送り梅雨
2013年6月初旬頃構想。
六月も半ばに入るというのに、快晴ばかりの日が続き、燦々《さんさん》と降り注ぐ日光が地上をジリジリと焦がしている。
木造二階建てアパートに住む男女を除いて、人々は一足早い夏の訪れを体感していた。
「もう……限界よ」
男は向かいに座る女を見る。
辛苦を滲ませた顔に気まずさを覚え、直ぐに視線は灰色のスウェットに出来た毛玉に移ってしまう。
黙りこくってなにも言わない男に、女は溜息を吐いた。
男は体を強ばらせて一瞬女を見たが、すぐに視線は逸らされる。
何時もそうだ……。追い詰められると何も言わなくなる。
女は仕方なく口を開いた。
「今、何月?」
「6月です」
おずおずと答える男に、女は再び溜息を吐く。
本当に情けない……。
「あなたはなに?」
男はギュッとスウェットの生地を掴んだ。
「梅雨……」
許しを請うように見る男に、女は先を促す。
「梅雨……なに?」
わざと首を傾げて聞く女に、男の頬はカッと赤くなった。
「梅雨前線です」
後半消え入るような声だったが、まぁ、許してやろう。
「ごめん……」
男は苦しげに吐き出した。
「明日から、ちゃんと仕事するから」
「あした?」
ふざけるのもたいがいにしろ。
力任せに机を叩くと、乾いた音が部屋中に響いた。
「ひっ」
短い悲鳴を上げて、男は後ずさる。
「今日中……今すぐ、いきなさい」
「今日は無理……」
怒りにふるふる震える女に怯えながらも、男は否定の言葉を紡ぐ。
「どうして?」
「見たい番組が……」
「録画しなさい!」
「2つ重なってて……」
「どちらか諦めなさい!」
一喝する女に、男は最後のカードを切った。
「お腹の調子が……」
男はダンゴムシの様に丸まって腹痛を訴え続けたが、何時まで経っても女からの返答はない。
女は泣いていた。
はらはらと花が舞い散るように涙を流し、猿芝居を繰り広げている馬鹿な情夫を見て、女は泣いていた。
男は慌てて女に駆け寄り、その涙を拭おうと手を伸ばす。
「あなた……世間でなんて呼ばれてるか知ってる?」
女の涙に濡れた目では、男がどんな顔をしているのか分からない。
「空、梅雨よ」
目の前の男の雰囲気が烈々《れつれつ》としたものに変わった気がするが、もう、どうでもいい。
女は立ち上がり、玄関へと向かう。
「どこ行くんだよ」
男が女の前に立ちふさがった。
「どいて」
いつもは簡単に退くのに、今日に限って一歩も身じろがない。
「私が雨を降らせるから」
男の顔がサッと青くなり、女を掴む手に力がこもる。
「まだ、お前の時期じゃないだろ」
「そうよ」
女は男を真っ直ぐ見て言う。
これが最期になるかも知れないのに、なんて情けない。お天道様に笑われる様な顔をしているんだろう。
凄く、凄く、ふがいないや。
「行ってきます」
男の手を振り払って、女は外へと飛び出した。
何かを必死に叫んでいる男の声に混じって、立て付けの悪い扉の不快な音が聞こえる。
こうして、今年例年より早い大型台風が日本に訪れた。