99話 扉の先は⑦
何が起こっているのだろうか。目の前で起こったことをうまく理解できない。
どうにか頑張って脳を働かせようとしても、そのエネルギーがどこからも湧いてこない。
辺り一帯は、口の中をかんでしまって血の味がした時のように、鉄臭かった。
地面に倒れ込んだ二人からは、今なお黒くよどんだ血が、ドクドクと溢れ出していた。
ただ、唯一子供だけはさっき切られた傷だけで、命に別状はなさそうだ。
俺と美月は倒れ込むようにしてその場に座り込む。
心臓が今までないくらいの鼓動を刻んでいる。緊張した時と比にならないくらい、早く動いている。このままもっと早くなって、いつか止まってしまうのではないかと感じてしまうほどに。
遠くからサイレンの音が聞こえ始めてきた。きっと警察が到着したのだろう。なので今から起こる様子は、俺が最初に扉に入ったときに見たニュース映像と同じ光景になる。
10年後の俺は恐らくこのまま何の抵抗もせずにあっさりと捕まる。
「警察です!」
すぐに後ろから厳つい声が響いてきた。ゆっくりと振り返ると50代くらいの体格の良い警察官がこちらに向かって走ってくる。
「これは……」
近づいてきて、すぐに事件に気付いたのか、耳につけていたイヤホンマイクで増員要請を呼ぶ声が聞こえた。
「君がやったのか」
警察官が10年後の俺に近づいていき、頭を地面に押し付けるようにして抑え込み、右腕を後ろで拘束する。
「……」
問いに対して無言が続いた。表情一つ変えることなく、目は焦点が合っていなかった。
グッと、警察官が全身の体重をかけるようにして押さえ込む。それに合わせるようにして表情が少しだけ苦しそうになる。
「君がやったのかと聞いているんだ!」
突如として、静寂な空間に怒鳴り声が鳴り響く。学校の先生に怒られる、なんてものとは比べものにもならなく、その一言で、心臓を穿つような気がした。
「……はい」
吐き捨てるようにして出たその言葉は、だだっ広いこの空間ではかき消されるほど小さなものだった。
警察官は、俺たちのほうを向いてこう言った。
「……通報してくれたのは君たちだね。危ないからここから少し離れていなさい」
「……は、はい」
その言葉に従うしかなかった。
まるで一瞬の出来事かのように感じた。
木枯らしがスッと頬をなでるかのように一瞬で過ぎ去ってしまった。
その後は多くの警察官が駆け付けてきて、あの日テレビで見た光景が目の前では広がっていた。上空は音をひそめるようにしてドローンが飛び回ってる。恐らくあそこからテレビ中継をしているのだろう。
そしてタイムリミットである1時間が経過した。強制的に俺たちは現代へと帰される。
真っ白な光に包まれて気が付けば扉の目の前に座り込んでいた。
外では蝉がうるさく鳴いているが、そんなことは今は気にならない。
隣に美月がいるのを確認して一呼吸入れる。まだ、頭の中がパニックになっていて、冷静に状況を判断できていない。けど、目の前で起こったことは事実としてとらえなければいけない。
人間は情報を都合のいいように解釈しようとするらしい。俺も同じなのだろうか。目の前で起こった出来事を、単に”こことは違う未来”のこととして解釈しようとしている。
まるで夢で起こった出来事だから、現実世界では関係ないと言い張る子供みたいに。
「美月……」
ただ、ただ、名前を呼ぶことしかできないのがもどかしかった。名前の後に続ける言葉は一体何が正解なのだろうか。
「……うん」
しばらくの沈黙の後に、美月の優しいけれど少しいつもより低い声が教室に反射する。
「なんで……なんで……あんなことになってるんだろうな」
思ったよりも、素直に自分の感情が出てきた。というよりも、それは決壊したダムのように留まることを知らず、あふれ出してきた感情だった。
「うん……なんでだろうね。分かんない……」
いつもは優秀でしっかりと答えを出す美月も、答えを放棄していた。美月に分からないことが俺なんかに分かるはずがない。そう思うと幾分か気持ちは楽になった。
「なんで俺が美月のことをあんな風に……」
しっかりとさっきの光景が脳裏に焼き付いていた。じっとこちらを見つめる10年後の自分の視線は冷たかった。
そこで俺は、ぽと・ぽと、と地面に液体が落ちていることに気付く。ふと顔を上げると、それは美月の瞳からあふれ出したものだった。
「ごめんね……なんだか、涙が止まらなくなってきちゃって……。ごめん……」
美月は必死に両手の甲で涙を振り払いながら、謝る。
静かな空間に、鼻をすする音が響き渡る。
ここで優しく頭をぎゅっと抱きしめてあげたりでもすればよかっただろうか。
だけど、そんな簡単なこともできないほどに今の俺は動揺していた。
ただ、自分のことしか考えられないほどさっきの出来事が脳内に広がっていた。
それと同時に、鈍い痛みが頭の中をゆっくりと歩き回る感覚に陥る。以前もそうだった。時間を超えた副作用なのだろうか。だけど、そんなことは今はどうでもよかった。
結局、その後は何も声をかけることはなく、俺たちはバラバラに教室を出ていき、別れるのであった。




