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Ⅲ【春三昧と嵐の目】






「どこどこ???男は敵と貶して名高い女に言い寄ってきた噂の変人は」



 栗色のハーフアップにした髪を揺らしながら、肩掛けのバカに大きい帆布地の頑丈な鞄をドンっと机に乗せ。

きょろきょろ辺りを窺い見る、問題の渦中に在るはずの人物が面白半分に目を輝かせているのを腹立たしくアキは睨み。

目立つと自認する華やかな彼女の腕を引っ張って座らせ、重いため息を吐くのだった。






●○●○●○●○●





 とんでもない話題をその当人から投げ込まれ。関わらざるをえない状況にされた、あの日。



 例え自慢にならない経験を踏んだといえど、アキ自身は平和でありふれた生活に身を寄せる唯の二十歳間際の女であって。


 突然、顔見知りでも何でもない初めて会った男から。自分は女ではなく男が好きだとカミングアウトされて。


 頭は大丈夫かと、呆気にとられない方が可笑しいだろう。

もしくは日々度肝を抜かれて突拍子もない人生経験を踏まえる大層な御仁なら、その意見は適用されまいが。





 類を見ずアキ自身も数十秒カチン…と、固まるしかなかった。

幾度も幾度も頭の中で言われた言葉を反芻し。意味をかみ砕き。

何かの間違いか?とこちらを見続ける男を凝視し続けては自分のなかの常識と照らし合わせ。

視界を何度も過ぎる紙にようやく我を取り戻し。


 とりあえずその理論はおかしい、と一言告げた。




「いくら貴方が男が好きだからって、それは彼女候補になりたくもない私が汲む所じゃないし。ていうか貴方のこと今日初めて知ったし。性別で差別してしまうのは、申し訳ないけど事実だし。襲われなかろうと性欲の対象外であろうと、貴方が私の嫌いな男性である事実は覆らない」

だからごめんなさい、と目礼していつの間にか動きの止まったチラシを返してもらうべく掴む。




 掴むが、思いのほか力が強くて抜き取れない。

細身なわりに力があるようだと、余計なことまで思い出してしまう事柄に思考を掠めそうで。

慌てて目の前の男にピントを合わせるべくアキは男を仰ぎ見た。




―――ぷっ、



 見た途端。気の抜けた音がして。




「……どこに、笑う原因があったの?」




 くつくつ噴き出す笑いを押し込めるように上半身を折り曲げながら。

それでも収まらないのか、身体を小刻みに揺らして声を堪える彼の姿があった。


 器用にも、チラシに皺が入らない程度の絶妙な力加減のままでいるから。

余り力を込めると力作の要旨が破れそうで、アキは思い切りがつかないでいた。




「………ご、ごめっ…だって、そう、返ってくるとは思わなくて…、」




 少しばかり浮いた顔を見れば、なんと目尻に涙まで浮かべている。

アキはと言えば思いっきり面倒な心地でいるのに。何とも楽観的な男だと半眼でそう、とだけ冷たく返す。


 この男は実際何が目的なのか疑問に思う。

ただ部屋を探したければ、子供じゃないのだから不動産屋を巡れば良いのだ。

わざわざルームシェアで同居人が女なのを物珍しく見て声をかけてきたにしては、世間一般の価値観から外れて位置する性癖を公共の面前でひけらかすなどと冒険も良いところであるし。

昼時の学生食堂で言うくらいだから何かの冗談か、もしくはくだらない度胸試しか。


 色々思惑を想像してみたが。

 

 なんとなく。


 アキには、この軽く見えて物腰の落ち着いた男が中身まで軽薄そうには見えなかった。





 ふう、と吐息を一つして落ち着いたのか半身を上げた男は、スツール一席分を間に置いて腰掛けた。


(…チラシから手放せば良いのに)


 幾分引っ張られる形で腕が伸びたまま、アキは内心首を傾げて相手の出方を待った。

お気に入りの、温かな日差しが入り込む窓際では。色素の薄い彼の髪は少し眩しく煌めいていた。


 いきなり笑ってごめんね、と前置きをして。

彼は困ったように片側だけ器用に眉をあげて口を開いた。




「あのね、住む所に困ってるのは本当なんだ。今まで住んでたところも実はシェアしてて、同居人と喧嘩して放り出されてさ。今は友達の家に居座ってる」

「…?仲直りできないの?」

「一方的にばっさり。連絡途絶えたわ家行っても居留守だわ腹立つわでここ半月最低な気分。そこまでされちゃこっちも謝るのは癪で、居ない間に荷物だけ貸しコンテナに移して転々と。賃貸用に金溜めててバイトも休めず時間作れなくて、隙間にネットで部屋探そうにも手続きその他と取れる暇がない」

「……お金の事情は置いといて、家見つけられないのにバイト入れられるってちょっとひどくない?」

「新規オープンしたばっかの繁盛してる店に、知り合いの伝手で入ったもんだから顔に泥塗りたくない。もう一月すれば楽になると思うんだけど、いくら友達だからって居続けるのも悪いし恐いし安眠出来ない…」




 聞く限り、シェア相手が不義理過ぎる気がするが事は他人様の事情である。

話し続けては気落ちして暗い顔になる正面の人間に、初めて会ったのに思わず同情してしまう。

 ずきずきと痛み出す頭を片手に、私も事情は事情なのだと切り替える。

絆されて住めば都の我が家を台無しにする訳にはいかないのだ。




「友達に、家探しを任せる訳にはいかないの?」

「……俺、言ったと思うけど自分家に誰かあげるのって人災に関わらない限りダメ。シェアはシェアで領域が分かれてるから納得出来るんだけど、家主が上げるの嫌がってるけど家探してねって人としてどうだろう、」

「…まぁ、そこらへんの事情が理解できなくもないけど。切羽詰まってるなら頼むしかないんじゃないかしら」

「切羽詰まってたら丁度よく掲示板にこれがあった訳なんですが」

「―――一先ず、シェア相手の先方と話をつけるのが先じゃない?中途半端なままじゃいられないでしょ」

「…原因が痴情のもつれなら話はわかるけど、俺には全く覚えがないんだ」




 思わず振った話題に対して飛び出た単語にひくり、と口の端が引き攣った。

またつきり、と頭痛がひどくなる。




「………相手、恋人?」

「うん。社会人。深夜業のバーテンだから思いっきし学生の俺と生活反転してんの。問題なく続いてたし本人とも気が合ったもんで枠超えた覚えもないし、本気で日中夜問題が掴めない」




(…なんで私、恋愛相談みたいな相手になってるんだろう)



 話が転々と移って、感覚は麻痺していた。

性癖は本人たちが納得の上ならばそれで良い。

勝手に自分の人生なんだから謳歌すれば良いのだ。ホモだとかどうでもいい。

 然したる問題は住居だが、暇がないという話も解らない訳ではない。

進学校として評判の女子高を経て奨学生で入学した身として、毎日の授業に気が抜けない真面目な毎日を送っているのだ。半分でも高い授業料を払ってもらって都会へ出てきたのに、手前勝手な理由で講義を休めない。

 彼の話の内容は真実なのだろう。

距離が身近になった分と陽が差して明るい分、疲労感と不眠による隈と頬から細い顎へのラインが若干窪みつつあるのが窺い知れた。

症状は軽くても、わが身にも身に覚えがある状態だった。



 世間が思うほど広くないということを、アキは知っている。

そして自分が、ある種こういう“放っておけないタイプ”に極端に甘いこともアキは自覚済みである。

何を隠そう親友のありさが良い例なもので、いくらバイタリティ溢れるうら若き元気な世代といえど食べるものを食べねば活力は衰えてゆくのだ。

安眠出来ない環境が辛いものとはわかるし、友達といえども遠慮しながらの生活を理由分からず追い出され強いられれば、不憫と言うに他ない。

 ルームシェア一年目当初は、入って間もなく課題に追われるありさがやつれるのが嫌でかなり無理矢理言い聞かせた覚えがある。

少しくらい無理しても平気だと言って忙しいくせに働くと言う彼女と軽く喧嘩した覚えもあれば、熱を出して倒れた姿にそらみろと言って顰蹙をかった覚えもある。

今では朝昼晩と栄養の摂れた食事提供を踏まえ健康体になった彼女が生活習慣を正すことに納得して、あの頃は若かったーと冗談紛いに言える程に落ち着いたけれど。

アキはあまりありさの食生活が信用ならないので、彼女に似た天真爛漫な母親代わりに頻繁に家に呼び寄せるつもりでいる。


 そんな訳で、食生活のバランスはともかく三食食べてきちんと休むという基本生活が送れない彼にはぐらり、と芯が揺れてしまうのも仕方なかった。




 そこまで考えた所でふと、チラシを掴む彼の手に目を向ける。

骨が浮いた甲は硬そうで、力強そうな手だった。

アキの手なんてすっぽり片手で包めそうな、大きな手のひら。

水仕事なのか指先は荒れて、スクエア型に整ってはいるけれどささくれが見える爪先。

全体的に細いけれど、関節は太く、何か運動していたことを思わせる。


 そんな、男性の手。




 ガシリと骨が軋むくらい掴まれる腕。

 

 物を投げるように簡単に吹き飛ばされる、あがらうことが出来ない力の差。


 背後から迫る太い腕。後頭部に押しつけられる硬い掌。





「―――あきちゃん?」





 ぞわりと首筋が震えて、反射で首を上げれば。


 陽だまりの中で、不思議そうに佇む男がいた。



(―――――――あぁ、違う。ちがう。ちがう)



 明るい。

 人の気配がある。

 声がある。

 

 一人ではない。

 私はもう、何も知らない訳じゃない。


 息を吸って、吐いて。また吸って、吐いて。

深く、けれど落ち着いて。繰り返す。

大丈夫なのだと暗示をかけるように瞼を閉じ、脳裏の影を払い落す。



 目を開いた時、どこか神妙そうな顔つきになった彼は。

向き合っていた身体を少しずらして私から視線を外した。



 何を思ったからか、わからないけれど。

その行為が、少し有り難かった。



 しばらく無言のまま、ただ喧騒を聞いていたけれど。

器に残ったままの麺が延びてしまったのを横目に、努めて平常に声を出す。




「…悪いけど、やっぱり男と一緒に暮らすのは、私には無理」




 ただそれだけの言葉に、とても労力を使った気分がした。

対する彼は少し残念そうに視線を床へ落として、アキに向かって軽く微笑んだ。




「―――分かった。断られたんだから、仕方ないね。諦めて自分で何とかするよ」




 気にすることもないと思うけど、気にしないでねと一言添えて。

正面からその温かそうな笑みを受け止めることが出来なくて、少し視線を合わせてすぐにそらし、こくりと頷く。


 未だお互い握り合ったままだったチラシの内、片側から手が外されて。

自然とアキの手はその紙一枚を片手に、力なく下ろされた。



 手元に返ってきたチラシは、自分の触れた側だけが無造作に皺が入ってしまっていて。

何とも半端に見苦しい様が、喉元を閊えさせた。

新しいものを用意するのも時間がないし、コピーすればマシかと気を遣る。




「ねぇ、あきちゃん」




 まるで聞かすつもりがないような小声で。けれどしっかり耳に届く低音は、穏やかな響きで。


 老成した人間が浮かべるような、距離を置いて年若を見守ってくれる柔らかな繭の如き笑みを浮かべて。


 彼は、眦を緩めて告げた。





「もし、良ければ。顔を見かけたら、挨拶くらいはするようになっても構わない?」




 何とも、不思議な男だとアキは思った。

今まで此処にくる前からというもの、寄ってくるのはこちらを顧みず体面から汲もうとしない輩ばかりで。

相対して少し言葉を交わせばわかるものを、よくよく自分に都合が良いようにしかとらない人間ばかりだった。

ムキになるからいけないのだと親友から苦言を施されたから、間を置いて落ち着いて対応していたら軟化しただの茶化すばかりで。

結局は無視という一手に尽きるしかなかった。

それでも一年此処で過ごし、程度が掴めるようになっても自分の応対は手厳しいのだろう。

愛想がないのは自覚済みだし、関わろうとする土台が下心か単なる興味本位にしかとれなかった。

わかりやすく線を引いてみれば、よくよく身近にいた男は当たり障りなく触れる程度で。

事実楽だった。


 けれど。


(…かなり、喧々と相手してたのに、なぁ……)


 いつまでもその状態でいけないのは、言われずとも己が一番理解している。

ありさが言うことも一々尤もで、反論してもそれは単に応対なのだ。

ああ言えばこう言うという、彼女と自分の間での執り成し。


 影を怯える自分を理解しながら、前進するように背を押してくれた、血の繋がりもない彼女。

いつか終わりがくる。共にいつまでも、在れる訳がないのだと。

知ってはいたけれど、ずっとずっと先のことだと思っていたのだ。


 

 それでも、震えてしまうから。


 陽の下に在ろうと、あの影はいつもいつまでも、自分に付きまとうから。




(…これだけ、変わった人となら。……平気かな、)




 男嫌いと知りながら近づいてきて、普通は隠すことを全面的に話聞かせてくれた、変わった人。

こちらの内情がわかる訳もないのに、許容できるぎりぎりのラインを押さえて、踏み込んできた人。




(…いきなり電話番号聞こうって訳じゃないんだから、よっぽどマシよね)





 今度は視線を反らすことなく、泰然と見つめてくる髪色のわりに濃い茶かかった瞳。

見返して、何故か思わず苦笑してしまった。




「―――久尾坂くん、だっけ?」

「ワタルで良いよ、微妙に呼びにくいでしょ」




 飾り気なく、コウサカーとか聞こえるから自分じゃないみたいなんだと彼も苦笑した。

初めの勢いと打って変わって、どこか伸び伸びしている姿に此方の方が素なのかもと感じる。




「男だってことは弁えてるから、そんじょそこらのやんちゃと同じ対応は悲しいのでお願いします」

「挨拶くらいでしょ?」




 どこか反発したくなる言い方に、こんな簡単な“お願い”をされたことは初めてだと気付いた。

どうにも変わった男で、思わず呑まれた感がする。

こちらの内情を察することもなく、彼は圧迫感のない素直そうな笑顔を浮かべて言った。




「あきちゃん呼び、構わない?」

「名字だしあだ名みたいなものだし、ふざけて連呼されなければどうぞ」

「光悦至極有り難く」

「何その仰々しさ」

「寺の息子はお行儀良いのさ」




 ぽんぽん打っては響くような言葉の返しに、やはり親友に似たタイプだと内心頷く。

どっと疲れた気分だけれど、何とも言いにくい収穫があって。

その代わりに胸中に宿った、彼の事情に対する申し訳なささがどうにもしこりのように残ったのを無視して過ごし。


 その日を終えたのだった。





●○●○●○●○●



 あれから3日後。

アキの機敏に敏いありさの猛攻に合い、白状した所何故すぐに教えないのかと喚かれて。

翌日は月曜だから何が何でもその好青年の顔を拝んでやるのだと息巻いて、食堂での約束を取り付けられた。


 約束を無視すれば、それ相応の見返りがくることは知っているため無碍には出来ずにこの無駄に派手な親友と並んでいる始末。

いくら大学内の話題に疎いと言えど、この一年で何十人もの学生や社会人がありさに当たって砕けた様はアキが一番知っている。

学生は黎大を言わずもがな、美大でも駅前の短大でも。

果てには都市部にある公立の人間がわざわざアタックしに来たことも知っている。

結果は言うまでもなく。ありさは歯牙にも欠けず今は課題と友情で手一杯と言ってはごめんなさい。

何人かとは出かけたが、肩をぐりぐり回しながら親父臭く帰還しては『お勤めから帰ってきたぞー』と雪崩れかかってきたのでお眼鏡に適った者はいなかった。

服だ小物だのセンスが合わないとか、あの店のチョイスは間違っているだのと事細かに話してくるので諸事情は筒抜けである。

 男性がこぞって魅了されるのも分かりやすい容姿であるため、納得は納得だが。

賑わった館内で注目されるのを避けてきたのに、昼時じゃないと出くわさないでしょ!と訴えを通されて。

2人窓際にて横に一列、いつもは夕暮れ時に少ない人数の中で利用する場所を陣取る羽目になった。



(視線が刺さるくらいって言葉ほど、ありさに合ってる言葉はないわ…)



 座れば並んでアキにもあぁやっぱり、という視線。

 

 ありさが歩けばふらふらその後を追い、首を巡らせてアキを察して成程という視線。



 気にしてちゃ生きていけないでしょ、と呆気からんと言ってみせる親友は堂々と猥雑で込み入った食堂を歩いてプラスチックの湯のみ二客にお茶を酌んで帰ってきた。

それを待って、アキは手早く作ってきたお弁当を幅広の机に並べて膳を渡す。



「~~~うはー!花見ぶりのアキのお弁当~♪」

「つい一週間前じゃない」



 箸と引き換えに渡されたお茶を端に置いて、明るい笑顔を振りまくありさに苦笑が零れる。

月曜に昼ご飯!と言われてからは、事細かにおかずの希望が挙げられたためほとんどがありさ好みの内容になっている。

いつものホウレン草の卵焼き、レンコンの歯ごたえがある鶏だんご甘酢和え、春雨と錦糸卵とキュウリのサラダ。

小鰯の照り焼き、菜の花のカラシ和え、タケノコとそら豆の蒸し煮洋風味。

手毬型のおにぎりの中身は鮭と人参菜の炒め物とオカカが少しずつ。

近所の公園へお花見に行った時に出したおかずが大半であったため、気に入ったようだった。

まとまりに欠けるが、夜食用に惜しがるのを見越して変わり種をタッパーに入れてきてある。十分だろう。



「あ、この肉だんご中身違うじゃん。うまっ」

「前教えたやつにレンコン刻んで練っただけ。出来るよ」

「その練ってからの工程がいささか面倒ねー」



 教えた際に陶芸みたいと笑って練って丸めてと面白半分に遊んだくせに何を言うかと思ったけれど、自然に流した。

朝はきちんと食べているらしいこと、一週間経ったにしろ自活出来てるから余裕余裕と話す言葉に時々返して箸を進める。

あまり心配し過ぎることもないけれど、こうしてまた週一に昼を、週末に晩を過ごせば兆候は押さえられるだろうと考えて。

新生ゼミの内容や課題の話をしながら食欲を満足させる。


 いつもよりも人口密度が多いような気がする食堂内を、週明けで多く見えるだけだと無理矢理納得させた。

曇りガラスは窓の反射を抑えるが、向こう側の歩く人間たちは透けて見えるのでこちらにありさがいようと気付かれない。

わざわざ覗きこまれることもないので向こう側の世界は平和である。

ざわめいて所々に稀に聞こえる柏谷という名詞を聞かないふりして中身を片づければ、ぽんぽん隣りから肩をたたかれた。



「なに?もう良いの?」

「違うわよ。例のコウサカ?ワタルくん?」

「違う、久尾坂」

「まどろっこしいなぁ、―――で?彼いる?」



 少なからず、このきょろきょろ後ろを振り向く動作もざわめきを高めるのに効果が出ているのだろうと当たりをつけ。

心持ち慎重に辺りを見回す。

見渡したフロア内は同じような学生で一杯で、3日前に見たとは言え同じ人相を探し当てるにはアキにとって苦行で。

嫌々ながらも当たり障りなく眺め、いないと判断付ける。




「今日は来てないみたい。もしかしたら此処じゃなくて西館の方かもね」

「ん~、まぁこんな広い学校ですぐ会えるとは思ってなかったけどさぁ。ざんねーん」




 しょぼくれたありさに食後のイチゴを出して勧めれば、わーいと礼を言われて2人で摘み合う。





「――んでもさ、こんなとこで普通に口に出すって勇気いるよー?」



 大物か勘違い野郎かどっちかねぇ、とありさが足を組み替えながら言うのに同意する。



「誰が聞いてるかわかんない場所で、いくらあたしに訴えるためって言っても。驚いた」

「今でこそ団体とか表立ってきたけど、偏見は多いし。影でこそ人は生き生き言い合うもんだから、共学で私立であちこちからわんさかいろんな価値観集まるって言っても度胸持ちには違いないわね」

「……うん、友達多そうなタイプだったし。底抜けに明るいかどうかはわかんなかったけど、人好きのする雰囲気の人だった」

「しかも初対面だけど懇切丁寧に事情までご披露してくれて、あげく恋愛相談染みた会話…」

「あたしも麻痺して色々突っ込んで聞いちゃったけど、嫌々って風じゃなかったし。普通に相手好きなんだなーって思った」

「……う~、もうすっごい気になるわね。人生観とか語り合いたいわ」



 スティックをかじかじ噛み締め、口惜しそうにありさが唸るのに苦笑いする。


 思い返せば昼休憩のわずかな時間だったけれど。

彼は惜しみなく事情を聴けば話してくれ、他人の自分にとても心を砕いて接してくれた。

自分のことに対し重きを置かないのかと思えば、偏見による批判を受けてしまいかねない立場にいるのだから大変なことだったに違いないのだ。

 話し終わった後、立ちあがって友人らしい人物と去る姿を目にしたけれど。

平手で軽く叩かれては蹴り返して笑い合う2人の反応を見るにつけ、深い交友関係にあるのだと感じた。



(私みたいに、がちがちに凝り固まって毎日過ごすんじゃなくて。陰口があっても、受け入れて伸び伸びしてそう)



 あれだけオープンに初対面の人間に話したのだから、包み隠さず聞かれれば答えるのかもしれない。

彼にどんな噂が立っているか邪推するだけ無駄だが、いきなり事情に片足を突っ込まされたようなものなのだ。

表に出す気はないが、気になるものは気になる。



(あれだけ整った顔立ちだからモテるんだろうに、女の子断る時はちゃんと伝えるのかな。いつから男が好きだって気付いたんだろう。友達はそれさえ知って傍にいるんなら、そういう違いさえ通り越して一緒にいる魅力を知りあってなくちゃきっとあんな穏やかには笑っていられないはず…)



 黙々と考え込んでは答えを聞くにはやぶさかな問いばかりが頭に浮かぶ。

けれど、自分には彼の要求に応えられないのだ。

あれ以上突っ込んで聞く気になどなれない。


 突飛な情報に煽られて、あの日のあの時間だけが特別だった。それだけだ。




「アキ?最後の食べて良い?」



 覗きこんできたありさに何も考えず頷き返し、質問の意味を反芻して気付かれないよう息を吐く。



(―――う~…ダメだわ、日常にないことだったから反応しがちなんだ。もう関係な…くはないけど、これ以上は考えるな。踏み込むな)



 ありさが舌鼓を打って味覚を楽しんでいるのを横目に、空いた机上に肘を付いて窓の向こうへ視線をやる。


 今日も食堂を過ぎた正門まで、偶に波が途切れてもわんさかわんさか人が通る。

どの顔も同じようなものに見えて、そんな訳はないのにただ行き交うだけの流れをぼーっと眺める。



「ごちそうさま!次回は来週じゃなくて、その金曜日にしましょ」

「おそまつ様……って、本気で?」

「あったり前じゃない。それまでに会ったらちゃんと挨拶返してアドレスくらいはゲットしとくのよー」

「何で交換する必要あんのよ」

「今は春よ?麗らかな春、別れの後の出会いの春。そーんな徳の高そうな人の友人ならお知り合いになってみたいじゃない」

「顔教えたげるから自分で聞きなよ。嫌よ」

「せっかく奇特な人が挨拶しても良いかーなんて小学生でもしない断わり入れてまで仲良くしようとしてくれてるのよ?その上イケメン?寺の息子?ありがたーいことでしょうが。しっかりお付き合いしなさい」

「…タッパー持って帰ろうかな…」

「ちょっとー!?ありさちゃんの素敵な肌がブツブツになっても良いって言うの?この薄情者!」

「もういい年で自活すんだから自己管理」

「ひどい!そんな子に育てた覚えない!」

「産んでくれた覚えもないわ、」



コンコン、



 言葉の応酬を重ねていれば、正面の窓が雑談の中で音を立てて揺れた。



(スズメ…?)



 にしては力も強いし。何やら影が大きい。

 

 思わず仰いで見ると。




「―――ッ!!!」

「…お?ん?」




 話題の中心人物が、曇り部分を超えた所から片手を振って見下ろしていた。




「っな、何で…!」

「―――うん?うそ、マジで?」




 先日初対面の、相手も思わず笑い返してしまう程にこやか-な笑顔を浮かべ。

少しばかり頬が上気しているのは、温かい外気と急こう配な坂を登ってきたからであろう。


 薄手のアーミーグリーンのショート丈のモッズに、メッセンジャーバッグを横掛けにして。

日向の似合うハイトーンの茶髪を揺らしておはようと口に出した。




「…おーい、超イケメンじゃん」

「……」




 いくら挨拶しあうと言っても、こんなド観衆の中で窓を挟んでやられるとは思わず。

騙されたかと訝しんでも素直そうな笑顔が返ってくるばかりで、アキは茫然と片肘付いたまま唖然とした。


 見かねたありさが放置していたアキの右手を振るのとともににこりと笑い返して。


 ワタルは、満足したのか正門へと歩いて行った。




「―――あれは面白いわ。無害そうな好青年ぽいけど、話聞く限り相当なタマね」

「……あたし今後ろ振りかえれないわ、」



 腕組みしてうんうん納得しているありさはともかく、背後で事態を見ていた衆人観衆は好奇な視線でこちらをひっきりなしに見ていると感じた。

弁えていると言ったのは戯れだったのか。

よくよく何を考えているのかわからなくなる。



「まぁ、あんまり難しく考えなさんな。単に目に付いたからーってだけでしょ。アキには珍しくてもこんなの案外普通なんだから」

「それをありさが隣りにいる状態でやるかって話になるのよ…」

「これくらい何よ。車で通り過ぎながら名指しで愛語ってくる馬鹿よりよっぽどマシじゃない」

「…それは土台の違う可笑しさでしょ…」





 満腹感で少なからず至福な一時が。

 

 一瞬で重いものを体内に抱えた気分で、頭を抱えるアキだった。








(…同情なんかで、決めなくてほんと良かった…)







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