第40話、メイ (2)
メイはチッ、と舌を打ち、それを見てジヌは乱暴にゆがんだ微笑みを浮かべた。今まで見たことないジヌの怖い顔に私は当惑せざるを得なかった。しかし、考えてみれば、私たちの初対面も血に染まっていなかったか。
私たちといる時はただお人好しの兄さんだったけど。人には色んな顔があるものだ。
それにしても…今、何だと? 私たちの情報を?売ったって?イマエールに?
私が何か言い出す前に、ジヌは私にちらっと目で合図を送った。恐らくあれは『後で説明するから黙っていろ』という意味だろうと思う。
彼の邪魔をしたくもないから、私はただ自然にテーブルに寄りかかるように振る舞って、周りの目からジヌの手を隠した。 メイは小さく呟いた。
「それをどうやって…」
「どうもこうも、それはお前の知ったことじゃない。重要なのは、お前が我々に協力するかどうかだ。
俺の質問に素直に答えてくれるなら、この100ブルをあげる。そうでなければ、私たちは違う方法で質問をする。ちなみに俺は後者でもいいと思うけど。
実はこの都市は一銭が惜しいんでさ。お前みたいな子にあげるよりも、都市のために使ったほうがいいと思う。メイちゃんはどうお考えですか?」
ジヌが言った『違う方法で質問』というのは何だろうか。おそらく、今私が考えているのと似ている状況がメイの頭の中でも浮かんでいるだろう。
「......お金、先にちょうだい」
「とりあえず、50ブルから」
「ずるいわね」
「俺の番だろ?イマエールとはどう接触した?」
ジヌが持っていたコインのちょうど半分が、メイの手に渡された。
「私がそんな大物を知ってるはずないじゃない。そちらの連中が先に近づいて来たわよ。バレンブルクに来たばかりのような、適当な田舎者がいたら知らせろ、と。特に女を連れていると最高だと。」
【大金になる物をもってのんびりっと歩き回るんだなんて、こんな餌を先に食わないやつが馬鹿だろう?】
イマールの卑劣な笑いと、あいつの言葉が思い浮かんだ。つい私はもう我慢できないほど腹が立って、うっ、とメイに怒りつけた。
「あいつらがどんな奴らか知っているくせに、情報を渡したって?どうしてそんなことができる?同じ女の子同士でそんなことができるか!」
「おい、ホウジ!」
「同じ女の子? ふざけないでよ」
「…何?」
メイは険しい目つきで私を睨みつけ,その剣幕に私は息をのんだ。
「どちら様にはレディーに従うナイトように面倒をみてくれるバカがついてて、私のようなあまっこは妹たちに何でも食わせるためにここで酔っぱらいたちの面倒をみているのに、同じ女の子だと?
100ブル。そう。あんたの言うとおりに、あんたらを売り払って得た100ブルで私たちが何日暮らせると思う?ありがとうございました。おかげで助かりました。じゃ、もう気が済んだのかしら」
「うっ…」
「よせ、ホウジ。俺たちとは価値観が違う」
ジヌの言葉に私は口を閉ざした。気分が悪い
メイの言葉のせいだけではなかった。
【ここは平和な日本でもないし、君ももう気楽な高校生ではない】
そう言っていたチョ総管の言葉が、改めて胸に突き刺さったからだ。
私と同じ年頃にしか見えないメイの目線から見れば、私は依然として『気楽にのんびりしている高校生』なのかもしれない。
「まあ、いい」
ジヌは私たちの口喧嘩を収めて、話を元に戻した。
「もう一つだけ聞いてみよう。 あいつら、最近どのくらいの頻度で情報を要求してくる?」
「あ、そういえば最近ちょっと頻繁になったわね。この前までは一週間か二週間に一度だったとしたら、最近はほぼ毎日来てるみたい。
でも噂ではこの前、警備隊にめちゃくちゃやられたらしい。そのせいか昨日も今日も来なかったわね」
めちゃくちゃやられたって…それ、ジヌとミルに一方的に殴られた、あの時のことかな。
もういいでしょうと言いながら、メイは手を差し出した。しかし、ジヌが彼女の手のひらに置いたのはコイン2枚だけだった。
「あれ?なによ! 残りの30ブルは?、早く出しなさいよ!」
「待って」
ジヌは残り3枚のコインを手にしている拳をぎゅっと握りしめた。
「もし今日中に奴やその子分が現れたら、すぐ知らせて。その後に渡すから。そしてホウジはここに残っていてよ。とりあえず、そのメイルを脱いで」
ジヌは警備隊の紋章が刻まれているレザーメイルを私から受け取って、代わりに30ブルを渡した。
「なんでこれを私に?」
「やつらが現れたとメイから知らせたら、その時このお金を渡して。そして早速俺のところに来てよ。ギルドで待っているから。 分かった?」
「現れなかったら?」
「退勤時間まで現れなければ、その時はそのままあげてもいいよ。ホウジも退勤してよ。延長勤務しても給料はないから。
あ、そしてそのバットは横に置いてくれ。あまりにも目立ちすぎる」
そう言っておいてジヌはさっと、私のレザーメールを持って『王冠のドラゴン』を出て行った。
「…」
「…何よ、何をそんな目でじろじろ見てんのよ」
メイは貰うはずだったお金を全部受け取れなかったせいか、ジヌに捕まっていた手首を揉みながら、余計に私にぶつぶつした。
「はぁ…」
私はため息をついてメイに手を差し出した。メイも思わず同じように手を差し出した。その上に、三枚のコインが小さい音を立てながら落ちた。
「えっ、なんで?」
「いいから」
30ブルを受け取ったのに、メイはわけがわからない顔をしていた。余計に後頭部がくすぐったい。
「どうせあんたに渡すお金なんだから。あいつらが来るまで握っているのも面倒だし。だから貰っとけよ」
私は席に戻った。メイは自分の手に置かれたコインをぎこちなく眺めていた。
「まあ、とりあえずお仕事だからここにいるだろうけど、気にしなくてもいいよ。ただ、ジヌさんが言った通り、やつらの誰かが現れたら私に知らせてくれ」
さーて、これから退勤時間までどうやって時間を潰すんだろう。
こうなると分かっていたら本で一冊持っていればよかった。元の世界だったら、すぐにでもスマホを取り出しただろうが、ここでは夢のまた夢だ。
トッ
「え?」
私の前に飲み物で満ちたコップが置かれた。
「いや、注文してないけど…」
お金を受け取った後、すぐどこかに行ってしまったから、他のお客さんの所にでも行ったのかと思っていたメイがそこに戻っていた。相変わらず険しい目つきでこちらを見下ろしていたけど、さっきより少しは温く見えるのは気のせいかな。
「バカじゃないの? 食堂で張り込みするつもりでしょう?ご飯もない、お酒もない、そんな客が一体どこにいるのよ?」
いや、今やっていることが別に張り込みっというわけでは…あるんだな、言われてみれば。
ぼんやり飲み物と自分を眺めていた私に向かって、フン、と鼻で荒く笑ったメイは、ようやく隣のテーブルに向かい、サービングの仕事に戻った。
「おいしいね」
相変わらずやることがなくて退屈なのは変わらなかったが、それでも飲み物は甘くて美味しかった。




