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一章 01 「俺は自宅で迷うだけ」

 不思議な感覚だった。

 ただドアを開けただけだったのに、なぜか懐かしいような、赤ん坊が両親にもらう暖かい愛情のような、そんな光に包まれた気がした。

 そんな感覚も、部屋から出ると途端に消失する。

 もう少し、もう少し、とその感覚を味わいたくともそれはかなわない。

 そうして赤上は、現実へと回帰した。


「っと、なんなんだ? 今の不思議な感覚」


 現実に戻ったことを認識すると、今の不思議な感覚が自分に何かしら影響したのではないかと心配になる。だが自分の身体を見る限り特に問題はないと判断し、母親を探すことにした。


「あれ? こんなところに部屋なんてあったか?」


 廊下を歩いていると、自分の部屋のすぐ隣に部屋があった。しかし赤上の記憶では、こんなところに部屋などなかったはずだ。


「けど開けるのはなぁ」


 赤上は自分の妹に嫌われている。オタクであるのが主な原因だろう。

 初めは口をきいてくれないだけであったが徐々に悪化し、目も合わせてもらえなくなったので、こちらからも嫌がらせをすることにした。具体的には、妹が学校へ行っている間に妹の下着を親父の下着と混ぜて洗濯し、ベランダ一面に干す。これは嫌われて当然だわ。


「……妹関係の部屋とかだったら後々めんどくさいし、開けなくていいか」


 妹については親父がうるさいのだ。溺愛というほどでもないが、小さい頃から妹にちょっかい出すたび叱られた。ちなみに妹の下着を干したときは半殺しにされて三日ほど入院した。

 叱られた時の光景がフラッシュバックし、鳥肌が立つ。


「……さ。はやく母さん探さないと」


 頭の中の親父についてはどこか遠い場所へ行ってもらい、母親探しを再開。

 赤上の部屋は二階であり、母親はおそらく一階にいると見る。

 そのため、階段を使わなければならないのだが。


「あっれぇ? 階段ってここじゃなかったけ?」


 赤上の記憶では確か、部屋を出て右へ進めば、突き当たりに階段があったはずだった。

 しかしたどり着いたそこはただの行き止まり。

 階段どころか、部屋すらない。


「俺の知らない間に建て替えたとかはありえねえしな」


 毎日ずっと家にいたからな、と心の中で付け足し。

 しかしおかしい。

 赤上の記憶とは家のつくり自体が異なる。

 自宅で迷子になる引きこもり。


「やべぇこれ自宅警備員として恥ずかしい!! つか一応学生なのに自宅警備員とか言っちゃう自分が恥ずかしい!!」


 頭を抑えて叫ぶ。傍から見ればものすごく恥ずかしいことをしているのだが、赤上は気づかない。

 一頻り叫び散らすと、なんとか落ち着いてきたようだ。


「……ふう。まずは状況を整理しよう」


 まず、赤上は現在十七歳にもなって自宅で迷子である。恥ずかしい。

 見つけなければならないのは母親。インターネット環境を取り戻すためである。

 母親がいるのはおそらく一階のリビング。昼ドラを見ていると思われる。

 以上のことから、現在赤上がすべきことは、


「やっぱ階段探しだよなぁ」


 あるべき場所にない階段を探すことである。


「ま、こっちにないってことは反対側にあるってことなんだけどな」

 

 階段があるべき場所は行き止まり、それなら反対側に行けばいいという簡単な理論。

 進路を変え、引き返すことにした。

 その矢先に、


「起きるのおっそいなぁ、全く」


 ぷりぷり起こっているとみられる何者かの声が耳に入った。

 今の声は、誰だ?


「妹? いや、ありえない。あいつは今日学校で今はいないはず。まさか休み? いや、仮に休みだったとしても声のトーンが違う」


 物陰に隠れ様子を伺いつつ、小声で自分の考えをまとめる。

 妹説は否定。それならば、他の可能性を考える必要がある。


「女の子の声だったから、母さんの可能性も薄い。親父は論外だ。だとしたら」


 強盗か、自宅警備員の出番だぜと結論を口にしかけ、最有力と思われる可能性にたどり着いた。


「妹の、友達か! 今日が休日だと仮定すれば全てまとまる。ふぅ、解決だぜ」


 おそらく昨日からこの家に泊まっているのだろう。セリフの「起きるの遅い」とは妹が起きるのが遅いという意味だとすれば納得がいく。

 するとついに声の主が二回へ上がってきたようだ。階段の位置もわかったのでラッキーと思いつつ、その顔を確認すると、


「……誰だ?」


 再び、謎は深まった。

 赤上は最近、自宅のリビングで開かれていた妹の誕生日会の真っ最中、空気も読まずにリビングに入ってしまったということがあった。

 そのときリビングに入ったのはただお茶を飲みたかったからというそれだけなのだが、盛り上がっていた時らしい。参加していた妹の友達は一斉にこちらを向き、妹には涙目でぶん殴られた。以後、深夜に水筒にお茶を溜めておくことにしている。

 とにかくそのときに、妹の友達の顔は大体覚えてしまった。

 歩いてくる何者かの顔は、そのどれにも一致しない。

 妹のことだ、さすがに誕生会にも呼ばないようなやつを自宅に泊めたりはしないだろう。

 つまり。


「あれは、妹の友達じゃない」


 結論は、出た。


「あれはおそらく、強盗だ!」


 どう考えてもおかしい結論が、出てしまった。


「あれは多分、新手の強盗だな。オレオレ詐欺みたいな手口で、あえて自分の存在を家に知らしめることで行動しやすくしているんだ。ふっふっふ、だが調べが甘いぞ強盗め。この家には俺という強力な自宅警備員がいるんだよ!」


 赤上はまず強盗の動向を見て、盗んだ現場を取り押さえることにした。

 そのために近づいてくる強盗の様子を見ていると、なんと強盗は赤上の部屋に入った。


「あのアマ……! さては俺の部屋のアニメやゲームの初回限定版特典や頑張って並んで買ったグッズが目的だな! そんなことさせるか!」


 強盗が俺の部屋い入り、そのドアを閉めたのを見計らって赤上は自室に近づいた。

 自室の前まで来ると、強盗が何やら言っているのが聞こえてくる。


「こらアニキ、起きろ! ってあれ? アニキがいない」


「ふ、なかなか演技派の強盗らしいな。それに、俺がこの時間に自宅にいるのもバレていると見える。だが、残念だったな。俺の妹は俺のことが大嫌いでもちろん起こしに来ることなどないし、そもそも俺の妹は俺のことをアニキとは呼ばない!!」


 バーン! と赤上は盛大に自室のドアを開け放ち、強盗に奇襲した。

 それに対して強盗は、


「……は?」


 顔をしかめて頭にハテナマークを浮かべた。

 赤上はそれを奇襲の成功と見て、


「ふふふ、もう警察には通報してある。おとなしく武器を捨てて降参しろ」


 本当は携帯はこの部屋にあるため、通報はできていない。ハッタリである。

 それに対し、またもや強盗はハテナを浮かべる。


「警察? 何それ、警備兵のこと? 大体武器なんて持ってないし」


「警備兵とか、中二病ってやつだな。武器を持たずに人の家に強盗するなんてなかなか根性あるガキだな、だがその根性ももうじきやってくる警察の前には無力。おとなしく俺に捕まれ」


 強盗はなぜか俺を頭のおかしいやつでも見るような目で見ている。

 強盗は一度ため息をつき、


「……前々から頭おかしいんじゃないかとは思ってたけど、ついに壊れたみたいだね。バカアニキ」


「そんな演技を続けても無駄だ。こっちからすりゃお前の方がおかしいぜ、中二病女」


「演技じゃないし、中二病って何? はぁ……アニキが異世界の人みたい」


「……異世界?」


 妙に強盗の言葉に出てきたその言葉が引っかかった。

 なんとなく、その言葉でもこの不可解な状況を説明できる気がしたからだ。


「そうでしょ。なんかいきなり頭ぶっ壊れたみたいに誰も知らないような知識をしゃべりだして、まるで神月昴輝って人みたい。回復魔法でもかけたげよっか?」


 頭の中が空白に支配された。

 目の前で何が起こっているのかが理解できない。

 異世界? ありえないだろう。そんなものは物語の世界だけの話だ。現実にそんなことが起こるはずがない。仮にそんなことが起こるにしても、何らかの機械やらきっかけが必要だろう。

 赤上は部屋から出ただけだ。

 そこで、決定的なことに気づいてしまった。


「……なぁ。ここって、俺の部屋、だよな?」


「え? そうだけどアニキどしたの、ホントに大丈夫?」


 赤上の部屋には、さっきまであったはずのパソコンが、ゲームが、アニメが、グッズが、ラノベやマンガが全て、消失していた。

 唇が震える。

 嘘であってほしいと願う。

 お前の部屋の全てはもう盗んで運んだのだと言ってくれることを願って。


「……魔法を、見せてくれ」


 目をまん丸にした強盗が、手のひらの上で火を浮かべてみせた。

 ここが異世界であることが、確定した。

 

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