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9話 踏み出した一歩は

 玄関の前でどれだけの時間が過ぎたのだろう。初めは簡単なことだと思っていた。1カ月前の自宅に行って、親父や俺本人から話を聞いてみればいい、そう頭の中では理解していた。

 だが、現実は違った。その一歩を踏み出すのが怖い。何故怖いのだろうか。


 既に手が付けられなくなっているかもしれないから? 

 未来の自分に会うのが怖いから?


 どれも不正解だ。


 だからと言って正解が見つかったわけではない。この問題に関しては、俺が生涯かけて付き合わなくてはならないのだろう。


 自分の気持ちは一体どうなのか。


 子供のころはすごく単純で、例えるなら10ピースしかないパズルを作るくらいに簡単だった。しかしそれは成長していくにつれてどんどんピースが増えていき、小さくなっていった。そしてあの時をきっかけに、そのパズルのピースは1ピースどこかに消えてしまった。他を完全にそろえたとしても決して埋まることのない残り1ピース。探しても絶対に見つかることのない残り1ピース。だけどそれを探すのが俺の人生でもあるのだ。


「見つかるわけがない」


 そうやってあきらめるのは簡単で、楽に生きていけるだろう。

 だが、その先には何が待っているのだろうか。きっと待っているのは”孤独”だろう。誰にもとらわれずに自由に生きていくことができる無限の時間、と言い換えてしまえば聞こえはいいが、実際それは不自由な自由なのだ。

 だからこそ、俺はこの1歩を踏み出すことの大切さも痛いほど理解しているし、それ故に踏み出せない。


「ふぅ……」


 何度も、何度も深呼吸をする。意識していないと呼吸が浅くなり、脳に酸素が届かなくなりそうになる。


 覚悟を決めた。


 俺は玄関にあるチャイムを強く押した。家中に音が反響して、足音が聞こえる。

 扉のすりガラスからぼんやりと見えるシルエットは間違いなく、親父だ。

 ガチャッ

 玄関の鍵が開く。そしてゆっくりと扉も開いた。

 そこには昨日見た、髪は白髪がほとんどで、顔はしわだらけになった親父の姿があった。


「親父……」


 思わず、そうつぶやいてしまう。家族の10年後の老いた姿を見るというのは、なんとも心が痛む。だが、それ以上に親父の顔を見れて安心した自分がいるのだ。


「親父、いきなりで驚くかもしれないんだが、俺は今から10年前の過去から来たんだ。信じてもらえないかもしれないが、少し話を聞いてくれないか?」


 力をふり絞ってそう告げた。実際に顔を合わせてみると、言いたいことはポンと素直に出てきた。流石に信じてもらえないかもしれないが、どう見ても10年前の俺の顔なのだ。話くらいは聞いてくれるだろう。


「……」


 親父は俺の顔をまるで金品の査定をするかのようにじっと見つめて、何やら思考を巡らせていた。そして次の瞬間、俺は耳を疑いたくなる言葉を聞いた。


「すまんが、人違いではないだろうか。私に息子はいないのでなぁ。お前さん、ここら辺の住人かね?」


 心臓が高鳴った。


 何故、そんな嘘をつくのだろうか。


 まるで自分自身の存在をすべて否定されているような気がした。

 頭の中が真っ白になる。何を言えばいいのかわからない。勇気を出して踏み出した一歩が、崖から足を踏み外してそのまま落ちていってしまったような感覚。

 胸の奥から何かがこみあげてくる。この感情は一体……?


「親父! 冗談はやめてくれ! 俺だ!勇也だよ! どうしちまったんだ!」


 俺は勢いあまって、親父の洋服の襟元を掴み上げる。だが、すぐに自分の惨めさに気が付いて、ゆっくりとその手を下した。


「あら、勇也君? 見ない間になんだか若返ってないかしら?」


 いきなりそんな声が聞こえてきた。その声の主は隣の家からだった。気が付けば近隣住民が窓からこちらをのぞいたり、玄関から出てきてじっと見ている。無理もない、あんなに大声を出したのだ。何事かと思って見に来るだろう。


「松田さん……」


 声をかけてきたのは、俺が物心ついた時からよくお菓子などをくれた、隣に住んでいる松田さんだ。髪には茶色いパーマがかかっており、顔のしわが増えていた。当然だ、10年もたっているのだから。


「大きな声出してどうしたの? お父さんと何かあったかしら?」


 松田さんは門から出てきて、こちらに向かってゆっくりとやってくる。


「それが……親父が……」


 俺は再び親父の方に視線を向ける。そこにはひどくこちらを警戒したような目つきで見つめている姿があった。


「あぁ、お父さん最近物忘れが激しいんでしょ。もっと労わってあげなきゃ」

「物忘れ……?」


 その言葉を受け止めて、自分の中で分解していく。つまり、10年後の親父は物忘れ、認知症になっており、俺のことを忘れてしまっていた。そういうことなのだろうか。


「何かあったらおばちゃんがいつでも相談に乗るからね。喧嘩はしちゃだめよ」


 松田さんはそれだけ言うと「いけない火、火」と小走りで再び家の中へと戻っていった。


 そして二人の間には沈黙が訪れた。俺は目を合わすことすらできずにその場にいることさえ苦しくなる。

 限界だ。

 俺はその場から逃げるようにして走り去った。こぶしをぎゅっと握りしめ、1メートルでも遠くに逃げれるよう踏み込む。


 春の心地よい空気がかえって腹ただしくなった。なんでこんなに世界は平和なんだろう。なんで俺以外の人間はみんな呑気に生きているのだろう。

 バカみたいだ。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 肩で息をする。どれくらいの距離を走ったのだろうか。道中何を考えていたのだろうか。全く覚えていない。

 夕日が沈む。

 それと同時に辺り一帯が白色に包まれていく。タイムリミットだ。



 気が付くと、俺は教室に戻ってきていた。


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