隠し、部屋の内部に視線を捲く。

 人影がない。いや、小人影か。

「ドードードー、ホッホー」

 山鳩の鳴き声を真似る。

 朝方にこだまする奇妙な鳴き声は、深夜の部屋には似つかわしくはない。だがレンは三度、鳴き声を繰り返した。




 夢珠による応急治療を終えたジンが立ち上がり、天井を見上げる。

 眠るオードリーの横で座り込むマサルが、ジンを不思議そうに見つめ、その視線を追う。が、細く狭まる隙間から眺められる天井には何も発見出来ない。

「レンが来た」

 不意に言う。

 それは確信を込めた一言だ。

 驚きを表現する間も無く、マサルの目の前でジンは大弓を構える。

 それは遥かに高い天井に向かって。

 真っ直ぐに直立した、ジンの青白い光の矢が、弦の弾かれる音と共に光線となって放たれた。

 それは10センチの狭い空間を意図もたやすく突き抜け、天井に突き刺さる。

 青白い光が点となって見えるその真下、ジンはマサルに言った。

「レンの夢珠も貰おう。そしたら取り敢えず傷口は塞がるかもしれない」

 マサルが呆気にとられていると、隠れていた隙間の入口から、声が投げかけられた。

「こんなとこに居たのかっ、ジン、マサル、無事か!?」

 暗い隙間を駆けて来たのはレンだ。

 マサルはその姿に驚き、同時に天井を見上げて納得した。

 ジンとレン、この二人は離れた時、お互いの位置を知る為にあらかじめ合図を決めていたのだ、と。

 部屋の天井に突き刺さる弓矢はしばらくすると消えてしまう。たがその真下に居ると分かれば充分に役目を果たしていた。

 ジンがレンの顔を見て、眉根を寄せて言った。

「僕たちは平気だ、けどオードリーが腹に重症を受けた」

「……そうか、コレ使えよ」

 レンはすぐに腰に手を回し、自分の夢珠を差し出した。

 マサルがそれを見て驚きの声を上げる。

「うわっ、中玉だ」

 正確には小と中が各一つだったのだが、携帯する夢珠としては小玉が一般的で、中玉は殆んど見る事はない。基本的に中玉以上は回収されて管理されるので、特別な理由や流通経路を持たない限り、狩りの時に入手する以外は触る機会さえない。

「うん、ありがとう」

 ジンが受け取りながら小さく眼で笑う。小玉を20個積まれても等価ではない貴重な夢珠を一瞬の迷いも無く差し出すこの優しい相棒を、ジンは誰よりも信じている。

 どうやって手に入れたかなど、愚問でしかない。だから聞かない。もし誰かが聞いたとしても、あっけらかんとして答える姿が目に見えるのだ。


「どしたの!?それ!!」

「もらった」


 マサルの声に即答するレン。

 微笑を浮かべるジンはオードリーにその夢珠を注ぎ込んだ。

 オードリーの腹部からオレンジ色の光が溢れる。それは太陽の沈む夕陽にも似た、柔らかく優しい光だ。

 その光は緩やかに波を描き、体内を揺れながら滞留する。

 ジンが傷口を眺めながら言う。

「これでひとまずは安心出来るかな。体力が戻るまではいかないけど、動かしたり運んだりは出来るだろう」

「すげ~、こんなの初めて見た」

 マサルが興奮して言った。仲間が目の前で重症になる事など、そう有るわけがない。いや、有ってはならない。

 そんなマサルに、ジンが言う。

 気を引き締め直して、強い口調に込める。

「マサル、今日はもう撤退だ。他の部屋の二人も集めて、早くここを出よう」

 マサルが頷き、

「あの邪夢はどうするの?」

 尋ねる。

「どうする事も出来ないよ。今は幸いにもあのヒトから夢珠が発生しているから邪夢の意識があっちに行ってるだけだ。元々からあのヒトは余り夢を見る事が少ないんだろ?」

「そう……だね。体質かもしれないけど、ラジオで夜更かし多いし一晩に二つか、良くても三つだ。しかも小玉ばっかり」

「中島家からヤツが来たとして、エサを求めて潜んでたんだろう。ところがなかなか夢を見ない。しびれを切らしてオードリーやマサルを襲って来たのかも。いずれにせよ、他の部屋にも移動する可能性がある」

 冷静な口調でジンが言った。

 次にレンがさっき拾い上げた剣をマサルに渡しながら言う。

「コレ、拾っといた。マサルのだろ。オレ、正直なとこ、あんなヤツぶった斬ってやりてーんだけどなぁ」

 レンの苦笑をジンが(たしな)める。

「危険過ぎる。第一、決定的な攻撃手段が無い。シュワルツが見学だけを許可したのはきっとそれが分かっていたんだ。僕たちの力じゃ、今はアレに対抗出来ない」

 その言葉に賛同するのは女性の声だった。

「賢明な判断ね。今すぐにココから全員避難する事が最善策よ」

 それは遠方から来た女の弓戦士アルテアだった。

 いつの間に現れたのか、こちらに向かって歩を進める。

「あ、さっきの……」

「私はアルテア。私もコレ返しとくわ。レン君」

 レンが口を開きかけたが、アルテアは自己紹介と、片手に持った赤い帽子で言葉を(さえぎ)る。

 隠れた入口が解るように、レンが自分の帽子を目印に置いておいたのだ。

 アルテアが言葉を続ける。

「この家に何人いるのか知らないけど、全員退避よ。バカな事考えないで素直に従って頂戴」

 レンが赤い帽子を被りながら言う。

「さっきの技どうやるのか教えてくれよ。そしたら俺たちだって戦える。空中に文字書いてバーン!ってヤツさ」

「ムダよ、今のアンタには。尻尾巻いて逃げるしかないの。大人しくお帰り」

 見下されてレンが飛びかかりそうなのを押さえるジン。

「レン、アルテアさんの言う通りだ。第ニに防御力が違い過ぎる。僕たちの服とアルテアさん達の装備を見て解らないのか?あの邪夢に対しての備えってヤツがハナから違うんだ。触手がオードリーの身体を貫いた。最低でもそれを防げるだけの防御能力が要る。今の僕たちは紙切れだ」

 ジンの言葉にレンは返す言葉もない。確かに、身に付けている装備ですら追いつけてもいなかった。

 ジンは再び告げた。

「全員撤退だ。忘れるな、オードリーの治療だってあるんだ。一秒でも早い方がいい」


 ジンがオードリーを背負い、マサルが他の部屋の仲間を呼びに行って、全員撤退は始まった。それが何を意味するのか、レンとジンは他の仲間達の誰よりも感じていた。

 敗北という苦汁と屈辱を。

 次期エースと持てはやされた日々は、自分達の無知と無力を追い打ちのように繰り返し殴りつける。

 救えなかった仲間、戦う事も出来ない自分。


 本部に帰り、治療を受けたオードリーが目覚めるまでの蒼い月夜は、いつもより長く、長く感じられた。




 ☆ ☆ ☆



 翌日、ジンとレンの二人に7日間の出動禁止命令が下された。

 部隊の編制を勝手に変えた事、それによる怪我人が出た事。さらに巨大邪夢に対してのジンの戦闘行為が問題視されての処分である。

 最後のジンの戦闘行為については、オードリーの救出を成功させ、またマサルも危ない所を助けられたとの証言により、不問とされた。


「まぁ、お前達は日頃よくやってくれているからな、名目だけは仕方ないが、いわゆる休みだ。この機会に羽根を伸ばせ」


 シュワルツは笑って二人の肩を叩いたが、やはりどこか気が重い。

 確かに自宅謹慎というわけではないので出かけるのは自由だし戦闘訓練だって出来る。事実上の長期の休みだ、旅行だって出来るだろう。


 太陽が高く昇り、もう昼も半ばでとっくに寝ていなければならない時間なのだが、二人は眠れないで居た。

 田舎町のなかに閑散とした住居が建ち並ぶ一画、樹木が生い茂る神社の森がある。神主の居ない形だけのその神社の本堂に寝床を作り、ジンとレンは暮らして居る。

 とはいえ、気ままに寝床を移動しているので今は神社に居るだけで、また気が変われば町の方に移動するかもしれない。自由と言えば聞こえはいいが、同じ場所にずっと居座る事が出来ないのだ。それは見つかる危険をはらむ毎日なのだから。


「レン、出かけようか」

 ジンが言った。

 すでに身仕度を開始している様子で、どうやら聞くまでもなく決定事項だ。

「どこにー?」

「ずっと中に居ても落ち込んでしまうだけだし、あの力の事、知りたいだろう?調べに行こうよ。あと……オードリーの様子を見に行って、武器も見直して、防具も欲しいな」

「この時間にかよ、シュワルツぜってーに寝てるぜ。起こしたら殴られるぞ、あのぶっとい腕で」

「何もシュワルツだけじゃないさ。教わるのは他の人だってかまいやしない。例えば、【昼の部】のリーダーとか」

「あー、ナルホド。そりゃあ起きてるわ」

「行こう、ほら」

 ジンが投げた赤い帽子を掴む。

「お前話した事あるの?昼のリーダー」

「あるよ。シュワルツとは昔、若い頃ライバルだったらしい。筋肉もムキムキで、タイプがよく似てるよ」

「名前は?」

「スタローン」

「……乱暴そうな名前だな」



 ☆ ☆ ☆



「よく来たな!元気そうだなボーイ!」

「お久しぶりですスタローンさん」

「噂はよく聞いてるよ、こっちは相棒のレンだな。よろしく!」

 長めの黒髪で堀の深い顔をにこやかに、筋肉で太く張り詰めた両腕で豪快にハグをする昼の部リーダー、スタローン。

「何やら失敗して落ち込んでいるかと思ったが、心配なさそうだな!」

「もうご存知ですか。参ったなぁ。今日は戦闘能力についてちょっと聞きたくて来ました」

「おお、何っでも聞いてくれ!シュワルツじゃなくて俺に聞きに来るなんて嬉しいじゃあないか、見る目があるぜぇ!HAHAHA!!」

 笑い方も豪快だった。

「……なんか熱くないか?」

 レンが額の汗を拭った。

 特に温度変化は無いはずだが、目の前で豪快に笑うタンクトップの男が胸板をはち切れんばかりに上下させているのを見ると、何やら汗ばんでしまう。

 ジンは見慣れているのか、マッチョに耐性があるらしく、涼しい顔で昨夜の戦士たちの様子を話している。

 スタローンは前で腕組みをしながら時折頷いて聞き入っているようだった。


「OK、わかったぜ」

 スタローンがニヤリと笑う。白い歯が光る。


「ボーイ達は【言葉玉】ってわかるか?」


 ジンもレンも頷く。ジンが答える。


「夢珠の中玉クラスで、使うと言葉が話せるやつですよね」


「YES、言葉が話せない奴が話せるようになり、外国の小人とも話が通じるようになるアレだ。今では誰でも必ず一度は使うようになってるから、コミュニケーションも楽になった」


 夢珠のなかに強く反映されたニンゲンの想いや意志、特技などが小人達に影響を与える。

 小人達にも国は有り、日本(ジン)も居れば米国(シュワルツ)中国(レン)も居る。

 多国籍の都市では言葉の壁を乗り越える為、小人が産まれた段階の初期の時点で言葉玉は与えられる。

 言葉玉を産んでくれるニンゲン『学校の先生』や『英会話教室の先生』は優遇される存在だ。


 スタローンは話を続けた。

「その言葉玉の中に、よりハイクラスでレアな物がある。大きさは大玉クラスに間違い無いと思うが、呼び名を【言珠(コトダマ)】と言うヤツだ。その戦士が使った技はそれで得たチカラだ」


「コトダマ……」


 レンは呟く。どこかで聞いたような響きだ。


「言葉にチカラを込める。もしくはその言葉の持っているチカラを解放する。言葉に魂を込めるとも言うがな、何しろレアだからな、こんな田舎じゃ手に入らんぞ。何処かで手に入れたんだろうがなぁ」



 ……ごく最近、聞いた気がする。



「それを使えば『(ほのお)』という文字を解放して剣に炎を纏わせたり出来る。さっき聞いた『(ざん)』という文字は、そのまま『()る』チカラだな。ニンゲンから手に入れられるんだろうが……せめて、どんなニンゲンが産み出すのか解ればなぁ、その家に直接行って運が良ければ手に入るんだろうがなぁ」


 ……思い出した。


「アイツに聞くのか」


 レンは嫌そうに言った。



 ☆



「ジン様!来てくれたのですね!嬉しいですわ!嬉しいですわ!」

 ベッドの上でオードリーが目をキラキラさせていた。

「俺も居るんだがな」

「アンタは嬉しかないのよ!」

 レンとオードリーが火花を散らした。

 横でジンが苦笑して見守っていた。


 オードリーは自分の寝ぐらに戻っており、一応安静にしているようだった。

 夢珠の効力で回復した体は、特に異常が見られないが、そのチカラは全て解析されたわけではない。使った夢珠が予定外の副作用をみせないか、その様子見の期間だ。少なくとも丸一日、安静にしていなければならない。

「暇だろうと思ってね、話し相手になりに来たよ」

 ジンが言う。

 当初の目的の一つには間違いなく予定されていた事だ。だが、昼の部リーダーのスタローンとの会話を経て、今はもう一つの目的を生じている。


「オードリー、そーいえば昨日の夜、漆原さんの話をしてたじゃない?あの時に、声に魂を込めるとか言ってたよね」


「そうですわよ。声に魂を込めているっていうのは、本人もたまにだけど、基本的には私達ファンやリスナーがよく言っている事ですのよ。それにおいてはめぐさんは神よ、神」


「声っていうか言葉に?チカラを込めることが出来る?」


「そうよ。めぐさんの言葉には魂が宿るの。あらやだ、アンタも私と漆原談義がしたかったの?」


「違う!いや、違わないか……」


「結果的にはそうなるよねー」


「コトダマって知ってっか?」


「知ってるわよ。コトダマと言えばめぐさんよ。声優界じゃ当たり前の話よ。知らないの?アンタ遅れてるー」


「知らねーよ!俺は声優界じゃねーんだよ!」


「めぐさんのまたの名を『言葉の魔術師』とか『声の魔術師』って言うのよ。覚えときなさい」


「なんで俺に対してだけは態度が違うんだよ」


「当然でしょ。元はと言えばアンタの所為なんだから」


「それはそーなんだが」


「でも他にも声優さんって居るよね。他の人じゃダメなの?」


「まぁ、他にも新しい声優さん出て来てるし、好きな人は好きなんじゃないですかねぇ?でも顔だけだったり、歌手のまねごとみたいに歌ばっかりやってるのも居るし。その点めぐさんは演技も神ですよね。歌は歌唱力に疑問が残るけどいやいやいや、その妖しい歌唱力を差し引いたとしてもね、やっぱり魂というか、やっぱり言霊(ことだま)ってやつ?それが感じられるかどうかだと思うのデスよ。だいたい今のアイドル声優にろくなの居ないじゃない。田中まゆみんに一目置かれてんのよあの人は。あの人だけは!やっぱり演技がしっかり出来てないと上には上がれないわよね。そのうちアイドル声優って言葉も廃れて来るんだろうけど、いざそれが無くなった時に何が残るのかって事よ。声優が声のお仕事しなくてどうするのよ?いくら流行だ声優ブームだって言っても、いつか波が去る時が来るの。その時に歌ってる場合?違うでしょー、まぁ、私は歌がやりたかったんです!ってハッキリと転向したヒトも居るけどね。あははは、ある意味、(いさぎよ)いわ」



「……始まったな」

「ああ」



 ☆



 オードリーの家に来て30分後、ある一定量の知識を吐き出したオードリーがふぅっと息をつく。一つの番組を終えたような達成感と共に、溜まっていたストレスがいくらか解消されたような気がする。


 レンは精神的ダメージと体力を払いながら、聞きたかった情報を得るためにやっとの思いで質問した。

「その漆原さんはどこに住んでるんだ?」

「知らないわよそんな事」


 ガクッとうな垂れるレン。


 耐えていた精神的ダメージが限界に達している。まさかの一蹴だ。

「ストーカーでもするつもり?」

「んなわけねーだろが」

「やるかもしれんだろが」

 再び散る火花。

 ジンがなだめる。

「まぁまぁ、実は夢珠の事で調べていてね。【言珠(コトダマ)】っていうレアな種類があるらしいんだ」

「まぁ、まさにめぐさんの代名詞のような夢珠ですのね。確かに、漆原さんを始めとした有名な声優さん達の夢珠が今スゴく都会で人気らしいですわ」

「本当かよそれ」

 レンが反応する。

 オードリーは当然といった顔で頷きを返し、言葉を続けた。

「始めはミーハーなコレクター人気だったみたいですけど、使った時の効果も面白いらしくて、今は中玉でも半年以上の予約待ちですわよ」

「はんとしぃ~!?」

 レンがまたもやガックリとうな垂れる。

「面白いってどんな風に?」

 尋ねるジン。

「見たこと有りませんけど、聞いた話では『空中に文字が書ける』らしいですわ」

 レンとジンがニヤリと笑う。

「ビンゴだな」

「うん、間違いなさそうだね」

 オードリーは、二人がその夢珠を欲しがっているようだと気付いた。その通りだが、そんなに声優が好きだったとは知らなかったと勘違いもしていた。

「そんなに有名じゃないヒトのならもっと早いかもしれませんけどね。手に入れたら眺めたり撫でてみたりするのがコレクター魂ですのに。使ってしまうなんてもったいないですわ。私には考えられません。でも、速水さんの夢珠ならこの身に使ってみても……あらいけないわ、オードリーったらそんなっ……」

 一人で赤面してモジモジし始めるオードリーを置いて、ジンとレンが顔を見合わせる。

「半年はさすがに……」

 ジンが眉根を寄せる。

「やっぱり一か八か行ってみるか」

「そうだね、それしかないと思う」

 レンの言葉に頷くジン。

 オードリーは二人の様子にハッと驚き、

「まさか本当に漆原さんに会いに行くんですか!?」

 その問いにジンは少し考え、答えを返す。


「その夢珠、【言珠】がニンゲンの声優さんから産み出される物で間違いなければ、そのチカラはかなり実戦的なモノだ。昨日襲われた黒い邪夢だって一撃で倒せる程の威力を僕とレンはこの目で見てる」


 頷いてレンもその後に続く。


「都会でそのチカラに気付いた奴らがこぞって欲しがるだろうな。戦士なら絶対に欲しい。待っててもこんな田舎じゃ絶対に回ってこないぜ。俺たちの地区にはあの黒邪夢が実際にもう現れてるんだ。俺たちには必要なチカラだ」


「そうだね、黒いヤツが現れる度に他の地区に応援を呼んでたんじゃ、後手に回るばっかりだ。それじゃあ最悪の事態になった時に甚大な被害が出る」


 真剣に話し合うジンとレンを見て、オードリーが顔を赤面させたままで言う。

「私、勘違いしてましたわ。二人とも声優ファンでただ夢珠が欲しいのかと思って……真剣に、町の事を考えてたんですのね」

「あたりまえだろが」

 レンの白い目線が刺さる。

 ジンは微笑んでいる。

「またオードリーのような被害者を出さないためにも、僕たちは強くなりたいんだ」

 オードリーはキッと視線を上げてジンの目を見る。

「わかりましたわ。東京の北区ですわ」


「……え?まさか漆原さんの?」


「知ってんのかよ!!」


「ファン舐めんな!」


 何故か逆ギレされて再び火花が散る。

「ありがとう、オードリー」

「私は行けませんから、何かお土産お願いしますね?」

 ジンのお礼の言葉に、オードリーが笑顔を向けた。

 さらに付け足す。

「めぐさんグッズは殆ど持ってますから、本人の使用済み実用品か夢珠の小で構いませんわ」

(こいつの方がストーカーじゃね?)

 レンは思った事は黙っていた。


 ☆



 その日の夕暮れ、【夜の部】北東部リーダーのシュワルツの元にとある小人が現れた。

 南西部から来た遠征組、剣士のロキである。

 北東部の中心、集会所でもある納屋の家、その母屋の二階、さらに屋根裏にシュワルツの自室がある。

 ここは他の小人達の家や住処とは違い、ニンゲンの住居を模して造られた様相をしていた。

 8人が座って会議が出来るテーブルと椅子。

 書類仕事をするための机、紙を巻き物にした書物をまとめて保管するための書庫、仮眠用のベッド。

 それらは木の壁で区切られてドアまで付いていたが、天井は無かった。あくまでもニンゲンの家の屋根裏だ、雨の心配はない。

 薄暗い内部を明るくするために幾つかの丸い照明が壁に灯る。夢珠から創られた光の球体で、電気も動力もなく自立発光する。そのおかげで部屋の内部は昼間のように照らされていた。

 ロキは壁伝いに歩き、一つの扉の前で立ち止まる。

 他のドアには『会議室』や『休憩所』といったルームプレートがあるのだが、その扉にだけ、何も書かれていなかった。

 そのドアを開ける。

 木の軋む音と共に扉が開き、部屋の内部から男の声が出迎える。


「やあ、首尾はどうだね?ロキ君」


 中央に置かれた大きな机で、書類を忙しく広げたり、何かを書き込んでいるのはシュワルツだ。


「報告を待っていたよ。今日の狩りの配置に関わるからね。【中島家】の近辺の配置が決まらなくて困っていたんだ」


「すいません、シュワルツさん、遅くなってしまって」


「大きな邪夢は排除してくれたんだろう?【中島家】の近辺はまだ様子を見た方がいいかね?【昼の部】の配置はあの近辺は誰も近づかないように手配はしたんだ。昨日の今日だからな、もう一日、様子見てから偵察隊を送ろうかと思ってるんだが、どう思う?」


「発見した邪夢については全て排除しました。一匹が隣の家にまで侵入していたのも排除しました。その時に怪我をした者が出てしまった事については申し訳ありません」


「いや、君はよくやってくれた。我々の部隊が未熟だったから起きた事だ。気にする事はない。怪我をした者も無事に治療を終えている」


「今夜の【中島家】の出撃はもう一度我々の部隊でやらせて貰いたいのですが」


「もう一度か?」


「南西部から追加の応援を呼びました。今こっちに来ているのと合わせて10名で【中島家】とその近辺を含めて隣接する9件に、監視と残っている邪夢狩りをします。それで問題が無ければ明日の夕暮れに我々は引き上げさせて貰おうかと思います」


「9件を10名で?監視だけならともかく、大丈夫かね?」


「昨日倒したのが一番大きな親玉なら問題無いでしょう。それよりも問題なのは【中島家】から移動した邪夢が居たという事実です。すぐ隣で見つかったから良かったですが、まだ潜んだままの邪夢が居ないとは限りませんから。今日もう一日、用心しておきましょう」


「わかった。【中島家】とその近辺の事はもう一日、君に任せよう。よろしく頼む」


「了解しました」


「頼もしくなったな、ロキ君」


「……」


「君が都会に出て行ってから何年になる?もう七年、いや八年か?お兄さんのスタローンには会ったかい?」


「いえ、まだ」


「兄弟が居るのは貴重な存在だ。大切にしたまえよ」


「シュワルツさんにも居るんでしょう?兄弟」


「兄がね。アーノルドと言うんだが、しかし彼はアメリカだ。流石になかなか会えない」


「そうだったんですか」


「君たちは同じ国だ。会おうと思えばいつでも会える。羨ましいよ」


 そう言ってシュワルツは笑った。

 だがすぐに顔を引き締めて机に向かう。今夜の部隊調整を仕上げなければならない。

 ドアから去るロキを見送りながら、シュワルツは黙々とペンを走らせた。



 ☆ ☆ ☆




 時を同じくして夕暮れ、神社の裏手でカラスの背中に乗りながら出発準備を整えたジンとレンが居た。

 夕暮れに出発し、街を一つと、二つほどの山越え、そして山麓ではフクロウに乗り換えてまた街を目指す予定だ。

「まぁ、本人の夢珠を直接回収は出来ないかもしれないけど、その地域を担当する夢防人の団体が居るはずだから、そこで管理している夢珠を分けてもらう手もある。交渉する必要があるだろうけど」

 青い帽子を深めに被り、カラスの首筋にモゾモゾとよじ登るジン。

「その方がラクそうだよな。確実だし」

 レンが後を追うように乗り込みながら言う。二人とも一羽のカラスに乗り込むと、黒く艶やかな翼が広げられた。

 沈み始めた夕陽に照らされながら、その雄々しい羽根で舞い上がり、風を切る。

「スタローンさんが書いてくれた紹介状も有るし、話しくらいは聞いてくれるといいなぁ」

「あのオッサンそんなに有名人なのか?」

「若い頃はかなり有名だったらしいよ。でも紹介状は知名度よりも、ちゃんとした身分を保証するための物だから、僕たちが遊びで来てるんじゃないって事を信じてもらうのが目的さ」

「気が利くな、スタローン。シュワルツより話がわかるんじゃないか?」

「そう思われたいのさ」

 そう言うとジンはニヤリと笑った。

 田舎町を眼下に見下ろしながら、カラスが鳴く。

 夕焼けを背負い、朱色に照らされながら翼を広げ、山を目指して小さな影となる。

 夢珠を求めて行くは東京、そこはさらなる邪夢の巣食う街。

「街に着いたら武器と防具も見ないとね」

「向こうのが進化してるだろうから楽しみだぜ」

 前を向いて笑う二人。いつの間にか自分達の町は小さくなり、一つ目の山に向かって高度を上げていた。



挿絵(By みてみん)

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