第七章 小説に宿る感情
文理融合の締め切りまであとわずか。一方で、大学のレポートや進振りを左右する中間テストが迫ってくるなど、僕の時間はどんどん奪われていく。ストレスフルな状態だが、それでもペンを走らせる手は止めたくない。
合コンの空気感や初デート(とは呼べないかもしれないが)で味わった微妙な温度差、そして水島と話しているときの内なる高揚感。そういった“理屈で割り切れない揺らぎ”を、僕は今回の短編にどうしても反映したかった。
テーマは「未解の方程式」。研究を愛する理系学生の主人公が、恋愛に戸惑いながら、ある研究成果を追い求めるストーリーだ。最初は“感情”なんて非合理的だと切り捨てる主人公が、失敗や空回りを経て、それでも未知の領域へ踏み込むことに価値があると気づく――そんな筋立てである。
書いてみると、意外に筆は進んだ。これまでは自分の恋愛経験のなさを嘆いてばかりいたが、“空回りした体験”や“観察して感じた微妙な気配”などは、思った以上にエピソードの材料になる。むしろ、泥臭くても不器用でも、それがかえってキャラクターに温かみを与えるのではないか、と気づいたのだ。
ある夜、進捗が八割ほどできた頃、僕はもう我慢できず瑠璃にメッセージを送った。
〈短編の初稿がほぼできた。明日、見てくれない?〉
するとすぐに「もちろん!」という返事が返ってきた。さらに水島も「ぜひ読ませてほしい」と言うので、結局3人で集まることに。場所は駒場の食堂のある建物の二階にある屋外のスペース。椅子と机がいくつか置かれた、人通りの少ない穴場だ。執筆にはうってつけで、よく利用している。授業の合間を縫って読み合わせをするのは、なんだか部活の演劇みたいでもある。
「へえ、なるほど。理系学生が恋愛に翻弄されながら研究テーマに没頭していく話か。空回りぶりがリアルで、逆に好感持てるかも」
瑠璃は読みながらくすっと笑う。僕は少し赤面しながら、
「それ、完全に僕のこと言ってるだろ……」
「やっぱりエピソードが生々しいんだよね。でもそこがいいんじゃん。読者はそういう“リアリティ”が好きだから」
一方、水島もノートを取り出して何かメモしている。彼女は文章表現の細かい部分や、ストーリーの構成を検討してくれているようだ。
「言葉遣いとか視点の移り変わりも悪くない。ちょっとだけ専門的な数式とか理論を足すと、より“理系らしさ”が増すかも。けど、一般読者に難解すぎるのはNGだから、そのバランスが難しいね」
淡々としたアドバイスだが、僕の胸にはすとんと落ちてくる。クールな彼女は的確に改善点を示しつつ、僕の個性も認めてくれている。
こうして二人の意見をもとに書き直し、文理融合企画への応募作品はなんとか完成にこぎつけた。最後の仕上げをして提出したときには、もう締め切りの前日で冷や汗ものだったが、久しぶりに大きな達成感を味わう。
これが評価されるかどうかは分からない。けれど、僕は初めて“恋愛”という曖昧で複雑なテーマを、自分の言葉で真正面から書けた気がする。その原動力となったのは、合コンや失敗や、そして――たぶん、水島葵という人の存在なのだろう。