第十話 パーテーションの向こう
「加賀見くん、今回は一週間で済んだけど、次に問題行動を起こすと僕も庇いきれないよ〜」
停学明けの俺は昼登校。職員室からスタートだ。目の下のクマが一段と濃くなった担任の朝倉は、覇気のない声でそう言った。
「お?庇ってくれてたんすね。あざっす!またなんかあったら夜露死苦!」
「――えぇ〜!?勘弁してくれ……痛っ!イタタタ」
相変わらず朝倉は胃が弱い。たかが一生徒の停学ごときで気にしすぎだ。それに、だからといって授業を休むのも勘弁してほしい。俺が美桜に怒られる。
「おっ!戻ったか、不良少年!」
トンッ、と肩に手を置かれ振り向くと、頬に指が突き刺さる。「ブゥ〜!」とわけの分からん効果音まで発するのは保健室の星宮だ。
「アンタ、こんなところで何をやってるんだ。ここは職員室だぞ」
「言うねぇ、加賀見聡明。いちお〜オレも職員だからな」
相変わらず男前な口調で、距離感も近い。俺の頬に突き刺した指を、ぐりぐりと押し付けてくる。
「ほ、星宮先生!……か、加賀見くんと面識があるんですか!?」
朝倉が動揺している。コイツはいつも挙動不審だが、今はさらに様子がおかしい。
いつもの青白い顔が紅潮し、目の焦点が定まっていない……これは……朝倉……星宮のことが好きだな。色恋に鈍感な俺でも分かる。
星宮はその性格と壊滅的な料理の腕を除けば、見た目は綺麗な方と言える。しかし、このドSな星宮を好きになるとは……胃の弱い朝倉じゃ、寿命を縮めることになるんじゃないか……と余計なお世話か。
「ど〜も、朝倉みくる先生!そうなんだよ、加賀見聡明とオレはただならぬ関係なんだよ!」
「――た、たひゃならにゅ!?きゃんけい!?……痛っ……イタタタ」
星宮がドヤ顔で言うと、朝倉の血の気は一気に引き、滑舌までおかしくなった。
星宮……これ、絶対分かってて言ってるだろう。ここまであからさまな態度を心の専門家が見抜かないはずはない。やはり、コイツは相当なドSだ。
それよりも気になったのは朝倉の名前だ。「みくる」っていうのか……クク!朝倉みくるって、めちゃくちゃ強そうな名前なのに、こっちの「みくる」はめっちゃ弱い……クク……アル……名は体を表すんじゃなかったのか?
「おいおい星宮、朝倉を殺す気か。適当なこと言うなよ。朝倉……安心しろ、俺はただコイツのクソ不味い手料理を食って死にかけただけだ」
「――コ、コイツ!?手料理!?ぐふっ……うう……胃が……」
――まずい!余計なことを言ったか?
「おっと、コイツとは他人行儀だな。いつも通り、葵と呼んでくれていいぞ」
「アホか!葵なんて名前、今知ったわ!」
「照れるな、照れるな」
「うぜぇ〜」
完全に俺と朝倉で遊ばれてるな。朝倉とは歳も近そうだし、お互い独身だし(柊からの情報)、先生同士で仲良くやればいいのにな……朝倉、まあ頑張れ。
「ううっ……ただならぬ関係……コイツ……手料理……葵……痛っ!イタタタ」
朝倉が悶絶しているのを見て、星宮はケラケラと笑う。本当に精神保健福祉士の資格、持ってるのか……?
「それで?星宮は俺になんか用事があるんじゃないのか?」
「ん?ああ、そうだった。昨日から、彼女が保健室に来てるんだが。お前を待ってるみたいだぞ。ふっ、可愛い子じゃないか」
「彼女?柊か?それとも青葉か?」
「このスケコマシめ。柊陽花でも青葉美桜でもないわ!まさか加賀見聡明にそんなに沢山の彼女がいるとは思わなかったぞ!柊陽花ならまだしも……あの青葉美桜にまで手を出しているとは……なんという鬼畜」
「――待て待て!今のは星宮の言い方が悪いだろ!?彼女ってそういう意味か?紛らわしいわ!二人の名前を出したのは俺の交友関係の問題だ!女子といえばそれくらいしか分からん!」
「くぅ……胃が……」
朝倉のことは放っておくとして、他に心当たりはないぞ。美桜に至っては、保健室で俺を待ってるなんてことは絶対にあり得ない。だとすると、う〜ん……他に可愛い女子の知り合いなんていたか……?
「はぁ、まったくお前ってヤツは……不登校だった雪村皐月だ。加賀見聡明が不登校の女子を救ったと聞いたときは耳を疑ったが、まさか心のケアまでしてしまうとはな……見直したぞ!」
「――は?雪村?心のケア?」
「ああ、本人が言ってたぞ。『加賀見さま、いや神さまが自分を救ってくれました』ってな!」
「……神さまってアホか、アイツ……だが、心のケアねぇ、俺はレオを助けただけだぞ。それにちゃんと昨日から来てたのか……なかなかやるじゃねぇか」
「まあ、来てはいたんだが……加賀見聡明が来るまでは教室には行かないって駄々をこねてな……あとは頼んだぞ」
「――はぁ!?」
---
本来なら教室に向かうところだが、職員室を出て向かったのは保健室だ。雪村が保健室登校をしているということで俺が連れ出しに来た。
ちぃ、いちいち面倒くせぇことをさせやがって。「おい!」と保健室の扉を開けると、雪村の姿は見えない。
見渡すと、パーテーションが閉まっているベッドが一箇所だけある。当然、いきなり開けたりはしない。
相手はいちおう女子だからな。余計な展開は避ける。ただ、俺はそこに雪村が寝ているのだろうと疑うこともなく、パーテーション越しに話しかけた。
「お前なぁ……昨日から登校したことは褒めてやるが、俺が来るまで教室に行かないってどういうことだ?
頼るなら青葉を頼れって言ったろ!怖いのは分かるが、アイツは他のヤツらとは違う。本気でお前を心配してたぞ。
それに、アイツもお前もぼっちだろ?女同士で友達にもなれるんじゃないか?」
「え?……こ、怖い?……ぼっち?……あ、青葉さんって嫌われてるの?」
「ん?ああ、まあ……ちょっと気が強くて周りが見えてないところがあるからなぁ。嫌われてるっていうか、ウザがられてるって感じだな」
「へ、へぇ〜……そ、そうなんだ……」
「――っていうか声小さいぞ。体調悪ぃのか?」
「い、いえ……大丈夫。でも、周りが見えないウザい人って……救いようがないわね……」
「お前、けっこうヒドいな。まあ、それだけアイツが他とは違う、特別な人間ってことだろ」
「――!」
「アイツには『信念』がある。困っている人を助けたいっていう信念がな。ブレねぇんだよ……今は周りがアイツについていけてねぇけど、いつか誰かが気付くんじゃねぇか?
少なくとも俺は青葉美桜が他のヤツらよりカッコいいヤツだとは思ってるぞ」
「……」
「あと、救いようがねぇって言っても、救う必要はねぇよ。自己責任だからな。ただ、理解することはできるだろ?
だから、雪村、美桜と仲良くしてやってくれ。っということで俺は行くわ」
「なに勝手に『美桜』って呼び捨てにしてるの!」
「――え?」
シャッとパーテーションが開くと、美桜が顔を真っ赤にして俺を睨みつけている。一瞬、状況を飲み込めずにいた。しかし、不思議と冷静に分析できた。
星宮が職員室に来ている間に、美桜が保健室を訪ねて来たんだろうなぁ……とか
雪村が保健室登校をしていることを聞きつけて様子を見に来たんだろうなぁ……とか
パーテーションの向こうで会話していたのが美桜だったんだろうなぁ……とか
ベッドの上で申し訳なさそうにペコペコしている雪村を見る限り、声を出さないように美桜に言われてたんだろうなぁ……とか
なんか気まずいなぁとか。
とにかく何か言わないとヤバい。
「えっと、美桜って呼びやすい名前だよな……って」
「――アナタに『美桜』って呼ばれる筋合いはない!」
その言葉が突き刺さる。
――!っと、思わず身構えた。ビンタでもされるかと覚悟したが、美桜は顔を真っ赤に染めたまま、ものすごい勢いで保健室を飛び出していった。
はぁ……また嫌われたか。
こんな調子で、俺が青葉家にお邪魔できる日は――果たして来るのだろうか。