IF~離さない~
その不気味さがクセになる。
読むものが無くなり、仕方なく机の上に置かれていた現国の教科書を手に取った。
「なに読んでるの?」
ドアの隙間から見知った女が問いかける。
年上の幼馴染は、気楽に学生をやっている俺と違って忙しい筈なのに、何故か俺の部屋にちょくちょくやって来る。
女は当たり前の様に部屋へ上がり、俺の頭上から教科書を覗き込んだ。
「離さない」
答えを待たずに言った女と、顔を上げて言った俺とのタイミングはほぼ同時で、俺達は意味も無く笑いあった。
***
女はどうやら、手作りのケーキを毒見させに来たらしい。
二階の自室から一階のダイニング降りると、女はロールケーキを適当な大きさに切って、俺にコーヒーの用意をさせた。
ダイニングテーブルに座ってから数分経つが、どちらも少し潰れたロールケーキには手をつけない。
女は笑いながら、さっきの小説……と、関係ない話を始めた。
「授業でやったね」
「大分昔にな」
「え?」
女は少し遅れてから、忍び笑いをする俺の頬を引っ張る。
「まだ数年前のことよ!」
俺は自由に動かせない唇で何度も謝罪を繰り返した。
不純にも、今この状況があの小説みたいだなと思った。
「二ヶ月前のことなんだが……」
「私はあなたのモノを預かるくらい親しくありません」
それが人魚なら尚更ね……。という言葉を付け加えて、女はコーヒーを上品に啜る。
「不気味だよな」
題材になっている人魚もそうなのだが、相談を持ちかけてくる男も、主人公の女も、どこか
奇妙だと思った。何ていうんだろう、むず痒い感じがする。
女は驚いたように俺を見た。
「一件落着。じゃないの?」
「なんていうか……」
答えあぐねる俺を見て、女はふと何かを思いついたような顔をする。
それに視線で何だ?と返すと、女は自分の目尻を引っ張った。
「離さない」
俺は思わず吹き出した。
「私もあそこまで魅入られる存在に出会えると思う?」
少しの間を置いてから、俺達は同時に答えた。
「現実的に無理だろう」
「現実的に無理か」
そう言ってから、俺はコーヒーにミルクを入れ、女はロールケーキにフォークを差し入れる。
ミルクは白い螺旋を描きながら黒い海と溶け合った。