第四話 ダチ
担任の朝倉はまた胃を痛めているらしい。
俺の“降りかかる火の粉問題”が原因だそうだ。
『加賀見聡明が校外で大立ち回りをして他校の生徒に怪我を負わせている』――そんな報告が入るたびに、朝倉はストレスで胃痛を起こし、授業不可になることが増えていた。
ちなみに担当科目は生物だ。
とはいえ、俺に処罰が下ったことはない。
大抵は目撃者がいるので、俺が一人で複数人を相手にしていたことは周知の事実だ。
ただ厳重注意を受けるだけ。
だが、その連絡を受ける担任の朝倉にとっては、刺激が強すぎるらしい。
「え〜よって臨界融合頻度は生物によって違っており、光の明滅が持続して見えるのはその生物によるものである。
皆さんご存知の通り、この世界は300Hzという臨界融合頻度で推移しています。
例えば人間は60Hzという臨界融合頻度を持っていますが、犬や猫は違いますよね。
例えば、犬は75Hzという臨界融合頻度を持っていますので人間よりもより早い時間の流れを認識しているのです。つまり犬は……」
授業が始まったが、朝倉の説明は何を言ってるのかさっぱり分からん。
ストレスが授業に影響しているのかは知らんが、頭の悪い俺にとっては「犬」という単語くらいしか頭に入ってこない。
その“犬”から連想されるのは【アル】だ。
俺は窓の外を眺めながら考える。
青葉美桜の家を訪ねてから三日ほど経ったが、あれ以来【アル】には会っていない。
こっそり訪ねるのを青葉に見られたらマズい。
まずは青葉の行動パターンを把握する必要がある。
そして、この三日間の間で分かったことがある。
俺は【犬の言葉】を理解できるわけではなく、【アルの言葉】だけを理解できるようだ。
ペットショップやら公園で実験してみたが、他の動物ではまったく理解できなかった。
表情も読み取れない。
あの日だけの異変だったのか、それとも【アル】とはまだ理解し合えるのか――確かめる必要がある。
問題は、青葉のいない時間を狙うしかないことだ。
チラッと横目で青葉を見たが、目が合えば、プイッとそっぽを向かれる。ずいぶんと嫌われている。
直接は無理そうなので、青葉美桜の情報を聞き出せる人間を探す必要がある。
俺は見た目がこんなだから友達は少ない。
いわゆる教室では一匹狼ってやつだ。
後輩の雄介も頼りにならんし、誰とも関わらないようにしていたのが裏目に出たか……。
それに、青葉も友達はいないだろう。
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チャイムが鳴り、朝倉の分かりにくい授業が終わると同時に、大声で話し始める東郷と芦屋。
芦屋は気まずそうに東郷の誘いを断っている。
「芦屋〜!お前、今日空いてる!?」
「悪ぃ、東郷。塾行かねぇと親がマジでうるせぇから、今日はパスな」
「あぁ?マジで言ってんの?今日だけでいいから付き合えよ。紹介したい先輩がいるんだよ!」
「いやぁ……この前もサボったし、マジでヤバい」
「なぁ、頼むって!お前のこと先輩に話したら、いいバイトがあるから連れて来いって言うんだよ」
「うわ、それってヤバいやつじゃねぇ?俺、親に大学行けって言われてんだよ。マジで悪い……今日は無理だわ」
「いや、マジ頼む!」
「……悪ぃ、東郷」
「おいおい、親友の頼みが聞けねぇのかよ」
この流れ――ヒーローが立ち上がる予感しかしない。
そして、困っている人間がいれば我慢できないヤツが、俺の隣に――。
「東郷くん、いい加減にして!」
「あぁ?なんだ青葉ぁ!お前には関係ねぇだろ!盗み聞きしてんじゃねぇ!」
「それだけ大きな声で話してたら、嫌でも聞こえてくるわよ!芦屋くんが困ってるの分からないの!?」
「俺たちは親友なんだ、困るとかねぇんだよ!割って入るな!ってかお前、空気が読めてねぇんだよ!」
「芦屋くんは将来のために頑張ろうとしてるの!それを応援するのが親友じゃないの!?
足を引っ張ろうとする東郷くんは、自分勝手だと思う!むしろ空気を読めてないのはアナタよ!」
まあ、正論だな。完全に青葉が正しい。だが――。
「なんだとコラァ!」
「「「――キャア〜!」」」
東郷の怒号が響く。クラスの女生徒が恐怖で叫んでも、青葉だけは凛と立っていた。
彼女は空気を読めてないわけじゃない。
ただ、誰にどう思われようと間違ったことを許せないだけ……救いたいだけなんだろう。
震える手は、それを押し殺すように強く握りしめて、東郷の怒りを正面から受け止める――。
無謀だ。
ドンッ――。東郷が机を蹴り飛ばした。
親友に断られ、青葉に正論をぶつけられ、やり場のない怒りで物に当たったのだ。
蹴り飛ばされた机は勢いよく青葉に向かって飛んでいく!
蹴った本人もここまで強く蹴るつもりはなかったのか、焦りの色が顔に出ている。
しかし、無情にも机は凶器のように彼女の身体へとぶつかり、その衝撃で倒れこみ――
――とはならない。俺が青葉と東郷の間に割って入ったからだ。
蹴り飛ばされた机は俺の足にぶち当たり、青葉をかばう形になった。危機一髪だ。
ギロリと東郷を見下ろすと、「――わ、悪ぃ……加賀見……」と気まずそうに謝ってくる。
持ち前の威圧感はこういう時に有効だ。
コイツは『狂犬』と呼ばれる俺を恐れている。
それに、俺には唯一の取り柄である“頑丈な身体”がある。机がぶち当たろうが、何も問題はない。
「か……加賀見……くん……どうして……アナタが?」
青葉は状況を飲み込めずにいる。
そりゃそうだろうな。俺は青葉のような正義のヒーローじゃない。ただのヤンキーだ。
喧嘩ばかりして、誰とも関わろうとしない不良な男が、佐々木くんとやらも助けに行かなかった俺が、自分を助けるように割って入ったんだ。
驚くのも無理はない。
俺は青葉をひとしきり確認し、怪我ひとつないことに安堵する。
――ん?怪我ひとつないことに安堵する?
なんで俺は安心してるんだ?
『青葉美桜』が危険だと感じると、無性に守らなければ――
くっ……頭が……
突然、鈍い痛みが走る。
騒然としていた教室が嘘みたいに静まり返り、俺は思わずしゃがみ込む。
なんだこれは――!
「――加賀見くん、大丈夫!?」
青葉が慌てて駆け寄ってくる。
周囲からも、「えっ、頭打ったの?」「凄い勢いで足には当たってたけど……なんで頭?」と疑問の声が飛び交う。
「ちょっ、ちょっと!頭をどうかしたの!?」
「い、いや……問題ない。こりゃあれだ、3日前に金属バットで殴られた後遺症みたいなやつだ」
「「「――!」」」
金属バットで殴られた――その一言で、再び教室がざわつき始める。
というか、めちゃくちゃ引かれている。
「――金属バットってアナタ!とにかく保健室に行くわよ!それと病院で診てもらったほうがいいわ!」
ん?青葉の声が、妙に落ち着く?
そう……あの日から、青葉美桜の声が不思議と心を穏やかにするのだ。
俺と青葉って……。
「大丈夫だ。問題ない」
「問題なくないわよ!頭なのよ!」
「俺は頑丈だからな。心配するな」
「――ダメよ!せめて保健室に行きなさい!」
――ドクンッ。胸を突き抜ける青葉美桜の声!
「分かった、そうする」
自分が答えたことを自覚するまで、少し時間がかかったかもしれない。
「「「――!」」」
驚いているのは俺だけではなかった。
言った青葉自身はもちろん、クラスメイトたちも目を丸くしている。
なぜなら――。
青葉美桜の発言は、基本的に空回りしやすい。
言っていることは正しい。だが、おせっかいが度を越しているため、ウザがられることが多いのだ。
口うるさい優等生の言うことは、誰も聞かない――それが暗黙の了解になっていた。
だが、クラスでもっとも聞かなそうな『加賀見聡明』が急に素直に応じたのだ。
「そ、そう……わ、分かったならいいのよ。じ、じゃあ、保健室へ行くわよ……」
「あ……あの! 私が加賀見くんを保健室へ連れて行きます!」
そう声をかけたのは、色素の薄い髪色のボブヘアにメガネをかけた女子。
名前は……申し訳ないが分からない。
「――柊さん?えっと……どうしてアナタが?」
「私、保健委員だから! 保健室の先生のこともよく知ってるし……ダ、ダメ……かな?」
「……いいえ、じゃあお願いします」
「はい! ありがとうございます」
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「柊……だったか?悪いな、保健室の場所は分からないから助かった」
「――か、加賀見くん! 私の名前、覚えてくれていたんだね! ……うれしい」
「当然だ。クラスメイトだからな」
ふぅ……青葉が名前を呼んでくれて助かったぜ。
さすがに一カ月以上も同じクラスにいて、「名前なんだったかな?」なんて聞くのは抵抗がある。
保健室に着いたが、先生はいなかった。
身体には問題ないが、とりあえず頭が痛いのでベッドに座っている。
しかし、なぜか柊が帰ろうとしない。
「――あ、えっと……保健室の先生に加賀見くんのことを報告しようかなと思って……」
「自分で言うから問題ない」
「ううん、加賀見くんは横になってて! わ、私がちゃんと説明するから! あ……それと足も診てもらわないと!」
「足はまったく問題ないぞ……しかし、保健委員というのは、そこまでしてくれるものなのか?」
柊はあわあわと落ち着かない様子だ。
無理に付き合う必要はないんだが……いや、これはチャンスか?
青葉美桜の情報収集も兼ねて、交友関係を広げるのも悪くない。
「えっと……実は……加賀見くんと話がしたくて……」
「――!」
俺と話がしたい!?
珍しいヤツもいたもんだ。柊を見やると、恥ずかしそうに俯いている。
「柊……まさかお前――」
「――えっ?」
「ヤンキーオタクだな!」
「……え?」
「お前、なんかオタクっぽいもんな。俺とヤンキー談義がしたいんだろ?」
「……オ、オタクっぽい……? そ、そ、そうなんですよ! わ、私、1990年代に憧れてて……ヤ、ヤンキー? とかカッコいいなぁ……って」
「おお!柊にもヤンキーのカッコ良さが分かるか! 90年代って言うと、クローズ世代だな。
一匹狼の不良に憧れるパターンか? それとも湘南爆走族みたいな暴走族のスタイルがカッコいいと思ってるのか?
まあ、柊は女子だから、80年代後半のホットロードなんかの影響を受けてるかもしれんな! ……って、悪ぃ……同士がいるって思うとつい興奮しちまった。柊のことオタクって言ったが、俺も似たようなもんだな。
ところで、ヤンキーのどんなところが好きなんだ?」
「――あ、え……えっと……し、しつこく言い寄ってくる男の子達から……見ず知らずの女の子を助けたり……で、でも、それを得意げにしてるわけじゃなくて……優しいというか……」
「……ふ〜ん。なんか正義のヒーローみたいなやつだな。それってヤンキーか? ヤンキーは一途なんだぞ。心に決めたマドンナだけを守るのが本物のヤンキーだ。誰かれ構わず助けるヤツは、スケコマシのヒーローだな(偏見)」
「こ、心に決めたマドンナ……?」
「そうだ。ヤンキーは誰しも心に決めたマドンナがいる。その子のためなら命を張れるんだ。だからカッコいい」
「……か、加賀見くんにも……?」
「当然だ」
「そっか……じゃ、じゃあ、もう付き合ってたりするんだ……加賀見くんにとってのマドンナさんと」
「いや、名前も知らん」
「――え?」
「気持ち悪いか? 名前も知らないのに心に決めてるなんて言うと」
「ううん、そんなことないよ! だって……恋ってそういうもんでしょ」
「――! 柊、なんかそれは……深い……のか? 俺は頭が悪いから分からない」
「ぜ、全然、深くないよ! ……加賀見くんはロマンチストだなぁってこと」
「なるほど……ふっ、そうだな。ヤンキーってのはロマンチストだと相場が決まっている(偏見)」
「フフフ、そうだね」
「ふっ……しかし、柊とこんな風に話す日が来るとはなぁ。なんか困ったことがあったら言ってくれ。俺に出来ることだったら力になるからな」
「――え? でも……ヤンキーは心に決めたマドンナだけを守るんでしょ? 私は……」
「友達だろ? ……友達は別だ。それがヤンキーってやつだ」
「――ダ、友達?」
「違うのか?」
「――ううん! そうだね! 私たちはもう友達だもんね!」