第八話 かわいそうなヤツ
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「ただいま〜!」
「おかえり、美桜」
「お兄ちゃん、世界一カッコいい!」
「おっと、帰ってきて早々どうした?とりあえず、ランドセルを下ろそうか?」
「だって、だって、みんなが言ってるもん!美桜のお兄ちゃんってカッコいいねって!」
「へぇ、美桜のお友達が?」
「うん、困っている人を助けてるのを見たんだって!」
「そっか、じゃあカッコ悪いところは見せられないな」
「うん!お兄ちゃんはみんなのヒーローなんだから!」
「プレッシャーすごいなぁ」
「でもでも、美桜を一番に守ってね!」
「う〜ん、どうしようかな〜」
「え〜!お兄ちゃんのケチ〜」
「ハハハッ」
「もぉ〜」
『大丈夫だ。斗翔は美桜を一番に想ってるから』
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アルがドッグランに行くのは、家政婦の三谷さんが来る週二回だけだ。そして今日はその二回目。停学中では最後になるかな。まあ、これからは会おうと思えば学校をサボればいいだけだ。この停学……悪くはなかったな。
「よう!アル」
『聡明……お前、よく会いに来れるな』
「ん?どうしてだ?」
『前世の記憶なんて知りたいか?いいことばかりじゃないと思うが……』
「まあな。『斗翔』が本当に俺なら、完全にインストールされたときに、はたして俺は『加賀見聡明』と言えるのか……?だけど、【家に帰りたい】って心が叫ぶんだ。その気持ちが何なのかは確かめないとな」
『【家に帰りたい】……か。お前にも家族がいるだろ?その辺はどうなんだ?』
「ああ……言ってなかったな。俺は施設で育ってるんだ。だから親の顔も知らん」
『――そ、そうか……それは悪いことを聞いたな』
「おいおい、犬が気を遣うなよ!別に俺の生まれがどうとかはまったく気にしてない。それよりも、あれだ……あ、青葉美桜のことが……」
「ウォンッ!ウォンッ!」
『――なっ!貴様ぁ〜!まさか美桜のことが好きだとか言うつもりかぁ〜!許さん、許さんぞぉ〜!しかも、前世が斗翔だったら近親相姦になるんだぞ!たしかに斗翔はシスコンだった!しかし妹に手を出すようなヤツではない!妹にカッコいいと言われたいがために、カッコいい兄になろうと努力もしていた!生まれ変わったとしても――』
「ちょ、ちょっと待て、アル!早まるな!俺は下心があって美桜に近付いているわけじゃない!」
「ウォンッ!」
『あぁ〜!今、お前「美桜」って言った!「美桜」って言ったよなぁ〜!この前まで青葉って言ってたのに、急に「美桜」って言った!』
「お、落ち着け!吠えるな、小声で喋ろうぜ。ついつい口走っただけだ。それに青葉って名字には「斗翔」も「美桜」もいるだろ?紛らわしいからアルと喋るときは名前で呼んでしまったんだ!それでいいか?な!」
『ハァ……ハァ……』
「お、落ち着いたか?……」
『ふぅ〜……大丈夫だ。すまん、取り乱した』
「そうか……良かった。とにかく、俺は美桜のことを女性としては見ていない。言ったら俺には心に決めたマドンナがいる」
「ウォンッ!」
『――なに!?美桜というものがありながら、他のメスにうつつを抜かしてるのか!?』
「おいおい、美桜に惚れてほしいのか、惚れてほしくないのか、どっちなんだ……」
『いや、すまん。それはそれで悔しいというかなんというか……複雑だ』
「ハハハ、なんだそりゃ!」
『クッ、ムゥ……美桜はワタシにとっても妹みたいなものだからな』
「そうか、アルの主人は斗翔だからな」
『まあな……だが美桜は危なっかしいからな。誰かが守ってやらねばならん』
「『それが斗翔との約束――』」
俺とアルの声が、まるで息を合わせたかのように静かに重なる。『だな……』アルはそう呟くとふっと顔を綻ばせたように見えた。
その響きは空気を震わせ、約束の重みが胸に沁み込んでいく。
アルと話すのは心地いい。
まるで昔から知っている友と語り合っているような感覚だ。
視線の奥にあるもの、仕草に滲む想い――それが、確かに伝わってくる。
人間とは、なぜかうまくいかないことが多いのに。
なのに、アルとは不思議と気が合う。
それが何を意味するのかは分からない。
けれど、一緒にいる時間が穏やかで、温かいものであることだけは、確かだ。
「アル……俺が斗翔である確率って高いのか?」
『ワタシもあれから考えた。聡明と斗翔には8年という矛盾がある。だが、初めて会った時に話したことを覚えているか?』
「あれか?時の流れが……ってやつか?」
『そうだ。ワタシたちには分からないことが多すぎる。あの世、この世、輪廻転生……そもそも、それらに『時間』という概念はあるのか?
『人』『犬』『魂』にはそれぞれが認識している『共通の時間』なんてものは存在するのか?世界の一秒が、ワタシや聡明にとって違うように、『魂』もまた違うのかもしれない。
だから、青葉家の記憶を持っている聡明が斗翔の生まれ変わりという可能性もなくはない、と言える……が、可能性が高いだけで、確定ではない』
「む、難しいな……」
『ただ、確かなことが一つある』
「――なんだ!?」
『聡明と喋っていると……まあ、楽しいということだ。この感覚は嘘じゃない』
「……ほぅ、アルは俺のことが好きになったのか?」
「フンッ……まあ、嫌いではない程度だ」
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小学生の頃、施設から通っていることでイジメを受けたわけじゃない。
けれど、大人も子供も、俺に気を遣っているのが分かった。
「かわいそう」――そんな目で見られていた。
俺は本当に、そんな人間なのか?
特に気にしていなかったはずなのに、周りは勝手に決めつける。
面白いヤツ、勉強ができるヤツ、足が速いヤツ、家が金持ちなヤツ……
そして俺は、ただ「かわいそうなヤツ」。
まあ、確かに勉強は苦手だった。
先生たちも諦めていたし、俺自身も「まいっか」と流していた。
だが、それを「かわいそう」と結びつけるな。
コミュニケーションが苦手なヤツ、勉強ができないヤツ、運動音痴なヤツ、施設で育ったヤツ――俺たちは、何かを持つ必要があった。
何でもいい。一つだけ。
誰にも負けない何かを持っていれば、俺は自分を嫌いにならずに済んだ。
「かわいそう」なんて目で見られることもなかったはずだ。
そんな時、施設にあった漫画に出会った。
俺が惹かれたのは、ヤンキー漫画。
ヤンキーには、特別な力があるわけじゃない。
だが、彼らには――『信念』がある。
大人や周りに左右されず、守りたいものだけを守る男たち。
ヒーローみたいに誰も彼も救うわけじゃない。
ただ、自分自身を疑わず、揺るがない信念を持つ。
そんなヤンキーは、カッコいい。
こんな人間を目指していけば…… 俺はきっと……自分を――
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「ハハッ、嫌いじゃないか!いいね〜!なんかよく分からんけど胸のつかえが取れた気がするぜ!俺たちはもう友達だな!」
『フンッ、勝手にしろ。ワタシは走ってくるぞ』
「ああ、俺も帰るわ」
アルに別れを告げてドッグランを出ようとした時、数人の人だかりを見かけた。女の子とオバさんが揉めてるようだ。
「ちょっと!おたくのワンちゃんが、うちのマロンちゃんに怪我をさせたのよ!どうしてくれるの!?」
「あ、あの、レオがそんなこと……するはず……」
「でも、あなた、ずっとベンチに座ってて見てなかったでしょ!見てもいないのにどうしてそう言い切れるの!飼い犬から目を離さないのはマナーよ!しかも、こんな大きなワンちゃんを!」
「――ご、ごめんなさい!あの、私……普段、散歩に連れてきたことがなくて……マナーとか分からなくて……」
「はぁ、どうしてくれるの?マロンちゃんの治療費とか相談しないといけないわね!あなた、おいくつ!?」
「――じゅ、16歳です……」
「――まだ高校生じゃない!今日って休みじゃないわよね。学校はどうしたの!?」
「あ……え、えっと……ちょっと行ってなくて」
「はぁ……あなたの親は飼い犬どころか、子供のしつけも出来ないのね」
「――!」
「まあいいわ、親を呼んできなさい。あなたじゃ埒が明かないわ!」
クソみたいなオバさんだな。モンスターペアレンツってやつか。俺にも覚えがある……向こうから殴ってきたくせに、俺が一発殴り返しただけでぶっ倒れたザコ野郎。その後、ギャーギャーうるせぇオバさんが文句言ってきたっけなぁ。
そんな小学生時代を思い出しながら、その場を立ち去ろうとした……が。
『聡明、助けてあげないのか?』
「――うぉっ!どうした、アル!走りに行ったんじゃないのか?」
アルの視線は、怪我をさせたとされる犬のほうを見ている。
『なにやら騒がしいと来てみたら、トラブルのようだな』
「ん?ああ、なんかあの大きいほうの犬が、オバさんのとこの小さい犬に怪我をさせたらしい」
『レオが?聡明、ちょっと待ってろ』と、アルは人だかりの周りをウロウロしていた。そして戻ると、こう言った。
『どうやら冤罪のようだ。聡明……お前の出番だ』
「――は?何言ってんだ」
『レオの冤罪を晴らしてやれ』
「なんで俺が?」
『お前しかできないだろ?』
「いやいや、俺には関係ないんだが!」
『美桜ならそうする』
「まあ、アイツは正義のヒーローだからな。俺はヤンキーだし、友達は助けても知らないヤツを助けるようなお人好しじゃねぇ!そんなの助けてたらキリがねぇよ!」
『なぁ、聡明よ。あそこにいるラブラドール……レオはワタシの友達だ。そして被害者であるトイプードルのマロンも友達だ。
さらに言うならレオとマロンも友達同士なんだ。これがどういうことか分かるよな?二人の間にこんなわだかまりができると、遊びたくても遊べないんだ……二人は想い合っても両家がそれを許さない。
それをこのドッグランに来るたびに見るのはワタシもツラい……』
「……そ、そうか……」
『それで、ワタシと聡明は何だったかな?えっと……』
「――ダ、友達だよ!分かったよ!冤罪を晴らしたらいいんだろ!で、俺はどうしたらいいんだ!?」
『よく言った!まずは……』