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一章 03 「俺はおつかいについていくだけ」

 赤上はおつかいに行くことになった。

 具体的にどんなものを買うのかは聞いていないが、常識的なものだろう。呪いのための道具だとかじゃないと信じたい。

 しかしここは異世界。

 言葉こそ通じたものの、元の世界とどれだけ常識が共通しているものかわからない。

 ひょっとしたらおつかいと言いながら万引きする可能性も否めないのだ。


「……いや、さすがに俺にここまで献身的な子が万引きなんてしねえだろ。考えすぎだ」


 階段を降り、玄関に向かうとすでにニーシャは靴を履いて待っていた。


「アニキ遅いよー」


「悪い悪い。そんじゃ行くか」


「アニキは記憶喪失なんだから、はぐれないように気をつけてね!」


「はいはいわかってるよ」


 ニーシャの言葉に応答しながらも、赤上は内心わくわくしていた。

 なんたって、異世界だ。

 ライトノベルなんかをチラッとでも読んだことがある人ならば一度は憧れるであろう異世界だ。特に赤上なんて数年も前から憧れてきた。

 わくわくするのは当然だろう。


(ここは多分『剣と魔法のファンタジー世界』だ。ってことはいろんな種族の人間が外を歩き回っているのだろう。やべ、わくわくと同時に緊張してきた)


 ニーシャ玄関を開けた。

 一年前からまともに浴びてこなかった日光はとても眩しく、赤上は思わず手で自分の視界を覆ってしまう。

 次第に光に目も慣れ、視界を覆っていた手をどかしても問題がなくなった。

 その手をどかす。


 そこには。




 ――異世界が、あった。




「………………………………………………………………」


 声も出なかった。

 見入ってしまっていた。


 今の今まで、ネットでいくらでも画像を見れるのだから、海外なんて行ったって金の無駄だと思っていた。

 でも、赤上はもう二度と同じことを言えない。

 目の前の景色に、感動してしまったから。

 眩しい日光に照らされたただの大通りですら、美しいと思ってしまったから。

 見知らぬ世界を見る、ということを、知ってしまったから。


「くっ……」


 涙があふれてきた。

 これは光が眩しかったからだ。そういうことにしておく。


 

 自分から行くことに意味があったのか、と。

 赤上は自分の殻に閉じこもっていたことを、今更後悔した。

 誰も話しかけてくれないからと教室で一人ラノベを読んで。

 いじめられたからと自室に一人閉じこもって。

 今、思い返してみれば、赤上は一度も自分から行動していなかった。

 結果から逃げただけだった。

 そういう意味ではまるで自業自得ではないか。


 自分から行動するというのは、怖いことだ。

 とても勇気がいることだ。

 赤上は、それに屈した。

 背中を押そうとしてくれた幼馴染の手を振り払ってまで、背を向けた。

 心配してくれたであろう両親を無視して、逃げた。

 周りの人に散々迷惑をかけて。

 結果が、これだ。


「アニキ……? どうしたの? なんで泣いてるの?」


 ニーシャがかがんで赤上の心配をする。

 世界が変わってもも周りの人を心配させるなんて、やっぱり俺はダメだなぁと思う。


 もう多分、元の世界には戻れない。

 ニーシャによると神月昴輝という異世界人がいたらしい。名前で判断すると故郷はおそらく同じ。

 しかし赤上は元の世界でそんな名前の人間のニュースは見たことも聞いたこともない。

 異世界に行って帰ってきたということであれば少なくともネットに名前くらい出るはずだ。

 しかし毎日ネットを渡り歩いていた赤上ですらそんな名前を聞いたことがないのだ。

 考えられるのは、戻りたくないか、戻れないか、すでに死んだか。

 いずれにせよ戻れない可能性のほうが高いのは確かだ。


「もう俺は、迷惑かけてきた人たちに……謝ることもできないのか……」


「アニキ……」


「散々背中を押させて、散々期待させて、散々迷惑かけたのに……恩返しどころか、謝ることさえ……できないのか……」


 憧れた異世界も、今では赤上を縛る牢獄に思える。

 こんなことなら、せめて一言「ごめんなさい」と言いたかった。言っておけばよかった。

 だが、もうそんなことはできない。

 

 だったら。


「……俺は、馬鹿だ」


 だったらせめて。


「……俺は、世界一の大馬鹿野郎だ」


 だったらせめてこの世界でくらい。


「……だから」




 がんばったって、いいんじゃないか。




「馬鹿には馬鹿らしい生き方があるんだって、こんな状況を作りやがったクソ野郎に教えてやる」




 元の世界に戻ることができないのなら。

 せめてこの世界でぐらい、自分を誇れる人間になれ。

 

 元の世界で腐りきっていたのなら。

 せめてこの世界でぐらい、自分を誇れる人間になれ。


 元の世界を後悔しているのなら。

 せめてこの世界でぐらい、自分を誇れる人間になれ。


 赤上は、自分に言い聞かせて。

 涙を振り払って。

 この世界で、本当の意味で、立ち上がった。




「さて、遅くなって悪かった。そろそろおつかいに行くか」


「うん!」


 赤上は、この世界でやっと、一歩前進した。







 グランドラグ家は、国有数の大通りの商店街の出口付近にある。

 なんでも、親父がわりと有名なモンスターハンターで、稼いでいたためこんなところにでも家を建てられたんだという。

 ちなみにこの国はドラグーニアといい、貴族の家名にもドラゴンの名前がつくくらいドラゴン大好きな王国なのだが、ドラゴンは一体もいない。

 代わりというのか、この国にはリザードマンの奴隷が多い。

 リザードマンはトカゲ型の亜人で、その容姿から迫害されることが多いが、この国にリザードマンの奴隷が多いのは言うまでもなく見た目がドラゴンっぽいからだ。

 大通りも、やはりリザードマンであふれかえっている。

 

「平民も奴隷って持ってるんだな」


「そうだね。うちにもいるよ」


「ふーん。平民が奴隷持ってんのも普通なんだなって、えっ?」


 なんか衝撃的な事実を聞いてしまった気がするので、聞き返す。


「いや、だから。うちにもいるよって」


「…………………………………………」


「うちにもい」


「わかったから!」


 割と衝撃だった、自分の家に奴隷がいるなど変な気分だ。

 奴隷がいることと、街の風景が中世ヨーロッパ風なことから察するにこの世界は中世ヨーロッパに似た世界なんだろう。

 人の考え方なんかも中世ヨーロッパに似ているのかもしれない。

 

「あ、そうだ忘れてた。アニキにこれ渡しておくね」


 赤上がこの世界についての考察を進めていると、ニーシャがそれをさえぎった。

 なんだと思い、そちらを向くと、ニーシャは赤色の石を持っていた。


「なんだそれ?」


「魔法付加アイテムのひとつ、守護石だよ」


 魔法付加アイテム。それは赤上の読んだ本にも説明があった。

 アイテムごとに設定された条件を満たすと勝手に魔法を発動するらしい。

 

「守護石は、向かってくる攻撃を感知すると魔法の盾を作るって効果があるの。大通りも治安がいいとは言えないからね」


「なるほど、ありがとう」


 守護石を受け取り、上着のポケットにしまった。

 

(向かってくる攻撃に反応するってことは、投げても使えるってことか)


 しまいながらも手に入れたアイテムの有効利用方法を考えておく。

 




「あちゃー、間に合わなかったかー」


 ボーっとしながら歩いていると、目の前でニーシャが額を押さえていた。

 なんだろうと思い、周りを見ると人が集まっていることに気づいた。


「なんなんだ? この人だかり」


 大通りの中央に馬車か何かが通れるくらいの隙間を作るようにして人は集まっている。

 おかげでお店には近づけないし、大迷惑だ。

 集まっている人たちにとってはそれだけのイベントなのだろう。


「第一王女様のパレードだよ。綺麗な人なのはわかるけどさぁ、買い物がしづらくなるってわかってんのにパレードなんかしないでほしいな」


「王女ねえ……」


 現代日本に馴染みきったこの体は、王女というワードを聞いてもいまいち実感を沸かせない。

 きっと集まっている人にとっては参加したくなるほどのものなのだ。ということは、この国の王女は嫌われていないということか。

 なにか現代日本人でも納得しやすい表現はないものかと考えていると、思いついた。


「なるほど、王女がアイドルで集まってるやつらがドルオタってことか」


 妙にしっくり来る表現だった。


「あいどる……どるおた……?」


 ニーシャが怪訝そうな顔でこちらを見ているが、無視する。

 

 後ろからも人が集まってきたせいで進むことも戻ることもできなくなった赤上とニーシャは、王女の顔を見ることにした。


「あ、アニキ。あの人だよ、ドラグーニア第一王女、ハーティア・ドラグナー様」


 大き目の馬車が近づいてきたときに、ニーシャがそう言ったので顔を上げる。

 そこには、赤上と同い年くらいの少女がいた。

 少女は馬車の上に護衛とともに立ち、集まる人々に笑顔で手を振っていた。

 その笑顔を見て、赤上は作り物だと思った。

 なぜならそれは、その笑顔は、一年前その手を振り払った幼馴染が、時々向ける空っぽの笑顔に酷似していたから。

 太陽のように淡く輝く綺麗な金髪を風になびかせ、少女は作り物の笑顔で人々に微笑む。

 赤上はどうしてか、少女が哀れに思えてしまった。

 アニメやマンガでよく見る王女様キャラはあんなに生き生きしているのに、現実の王女はこんなに空っぽなのかと思った。

 そんな時、赤上は王女と目が合った。

 王女は赤上の向けていた哀れみの視線に戸惑いつつも、また、空っぽの笑顔を向けた。

 助けたい。

 自然とそう思った。

 偽善かもしれないが、それでも赤上はそう思った。


 王女の馬車は通り過ぎていった。

 赤上はそれを目で追っていると、王女の奥に見える高めの建物に人がいるのが見えた。

 

「そういえば、暗殺用攻撃魔法ってのが本に書いてあったな……」


 暗殺用攻撃魔法とは、読んで字の如し暗殺に使える魔法だ。

 その多くが最小限の音で、最低限の動きで、最大限暗殺をサポートするものだ。

 建物の上に立つ人間の動きは、『アサシンスナイプ』という魔法の予備動作に似ていた。

 『アサシンスナイプ』とは、ポピュラーな暗殺用攻撃魔法で、手に持った刃物を亜音速で撃つという効果がある。


「……かがんで何かを構える動作。間違いなく『アサシンスナイプ』だ」


 赤上は、上着のポケットから守護石を取り出した。

 これをうまく投げれば、盾が作られて王女を助けられるはずだ。


「重要なのはタイミング。あいつがいつ魔法を発動するのか、だ」


 タイミングが数秒でもずれてしまえば、王女を助けることはできない。

 馬車の進みは遅い。直線にしか刃物を飛ばせない『アサシンスナイプ』はまだ発動できないはずだ。


「アニキ? どうしたの?」


 ニーシャが守護石を手にもっている理由について聞いてくるが、今は無視する。

 

「……頭の中でシュミレーションしろ。街を上から見たとして、どのあたりが刃物の直線上なのか」


 目を閉じて、今まで歩いてきた道を振り返る。

 そして。


「……おそらく、俺がニーシャから守護石をもらったあたりが直線だ」


 馬車はすでにその場所を通ろうとしている。

 護衛も集まってくる人しか見ていないようで、今にも『アサソンスナイプ』を発動しようとする暗殺者には気づいていない。


「クソッ、届け!!」


 行動に、迷いはなかった。


 赤上は、その手に持った守護石を、王女に向けて全力で投げた。

 少し遅れて、暗殺者にも動きが見えた。おそらく『アサシンスナイプ』を発動したのだろう。

 赤上の石は一直線に王女へ、正確には王女の首のすぐ横へ、飛んでいった。

 護衛が赤上の投げた石に気づいたが、遅い。

 石は、もう、向かってくる攻撃に反応する。


 キィィィン、と。

 金属の棒で硬いものをたたいたような音が響いた。

 赤上の守護石が作った盾とナイフのような刃物とがぶつかった音だ。


「……届いたか」


 赤上は安堵した。

 しかし、騒ぎはそれで終わらない。


「誰だ!?」


 護衛の一人がこちらを向いて怒鳴ったとたん、赤上の周りにいた人が道を開けた。

 いかにも護衛のリーダーといった風貌の男が、こちらに歩いてくる。

 そして、赤上の胸倉を掴んだ。


「貴様か、王女様に石を投げた不敬な者は?」


 ああ、そうかと思った。

 護衛は誰一人として、暗殺者の存在に気づいていないのだ。

 赤上がいくら王女を守ろうとしていたとしても、それは、証明できない。

 しかし同時にそれもいいかと思う。

 やっと自分から行動して、誰かを助けることができたのだ。

 それで死ぬのなら、それもいいと。


 何も答えない赤上それを肯定したとみなし、護衛は腰の剣を抜いた。

 ここで、死ぬのか。

 赤上は、死を覚悟して目を閉じた。


「待ちなさい!」


 そんなときだ。

 その声が、空気を引き裂いたのは。

 護衛の手が止まり、その場の人間がいっせいに声の主へと目を向ける。

 赤上もそちらを見た。


「その男が投げた石は守護石よ。殺すのは待って」


 声の主は、なんと王女だった。

 王女は赤上の投げた守護石を手に持ち、馬車から降りた。

 そしてしばらくあたりを歩き、ナイフのような刃物を拾ってこちらへ歩いてきた。


「君はもしかして、私を守ろうとしてくれたの?」


 王女は赤上の前まで来ると、そう言った。

 赤上は戸惑いつつも肯定する。


「……奥の建物の上に、かがんで何かを構えている人が見えたんです。『アサシンスナイプ』。ポピュラーな暗殺用魔法の予備動作です」


 赤上の言葉に、人々はざわめく。

 王女は何かを考えるようなしぐさをして、


「それで君は守護石を投げて盾を発生させ、『アサシンスナイプ』の威力を相殺したのね」


 赤上は首を振って肯定する。

 それに王女はふっと笑った。


「守護石を投げて使うなんて、聞いたこともないよ」


 護衛に赤上の胸倉を掴む手を放させ、下がらせた。

 そして、その頭を下げる。


「私の護衛が失礼なことをしてすみません」


「お、王女様!?」


 王女の行動にその場の誰もが驚いた。

 赤上ももちろん驚いた。一国の王女がただの平民にその頭を下げたのだ。

 そして王女は顔を上げて。


「それと、助けてくれてありがとう」


 今度は空っぽではない、本当の笑顔でそう言ってきた。

 それだけで赤上は涙が出そうになった。

 自分が肯定された気がしたのだ。

 自室に引きこもってグズグズに腐っていた自分が、肯定された気がしたのだ。




 赤上は、異世界に来て初めて、人を救った。

 しかしそれが物語の始まりの合図だったということを、このときの彼はまだ知らない。

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