一章 07 「俺は実験を行うだけ」
昨日、『紅蓮』ラグーナ・パーシールが与えた訓練内容は、一週間毎日十時間以上走るというものだ。
魔法学校試験までの日数も同じく一週間しかないというのにその訓練内容である。
そして今日その一日目が終わった。
「今まで、学校だるいなとか異世界行きたいなとか考えてたけど、正直元の世界の方が楽だったな」
小説の主人公が異世界で大活躍するのを読んでいると、誰であれ「俺にもできんじゃね?」と思ってしまうわけである。実際簡単にはできないわけだが。
赤上は十時間走るという訓練を終え、自宅の風呂に浸かっていた。
「はぁ……。それにしても、妙な感覚だったな」
昨日、ラグーナに言われるがまま、カカシ人形を攻撃したときのことだ。
赤上はそのとき、自分の身体が自分のものでないような錯覚を覚えた。
「錯覚……なのか? そーいえば、元の世界で毎日のように感じてた身体の怠さとかもないし、顔色もなんか前よりいい気がするな」
第一、元の世界の赤上の姿で家族と対面しても記憶喪失で済ませられる時点で察するべきだった。
もはやここまで証拠になるものが揃っているのだ。
赤上が持った疑問は確信へいたる。
「まさか、身体が……入れ替わってるのか……?」
それでしか状況は説明できない。
身体が入れ替わる話は何度も読んだり見たりした。赤上の場合は世界を越えたが。
ただ、何故アクォスの姿が赤上の姿と瓜二つなのかだけが疑問だが。
「それは、俺になにか特別な力があるからってことにしよう」
持ち前の中二心で適当に納得することにした。
考えてもわからないことは考えないのが赤上の信条であった。
「さてニーシャ。君に手伝ってほしいことが二つできた」
風呂から上がった赤上は、真っ先にニーシャの元へ行った。
昨日思いついた、物体が発動する強化魔法の有効利用方法を試すためというのと、単純に回復魔法を唱えてもらうためだ。
「えー、めんどくさいなーもう。言ってみて」
「師匠より預かった訓練が過酷なので、回復魔法をかけてほしいってのと、今からやる実験を手伝ってほしいってのだ」
「実験? なにすんの?」
「聞いて驚け、無詠唱魔法の実験だ!!」
この世界で、赤上の知る限りではマンガのような無詠唱魔法も、赤上の考えたその辺のものを使った強化魔法を有効利用しする方法もまだ発表されていない。
だから、ニーシャに手伝ってもらい、無詠唱強化魔法の方法を確立させて、自分の戦力の一つとしたいのだ。
誰も知らない戦い方ができれば、それだけで戦術の幅が広がる。
実験はぜひ成功させたい。
しかし、ニーシャの反応は薄い。
「はぁ? そんなのできるわけないじゃん。どっかの国の頭いい人たちが必死で知恵絞っても、できてないんだよ?」
「強化魔法に限ればできそうなんだよ」
「具体的な方法は?」
「その辺のものに強化魔法を発動させて、物体が強化される際に自分も強化してもらう」
「――――」
ニーシャは目を見開き、考える。そして、ニーシャの中でもやってみる価値はあると結論は出た。
どうして自分の兄がまるで別人のように頭がよくなっているのか、という疑問は胸にしまう。
「どこでやるの?」
「うーん、庭でいいんじゃね?」
「うわぁ……。お母さんが手入れしてる花壇とか壊したら大変だよ?」
「き、気をつけるよ……」
ローリアの恐怖を身をもって実感している赤上は、鳥肌を立たせながらも外に出た。
グランドラグ家は元の世界の一般家庭と比べると、広い。この世界においても本当に平民なのかというくらいには広かった。
そのため、この世界の平民はなかなか持っていない庭がある。
そう、この世界の平民は基本的に庭を持っていないのだ。
そういったところを見るとグランドラグ家は平民よりも貴族に近いのかもしれない。
花壇のあるスペースは、思っていたより広かった。
家の裏であるそこは、花壇を入れて六畳ほどスペースがあり、実験には丁度良い。
赤上は早速自室から持って来た紙とペンを取り出す。
「アタシは何を手伝えばいいの?」
ニーシャは当然の疑問を訊いてきた。
それを説明するために取り出した紙とペンなので、赤上にとっても都合のいい質問だった。
「この紙に強化魔法唱えさせてくれ!」
赤上は、魔法学校を受験する身であるにもかかわらず、清々しいほどの笑顔で試験範囲の内容を妹にやらせようとする。
理由はやり方を知らないからである。こんな受験生になってはいけない。
「はぁ!? アニキ魔法学校の試験受けるんだよね!? それすら知らないで大丈夫なの!?」
「ははは、お前も変な心配するんだな。大丈夫に決まってんだろ」
「その自信の根拠が知りたい!!」
ニーシャがガーッと怒鳴り散らしているが、そんなに時間があるわけではないので、強引に紙とペンを押し付ける。
時間は夜だ。
ニーシャは六畳ほどのスペース全体を明るく照らす魔法を唱え、渋々強化魔法陣を描き始める。
物体に魔法を唱えさせるには、物体に魔法陣を描く必要がある。
赤上には読めない変な形の文字と記号を円状に並べて描き、最後に魔法陣の上に小さな円を描けば魔法が発動されるということだ。
今回は物体修理魔法、つまり回復魔法を発動することにした。
理由は言うまでもなくラグーナの訓練によって生じた疲れを癒すためだ。
ニーシャが魔法陣を描き終えたところに、赤上が手を伸ばす。
ここで紙を握っていれば回復魔法が発動され、赤上の疲れは癒えるはずだ。
「じゃ、発動させるよ」
ニーシャが魔法陣の上に丸を描いた。それと同時に赤上は目を瞑る。
その瞬間、紙の周りを緑色の光が包む。
魔法が魔法されるときに発生する、魔光だ。
魔光は魔法の種類によって色が違い、強化魔法は緑である。
魔光は魔法が発動し、それが終わるまで光り続ける。つまり、魔法が発動し終えると、光も消えるのだ。
紙を包んでいた緑色の魔光が消える。
物体修理魔法は無事発動したようだ。
「……アニキ、どう?」
ニーシャが問う。
赤上は閉じていた目を開く。
そして。
「回復したぁぁぁああああああ!」
時刻は夜だというのに、大声で叫んだ。
「わかってるの? 近所に迷惑かけたら、謝るのは基本親なんだよ?」
赤上は現在、ローリアから説教を受けていた。
実験が成功したときに大声で叫び散らし、近所に迷惑をかけたからだ。ちなみにニーシャも何度か怒鳴っていたのに、全て赤上の責任にされた。
お分かりだろうが、全ては親父の策略だ。親父だけは許さないと誓う。
「仰る通りでございます……」
「身体をねじ切られたくなかったら、二度とこういうことはしないように」
ローリアの目が鋭くなる。
それに赤上はとてつもない恐怖を感じ、ピンッと背筋を伸ばすと、
「了解です、二度としません!」
二度と怒られないようにしようと誓った。
無詠唱強化魔法の実験は成功した。
これで、魔力のない赤上も魔法を唱えることができる。
しかし、赤上の実験はそんなところでは終わらない。
赤上は、今回の結果を活かした道具をいくつか考えていたので、明日からは試験勉強と訓練の合間にニーシャとともに作製しようと思っている。
赤上は異世界で初の成功を経て湧き上がってきた希望を胸に、布団へ入った。
魔法学校入学試験まで、残り五日。




